BIRTHDAY

紅林みお

BIRTHDAY

 「お姉ちゃん、お誕生日おめでとう!」


 朝、目覚めたとたんに、妹がわっと私にとびついてきた。


 10月8日。今日は私の十五歳の誕生日だ。


 妹の桃子はすごいはしゃぎようだった。戸惑う私の手首をつかみ、まだパジャマのままの私を台所へと連れて行く。

 そこには大きなバースデーケーキがあった。


「お姉ちゃんのバースデーケーキだよ!全部桃子が徹夜で一人で作ったの!すごく大変だったんだから!ね、ね、食べてみて!」


 目の前におかれたケーキを前に、私は感動のあまり声が出ない。

 いっぱいの白いクリームで包まれたケーキ。たくさんの苺が、綺麗に中心から外側へと広がるようにに並べられ、真ん中には、『おねえちゃん十五歳おめでとう』という文字がチョコのデコレーションペンで丁寧に記されていた。


「ありがとう!桃子!」


 私は包丁でケーキを綺麗に切り、皿へ盛った。食べてしまうのがもったいないくらいかわいらしいケーキだった。

 パクリと一口食べた。


「おいしい!」


 イチゴとクリームの甘い味が口いっぱいにひろがった。妹が隣できゃっきゃと喜んでいる。私は二口目に突入した。


 ぶちゅっ


 口の中で、何か弾力のあるものが弾けて、甘い生クリームの後に苦い汁が広がった。

 

「お・・・おええっ・・・」


「どうしたの!?お姉ちゃん」


 私はフローリングの床にケーキを吐瀉としゃした。

 私の唾液とぐちゃぐちゃのイチゴ、溶けた生クリームがいっきにフローリングの床に散らばった。


「何これ!」


 吐瀉物の中に奇怪な物体があった。

 黄色と黒の毒々しい縞模様。芋虫の断片らしきものがプカプカ浮いているのが見えた。


「桃子! あんたケーキの中に何入れたの!?」


 私は口からクリームを飛び散らせる勢いで怒鳴った。


「知らないよ! 桃子は普通にケーキを作っただけだよ!」


 桃子が真っ青な顔で叫ぶ。


 どうやら、桃子がケーキを作っている最中に、桃子の知らないうちに、その虫がなんらかのかたちでケーキの中混入したらしかった。ちょうどテレビのニュースでやっていた「キイロガドクチュウ」だろう。私はそう思った。今年の夏から秋にかけて大繁殖している猛毒を持った蛾の幼虫らしい。黒と黄色の小さいけれども恐ろしい虫だ。


 キイロガドクチュウの毒は、感染力が強く、世界中であっという間に感染者が広まった。毒に罹患した人は腹痛や嘔吐におそわれ、最終的に内臓が溶けて無くなり、死んでしまうのだ。テレビは今キイロガドクチュウの話でもちきりだ。


「どうしよう!私、キイロガドクチュウ半分食べちゃったよ!」


 私はそのあと、体内に残ったキイロガドクチュウの断片を吐き出そうと何度もトイレで嘔吐を試みたが、出てくるのは少しのクリームと、すっぱい胃液だけ。夕方になっても、キイロガドクチュウは出てこなかった。そんな私の様子を見て、桃子は唇をがたがたと震わせた。


「お姉ちゃん、ごめんね、大丈夫・・・・・・?」


「おええええ、おえええ、大丈夫だから近くに来ないで」


 桃子は、近くに来るなと言っても側で私が吐いているのを心配そうな顔で見ていた。


「ごめんね・・・・・・」


 その夜、鈴虫の鳴く音がやけにうるさいと思った。

 いつもは暑くて網戸にしているが、うるさいので硝子戸ごとしめた。しかし、鈴虫の鳴く音は収まらなかった。外で鳴いているよりもこれは・・・・・・―――

 タオルケットを剥がして、パジャマをめくると腹の中で何かがびくびく動き周り、皮膚がぼこぼこ動いているのか見えた。


 ヴィイイイイイイインヴィイイイイイイン


 と虫特有の細かい羽音がした。私は猛烈な腹痛と吐き気を催した。


「う・・・ううう・・・痛い」


 私のうなり声で、隣で寝ていた桃子が起きてしまった。


「お姉ちゃん、どうしたの? お腹いたいの? 大丈夫・・・・・・?」


 私は腹を抑え、芋虫のように丸まりながら答えた。


「う、うん・・・ケーキの中の虫が悪かったのかもしれない・・・出せば、すぐによくなるから、心配しないでいいよ・・・」


 しかし、トイレに行く前に私は我慢できずにその場で吐いた。吐くとともに臍を中心に激しい痛みが走り、内側から裂けるように皮膚がひきつった。


「ぎゃああああああ、痛いいい!」


 私は激痛に崩れ、絶叫し、すぐさま病院に運ばれた。救急車の中では暴れないように拘束された。どの病院もキイロガドクチュウの患者でベッドがいっぱいで、散々たらい回しにされたあげく、隣の県の寂れた病院に運ばれた。

 約半日かかった精密検査の結果、やはり私の身体からキイロガドクチュウの菌が見つかった。


「早期に臓器を摘出する必要があります」


 四角い脂ぎった眼鏡の医師が機械的に私にそう告げた。私は思わずベッドから身を乗り出した。


「ぞ、臓器を?・・・・・・摘出しないとどうなるんですか?」


 医師は驚く私に表情を変えぬまま、人体の模型を使って淡々と説明を続けた。


「キイロガドクチュウの菌に汚染されて、内臓が溶けてしまい、最悪の場合死にいたります」


 人体の模型の内臓が、バラバラと床に落ちた。医師はそれを乱雑にもとあった場所に放り込んだ。


「そんな・・・・・・そんな恐ろしいこと」


 私は震えた。


「しかし、今世界中でキイロガドクチュウが流行っているため、もう新鮮な臓器のストックがありません。皆が皆、キイロガドクチュウの毒に侵されて臓器を移植しているんです」


 私は、思わずベッド横のテレビを見つめた。

 死者が数万人、感染者は数千万人。キイロガドクチュウは私達の意志や願いに反して増殖し、内臓を養分に成長して羽化し、臓器を突き破って羽ばたき続け、産卵し、毒をまき散らしているのだ。内臓が溶けて苦しんでいる患者の様子が、モノクロームのテレビ画面で何度も再生されている。テレビには、端に常に世界地図が表示され、日本を始めとしたアジア諸国は真っ赤になっていた。


 その夜私は、家に帰った。

 臓器移植するための臓器がないため、病院にいても仕方無かったのだ。


「お気の毒ですが」


 私はその場限りの痛みを和らげる薬を処方され、刻々と迫る死を待つしか無かった。私の頭には「絶望」「死」という言葉しかなかった。

 私は、その夜夢を見た。

 自分の腹が破裂して、内臓が飛び散る夢だ。小腸や大腸、肝臓や眼球までもが、曲線を描いてパアアアンと飛び出した。耳からもいろんな神経が飛び出して弧を描いた。私は夢の中で阿鼻叫喚し、「戻さなきゃ、戻さなきゃ」と自分の内臓を拾い集め始めた。

 ぬるぬるしたそれを掴もうとすると、血溜まりの中に、黄色と黒の幼虫がぷかぷかういているのが見えた。キイロガドクチュウの幼虫だ! しかし中身は既に無く、幾千もの抜け殻となっていた。孵化して私の内臓を養分にして、不気味な黒の目玉模様の黄色い羽を縦横無尽に動かして、鱗粉を撒き散らし宙へ羽ばたいていったのだ。


 「ぎゃあああああ!」


 悪夢に絶叫して目を覚ました。時計を見ると昼の十二時だった。私は薬の作用で約20時間眠っていたのだ。


「お姉ちゃん、大丈夫?」


 精神安定剤と痛み止め、水を持ってきた妹がおそるおそる話しかけた。妹のつやつやとした健康的な白い小さな歯が眩しかった。その時私はいろんな悲しみや怒り、やるせなさが爆発した。


「ほら見なよ! あんたのせいだよ。あんたがあんな変なケーキを作ったからあたしの身体からだがこんなふうになったんだよ!!!」


 私は唾や涙を飛び散らせながら、激痛が未だ止まない膨れて赤くなった腹を指さした。中から、ヴィィィィン、ヴィィィィン、と羽音が聞こえる。キイロガドクチュウが次々と孵化しているのだ。もうすぐ私の内臓は溶けて皮膚が破れて爆発する。


「お姉ちゃんごめんなさい」


 桃子は、布団の前で土下座した。彼女の涙と鼻水が畳に染みこんで、そこだけ黒っぽく濡れた。


「私の人生どうしてくれんだよ!」


「ごめんなさい!申し訳なかったです!本当にごめんなさい!」


 桃子は頭から血が出るほど額を何度も何度も床に叩きつけた。私はそれを見ているとまるで自分が彼女を一方的に責めているようで、嫌な気持ちになってきた。

 私は桃子に背中を向け、布団にくるまった。


「あんた、謝れば済むと思っているんでしょう……」


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 私は「一人になりたいから」とぴしゃりと障子を閉めてしまった。

 でもそれからもずっと桃子の声のが響いていた。


 どっぷりと陽が暮れた。

 桃子は一人で台所にいた。

 机の上には、あの日のままのケーキがある。せっかく綺麗に並べたイチゴが崩れ、クリームは半分腐って黄色くなってしまった。コバエがどこからかやってきて、スポンジケーキの間に入っていく。窓から差す茜色の光に染まって、白いケーキが血の色に見える。

 ケーキのすぐ横に、ケーキをカットしたときの包丁があった。

 桃子はそれを手にとった。シャツをめくり、それを腹部にあてた。


「お姉ちゃん、ごめんなさい」


 包丁を腹に食い込ませた。ぷっつりと皮膚が切れ、そこから丸い血の玉が現れた。桃子は包丁をひく手を止めなかった。がっちりと歯を食いしばり、痛みをこらえた。


「ぐううう!!ぐうううう!!」


 冷や汗をかきながら厚い腹の皮膚を切るために、包丁をおもいっきり中へ押し込み、右へひいた。どぶどぶと大量の血があふれだした。


「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」


 桃子のへそがちぎれて、フローリングに落っこちた。血とか涙とか、ぬるぬるとした液体が、どろどろと桃子の足をつたい、床に広がっていく。


 ズズズズズズズズ


 真夜中、私が布団の中で泣いていると廊下を何かが這うような音がした。

 障子が一人でにスッと開いた。


「何よ! あんたまだいたの?!」


 私は暗闇に目を凝らした。

 私は息を呑んだ。


 真っ青な顔をした妹がいた。

 腹がぱっくりと割れている。割れ目の中は何もなく、無限大の闇が広がっている。中の内臓は全て桃子の両手の中にあった。

 桃子はとりだした血まみれの内臓を両手で抱えて、私に差し出した。両腕はビクビクっと絶えず痙攣していた。ぜいぜいと何回も苦しそうに呼吸していた。そして、泣きながら必死にこう言った。


「ごめ・・・ん・・・なさいごめんなさ・・・・・・おねえ・・・ちゃん・・・な、ない・・・ぞ・・・うあ・・・げ、げる・・・から、ま・・・また・・・わたし・・・・・・とな、なかよ・・・・・・くし・・・・・・て」


 ごめんなさいごめんなさいおねえちゃん

 ないぞうあげるから

 またわたしとなかよくして


 すぐさま私は救急車を呼んだ。

 病院には、四角い眼鏡の医師が広い廊下にぽつんと佇んでいた。


「妹が!妹が!何とかしてください!」


 私は担架に乗った瀕死の妹と一緒に医師に懇願した。


「妹さんを助けるのですか? それとも・・・」


「それとも?」


 私は飛び出した妹の内臓を見た。ピンク色に光輝いたたんぱく質の塊は新鮮そのものだった。


「それともあなたに移植しますか?」


 私は息を呑んだ。


 ヴィィィィンヴィィィィンヴィィィィン

 

 私の中でキイロガドクチュウが羽音を立てている。私は脂汗が止まらなかった。迷っている暇などなかった。


 妹の臓器を移植するのは書類一枚で済んだ。

 私が移植をする旨を申請し、妹が同意書にサインをすればいいのだ。


 私は申請書類にサインをした。・・・・・・サインを、してしまったのだ。


***


 腹痛が起きてから2日。

 妹が自ら取り出した臓器が洗浄され、手術台の上で綺麗に並べられて殺菌されて全身麻酔をした私に移植された。


 その後、私の腹痛は徐々に良くなり、キイロガドクチュウの菌は検出されなくなった。毎日続いた点滴ははずされ、リハビリを受けた。


 妹はというと、替わりに腹部に簡易的な機械が埋め込まれた。鼻や口からチューブが伸びて、鼻水やとろみが施された食事、尿や糞がチューブの中身を移動するようになった。それは蟻の巣で女王蟻や働き蟻が無数に動き回っているような不可解な動きだった。朝も昼も夜も、彼女のチューブの中身は動き続けた。苦し紛れに呼吸をする彼女は私にこう言った。


「お姉ちゃん、治ってよかったね。キイロガドクチュウが治ってよかったね。私の内臓が役に立ったね」


 チューブだらけになって、車椅子になった妹が、台所で微笑んでいる。


 私は気が狂いそうだった。


 テレビでは、キイロガドクチュウの死者や罹患者の数字がうなぎ登りに増えていき、CMも規制され、キイロガドクチュウの注意警報が流れ始めた。

 人々は外に出なくなり、街は音が無くなった。それでも私には……あの音が聞こえた。


 ヴィィィィンヴィィィィンヴィィィィン

 

 手術をしてもなお、私の腹の中でキイロガドクチュウの羽音が止むことはなかったのだ

 !

 私は恐ろしいことを考え始めていた。


 自分はただのお腹の風邪ではなかったのではないか。ケーキの中にいた虫は自分の幻覚で、風邪にかかった自分を検査したらたまたまキイロガドクチュウの菌のひとつが発見されただけで、腹痛の原因はキイロガドクチュウではなかったのではないか。


「お姉ちゃん、元気になってよかったねよかったね。本当に良かったね。桃子、お姉ちゃんとまた仲良くなれて幸せだなあ」


 世界中の人が、キイロガドクチュウの幻覚を見ているのではないか。ただの風邪をキイロガドクチュウのせいにしているのではないか。


 私は、台所に置いたままの腐ったケーキと人間からほぼ遠ざかってしまった妹を交互に見比べた。


「ねえ、桃子、変なこと聞いていい?」


 私は震える声で彼女に聞いた。


「なあに? お姉ちゃん」


「ケーキの上にキイロガドクチュウの幼虫が見えない?」


 私はうようよと黒と黄色の縞模様の幼虫が数千匹もたかっているケーキを横目でみながら聞いた。

 桃子はカチカチと歯を震わせてこう言った。


「ごめん、見えない・・・・・・」


 私は心臓が止まりそうになった。何てことだろう。私は何てことをしてしまったんだろう。怯える私を見て、桃子はチューブをごぼごぼさせながら言った。


「見えないけど、世界の人とお姉ちゃんが見えてるなら、信じるよ・・・・・・それでまた仲良くなれたから」


 彼女が泣いているように見えたのは、夕陽が赤すぎて顔に反射していたせいかもしれないがわからない。


「仲良くなれたから」


 私は瞼を震わせた。大粒の涙があとからあとから溢れてきた。それでも、過ぎた時間は戻ることはなかった。キイロガドクチュウの羽音も止むことはなく、それ以外は私と彼女を静寂が包んでいる。


 ―――世界の誰も、実際にキイロガドクチュウが見えることを証明した人はいないという。



(END)

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