10 仲違い

 年が明けて、雪の季節になると、恒平は家で学業に専念することにした。一〇月に受けた模試の成績は、春に受けた模試のそれに比べてかなり下がっていた。それが恒平にはショックだった。結局、恒平は学業成績というIDを手放すことはできなかった。つまりは、大学進学だけが恒平の希望だった

 冬休みにも、クリスマスやら大晦日やら折に触れて隆から誘いがあったが、恒平は断った。隆と会うのは楽しかったが、それ以上に、恒平には学業成績が下がることが耐えられなかった。冬休み中は、何時間も机に向かう日々だった。

 やがて冬休みが明けて、学校が始まると、昼休みは図書館で過ごし、誰とも口を利くことなく、一日を過ごした。今や田村や文華のことは、過去に思えた。師岡の事件が影響してるのは、間違いなかった。恒平も、夜、早川の家の前をウロウロしたことがあった。あのとき、自分は何をしようとしたのか? 恋愛を巡る行動では、自分と師岡との間にそこまで差があるとは思えなかった。ただ、師岡とは違い行動力に欠けるために、犯罪に走らなかっただけかもしれなかった。恒平は師岡を他山の石として、恋愛から身を引き、学業=未来の栄光に照準を合わせた。受験勉強が思考停止だとしても、現実にはそれが大学という広い世界にアクセスするための要件である以上は、それに猛進するしかなかった。

 大学受験とは、全国の何十万という高校生が参加するゲームであり、そこで一定以上のポジションを獲得できれば、優越感に浸れた。その優越感が今度は勉強の糧になった。そういう優越感は田村や隆が味わえないものだ。つまりは、それぞれが得意分野で自分を確立すればよいのではないか、と考えることはできた。

 しかし、そういう態度は隆の不評を買った。二月になったばかりの平日の放課後に、隆が突然家に訪れた。

「やってるな」

 恒平の部屋に入った隆は、机の上に広げられた問題集とノートを見て開口一番に言った。

「うわー、難しそう」

 恒平は階差数列の問題を解いているところだった。

「こういう問題が解けないと、大学には行けないんだろうな」

「大学なんてピンキリだよ」

「でも、勉強好きでもないのに、大学行ってもな」

「大学行かなくても、大成できるさ」

「本気で言ってるの? だったら、なんで毎日勉強ばかりしてるんだよ」

 口調から隆は怒っているようだった。

「……悪いか?」

「それでいいのかよ。他にもやることあるんじゃないのか」

「俺は成績が落ちるのは耐えられないんだ」

「そうかよ。でもな、いくらいい成績とっても、彼女なんてできないぞ」

 恒平は横っ面を叩かれたような気がした。

「……」

「もうすぐバレンタインデーだろ。恒平はチョコ欲しくないのかよ」

「それは……欲しいけど」

「じゃあ、今度、俺の家にでも来いよ。文華に誰か連れてきてもらうからさ」

「えっ、そんなのしなくていいよ」

「なんで?」

「とにかく、いいよ」

「……早川だったら会いたいだろ」

「早川は彼氏いるだろ」

「……はぁ、とにかく女が好きなら、チャンスを逃すなよ」

 隆はそう言うと、キャビネットの一番下の扉が付いている仕切りを開けた。そこは新潟の本屋で買ったエロ漫画の隠し場所だった。隆は前に家に来たときに、見つけたのかもしれなかった。隆はエロ漫画を取り出すと、にやけて言った。

「ほら~、こんなの見てポコチンしごいてるんでしょ。それはいいんだけどさ。やっぱり生身の女の子とも話さないと」

 最近はCDも聞いてないし、映画も見てない恒平には、話題がありそうもなかった。とにかく、女子と二人で時間を過ごす自信がなかった。それでも、女子と話したいのは確かだったが。

 隆はニヤニヤしながら、漫画を見ていた。隆は文華とキスやセックスしたのだろうか? 訊きたかったが、していたらショックというか、途方もない距離を隆に感じずにはいられないと予想できた。それは羨ましいが、恒平には女子と過ごすことが想像できなかった。そういう自分を情けなく思ったが、今は女子と仲良くなることは二の次だった。大学受験のプレッシャーが、焦りが先立った。

「隆はいいよな。気楽で」

「気楽? どういう意味?」

 隆はこちらを向いた。

「勉強のプレッシャーがないという意味」

「俺は恒平のように頭良くないしな。俺にはそんなに勉強できないよ。大学も狙ってないし。だけど、『気楽』っていうのはどうかな。俺にだっていろいろ悩みはあるし。恒平にはわからないだろうけど、彼女との交際だって悩みはつきものなんだ」

 隆の言葉が恒平の肺腑を抉った。

「だけど、学業は、男女交際なんかよりも確固としたものなんだ。学業成績は数字になって表れて、それが将来の約束になるんだから」

「そうかもしれないけど、だからと言って、勉強ばかりしてて満足なのかよ?」

「満足だろうが、不満だろうが、やらなきゃならないんだよ」

「ああ、そうかい。実際、バカだよお前は。あーやだやだ。俺はやだね。エロ漫画でシコるだけの青春なんて。じゃあ、勉強の邪魔して悪かったな」

 隆はそう言って、部屋から出て行った。勢い良く「バタン」とドアが閉まった。恒平はエロ漫画を手に取ると、部屋着のスウェットパンツと下着を下して、性器を露出させた。


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