9 師岡の失踪

 師岡が失踪したという話を隆から聞いたのは、師岡の家に突撃した日から約二週間が過ぎた文化祭開けだった。恒平が昼休みに図書館で小説(太宰の『人間失格』)を読んでいるときに、隆が話しかけてきた。田村から聞いた話によると、師岡の母親から面識のあった田村に電話があり、辰一がいなくなり、現金も一五万ほどなくなった。警察に届けを出したが、もし辰一から連絡があったら知らせてほしい、と言われたということだった。

「文華のことが心配でね。今、彼女、俺の家で寝泊まりしてんだ」

「それは、思わぬラッキーじゃん」

「一瞬そう思ったけど、全然だな。向こうの親は心配しているし、いっしょに寝るわけではないから。それに、彼女も気を遣うだろうし」

「……そうか。しかし、失踪とはね。とことん人騒がせな奴だな」

「そうだな。おそらく島を出ただろうな。しかし、どうやって暮らすのか。何か当てがあるのか、どうか。ホテル暮らししたら、一五万なんて一か月ももたないぜ」

「そうなのか。今はフリーターという種族がいるらしいが、彼も東京出て、それを狙ってるのかもな」

「ああ、その手があるか」

 そういう冒険には何かワクワクするものがあるには違いなかった。女子をレイプしようとするくらいだから、家出くらいしてもまったくおかしくはないと思えた。

「まあ、わからないけど、とにかく彼の行動力は突出してるよな。それが悪い方向に出なければ、大物になれるかも」

「それは、どうかな。とにかく、レイプはダメだ。それにしても、土下座して謝るくらいなら、最初からやらなきゃいいのにな」

「衝動的にやって、後で反省したのかもな」

「文華が好きだったなら、そうだろうな。もう普通に話すこともできなくなったからな」


 予想に反して、師岡は年が明けても見つからなかった。一二月の半ばに師岡の母親が文華の家を訪れたそうだった。そのとき、文華が師岡が三人に対して謝ったことを話すと、彼女は隆の家にも訪れた。

「驚いたね」

 学校で隆と文華と三人でランチを摂っていたとき、隆は話した。

「だけど、謝られても、どう反応したらいいのか」

 文華が隣で頷いた。

「まあ、息子がいなくなって、切ないのはわかるけど、被害者という立場上、慰めの言葉をかけるのも違うからな」

「そうだな」

「でも、私たちに謝る気持ちはわかるけどね。多少とも被害者の怒りをなだめたいと思うのが親心だろうし」

「あいつは親のことはどう思っているんだろうね。反省してるなら、親まで悲しませるのはダメだろ」と隆。

 恒平は「うん。うん」と頷いた。正直なところ、師岡の無事を祈らずにはいられなかった。確かにヤバい人かもしれないが、まだ若いのだから、やり直せると考えたかった。また、失恋に根ざした行動ならば、共感できる面もあった。二人も師岡の失踪はそう愉快ではないだろう。もちろん、文華は被害者なのだが、自分に恋い焦がれた相手である以上は、当事者意識を抱いているはずである。自分との交際を願っていたが、それが叶わず絶望した人に対して、そう邪険にはできないだろう。しかし、二人が師岡を憐れむことはあれ、それ以外に彼に対してどんな感情も湧かないのではないか。師岡の失踪は二人にとって密かな絆になるかもしれない。なぜなら、そうした犠牲のもとで自分たちが交際しているというある種の特権意識が生まれる可能性があるからだ。結局、師岡はどうあがいても、文華にとって恋愛の対象にはなれない。白黒ははっきりしている。そのことに気づいたからこそ、師岡は二人の前から姿を消したのかもしれない。

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