Quest5:冒険の準備を整えよ

◆◇◆◇◆◇◆◇


 無数のシミが天井板に浮かんでいる。

 苦悶の表情を浮かべているように見えるが、あれは人間の顔ではない。

 恐らく、これは脳が点や線など逆三角形に配置されたものを顔として判断するシミュラクラ現象だ。

 ともあれ、お約束は守るべきだろう。


「……知らない天井だ」


 優は身支度を整えて部屋を出た。

 扉を開けた途端、アルコールの臭いが押し寄せてきた。

 顔を顰め、1階に向かう。


「おはようございます」

「おはよう」


 カウンターの奥にいるキツネの耳と尻尾を持つ巨乳ウェイトレスと挨拶を交わし、その場に立ち尽くす。

 何処に座ればいいのか迷っていると、巨乳ウェイトレスはカウンターに料理を置いた。

 ここに座れという意思表示だろう。

 優はカウンター席に座る。

 朝食は麦粥――強烈な麦の臭いが鼻腔を刺激する。


「いただきます」

「召し上がれ」


 日本人には馴染みの薄い料理なので、恐る恐る口に運ぶ。

 思っていたより美味い。

 二口目以降は普通に口に運ぶ。


「美味しい?」

「はい、美味しいです」


 何が可笑しいのか、巨乳ウェイトレスはクスクスと忍び笑いを漏らした。

 半分ほど食べた所でカップが置かれた。


「ありがとうございます」

「ただの水よ?」

「それでも、です」


 水を飲む。

 温くなっているかと思ったのだが、かなり冷えている。


「どうやって、冷やしてるんですか?」

「冷蔵庫に決まっているじゃない」


 そう言えばフランはダンジョンで魔晶石を使えば照明を点けたり、冷蔵庫を動かすことができると言っていた。


「魔晶石代がそれなりに掛かるけど、こういうお店には必須なの」

「そう、ですよね」


 優は相槌を打った。

 どうやら、考えていたよりも文明レベルは高そうだ。

 いや、ダンジョンと共生する都市だからこそ、こういうことができるのかも知れない。


「私ね、田舎に貴方くらいの弟がいるの」

「弟が病気だからお金を頂戴とか言い出すんじゃないだろうね?」


 階段の方を見ると、フランが皮肉げな笑みを浮かべて立っていた。


「あら、弟がいるのは本当よ?」


 フランは溜息を吐きつつ、カウンター席に座った。


「口減らしで村を追い出されてから戻ってないんだろ? 馬鹿どもを騙すのは構わないけどね。いたいけな子どもを騙そうとするのは感心しないね」


 いたいけな子どもの首を絞めるのはいいのだろうか。

 まあ、藪蛇になりそうなので口にはしないが。


「騙される方が馬鹿なのよ」

「それで大事になったのを忘れたとは言わさないよ。あん時はこの店を追い出される寸前までいったね」

「何が言いたいの?」

「ああ、腹が減った」


 フランがわざとらしくお腹を押さえると、巨乳ウェイトレスは舌打ちし、麦粥をよそった皿をカウンターに叩き付けるように置いた。


「気を付けなよ。冒険者になりゃ、こんな連中と付き合わなきゃならないんだ。油断してるとケツの毛まで毟られるよ」

「騙されないためにはどうすればいいんですか?」

「誰も信じなけりゃいいんだよ」


 それなら騙されないだろうけど、優は深々と溜息を吐いた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 故買屋は裏通りの一角、その更に奥まった所にあった。

 看板はなく、フランに連れてきてもらわなければ気付かなかったに違いない。


「……あ」


 優は店に入り、小さく声を上げた。

 外観は廃墟に近かったが、店内は意外なほどしっかりしていたからだ。

 一方の壁には沢山の剣が固定され、もう一方の壁にはマジックアイテムらしき物が納められた棚が据え付けられている。


「どっちに行こうってんだい!」


 フランが壁の剣に向かおうとした優の手首を掴んだ。


「あっちの剣が気になって」

「ありゃ、魔法剣だよ。馬鹿高くて買えやしないよ」

「魔法剣!」


 優は思わず叫んだ。

 魔法剣――その言葉に心躍らない者がいるだろうか。


「悪いんだけど、あれはアンタが思ってるようなもんじゃないよ。あれは決まった回数分の魔法を使ったら壊れる使い捨ての魔法剣さ。時間が経てば使えるようになる魔法剣もあるけど、そういうのは故買屋にゃ流れてこないよ」

「……今一つな性能」

「アンタが考えてる剣は魔剣、もしくは聖剣だね」

「魔剣ッ! 聖剣ッ!!」

「目を輝かせているのに悪いけど、魔剣や聖剣は与太話の類だよ」

「ないんですか?」

「伝説で語られるだけだからね。正直、実在するか怪しいよ」


 フランは軽く肩を竦めた。


「人造魔剣は?」

「なんで、アンタが人造魔剣のことを知ってるんだい?」

「フランさんが教えてくれたからです」


 ダンジョンで億が一の幸運に恵まれれば人造魔剣を手に入れられるかもと言っていた。


「そう言えば言ったね」

「人造魔剣はどうなんですか?」

「この街のダンジョンには狂った魔道士が住んでたって噂があってね。そいつが魔剣を作り出したなんて話がまことしやかに囁かれているのさ。何でも人間の負の感情によって鍛えられた魔剣で神を殺せるって話だ」

「……確かに魔剣ですね」


 人間の負の感情で鍛えられた剣が聖剣になるはずがない。

 神を殺せるという所に厨二心をくすぐられる。


「……慣れてきたら探してみようかな」

「ガキだねぇ」


 フランは呆れたような表情を浮かべた。

 優は再び店内を見回す。

 鎧を着たマネキンが視界に飛び込んできた。


「胸甲冑ってヤツかな」

「アンタにゃ似合わないし、800ルラじゃ買えやしないよ。アンタに買えるのはこの辺かねぇ?」


 フランに案内されたのは店の隅だ。

 そこにあるのは革のマントや布の服、樽に突っ込まれた無数の剣だ。


「もう少し冒険者らしい服が欲しいです。たとえば鎧とか、鎧とか、鎧とか」

「あん? アンタに鎧なんざ、百年早いよ」


 そう言って、フランは革のマント、布の服、ブーツを手に取った。

 適当に選んでいるようにしか見えないが、品質は悪くないようだ。


「あとで売れなくなるから裾上げは要らないね。武器は槍と短剣にしておきな」

「……はい」


 有無を言わさぬ決めつけだった。

 優は短剣を手に取り、鞘から引き抜こうとした。

 次の瞬間、短剣が床に落ちた。


「何をやってるんだい!」

「わざとじゃなくて! 短剣を鞘から抜こうとしたら落ちたんです!」

「分かった。もう一回やってみな」


 優は慎重に短剣を拾い上げ、先程と同じように鞘から抜こうとした。

 やはりと言うべきか、短剣は再び床に落ちた。


「じゃあ、次はこっちだ」

「……はい」


 新しく渡された短剣も、次に渡された短剣も、次の次に渡された短剣も鞘から引き抜こうとすると、床に落ちた。

 槍も同じだ。

 辛うじて持てたのは果物ナイフと杖――要するに木の棒だけだった。


「……こんな物でどうやってモンスターと戦えと」


 優は呻くしかなかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 優は装備の入った布袋を抱き、裏通りを歩く。

 もちろん、フランも一緒だ。

 なんだかんだと言って、面倒見がいい。


「残り500ルラか」

「それだけあるなら――」

「もちろん、遊ばずに節約しますよ」

「人の話は最後まで聞きなよ」


 優が言葉を遮ると、フランはムッとしたような表情を浮かべた。


「すみません。何て言おうとしていたんですか?」

「節約もいいけど、魔道士ギルドに登録して魔法を教えてもらったらどうだい? って言うつもりだったんだよ」

「なるほど、いいアイディアですね」


 折角、魔力値が上限を突破しているのだから利用しない手はない。

 武器が装備できなくても魔法が使えれば何とかなりそうな気がする。


「でも、魔法ってそんな簡単に覚えられるんですか?」

「そこは裏技があるんだよ」


 裏技というからには本来、魔法は何年も修業して覚えるものなのだろう。


「どうする?」

「話だけでも聞いてみようと思います」

「じゃあ、付いてきな」


 魔道士ギルドは静かな所にあると思いきや大通りに本拠地を構えていた。

 軒先には巨大な看板があり、入口付近の壁にはポーション入荷だの、マジックアイテム販売中だの書かれた紙が貼られている。


「開けるよ?」

「はい」


 フランが扉を開けると、煙が押し寄せてきた。

 妙に落ち着く匂いだ。

 煙はギルド内が霞がかって見えるほど濃い。

 カウンターの奥には女性がいた。

 黒い三角帽子と胸元の開いたワンピースという絵に描いたような魔法使いスタイルだ。

 ライトブラウンの髪は腰まであり、野暮ったい黒縁眼鏡の奥にある目は切れ長だ。

 あどけない印象を受けるのは垂れ目がちだからだろう。

 桜色の唇はぽっちゃりしていて可愛らしい。

 気怠そうな雰囲気を漂わせているが、かなりの美人だ。

 ついでに言えばかなりの巨乳である。


「魔道士ギルドにようこ、そ。私はギルドマスターのグリンダ、よ」

「初めまして、小鳥遊優と言います」

「グリンダ、約束の実験体だよ」


 そう言って、フランは優を突き飛ばした。


「実験体!?」


 剣呑な単語に仰天するが、2人は取り合ってくれなかった。


「ダンジョンはどうした、の?」

「大赤字だよ。戦利品と呼べるのはオーガの魔晶石とユウだけさ」

「そ、う」


 グリンダはユウの認識票を手に取り、にんまりと笑う。


「なかなかの実験体、ね」

「実験体って何ですか!?」


 優が叫ぶと、グリンダは可愛らしく小首を傾げた。


「話が伝わっていないようだけれ、ど?」

「本当のことを教えたら誰も来やしないよ」

「2人とも無視しないで下さいよ!」

「……私は実験体を探していた、の」


 突然、グリンダは語り始めた。


「どんな実験ですか?」

「誰でも簡単に魔法を使えるようにする実験、よ。魔法は適切な呪文とイメージによって発動するものなのだけれど、私は魔法の名前を口にすることで呪文とイメージを喚起させる魔法を開発した、の」


 ふと脳裏を過ぎったのはスー●ーロボットだ。

 技名を叫ぶと特別な操作をしているように見えないのに技が出るあれだ。


「危険はないんですか?」

「動物実験では成功した、わ」

「どうやって、確かめたんですか?」


 動物が話せるとは思えないし、本人以外の言葉で魔法が発動するのならば安全面に不安が残る。


睡眠スリープの魔法を掛けるからリラックスし、て」

 グリンダは杖を手に取った。


「待って下さいよ! 動物実験が成功したのなら説明できるでしょ!」

「魔法を組み込むのは成功した、わ」

「魔法が使えるようになったんですか?」

「……」


 グリンダは無言だった。


「いや、成功したんですよね? 成功したって言ったじゃないですか?」

「動物は話せない、わ」

「それじゃ成功したのか分からないじゃないですか!」


 優は絶叫した。


「僕は帰ります! 帰りますとも!」

「逃がしゃしないよ!」


 優が踵を返すよりフランが羽交い締めにする方が早かった。


「フランさん! フランさん!」

「悪いねぇ。この前、マジックアイテムを買う時にサービスしてもらってね。代わりに実験体を連れてくるって約束をしたんだよ」

「悪いわ、ね」


 グリンダはカウンターから出ると優に杖を突き付けた。


「新しい魔法の開発には犠牲がつきものな、の。失敗したら手厚く葬るし、魔法が完成した暁には共同開発者として発表してもいい、わ」

「勝手に尊い犠牲扱いして欲しくないんですけど!」


 優は手足をばたつかせたが、フランは小揺るぎもしない。


「成功すれば強くなれるんだ。いっちょ賭けてみるのも手なんじゃないかね」

「自分の命をチップにするくらいなら地道に強くなる方を選びますよ!」

「天壌無窮なるアペイロンよ、誘え誘え砂男の如く――」


 グリンダは杖を構え、呪文を唱え始めた。


「いやぁぁぁぁ! お母さ~~~んッ!」

「い、色っぽい悲鳴を出しているんじゃないよ! 変な気分になっちまうじゃないか!」

「彼の者を深き眠りに誘え! 睡眠!」


 青白い光が杖の先端に集まり、優の意識は闇に呑まれた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 優が目を覚ますと、おっぱいが目と鼻の先にあった。

 どうやら、床に寝かされ、膝枕をされているようだ。


「……知らないおっぱいだ」

「実験は成功した、わ」

「その割に頭が痛いんですけど?」


 こめかみがズキ、ズキと痛んだ。


「実験は成功した、わ。あとは魔法が使えるか確かめない、と」

「痛ッ!」


 グリンダが予告なしに立ち上がったせいで優は床に頭をぶつける羽目になった。

 どうでもいいことだが、グリンダのショーツは黒のレースだった。


「運よく生き延びたみたいだね」

「……フランさん」


 覚えてやがれという言葉を辛うじて呑み込んで立ち上がる。


「こっち、よ」


 グリンダが手招きをしている。


「ほら、呼んでるよ」

「うぐ、歩くだけで頭が痛い」


 優は顔を顰めながらグリンダの後を追った。

 案内された先は庭園、いや、家庭菜園だった。

 グリンダは家庭菜園の中央にシャベルを突き刺した。


「これが的、よ。魔弾ブリット炎弾ファイア・ブリットの魔法が使えるようになっているはず、よ」

「どうやって、使うんですか?」

「名前を叫ぶだけ、よ」


 う~ん、と優は唸った。

 叫ぶだけと言われても恥ずかしさが先に立つ。

 そんなことを考えていると、赤い点が視界の隅で点滅していた。

 触ればいいのかな? と赤い点に触れた次の瞬間、魔法の名前が表示された。

 まるでRPGのコマンドだ。

 魔弾に触れてみたが、色が変わっただけだ。

 仕方がなく指先をシャベルに向ける。


「魔弾!」


 青白い光が指先から放たれるが、狙いは大きく逸れた。

 シャベルの後ろにあった鉢が砕ける。


「炎弾!」


 コマンドを選択して叫ぶと、青白い光が再び体を包んだ。

 指先に収束する過程で真紅に染まり、炎の塊となってスコップを直撃する。


「成功した、わ」


 興奮しているのか、グリンダは頬を紅潮させている。

 どうでもいいことだが、胸元もほのかに赤みを帯びている。

 他に機能はないのかな? とコマンドを見ていると、おっぱいが迫っていた。

 躱すこともできず、おっぱいが顔面を直撃した。


「貴方のお陰、よ」

「は、放して下さい!」


 優は胸を掴んで押し退けようとしたが、筋力2ではそれも叶わない。

 柔らかくて、温かくて、そのまま埋もれてしまいそうだった。

 このまま死にたい。


「いつまでそうしてるんだい!」


 フランが優の襟首を掴み、グリンダから引き剥がす。


「実験は成功したってことだね」

「ユウのお陰、よ」

「あたしのお陰だろ! あ・た・し・の!」


 自分のお陰と臆面もなく言い放つ図太さは見習うべきかも知れない。


「報酬はすでに支払っている、わ」

「ケチ臭いことを言うんじゃないよ。実験が成功したんだから感謝の気持ちを表してくれてもいいだろ?」


 グリンダは思案するように腕を組んだ。

 フランの要望に応じるのと応じないのではどちらが面倒臭いか考えているのかも知れない。


「いい、わ。明日だけ魔晶石やモンスターの体を買い取ってあげ、る」

「そうこなくっちゃ!」


 フランはパチンと指を鳴らした。


「ユウと一緒にモンスターと戦うことが条件、よ」

「何だって、こんな足手纏いと一緒に戦わなけりゃならないんだい」


 グリンダは小さく溜息を吐いた。


「実戦で使えるか確認するため、よ。この条件が呑めないのなら買い取りの件は白紙に戻す、わ」

「チッ、分かったよ」


 フランは吐き捨てるように言った。

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