第6話 一磨の厄日大フィーバー

 一磨が茶屋の店頭でみたらし団子を齧っていると、前から歩いて来る宰の姿が目に入った。その瞬間、一磨が脇に置いてあった茶をこぼすほどの勢いで立ち上がって大声で叫ぶ。

「宰、ここだ、ここだ! 例の八百万は手に入れる事ができたのか?」

 小走りで近寄ってきた宰は得意げな顔で微笑み、一磨へ小さな丸い玉をぽんと放り投げた。片手で受け止めて確認すると、それは八百万では無くまだ温かいまる焼き。

「お前大好きだな、まる焼き……。とりあえず土産は後だ。早い所、八百万を見せてくれ」

 しかし宰は小脇に抱えた和紙袋から丸焼きを取り出して齧りつつ、にやにや笑うだけでそれ以上動こうとしない。何やら宰の様子がおかしいと思った直後、一磨は手に持っている丸焼きが急速に膨らんでいくのに気付いて、大声を上げた。

「おいっ! この丸焼き、どんどんでかくなってるぞ!」

 丸焼きが見上げるほどの大きさへと巨大化、凄まじい重量となってのし掛かってきた。

「何だよこれ! 駄目だ、持ってられねぇ!」

 一磨は巨大なまる焼きの重さに耐えられずに倒れ、その際に右腕をまる焼きの下へ挟み込んでしまった。どんなに力を入れても腕を引き抜く事ができない。ぐんぐん増していく丸焼きの重さに命の危険を感じて、首をめいっぱい背後へ捻りながら必死で叫ぶ。

「おいっ宰、頼むっ、どけてくれ! このまる焼きをどけてくれ!」

 しかし宰は一磨を見ても助けに入るどころか、地面を転げ回って大爆笑。涙を流してひとしきり笑った後、満足気に体を起こすと、

「ふぅ……、こんなに笑ったのは久しぶりだ。大成功! じゃあね一磨!」

 軽く手を振って、どこかへ立ち去ってしまった。

「おいっ嘘だろ! 待ってくれ! 助けてくれぇぇっ!」

 一人取り残された一磨の叫び声だけが空しく辺りに響き渡り、巨大化を続けるまる焼きが全身を覆っていく。

「畜生……。菓子に押し潰されて死亡って……、笑い話にもならねぇ……」

 パリパリと音を立てる香ばしいまる焼きの皮に圧迫されながら呟く一磨だったが、

「お客様、大丈夫ですか? お客様、お客様……」

 やけにはっきりした声が耳元で響いた。

「ん? なんだ……、痛て……、痛てててて! 腕が痺れて痛ぁい!」

 叫び声を上げて一磨が目を覚ますと、そこは宿屋の一室だった。

 一磨は今の出来事が悪い夢だった事と、寝ている間に自分の体で押さえ込んでいた右腕が猛烈に痺れている事に気付いた。大慌てで腕を引き抜こうとしたが、体勢を崩して頭を柱へ盛大に強打。

「痛ってぇっ! 腕も痛ぇし頭も痛ぇ! どっちを構えばいいんだよっ!」

「あの……お客様……。酷くうなされているご様子でしたので、お部屋に入らせて頂きましたが……。大丈夫ですか?」

 すぐ近くに心配そうな顔でこちらを見つめている女中さんがいたので、ぶつけてしまった後頭部を素早く見せる。

「あの、すいません。ここの所、血出てません? 出てないです? ああよかった……」

 とりあえず一安心した一磨は、先程の悪夢を思い返して大きな溜息をついた。

「いやぁ……、それにしてもひどい夢だった。俺の死にかける所見て大爆笑するあいつとか、やたらと現実的だったな。本当にやりかねないもんな……」

 昨日、満身創痍でなんとか宿へ辿り着いた一磨は、部屋へ案内されると同時、気絶するように眠ってしまい、そのまま朝を迎えていた。ありったけ貼った治癒の御札のおかげで、怪我はそれなりに回復したものの、元気と言うには程遠い、鉛のように重い体を軋ませながら背伸びをして、さらに大きなあくびを一つした。

「朝食の用意ができておりますので、大広間までお越しくださいね」

 優しそうな顔の女中さんに寝惚け眼で「ありがとうございまふ」と空返事をして、顔に貼り付いた御札をぺりぺり剥す一磨だったが、はっと何かを思い出して声を上げた。

「女の子が宿に、自分を訪ねてやって来ませんでしたか? 腰に大きな竹輪をぶら下げた、ちょっと頭の悪そうな女の子なんですが」

「竹輪を!? 竹輪ってあの……練り物の? いえ……、そのような方は……」

「そうですか……。変な事聞いてすいませんでした。朝食はもう少ししたら頂きます」

 一磨は部屋から出ていく女中さんに力無く頭を下げた後、畳の上に仰向けで寝転がり、体をくねらせて全身の凝りをほぐした。

「昨日の色っぽい女は誰かに頼まれて荷物を奪いに来たって言ってたが、ひょっとして今度は別の奴が襲って来たりするのか? 彌鈴の御札はもう無いし、またあんな式術師に襲われたら今度こそ終わりだな……。宰がいなけりゃ、次はもう勝ち目がねぇ……」

 弱気になりかけた所で「ググゥ!」突然、動物の鳴き声のような音が部屋に響いた。

「敵かっ!」

 鋭く畳の上を転がって身構えたが、鳴っていたのは昨日の朝から何も食べていない自分の腹だった。

「まあ……、悩んだ所でどうしようも無いよな。とにかく飯だ!」

 気を取り直して大広間に移動、振りの良さそうな宿泊客に混ざって一人だけ小汚い身なりで朝食をとっていると、若女将に一枚の御札をそっと手渡された。

「お怪我は良くなったようですね。しかし、御召し物が痛んでいらっしゃるご様子ですので、どうぞお使いくだいませ。清磨の御札です。道中、何か大変な事がおありになったようですが、旅のご武運をお祈りしてます」

 高価な御札を無料でくれる粋な気遣いと、やけに色っぽい若女将のうなじに感激し、心からお礼を言って御札を受け取った。

 俄然やる気の出た一磨が部屋に帰って御札を着物へ貼り付けると、眩い光と共に式術の力が見る見るうちに汚れや擦れを一瞬で消し去り、着物に新品の張りと清潔感が甦る。

「もうここまで来ちまったら、とにかく特設会場ってのに行くしかねぇよな」

 身支度を整えて玄関を出ると、全く見通しのつかない旅路ではあるけれど空だけは相変わらず見事に晴れている。若女将もわざわざ門の所まで見送ってくれた。その優しさにまたもや感激しつつ、お礼を言って掛け声と共に最終日の旅路へと出発する事にした。

 とにかく宰が戻って来ない事には何も始まらない。今自分にできる事はこの破片を無事に最終目的地の近くまで運び、宰を待つ事だ。そう思い、一磨は決意も新たに歩いていく。

 暫く道を進んでいくと、どうやって先回りしたのか、前方にある道脇の木立から宿の若女将が顔を出し、一磨の事を手招きしている。

「あれっ? 女将、どうしたんです? こんな所まで?」

 一磨が駆け寄ると、若女将はすうっと逃げるように林の中へ入って行ってしまった。慌ててその後を追ったが、恥ずかしそうな表情を浮かべてこちらを振り返りつつ、若女将はどんどん先へ進んで行ってしまう。

 始めは、何事かと訝しんでいたものの、若女将の背中を追いながら林の中を歩いているうちに、これは愛の告白をされるのかもしれない、それなら御札の事もわざわざ見送ってくれた事も納得がいく、そう判断して一磨の胸は高鳴り始めた。

 その直後、若女将はくるりと振り返り一磨に向かって両手を広げてきた。一磨は照れつつも、何の躊躇も無く若女将に近付いてその体を抱きしめる。

 若女将もそれに応えて一磨の背中に手を回してくれたが、その力が尋常でなく強い。余りにもきつく締め上げてくるので身動きは全くとれず、みしみしと骨の軋む音が聞こえてくる程だった。

「女将っ! 気持ちは分かりますけど、ちょっと力が強すぎるんじゃないでしょうか! 少し落ち着いて下さぁぁぁあい!」

 悲鳴に近い声を上げながら一磨が地面に倒れたその瞬間、女将の姿は消え、一磨は自分の体に銀色の綱が幾重にも巻き付いている事に気付いた。

 そして背後から子供の声が聞こえてくる。

「なんだこのしょぼい奴は……。隙だらけっつうか、隙しかねぇ。ここまでガッツリひっか掛かる奴は未だかつて見た事ねぇぞ。あっけなさ過ぎて逆に心配になるじゃねえか。罠か? 警戒した方がいいかもしれねぇな」

 次第に締まっていく綱の痛みに耐えながら後方に目をやると、菅笠に道中合羽を羽織った旅姿の少年が、慎重な足取りでこちらに向かって来るのが見えた。黄緑の派手な市松模様の合羽を羽織り、その合わせ目から伸びる鋼の綱が一磨の体を縛っている。

 あまりに突然の事で全く状況把握のできていない一磨は、目の前の少年がいたずらか何かでこんな事を自分にしたのだと思い込み、消えてしまった女将の姿を目で探しながら穏やかな口調で話しかけた。

「えっと……、とりあえずこの綱を解いてくれるか。頼む。俺は今、取り込み中なんだ」

 菅笠の下にあった少年の丸い目が、驚きでさらに丸くなる。

「そんな格好にされといて『解いてくれるか』じゃねえよ……。分かっててとぼけてんだったら大した玉だけどよ。まさか本当にまだ気付いてないのか?」

 そう言って少年が合羽の中から出した手を振り上げると、突如若女将の姿が一磨の前に出現した。しかし、少年が手を下げて腰から刀を抜くと同時、若女将は霞のようにすっと消え去ってしまった。

 その姿が少年の式術で作り出された幻影だったという事に一磨はようやく気付き、身を捩りながら必死に叫んだ。

「ちょっと待て! 罠だったのか、畜生……。女将は俺に気があったわけじゃないのかよ!純粋な男心を弄びやがって! しかもこんな酷い事した挙句にいきなり刃物ってのはどうだ!? 人として許されないだろ! お前の要件は何だ!? 出来る限り応じるから、とりあえず刀は無しの方向で頼む!」

 錯乱気味の一磨は、強気な命乞いという不思議な行動に出た、

「平和呆けした人間ってのは物の怪よりたちが悪いな。自業自得って奴だから仕方ねぇよ、あの世で目一杯後悔してくれや」

 少年は吐き捨てるように言うと、綱をしっかりと張ったまま辺りを隙無く見回した。

「こいつ一人だけか……。こんなしょうもない奴が対象だとは思わなかったぜ。今からお前を殺して荷物を奪うから、名乗りだけはしてやる。俺の名は蟹汰だ。じゃあ、そういう事で」

「そういう事ってどういう事だよ! ちょっと待てって、おいっ、壊れちまってんだぞこの荷物の中身はよ! ただの破片なんだ! 持って帰っても価値なんて全く無いぞ!」

「何か事故があって、お前みたいなもんが一人で品を運んでるってとこじゃねえの? そんな気がするが、どうだ当たってるだろ? まぁ、俺の運が良かったって事で万事解決だ」

 一磨の言葉などまるで無視、子供とは思えぬ冷酷な表情で刀を構えた蟹汰が、隙無く静かに近付いて来る。

 一磨はがむしゃらに体を捻ってみたが、どんなに力を入れても綱は緩まない。それどころか呼吸すらできなくなるほどに綱は体をきつく締め付け始めた。

 しだいに薄れていく意識の中で不甲斐ない自分を責めていると、徐々に蟹汰の足音が近付いてきた。宰の顔が思い浮かび、すまないと思う気持ちと絶望感が心を支配し、一磨は全てを諦めてしまった。目から涙がこぼれ落ちる。

 しかし、そんな一磨に襲って来たのは刀では無く、大量の砂利だった。

 口の中に入ってきた砂利を激しく咳き込んで吐き出し、恐る恐る目を開けてみると、殺気立った蟹汰が刀を振りかざして何事かを叫んでいる。

「お前、こいつの仲間か!? 何処から現れた! 気配をまるで感じなかったぞ!」

 蟹汰の鋭い目は一磨では無い別の者へ向けられていて、一体何が起こったのかと混乱する一磨の背後から、聞き覚えのある、落ち着いた声が響いた。

「これは素晴らしい。糸のように細くした鋼を編みあげて作った綱ですよ。まめですねぇ、式文を細い鋼の一本一本に書き込んで自在に動かせるようにしている。こういった地道な作業というのが最も効果的なんです。実際の所、縛られ心地はどうですかね、一磨さん」

 無理やり首をひねって背後を見ると、そこには涼しげに微笑む古今の姿があった。

「えっ? あんた古今だよな!? 古今だろっ!? 嘘、本当にっ? なんでここに古今がいるんだッ!?」

 何度も何度も名前を呼んで、一磨はその姿が幻影でない事を全力で確かめた。

「色々ありまして、昨日の晩から私、ここから少し離れた木の上にいたんですよ。一磨さんが命の危険に晒されている様子を発見しましたので、お節介かとは思いましたが、近寄ってみたのですけれども、大丈夫ですか?」

「大丈夫な訳ねぇだろ! こんなもん、どこからどう見ても絶対絶命じゃねえか! 頼むっ、頼むから、助けてくれ! お願いだ!」

「畏まりました。喜んで受け賜らせて頂きます」

 古今が頼もしく頷いて立ち上がると同時、金属の噛み合うような音を響き渡らせ、蟹汰が鋭く尖った三又の鉤爪を古今に向けて発射した。鉤爪には一磨を縛っている物と同じ銀色の綱が取り付けられており、蟹汰の合羽の合わせ目から綱がどこまでも伸びていく。

「何と二つも、そのような武器をお持ちとは……。頭が下がる思いです」

 飛来してきた鉤爪をひらりと見事にかわして華麗に着地する古今だったが、鉤爪は空中で鋭角に向きを変えて古今の周りを旋回、あっという間に古今の上半身を綱でぐるぐる巻きの状態にしてしまった。

「まさか鉤爪を発射して使用するとは思いも寄りませんでした。しかも鉤爪自体もなかなかの素早い動き。素晴らしい武器ですね。驚きました」

 全くの不自由な体勢にされてしまったにもかかわらず、古今が余裕たっぷりの表情で解説を続けているので、一体どんな式術を繰り出して、ここから大逆転するのかと一磨は期待の眼差しで見守っていた。

 そんな古今がゆっくりと一磨の方を向き、爽やかな笑顔で口を開く。

「すいません。捕まっちゃいました……」

「馬鹿野郎っ!」

 一磨は全力で叫び、その拍子に頭を地面へ打ち付けてしまった。

「お前も捕まっちまったら、なんも意味無ぇじゃねえか!」

「これは参りましたね。痛たた……、ちょっと痛い……。ははっ……」

「ははっ、じゃねぇっ! お前……。自信満々だったくせに秒殺されてどうすんだよ!」

 一磨が怒声を上げている間にも、蟹汰は二人を緊縛している二本の綱を片手で手繰り寄せながら、刀を構えて隙無くにじり寄って来ている。

「再び終わっちまった……。なんて儚い光だったんだ……。畜生……」

 がっくりとうなだれた一磨は消え入りそうな声で嘆いた。絶望して、希望が見えたと思ったらまた絶望、疲れ果ててもう涙も出ない。

 意気消沈した一磨に向かって、古今が微笑みながら諭すように声を掛ける。

「一磨さん、これしきの事で落ち込んではいけませんよ。ほら、御覧下さい。宰さんなんて、殺気漂うこの状況下にあっても、まだ寝惚けているんですよ」

 綱に縛られて身動きできなくなった古今の背後を、半目を開けた眠そうな顔の宰がふらふらとよろめきながら横切っていった。

「そいつは自分らしいって言うか、何にも考えてないだけ……。えっ……!?」

 一磨はちらりと自分の目に映った物を確認する為、伏せた顔を必死になって上げた。

「ふあぁぁぁぁぁあ。良く寝た……。もう朝かぁ……」

 そこには体のあちらこちらに葉っぱを付け、呑気に大あくびをしている宰の姿があった。

 一磨は限界まで息を吸い込み、なりふり構わず腹の底から大声でその名を叫ぶ。

「宰! 宰! つかさぁぁぁぁああ!」

「あれぇ? 一磨だ。あはは、何で蓑虫みたいな恰好してんの? 可愛いね、それ」

 一磨渾身の叫び声を耳にしても、宰は緊迫した状況に全く気付かず、綱をぐるぐる巻かれた一磨の姿を見て楽しそうに笑った。

「次から次へと湧いて出てきやがって! まずお前からだ!」

 気配を完全に消す事のできる手練れが二人も出現した事に蟹汰は苛立ち、忌々しく叫びながら一磨の元へ素早く詰め寄った。

 鋭く尖った刀の切っ先を一磨の喉元めがけて一気に振り下ろす。

「ひいぃぃぃいいん!」

 声にならない悲鳴を上げて、本日三度目の危機を迎える一磨。

 しかし刃が喉元に接する直前、矢の如く一直線に飛び込んできた宰が蟹汰の刀を竹輪の一振りで見事に弾き飛ばした。

 武器を失った蟹汰は防御の為、古今と一磨を縛っていた綱を解いて自分の元へ引き寄せようとしたが、古今を縛っていた綱が引っ掛かって戻って来ない。

 蟹汰が綱の先へ目をやると、両手でしっかりと解けた綱を握り締め、古今がまじまじと綱を観察している。

「遠距離で束縛した相手を倒す為に、接近せねばならないというのは致命的な欠陥です。それに一つ操る事でさえ、あまり精度が出ていないご様子ですのに、二つもお持ちになるのはいけません。扱いきれぬ武器を持つとこのように、相手に武器を利用されてしまいますよ」

 古今の握り締めている綱が白く発光し、蟹汰の意思に反して勝手に動きだした。

 綱が宙を舞い、何重にも蟹汰の体へきつく巻き付いていく。自らの武器に縛り上げられて身動きはおろか、蟹汰は声も出せなくなってしまった。

 その体を、宰が止めとばかりに竹輪で豪快に引っ叩く。

 弾けるように蟹汰は後方へ吹っ飛び、林の奥へ一瞬のうちに消え去ってしまった。

 蟹汰の気配と殺気が完全に消えた事を確認した宰は、くるくると器用に竹輪を回転させながら腰に戻し、元気良く一磨の元に走り寄ってきた。

「ただいま、一磨! 私ちゃんと八百万持って戻ってきたよ! あれっ、なんで古今がここに居るの!?」

 不思議そうに目をぱちくりさせている宰の顔を見たとたん、一磨は可笑しいやら、嬉しいやら色々な気持ちが込み上げてきて急に喉の奥が熱くなり、涙が溢れ出てしまった。みっともないとは思いつつ、自分でも不思議なくらい次から次へと感情の波が押し寄せて来てどうにも涙と嗚咽が止まらない。

「えええぇぇっ!? 一磨何泣いてんの!? どうしたの、どっか痛いの?」

 心配そうに顔を近付けてくる宰と、笑顔で頷いている古今に向かって一磨は泣きじゃくりながら礼を言った。

「ありがとう、お前達がいなかったら、俺の人生はここまでだった。ふぇっ、ありぎゃとぉう! ふぇっ、本当に、ありぎゃとぉう!」

 何を言ってるのか分からないほど泣いて頭を下げる一磨に、お気になさらないでください、と古今は微笑み、宰は一磨の頭をぽんぽんと優しく叩いた。

「俺は宰が古今を連れてきてくれたのかと思ったんだが、どうやら違うみたいだな」

 ようやく落ち着いた一磨が涙を拭いながら尋ねると、宰も不思議そうな顔で首を傾げた。

「私は、一人でここまで来たんだよ。古今はお店にいるはずでしょ?」

「それでは、説明させて頂きますね」

 古今は近くの茂みから大きな葛籠をずるずると引き摺り出してきて、細い体のどこにそんな力があるのか、それを軽々と担ぎ上げて話を始める。

「一昨日、大慌てで宰さんが店にやってきました。お話を伺った所、壊れた品を元に戻す八百万をご所望との事。店に品物はありましたが、その品は大変に式力の強い八百万の為、神憑同様、縁が少なからず発生致します。無償でお渡しする事は八百万と使用者の双方に良い影響を与えず、他にも色々と問題が発生してしまいますので、報酬という形を取る為に、宰さんには彌鈴のちょっとした仕事を手伝って頂いたのです」

「やっぱり仕事を手伝ったんだな……。嫌な予感しかしないが、八百万を持って来たって事は、無事に仕事終わったのか…?」

 その言葉を聞いた宰が、待ってましたとばかりに、手をぴんと真っ直ぐに伸ばした。

「彌鈴ちゃんのお手伝いね、凄く大変だったんだよ。知らない人の家に入ったら、どこまで行っても同じ部屋が続いててね、おっきな男の人が藁人形をばんばん殴ってたの。あっつあつのおでんをね、男の人に無理やり食べさせようとしたら『うわぁ、熱い!』ってなったんだけど彌鈴ちゃんはずっと竹の子を男の人の鼻の穴に入れようとしてた。そしたらね……」

「ちょっと待て! もういい! 理解できる気がしないから、説明はもうしなくて大丈夫だ。その訳の分からない仕事を宰とちびっ子は頑張ったって事だな。詳細はまた今度聞く!  それで肝心の八百万はどこにあるんだ? ちゃんと持ってきたか?」

「もちろんだよ! 今持ってくるね!」

 力強く叫んだ宰が先程まで自分の寝ていた茂みに向かって勢い良く走り出し、古今は説明を再開した。

「宰さんに彌鈴の手伝いをして頂く間、私は迦楼羅刀を制御する八百万を完成させました。無事仕事が終わった所でその八百万も一緒にお渡ししようとしたのですが、宰さんは報酬の品を手にしたとたん、喜びの余りそのまま店を飛び出してしまったのです。八百万をお渡しする為、閉店後に宰さんの後を追いかけました所、この場所から少し離れた茂みの中で、眠る宰さんを発見したのです」

「茂みの中? 何でまたそんな所で寝てたんだ……。この近くだろ、宿はもう目の前だってのに、昼寝でもして寝過ごしちまったのか?」

「彌鈴が一磨さんへのお土産として睡眠の御札、宰さんにおやつとして甘のし烏賊を渡したのですが、あろう事か宰さんは同じ袋にそれら二種を一緒に入れたのです。それにより宰さんは、睡眠の御札が袋の中で甘のし烏賊にくっ付いた事に気付かず、御札ごと甘のし烏賊に噛み付いた模様です」

「自分で自分に式術を発動させちまったってのか?」

「ええ。宰さんは口から甘のし烏賊と御札をぶら下げたまま、睡眠の御札の式術で大変良く眠っておられましたので、私は木の上から宰さんの安全を確保しつつ、起床されるのを待っていました」

「阿呆過ぎる……」

 あまりにも宰らしい行動に絶句する一磨だったが、

「見て、見て! ほらっ! これだよ! これであの花が元に戻るんだよ!」

 得意げに戻ってきた宰の手にある箱型の八百万を目にしたとたん、呆れた気持ちは何処かへ吹き飛び、思わず感動の声を上げた。

「おおっ! 良くやった宰! その箱が八百万なのか!? いかにもって感じだな!」

「ええ、壊れた品を元の状態へと戻す八百万、修繕木箱です」

 その名の通り、修繕木箱の外観は頭をすっぽり入れられるほどの大きさをした寄木細工の箱で、褐色の美しい幾何学模様に全面をくまなく覆われている。飴色に輝く光沢が只ならぬ雰囲気を放っており、美術品も八百万の知識もほとんどない一磨にでさえ、その箱がそこらに売っている普通の寄木細工の民芸品とは異質の品である事が一目で分かった。

「本当に偉いぞ宰! 良くやった! お前ならできると信じてたぞ!」

「んふっっふぅ、んふふふっふぅ!」

 一磨に褒められて、宰は鼻息をやたら激しく噴き出しながら満面の笑みを浮かべた。

 さっそく花を元に戻そうと一磨は風呂敷包みを解いたが、その箱の中に入っていた破片を見た瞬間、古今が珍しく動揺した様子で驚きの声を上げる。

「一体……。これほどの品、どのような方が輸送の依頼をされたのですか……」

「粉々なのに、この花の凄さが分かるのか? 菊華陶磁器の依頼品だ。宰が箱から取り出したとたん光って震えだしてな、突然ぶっ壊れちまったんだ。こいつを元の姿に戻したら、今日の日没までに天万雅之平原にある特設会場に届けなきゃならない」

 一磨の言葉が耳に入っているかどうか怪しいほど、古今は真剣な眼差しで粉々の破片に魅入っていたが、

「修繕木箱の中に、破片を入れればいいのか?」

 一磨の質問で我に返り、慌てて返答する。

「ええ。一つ残さず破片を修繕木箱の中に入れて下さい。布ごと破片を入れてしまった方がいいですね。蓋を閉める方の、中に入れた物が壊れているという思いに木箱の力は反応します。一磨さんが茶碗の割れた場面をご覧になっていたのであれば大丈夫です」

 修繕木箱の蓋をそっと外した一磨が、どんな小さな破片も落とさないように細心の注意を払い、破片を布ごとその中へ一気に流し込んだ。

「よし……。閉めるぞ」

 そして一磨が静かに蓋を嵌め合わせる。

 修繕木箱が目が眩むほどの光りを放ち、一瞬だけふわりと宙に浮かび上がった。動かなくなった事を確認して一磨が恐る恐るその蓋に手をかけたとたん、表面の幾何学模様に沿って木箱はバラバラと細かく崩れ落ち、中から元の完全な姿に戻った菊華陶磁器の花が、三人の前に神々しい輝きと共に出現した。

「やったぁ! 花が元に戻ったぁ!」

「これで依頼を無事果たせるぞ! いやぁ、一時はどうなる事かと思ったな!」

 感極まった宰と一磨はお互いの手を息の合った動きで「いぇい、いぇい」と叩き合って大喜び。花を始めて目の当たりにした古今は声を震わせながら、

「素晴らしい……、このような品が人の手によって作られたとは……。にわかに信じられませんよ……」

 感動の余り呆然となって、幻にでも触れるかのように恐る恐る手を花へ伸ばしている。

 各々、我を忘れて興奮していたが、そんな中、足元から油が染み出すかのように地面が黒く染まり始めた。黒色は音も無くその濃度と面積を増しながら巨大な楕円形の影となって広がり、深淵のような闇へとその姿を変えていく。

 一磨と宰は全く気付かず、尻や肩をぶつけ合って陽気に小躍りしていたが、唯一異変を察知した古今が花を布で覆って箱の中へ慎重に納め、風呂敷で素早く包み込んだ。そして懐から棒状の品を取り出し、近くの茂みへ放り投げる。

 その直後、三人の足元に広がった広大な闇の中より、闇の幅とほぼ同じ程の大きさをした銀色の塊が飛び出してきた。

 それは背の青い筋と腹の銀色が日光を反射してギラギラと輝く、余りにも巨大な一匹の魚だった。

 巨大魚は口を全開にして地面から天に向かって飛び上がったので、何も知らずに騒ぎ続けていた一磨と宰、身構えていた古今は一瞬でその魚に丸呑みにされてしまった。

 口を閉じた魚が宙で体をぐるりと反転させて再び頭から闇の穴の奥深くへ潜り込んでしまうと、後に残されたのは徐々に淡くなって消失する、楕円の闇だけとなった。

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