第51話 祐二(後)

 十条からまっすぐ和光に向かえば十三㎞しかない。カタナは確かに相棒だった。こいつで飛ばしている間だけは、何もかも忘れられた。でも、永遠に走り続けるわけにはいかない。降りた途端、何も変わっていない現実が、おれを包み込む。ここじゃない、どこかなんて、どこにもない。全部、この世界の続きなんだ。だとしたら、おれの居場所は、もうどこにも、ない。

 まだ時間があるから、少し遠回りして行くか。こういう場合、北に向かうのが常道だよな。百㎞ほど走るとなると・・・宇都宮あたりか。鹿浜橋から上がって、川口で東北道に入って、栃木都賀から壬生で降りればいいな。

 東北道に入って間もなく、やたら押し出しの強い大型オートバイが左側から抜いて行った。直線番長、ブルバードだ。初めて見たとき、アメリカンバイクですねと言ったら、平井先輩いきなり殴りかかってきたよな。ドラッグレーサーと呼べ、おれと勝負だって。ブルーバードって呼び間違えた奴は必ず殴られてたな。しかし、いくら東北道に白バイが少ないって言っても、GTRを煽るのはやめた方がいいな。あの人、本当は情に厚くていい人なんだけど、どうしていつもケンカ売って、誤解と摩擦ばっかり作るんだろう。おれに気付いてないはずはない。ひょっとして、おれを挑発したつもりなんだろうか。ていうか、神戸からこんなとこまで、何しにきたんだろう。ヒマなのか。

 カタナに少しだけ鞭入れて、すぐに追いついた。横から手で合図をしたら、向こうも話があったみたいで、蓮田SAに入った。

「祐二、閃太郎から聞いたぞ。バイク、降りるって、本当か」

「あ、閃のやつ、それしか言ってなかったですか。はい、今日買い手に届けに行くんです」

 いきなり胸ぐら掴む癖、やめてほしいな。相手を腕力でびびらせて言うこと聞かせようなんて、生まれてくるのが四百年遅いんじゃないか。

「事情は聞かねえが、一度そう決めたんなら、おれが止めても無駄ってことか。淋しいぜ。はなむけだ、これ、持ってけ」

「何でバラなんか積んでるんですか。これも仕事ですか」

「抜け殻みたいな貴様に、人の気持ちの熱さや切なさを言っても分からないだろうよ。震災関連ってことだけ、教えといてやる。今から三陸まで届けるのさ。花束に、気持ちを乗せてな」

「そんな大事な人の気持ちを、おれみたいな奴のために、バラ一輪くすねちゃダメでしょう」

「それはいいんだよ。仕事は仕事だが、おれ自身の気持ちも混じってるから受けたんだ。この一輪は、おれからお前への分だ」

 いい歳した強面のちんぴらみたいな兄さんから、赤いバラもらって、どんな感想を持つべきなのだろう。勘違いも確信を持って続けていれば、格好良く見える時もあるかもしれない。赤いマフラーをなびかせて、平井先輩は北に向かった。おれって、不器用でまっすぐな人が好きなんだろうな。先輩、これからも人助けと金儲けに励んでください。

           *

 どこへ行きたいという当てがあるわけではない。このバラは、おれが持っていても仕方ない。ただ、人の気持ちが乗っているなら、捨てるわけにはいかない。壬生インターで降りてすぐのとちぎわんぱく公園で、何かパフォーマンスをやってるのを、見るともなく見ていた。サイクルジャージ姿の女の子達が、急ごしらえの舞台の上で歌いながら踊っている。観衆は近所の親子連れが多い。

 テレビカメラも何台か来ているということは、公開収録か何かだろう。見た目はみんな悪くないが、一人だけ絶望的に下手くそな子がいる。彼女が振りを間違えるたびに何度もカットが入るが、一生懸命さが伝わるからか、他のメンバーも観衆も温かく見守っている。そうだ、バラはあの子にあげよう。

 どうやら収録が終わり、オタクぽい青年たちが舞台のメンバーに花束とかぬいぐるみを持って集まる。あのどんくさい小柄な子は、やり切った感動か、あるいは情けない辛さなのかは分からないが、ハンカチで目頭を押さえながら、人波を抜けて一人で帰ろうとしている。

「今日はお疲れさま。君が一番頑張ってたね。観てる人が元気もらえるような舞台ができればいいね」

「ありがとうございます。え、これ下さるんですか。嬉しい。これからも応援してくださいね」

「じゃ、また」

 もう、この子たちと会うことはないだろうけれど、夢とか、絆とか、打ち込むものや信じるものがあれば、それだけで人は幸せだな。何か、あれば・・な。

 救急車のサイレンが遠くで聞こえる。いつ聞いても嫌な音だ。自分で救急車を呼んだのは、紗弥が崖から落ちた、あの時だけだったが。引っ張り上げる時には泣きながら大声で何か叫んでたのに、道路に上がった瞬間に気を失って、崖下のニンジャは煙を噴いてるし、さすがに緊急通報するしかなかった。あれで紗弥は単車を降りたが、おれもあの時に降りればよかったか。

 そういえば、いつか紗弥のくれた、オートバイ神社で買った交通安全のお守り、こいつももう要らないな。おれは絶対事故らないし、最初から要らなかったんだが。どっか途中で神社でもあれば、納めておくか。あれ?お守りって、人の気持ちも籠もるんだっけか。紗弥の気持ちなんて、考えたことなかったな。たまに、おれのことを彼氏みたいに勝手に誤解して気持ち悪かったが、それって、誤解させた方が悪いんだろうか。いや、少なくとも紗弥の場合は、あいつの妄想癖とか虚言癖とか見栄とか強がりとか、明らかにそっちが問題だな。あんな女に振り回される閃の奴が滑稽だ。

           *

 約束の時間までにまだ少しある。水戸方面から海に行っても、あの辺は何もないしな。横浜か茅ヶ崎あたりまで足を伸ばすのは、さすがに少し遅くなる。川にしよう。高尾山方面に向かえば、多摩川がある。

 百草園駅前のファミマでスマホをチェックした。通話料を払ってないので、無料ワイファイしか使えないが、ファミマなら一日一時間を三回使える。初期画面に今日もまた、亜弓さんからのLINEが一瞬浮かび上がる。今日も暑いですね、わたしはもう・・・わたしはもうって、何だ?全部読もうとしたら、LINEを起動させなければならない。だるいんですよ、正直。

 箱根で、変に気を持たせるようなことを言ったのかな。覚えてないけど、そうだとしたら、悪いとは思う。彼女の場合は、紗弥ほど一方的な思いこみはないだろうけど、待つ女ってのも、重いよな。ひょっとして、おれが居なくなったら、ショックで寝込むタイプなのかな。人を故意に傷つけたり、何かを背負わせたりするのは嫌だ。念のため、閃太郎に一言、頼んでおくか。

 亜弓さん、見た目もそうだけれど、心のきれいな人だったな。高校時代の、今よりずっとすさんだおれに、身内みたいに接してくれた。本気で心配してくれた。なかなかいないよな、信じてもいいと思える人は。あなたに逢えたことだけは、この人生で良かった気がする。ああいう人には、本当に幸せになってほしい。逆に、おれみたいな奴とくっついてちゃ、ダメだ。

 おれの方が変わる?いや、それは無理だ。諦めたらそこで終わりだっていうけれど、それは勝者のセリフか、あるいは負けたことを最後まで認めないバカのセリフだろう。おれが居なくなっても、あの人にはいい友だちがたくさんいそうだし、お姉さんもまっとうな感じの人だったし、大丈夫だろう。こんなおれのことを忘れないでくれというのは、幼稚なわがままだな。だけど、正直言って、あの人には覚えていてほしい。亜弓さん、好きだったよ。

           *

 国立市と日野市を隔てる多摩川は、ジョギングや散歩、サイクリングを楽しむ人が行き交い、今日も平和な光景だ。百草園駅の南西にある庭園、京王百草園には芭蕉の、「志ばらくは花の上なる月夜かな」と刻まれた句碑がある。川べりにカタナを停め、人と水の流れをぼんやりと眺めていたら、背後から突然子どもが尋ねてきた。

「おじさん、すみません。七生緑小学校はどこですか?」

 なんだ、こいつは。今まで泣いていたのか、目が赤い。身なりはきちんとしている。このあたりの中の上家庭の坊やか。ガキの年齢など分からないが、幼稚園の上の方か、小学校の下の方だろう。小学校を尋ねるってことは、やっぱり小学生か。通りがかりのよそ者に道なんかきくんじゃねえ。おれは、子どもっていうイメージは好きだが、リアルのガキは嫌いなんだよ。そもそも小学生だったら、お前の方が道は知ってるだろうが。それにおれはまだおじさんじゃねえ。自分で言うのは良いが、ガキに言われるとむかつく。

「そうか、ぼく、道に迷ったんだね。お母さんとかお父さんは一緒じゃないの」

「うん、ケイタのリードが外れちゃって、探してたの」

「そうか、犬の散歩の途中だったんだ。どんな犬?」

「大きさはこれくらいで、色は茶色で、ミニチュアダックス」

「おうちがどこかは分かるの」

「ううん、小学校からだったら、行き方分かる」

 こういう場合、どうすればいいんだ。通りがかりの誰かに交番でも訊ねるのか。小学校の場所をきいた方がいいのか。ぐずぐずしてると、おれが不審者扱いされてしまう。グーグルマップ開こうにも、ここじゃワイファイは使えない。とりあえず二〇号線を下れば京王線が通ってるから、線路沿いに走れば駅があるだろう。

「じゃ、近くまで送っていってあげるから、後ろに乗って」

「知らない人についていっちゃダメなんだよ」

 じゃあ、知らない人に道きくなよ。

「あ、ケイタ。ケイター」

 良かったよ。犬の方から探してくれたじゃないか。帰り道も犬にきくんだな。

「おじさん、ありがとう。もういいよ」

 本当に犬に頼って帰るつもりだな、こいつ。まあ、それくらいの冒険心はあってもいいか。犬でも、信じられるいのちが一つあるだけで、こんなに元気が出るものなんだな。今度迷ったら、地元の人をつかまえることだ。

「じゃあな。ぼく、名前はなんて言うんだい」

「庭島壬生郎」

 この子達が、この世界の未来を創っていくんだな。希望が、この子と共にありますように。

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