第二章


 

「真珠、どうしてもだめか」

 これが武人かと思うほどの男である。優しげな目元はおよそ天下にきこえた達人には見えない。実際、この男はその武人然とした噂に似合わず甘いものが好きで、今もこうして私はその相伴にあずかっているわけだが。

「だめでございます。姫巫女様は男子禁制のふれを宮に出されました」

「そうはいっても、俺はこうしてここへはいってきているぞ」

 団子を咀嚼する私に不満げに言う。

「そりゃそうですが、ここまで、ですよ。姫巫女さまにお会いすることはできません」

「どうしても、だめか。あえばわかる。私は姫巫女の、紅玉(こうぎょく)の定められた伴侶だ」

 そうであろう、とは私自身も思っている。

 彼は間違いなく善人で、その人柄を私自身も好ましく思っている。当代の山城の当主は非の打ち所のない男だ。私の姫巫女さまに十分にふさわしい。天狼さまの意志も必ずや下るはずだ。それを姫巫女さまはわかっていておそれていると、宮のだれもがわかっている。天狼をえらぶということを、姫巫女以外、どんな手順で行われているのか誰も知らない。過去の姫巫女も口伝では残っているが誰も詳しくは残さなかったのだ。本能に似たものであるから説明のしようがないのであろう。それゆえ、恐ろしいのだ。そしてもっともおそれていることは。

「姫巫女さまは舞の才能が失われることをもっともおそれています。あなたさまを選んで、ただ人となることに耐えられないと、そうお思いになっている」

「ということは、紅玉はすでに私を選んでいるということか」

 うれしげに言う山城の当主に、私は内心でしまったと舌打ちをした。

 彼と姫巫女が身分を隠して逢瀬を繰り返していたのは知っているからこそ、なおさら真珠としてはちからになってやりたい。が、立場として姫巫女の意志を一番に考えなくてはならぬところもある。

「頼む、真珠。紅玉とて、私のもとへきたいはずだ。私たちは、本当に約束していたのだ」

 私を、ふがいない男にしないでくれ。

 そこまで言われて、私はようやくかすかに頷いた。

「真珠っ」

「ただし、部屋に案内するまでですよ! それ以降は、あなたさまの腕の見せ所でございます」

 私を抱きあげんばかりに喜ぶ男に、釘をさすことも忘れない。それでも、男は満面の笑みで頷いた。

「もちろんだ、感謝する!」

 なんの屈託もない、ただ無邪気なその笑みを見て、私もつられて笑ってしまった。



 今朝も起きた時は喪失感に苛まれていた。

 素晴らしい目覚めとはとてもじゃないが言えたものではない。

 藍玉はいつも通り優しく真珠に声をかけて起こしたし、肝心の初夜に至ってはなんだかんだ言いながらも透輝はあの後大人しく真珠の傍で眠り、義務を果たしたようだった。ようだった、というのは真珠自身、あれからすぐに寝てしまい、起きる頃には透輝はすでにいなかったからである。

 いや、そんなことはこの際どうでもいいのだ。問題はあれほど深く眠っていたにもかかわらず、夢を見なかったというところだ。

 夢は見た、もちろん。しかし、それは純粋な単なる夢であった。真珠が求めている、暗示的なそれとはちがう。ただの、回想にすぎないものであった。それも、最も見たくない類のものだ。

 夢見の力を失ってしまったのだろうか。いや、姫巫女の力が失われるときは子ができて神の序列から外れる時である。

 透輝は真珠に『こんなことでは子はできぬ』と言った。それを信じたいが、嘘を言われているかもしれない。だって、あんな熱の高ぶりは知らなかった。

 我が身を抱きしめ真珠は小さく震える。

 考えてもしょうがないとわかっていても、思い悩まずにはいられなかった。

「姫巫女様、あまり気を落としになりませんよう」

 指摘されてどきりとする。

 そんなに顔に出した覚えはないのだが。

 弾かれたように藍玉を見ると苦笑された。

「姫巫女様のことは毎日傍で見ております。わかります」

「わかるか」

「えぇ、やはり銀狼が無体を働いたのですね」

 誠に遺憾である、と顔面にでかでかと書いてあるかのようだ。藍玉は沈痛な面持ちであった。

「ん?」

 思わず硬直する真珠に構わずに、藍玉はいつも通りてきぱきと手を動かした。寝台に座り込んだままの真珠を立たせ、着替えの用意をする。

「あの男、やはり姫巫女さまには相応しくございません。口で言えぬほどの乱暴をおこなうなど!」

「んん?」

 乱暴? やはり、そういうことなのか。いやいや、でも嫌でなかったし。

 頭の中でぐるぐると言葉が回るが、さすがにそれをあけすけに言う気にはならなかった。

 藍玉は部屋にいてつぶさにその様子を見ていたわけでなく、戸の外で控えていたにすぎない。誰が出入りしたかということはわかっていても、細かいことまでは把握できないため、悪い方向に想像が逞しくなっているのだろうが、否定しようにもしきれない部分もある。

「姫巫女さま、やはり考え直してくださいませ。あなた様が望めば婿を変えることも、婚姻をなかったことにすることもできます。私、今度こそうまくやってみせます」

「藍玉、なにいっている」

 さすがに言葉が不穏すぎる。

 真珠はいつも通りの完璧な着付けを確認し、藍玉の頭を撫でた。

 この上さらに素直に夢見の力が失われたのかもしれない、などとこのいとけない少女に言うわけにはいかない。真珠は曖昧に笑って大丈夫だと告げたつもりだったが、藍玉はなぜか口を押さえて瞳を潤ませている。

「姫巫女さまは私がお守りいたします!」

「いや、今日の神事では婿殿と二人でなさねばならんから、藍玉は待っていてくれればいいんだが」

「はい、おまかせくださいませ」

 どうにも言葉がすれ違っているような気がするが、気にとめている時間はない。

「少し、稽古をしてくる」

「お身体がまだお辛いのでは」

 その言葉に昨夜の接吻を思い出して、真珠は思わず赤面した。

「姫巫女さま、やはり」

「いや、大事ない。気にするな」

 逃げるようにその場から早歩きで立ち去った。どうにも、頬の熱さがたまらなかった。



「舐められたもんだな」

 倒れた男に透輝は言いながら、刀の血しぶきを払った。

 床と戸に派手に血が飛んだ。侍女にあとで叫ばれるのだろうかとどうでもいい考えが頭をよぎった。

「この程度で俺をどうこうしようなんぞ……おい、きいているか」

 もうぴくりと動かなくなった男に、透輝は首を振った。

 加減したつもりだったが、思ったより気がたっていたらしかった。それもこれも、あの姫巫女のせいだ、と内心で大いに舌打ちをした。

 完全に翻弄されている。人並みに女を抱いたことのある透輝であるが、それがまさかあんな小娘のために据え膳をくらうとは思わなかった。早朝、寝こけたままの真珠を置いて、一足先に自室に戻れば、刺客がお出迎えである。問答無用で切って捨てたが、本来であれば生け捕りが最良であった。透輝の力量であればできない芸当ではない。

 まったく、あの女のせいだ。

「俺は今日という今日は呆れましたよ」

 瑠璃が大袈裟に肩をすくめるのを見て、透輝は眉根を寄せた。

「あんた、姫巫女を抱かなかったんですって?」

「どこからきいたんだ、というか、それ以外に何か言うことはあるだろう」

「前者なら山犬のねえさんから聞きました。後者ならご苦労様でしたってとこですかね?」

「なんであいつが知っているんだ。というか、お前が打ちもらしたからここまでこいつが来ているんじゃないのか」

 死体の頭を蹴り飛ばして言う透輝に、瑠璃は眉をひそめて「死者は丁寧に扱わないとだめですよ、あんた」と説教してくるのが腹立たしい。お前も山狩りのときにしっかり死体に無体なことしてただろうが。

「打ちもらした、なんて人聞きが悪いですね。こいつらが誰を狙っているのかを明らかにしようとわざと泳がせたんですよ」

「必要あるか、それ。どう考えても姫巫女との婚姻がなった場合、惟月が狙うのは俺の首だろうが」

「でもほら、姫巫女を狙う可能性も無きにしも非ずなわけですし。ねえさんにそう言われて、陛下なら丈夫だしまぁいっか~っていう。あ、姫巫女さんの方はねえさんたちがしっかり守りを固めてたので問題ないですよ」

「お前は一度、誰が主かをしっかり頭に叩き込んだ方がいいようだな」

「それはともかく」

 全然ともかくじゃないんだが。

「あんた、ほんとのほんとに姫巫女さんを抱かなかったんですねぇ。あぁ、隠さなくても今のあんたのしょっぱい顔と、部屋の荒れようをみればバレバレですがね」

 くそっ。

 舌打ちするとけらけらを笑われる。

「俺は心配してるんですよ、あんたが思ったよりも姫巫女さんに溺れているから。手放すとき、困りもんでしょうに」

「面白がっているようにしか思えんな、それにだれが手放すと言った」

「え、ちょっとまって。まじで姫巫女との婚姻しちゃうわけじゃないでしょ? まじで? こんだけ喧嘩売られてるのに?」

「これだけ喧嘩売られているからだ。この手はやつらにとっちゃ大いに有効だってことなんだろうさ。本気で姫巫女がどうとか信じてるとは思わんかったがな。そうしてまんまと婚姻してやったわけだ。ざまぁみろ」

「といっても事実としてはなぁあんにもなかったわけですがね」

 混ぜっ返す瑠璃を睨みつけると、こわいこわいと肩をすくめてみせた。

「あんたがどんだけしょんぼりな昨夜を過ごしたかどうかはいったん置いておくにしても、あんたはそれでいいんですか」

 銀狼、という役割を一番に厭うていたのはほかならぬ透輝である。その嫌悪を、やすやすと翻すこととなるとは思わなかった。瑠璃の驚愕も無理からぬことである。

 長子であるのに父に厭われ、天狼からの許しなくては嫡子と認めぬと言われ、散々冷遇された身の上であった。何度宮へ使いを送ってもなしのつぶてであるのは父の代よりもずっとまえからのことだ。つまり、これは無理難題であり透輝は父から廃嫡を言われたのも同然であったのだ。それを覆したのはおのが剣である。偽狼と呼ばれ、諸侯、特に国境近くの荒くれ者たちは中央を蔑んでいた。彼らは神話の時代から名のある者たちである。初代の銀狼に仕えたということを誇りにしており、天狼の祝福を得られない者に仕えた覚えはないと完全に治外法権のようになっている。

 もちろん、国境に接した領地である。自分たちの領分として守ってはいるが、その情報が中央へくることはない。あくまで自分たちの土地を守っているのだという気概で、国の一部を預かり受けているという意識はない。

 それを、透輝は剣でもって打ち砕いた。

 彼らの不信感は中央の不甲斐なさにある。いくら増援を要請しても、戦いを厭うた先代は兵を出そうとしなかった。国の一端なぞ、くれてやれということもあったくらいだ。それに反発をして、神話を持ち出したにすぎない。おおっぴらに『王は馬鹿者である』というのが憚られたため、資格がないと言い変えたのだった。

 もちろん、透輝はそんな理屈など分かっている。が、さんざん天狼とやらのありもしない話に振り回されたことは確かである。

「瑠璃、勘違いをしていないか」

 にやり。

 透輝は薄い唇に意地の悪い笑みを浮かべた。

「真珠という俺の欲しい女に、巫女という属性がくっついてきただけだ。そんな付属品のことなぞ、知るかよ」

 背中で瑠璃の呆れたため息を聞いて、透輝は真珠を迎えにいく。

 今朝早く塗籠を出た時は、一晩中泣き通しだったのか、目が赤くはれた藍玉に酷く睨まれた。面白いのでそのままにしておいたが、いったいどんな酷いことをしたのかと思われているか、それを思うと笑いだしそうだった。

 これ以上なく優しくしてやったはずだ。

「真珠、いるか」

 途中あった侍女にきけば、朝はいつもここだという。道場のようだ、と思った。広い板張りの部屋は、なんのかざりもなく空間だけがあった。そこにぽつねんと真珠は立ちつくしている。

 なにをしているのか。

 もう一度透輝が声をかけようとして、息を飲んだ。

 白い羽が舞った。

 羽ばたく、白い大きな鳥だ。それはあまりに軽やかで、しかし確かな意思をもって空間を切り裂きあるいは慰撫して自在に羽根を操る。

 圧倒されていた。

 毛穴が開き、背筋を冷たい手でふいになであげられたかのような、ぞくぞくする興奮。美しい、というよりも強いと評すべきか。舞を評すのにそういうのが適切かどうかはわからないが、透輝はそう感じた。

 ずっと見ていたいというよりも、わくわくする興奮を覚えたのだ。自然、口角が上がっていた。

 真珠が息をついたとたん、

「すごいな」

 思わず声をかけていた。

「誰か見ていると思ったが、婿殿か」

 どうした、と首をかしげる真珠に駆けよって、手を握る。真珠はますます眉根を寄せて怪訝そうな顔をした。

「なんだ、どうした」

「どうしたもなにも、今の舞はすごいな。剣舞にも似ているが、あれよりはずっと動きが柔らかい。が、強さも感じる。巫女は皆、この舞を踊るのか」

「いや、これは私だけだ」

 懐かしむように、真珠はどこか遠くを見た。

「神と繋がる手段としての舞だが、特に型はない。歴代の巫女は皆、その才覚によって舞うのだ。つまり、適当だな」

「だとしても、たいしたものだ。俺はあんな美しいものをみたことがない」

「これくらいで美しいと言われてしまうと歴代の姫巫女の怨嗟の声が聞こえてきそうだ。特に、先代には申し訳が立たない」

 笑うが、どこか泣き笑いのような表情になってしまう。

「先代は、とても美しかった。私は後にも先にも、あんなに美しいものを見たことがない。婿殿も、それをみたらたぶん私と同じように捕らわれるだろうよ。願わくは、私はもう一度姫巫女様の舞をみたかった」

「俺は別に、あんたのその舞で十分だがな。というか、もう一度見せてくれ。気に入った」

「お前、これは高いぞ」

「なんだ、金を取るのか」

「普段はな。この舞を舞って、神の祝福を受けると各地の地位ある女人が集まってくるのだから」

「じゃあ男で見たのは俺だけか」

「いいや、あの惟月はみたぞ」

「……どういうことだ」

 急に低くなる声に真珠は思わず笑う。

「婿殿が警戒するようなことはなにもない。女と偽り、ここへ来たことがあるらしい。もっとも私は気付かなかったがな」

 もとより興味もなかった。そう肩をすくめてみせる。

「あんた、惟月をどう思う」

「いい男だ、という話だな」

 見目麗しい、品行方正を絵にかいたような男である、という話は藍玉からきいていた。だからこそ、藍玉はその対極の噂の持ち主である透輝を蛇蝎のように忌み嫌っているのだが。

 透輝は渋面を隠そうともしなかった。

「あんたでも、そう思うか」

 そこにはわずかな非難の色がある。それに気がつかない真珠ではない。

「思うというか、そういう話をきいただけだ。私は会ったことがないというかちゃんとあの男を認識したことがないからな。判断の下しようがない」

「あんたらしいな」

「なんだ、私があの男を気に入ったら何か問題でもあるのか」

「俺は存外狭量な男だからな。目の前で、他の男に目移りでもされれば殺しかねん」

「本当に狭量だな。肝に銘じておこう」

 たいした冗談だ、と鼻先で笑う真珠の耳元で、透輝は忠告した。

「惟月には心許すなよ」

「私がそれほど迂闊とおもうか」

「どうだか、あんたはなんだかんだ言ってお人よしだからな」

 透輝の指摘にも思い当たることがないと首をかしげる真珠である。透輝は内心でやれやれとため息をついた。

 


 真珠が外に出れば溶け残りの雪があるなか、皆が出迎えてくれた。

 幸いにして今日は晴天である。十日ほど前には雪も降ったが、今日は比較的温かい。狩りをするにはさほどつらくなさそうで何よりだった。

「惟月殿はどこにいる。挨拶をしたくてな」

 外に出るやいなや透輝と瑠璃に真珠がそう宣言すると、瑠璃はあからさまにぎょっとした風だったが、透輝は眉根を寄せただけだった。

「どういうつもりだ」

 低い声で追及される。当然だろう。先ほど惟月には気をつけろと言われたばかりだ。迂闊すぎる、というのだろうが、真珠はその不機嫌に知らんふりをした。

「どうもこうも、こういうことは先手必勝だ。婿殿もそのつもりで、私が話した夜に惟月を呼びつける手筈を整えたのじゃないか。見物人たちの用意ができたというから急ぎ神事を執り行うことにしたのだろう。だったらこっちも早い方がいい」

「まぁ確かにそうですねぇ。宣戦布告は早い方がいい。あの人はとっくにそのことをご存じだそうですしね」

「なんだ、なにかあったのか」

 聞き返す。

「べつに。あの人はそこいらに情報の網を張り巡らしているでしょうから、というくらいの意味ですよ」

 睨みつけている透輝に肩を竦めながら、瑠璃は真珠に答えた。その言葉に僅かばかりの嫌悪が含まれていることに、真珠は当然気がついている。

 軽さを信条としているらしいこの男がこんなに嫌悪を顕わにすることは意外だった。

 が、逆に興味がわいてくるというものである。

 さて、どれだ。

 真珠が境内に並ぶ男どもに視線を泳がせていると、ひときわ涼やかな若武者が一歩前に出てきた。

「お前が惟月か?」

 不躾な真珠の問いに、彼は跪いて答えた。

「拝謁を賜り恐悦至極に存じます」

「うん、楽にしろ」

 言い渡すと同時に惟月は顔を上げた。

 確かに美貌を謳われた母親の血を色濃く受け継いでいるのだろうというような上品な顔立ちであった。透輝が男性的な荒々しい美しさを持つのだとしたら、惟月は清冽な水を泳ぐ若鮎のようであり、どこか女性的な柔らかさがあった。

 藍玉が惟月の顔を知っていたとも思えないが、それにしても実際に見てみると惟月びいきになる気持ちはわかる、と内心で真珠は苦笑した。

 真珠の舐めまわすような露骨な視線は明らかに不快であろうに、惟月はおくびにも出さない。

 これはなかなかの役者だな。

 真珠が隣の透輝へそう目配せすると、惟月は恐れながらと断ったうえでこちらに問うた。

「ところで兄上がご一緒なのは?」

「意外だな。もう知っていると思ったが」

 見えすいた芝居だ。

 皮肉を言ったが、意味がわからぬと眉をひそめる惟月に嘘はないように見える。それがまた曲者だった。

「我々は婚姻したのだ。これにて透輝殿は銀狼となったわけだ」

「それはよかった。兄上は誰もが認める山城の当主ですから、その地位が確固たるものになったことは喜ばしいことです」

「ほぉ、お主もか」

「もちろんですとも」

 よく言う。そう言いたげに顔をゆがめる透輝の顔が見なくともわかった。

 この如才のなさが気に気に入らない。

「では、お前たちの部下はどうだ。私が祝福を与えたと触れまわっていたようだが?」

「あぁ、なんと嘆かわしい。あれは私の不徳の致すところです」

「認めるわけか」

「まちがった忠誠心からあのような行動に出たのでしょう」

 頭を横に振って、涙を堪えている様は家臣を哀れむ慈悲深い若君そのものだ。

 真珠に言わせれば滑稽の一言に尽きる。

「どこからどこまでが間違った忠誠心かは知らんが、いずれにしても奴らは一人残らず死んだぞ。私の前で一人、この山の中でうさぎのように追い回されて大勢。良心が痛まんか? みな、お前のせいで死んだのだ」

 みせてみろ、罪悪感を、あるいは貴人の奢りを、あるいは忠節への感謝を。

 真珠は見つめるガラス玉のような黒い瞳から、どんな感情も見逃すまいとした。真珠が予想したいずれの感情もよぎることはない。

 無だった。

 惟月はまるで人形のごときがらんどうな瞳を細めて笑みの形にした。

「私が知らぬこととはいえ」

 見ようによっては泣いているようにも見える。

「もちろんそうした行動に走らせたのは私が原因です。罰するのであれば、私の身を罰してください、兄上」

 いけしゃあしゃあとよくも言えるものだ。

 呆れを通り越し虚脱すら覚える。

 己のせいで人が死ぬことをなんとも思っていないから、平然とこんな言葉を口にできる。

 吐き気がする部類の人間だ。

「お前を罰するに及ばない。罪があるのはあくまでもあの者たちだ」

「しかし」

「めでたい折にそのような話はよせ、とにもかくにも俺と姫巫女との婚姻は成ったのだ。これからもよろしくたのむぞ」

 嫌悪が募ってしょうがない。これ以上、この男がしゃべるところを聞きたくはなかった。真珠のそんな気分を察したわけではないだろうが、透輝は早々に話を打ち切った。

 有難いことなので真珠も遠慮なくこの流れに乗っかる。

 これ以上の発言を封じるよう、にっこり笑って告げる。

「さて、そろそろ神事を執り行うか。よければ義弟殿も参加されよ」



「あれは一種の化け物だな。好かん」

 生理的嫌悪感すら滲ませて吐き捨てる。

 とりつくろいは完璧で苛烈なばかりの男と比べれば分別あるように見えるだろう。だが、そうみせようとするあからさまな意図を感じる。もちろん、悪いことじゃない。腹の中身をさらけ出して生きていくには世の中はあまりに複雑すぎる。ある程度を人は仮面をかぶって生きていく、そんなことは普通のことなのだろうが、あれほど隙なく覆われると気味が悪い。好んで空っぽになろうとする意味がわからん。

 真珠のそんな言葉に透輝は目を剥いて驚いた。

「あちらのほうがウケはいいのだがな」

「確かに顔は女人が放っておかぬような様子だが、好みではない。婿殿の方がよっぽど私好みだ」

 すぐに物騒なことを企みがちだが、やり方に血が通っている。

 斬った後の兵たちの首はことごとく弔ってやったと真珠は後に瑠璃にきいた。それも何かの雑談のおりに漏らしたのを、真珠が聞き咎めたのだ。そういうのをもっと民衆に宣伝すれば、あのような血も涙もない冷血漢と言われっぱなしになることもあるまいて、と真珠は思うのだが、どうにも不器用な男であるらしかった。

 が、そのあたりは小器用な男よりはよっぽど誠実さを感じる。

「あんたな」

「本当だぞ?」

 だから自信を持てと肩を叩くと、なぜか項垂れて息を吐いた透輝である。

 薄く積もった雪に足跡をつけながら、真珠はあたりを見回す。まだ項垂れていた透輝のわき腹を突いて「お前ももっと周りを見ろ」と促す。

「普通にいえばいいだろ」

「あまり声を立てるな。獲物が逃げる」

 今さらだろうが、と文句垂れながらもあたりを探っているところは随分と素直だ。

 婚姻が成った後、巫女は神に捧げる獣を用意しなくてはならない。いかな季節であろうが、獲物は必ず見つかる。最初に見つけた獲物を矢で仕留め、流れる血が乾いてしまわないうちにその場で神にささげるのだ。

 この宮がある山全体が聖域とされている。そして巫女がいればこの山のいずれも祭壇であるといえる。人に魅せるための儀式ではないため、実はとても地味である。

 見物人たちは境内で待機していた。彼らは参加すると言っても神事の間は限られた場所で見届けることのみで、深部へ向かうことを許されるのは巫女とその伴侶のみであった。

 あの惟月も今頃寒空の下、大人しく待っているのだろうか。涼しげな顔をして、その実はらわたが煮えくりかえっているだろうに。

 選ばれることを当然と思っているあの男は心底いけすかなかった。女装して宮にやってきたのも、やり口が芝居じみている。

「婿殿だったら、私を得るためにどうする?」

 あてどなく歩を進める真珠は、言われた通りあたりに神経を張り巡らせてついてくる透輝に振り返って尋ねた。

「俺に声を立てるなとか言わなかったか?」

「まぁいいではないか。どうせ獲物なんかだまっていてもやってくる」

「言っていることがめちゃくちゃだぞ」

 立ち止まる。

 互いの白い息がゆるりと昇って霧散する。

「俺なら欲しけりゃ正面から行って攫うだろうな」

「お前、本当に獣だな」

「誰がだ! そもそも前提からして間違っているだろう。俺は、神のものになんの興味もない」

 そうだろうなぁ。

 真珠は目を細める。この男は人として正しい。血肉をともなわぬものを信用していないのだ。それは人間を誰よりも信じているのに他ならない。

「あんたがえらそうに俺を叱りつける唯の人であるなら、掻っ攫ってやっただろうな」

「婿殿、それは」

「それより、うさぎだぞ」

 ほら、と指示された先には確かに白いうさぎが一匹、ひょいとはねた。少し遠いけどもやれない距離ではない。

 真珠は弓を構えようとして、はたと気がつく。

 露骨に話そらされたが、後でゆっくり尋問することにする。

 弓を引き絞る。狙いを定めるとうさぎは逃げる素振りもなくこちらをじっと見つめていた。

 矢を放とうと手を放しかけた時だ。

「婿殿っ」

 死の気配を感じてとっさに突き飛ばす。

 同時に、胸に焼けつくような熱さが走った。矢を受けた衝撃に倒れそうになるが、何とか堪えた。

 しかし構わず、そのまま再び弓を引き絞り、一息に矢を放つ。

 そうと決められたように矢は吸い込まれていく。獲物を射るのと同じだ。柔らかい肉を貫いた証拠に小さな悲鳴が上がったことを確認して、真珠はようやく膝をつく。

「おいっ」

「すまないが、そのまま背を支えておいてくれないか」

 真珠のあまりの普通の態度に、勢いよく駆け寄った透輝も気をそがれたような顔をして、言われた通り背中を支えた。

「大丈夫か」

「大事ない。刺客も、追う必要はないぞ」

 始末はつけた、と言外に言ってやると透輝はそれ以上何もいわなかった。

 背を支えられ膝をついた姿勢のまま、真珠はうさぎのいた方向を見る。

 いた。

 これほどさわいでもなお、見つけた時同様、大人しく射られるのを待っている。

「そういうふうにできている、か」

 もう一度矢を放つといつもどおりに、決められた通りに死が与えられる。うさぎは最後まで瞳を閉じなかった。光を失うその瞬間まで、あのうさぎは瞳を閉じないに違いなかった。

「さて」

 ここからが本番だ、と真珠は立ち上がる。

「悪いが、矢を抜いてくれないか」

「あんたなぁっ!」

「すまない。自分ではどうにも抜きづらくてしょうがない」

「そう言う問題か!」

「頼む」

 祈るような声がでてしまったのは真珠とて不本意だ。こんな状況でなければ、この男にここまで頼る気もなかった。が、さすがにこの痛みでは自分で矢を抜くなどできそうもない。

「いっきにやってくれ」

「……わかったから、だまれ」

 いくぞ、と小さく声をかけられたのと同時に、遠慮なく一気に引き抜かれる感触があった。そうして、やや遅れて傷口を抉られる痛みが真珠を襲う。奥歯を噛みしめてはいたが、それにしても悲鳴を上げなかったのは奇跡といってもいい。

 傷口からは血がとめどなく流れた。

 足に上手く力が入らない。が、不思議と痛みは引いている。一種の狂乱状態なのであろう。痛みさえなければ、身体はある程度コントロールできるような気もしていた。今まで、数え切れぬほど踊ってきた舞だ。身体どころか本能に染みついている。

 身体の感触を確かめるように小さく飛び跳ねてみた真珠に、透輝はぎょっとした。

「なにするつもりだ」

「いいから、黙って見ていろ」

 一歩踏み出す。

 そこからはもう、覚えていなかった。

 身体がいつもの動きを辿っているのだろう、というのはわかったが、そこにあらゆる感情が付け入るすきはなかった。喜びも悲しみもなく、ただ身体の記憶に任せた。これほど頭をからっぽにして踊るのは初めてだった。

 わずか、数分の短い舞である。

 自分の吐息の音で、終わったのだと真珠は我に返った。

 風に乗って粉雪が舞ったような気もするが、ほんの瞬きの間だけであった。「受け取った」という合図なのだろう。

 ほっとした拍子になんの抵抗もなく口から血が吐き出され、さすがに真珠は目を回しそうになった。幸いなことに、ただ痺れるような感覚があるだけで、いまだ痛みは感じていない。

 しかし、立っていられないほどの倦怠感があった。

「しっかりしろ」

 そのまま地面に倒れ込みそうになるところを直前で抱きとめられる。

「婿殿」

 呼んだ拍子にまた血がこぼれる。

「しゃべるな」

 頷いて体重を預ける。目を閉じるとそのまま眠りの闇へ吸い込まれて行きそうだった。

「寝ると死ぬぞ」

 凍死じゃあるまいし。

 そう言ってやるつもりだったが、真珠の口から洩れたのは吐息だけだった。

「とにかく、これ以上ここにいてもまた狙われるかもしれん。神事はいったん中止にして」

「必要ない。成った」

「しゃべるな」

「いや、もうだいぶいい」

 血が足りなくなって一時的に立ちくらみがしただけなのだろう。しばらく休んでいたらだいぶ良くなった。

 止める透輝に大丈夫だと目配せして、立ち上がる。

「おい」

「案ずるな、婿殿。みろ」

 再び真珠を抱きしめようとする透輝に、笑みすら浮かべて自分の胸元を指した。

 透輝は視線を落として、絶句した。

 無理もない。

 肉が盛り上がり、傷がみるみるふさがっていく。

 およそ人間業でない。

「どうだ、化け物のごとしだろう」

 自嘲したのは、透輝から拒絶の言葉を聞きたくなかったからだ。

 限りなく人に近い姿をしているが、自身の本質は化け物のそれだ。

 人のように有限でなく、時を止めてなにも失わない唯一人のものである。正しく人であり神などいらぬと言ってのける透輝には、どれほどおぞましく映っているのだろうか。

 人にどう思われようとも、彼らは所詮通り過ぎるものだ。気にしたことはなかった。真珠は真珠であることを誇りに思っていた。

 それでも。

 いま、この瞬間だけは目の前の男に嫌悪を抱かれることがどうしようもなく怖かった。

「真珠」

 呼ばれて身体が震える。

 いやだ。ききたくない。

 耳を塞ごうとした手を握られ、そのまま引っ張られる。

 あ、と思った時には真珠は透輝の胸の中だった。

「傷がふさがったとはいえ、体力は削られているだろう。だまって身体を預けとけ」

「気を使わなくてもいい、婿殿。私はこういうふうにできているのだ」

 同情なぞまっぴらごめんだ。

 感じる体温に泣きそうになっていると、ばかっと叱られる。

「気を使っているわけじゃない。俺を庇った女をそのままにしておけるほど、俺は冷血でない」

「おんな。私のことを人間とでもいう気か」

「それ以外のなににみえるっていうんだ」

 瞳を覗き込まれ、真珠は言葉を失う。

 透輝が本気で言っているのがわかったからだ。

 真珠を巫女でなく、ただの人間として見ている。最初から、この男はずっとそうであった。真珠は姫巫女と呼ばれるようになってからこのかた、こんな風に言われたことは一度もなかったのである。

 『私のようにはなれないわよ』

 かつて先代から言われた言葉が耳奥で響く。

 そうだ。きっとあなたのようにはならない。なれない。このぬくもりを永遠にとどめ置くことを望まない。

 でも、今だけは。

「このまま担がれるか、背負われるか、どっちがいい」

「……おんぶ」

 しょうがないな、とかがむ背中に真珠はもう一度呟いた。

 いまだけ。

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