狂人

譚月遊生季

いつかの時代、どこかの誰かが語った物語

 ああ、なんて哀れな姿だろうか。

 こんな燃え殻になってしまうくらいならば、その血の一滴に至るまで、その肉の一欠片に至るまで、私のものにすればよかった。


 火刑台に括り付けられ、燃え尽きた亡骸の前に佇んで……そこで、初めて気がついた。


 あの「魔女」は、誰よりも美しい人だったのだ……と。


 ***


 私はかねてより神を信じていなかった。

 神とはなにか。人々の想念が作り上げた幻想ではないのか。……そういった類の疑念にあれこれと答えを探すことが、私の楽しみだった。


 だから、魔女に近づいた。


 扉の外からあれこれと問答を仕掛ける私に、魔女は心底迷惑そうに「帰りなさい」と告げる。……それが、私たちの戯れだった。


 実際問題、私が本当に帰ってしまえば、次に来た時は口を利いて貰えない。

 何度目かの呼び掛けで、「おやぁ、あなたにとってはちょっとしたことで帰りたくなるくらいの時間だと思っていたのですけれど」と、くどくど不満が垂れ流されるようになるのだ。


 魔女は、魔女になりたくてなったわけでなく、魔女と呼ばれたから魔女になったらしい。

 彼女は、孤独であった。


 私はその孤独に興味があった。

 哀れに思ったわけでも、救いたいと思ったわけでもなく、ただ興味があった。


「あなた、人の心がないのね。きっとそうよ、そうに決まっている」


 恐怖すら抱かず、かと言って慈しむわけでもない。

 そんな私に、彼女が零した言葉がある。


「おかしなこと。わたし、あなたよりはずっと……ずっと、人のはずなのに」


 長い前髪に隠れた蒼玉を、その時初めて垣間見た。

 澄み渡るような、それでいて深く沈んだような……不思議な色合いをしていた。


 ***


 経緯は分からない。

 村の事情はある程度知っていたし、「魔女」と会っていることも隠して振舞っていたから、情報なら何とはなしに聞いてはいた。


 それでも、魔女が火に炙られたのは青天の霹靂と言えた。それほど唐突に、あっという間に物事は進んだ。……流行っていると聞いてはいたが、「実在する」ものだったとは。


 燃え盛る炎と、沸き立つ歓喜。愉悦と敵意が錯綜する、狂乱の宴。

 これではどちらが魔の物か、分かりはしない。

 いや、もしや「人」とは、そういうものなのだろうか。私には、よく分からない。


 紅蓮の炎が青白い肌を覆い尽くす瞬間、彼女は私に気がついた。

 緋色の前髪に隠された蒼玉が、泣き濡れた視線が私を射抜いていた。


「たすけて」と、その唇が動いた気がした。


 ***


 ああ、なんて哀れな姿だろうか。

 あの蒼玉の瞳も、青白い肌も、赤い髪も、炎に食い尽くされてしまったのだろう。……残念だ。


 ああ、本当に、勿体ない。


 ***


 やがて、私は町に出た。

 医者や、学者という職に興味を持ったからではあるが、どうやら天職だったらしい。

 人々は私を神のように崇めた。

 死体を細かに切り刻んでいることも、隅から隅まで凝視し、時にはその舌で味わっていることも知らずに、私を救世主のようだと言った。


 今でも、思い出す色彩がある。

 黒と茶の混じった緋い髪。垣間見える、青白い肌。視線の合わない蒼い瞳。


 緋い頭髪をはぎ取れば、彼女にも脳髄を収めた頭蓋があっただろうに。

 青白い肌を切り裂けば、彼女にも筋と骨があっただろうに。

 あの泣き濡れた蒼い瞳は、舐めれば塩の味がしただろうに。

 ……二度と、確かめることは叶わない。


 確かなことが一つある。

 森の奥で薬草を煎じ、孤独に暮らしていた彼女はきっと……


 私よりずっと愚鈍な、ただの人だったのだ。

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