手紙

コトノハーモニー

手紙

 購入した絵はがきに、一言二言書きつけてポストに投函した。

 ロンドンは毎日のように雨です。クロワッサンはパリが一番おいしい。ベルゲンの夏はとても涼しい。初めて白夜というものを見ました。

 なんてことはない、そんな一文だけの絵はがき。そんな手紙を出すようになって、もう三年ほどになる。

 ポストから踵を返して、千晶は雑踏の中を歩きだした。

 夏が終わり、色づきはじめた街路樹を見上げる。オタワの秋は、まさに燃えるようだと思った。

 カフェに目的の人物を見つけて、千晶は手を上げて近づいた。

「チアキ、もういいのかい?」

「ええ、ありがとう」

 チップを置いて席を立つポールと連れ立ってカフェを出る。

「手紙は遠距離の恋人宛かな?」

 ウィンクしながら聞いてくるポールに、千晶は瞬いて彼を見た。もしもそうだったら……、零れ落ちそうになる気持ちに蓋をする。それはもう千晶には慣れたことだった。

 ちがうわ、と答えると残念そうに口をとがらせた。その様子が幼く見えて、千晶はこみ上げてくる笑いをかみ殺した。

「そんなに笑うことないじゃないか」

「ふふ、ふ、ごめんなさい」

「まあいいや。君はカメラが恋人だって言われた方が納得するしね」

 そう言って路地に停めていた車に近づいていく。

「さあ、今日も僕が惚れ直すような写真をお願いするよ」

 車のドアを開けてこちらに向き直るポールに、千晶は笑みを浮かべた。肩にかけた鞄をかけ直して、車に乗りこんだ。

 三十分ほどかけてやってきたのは、オタワの郊外にある自然公園だった。今の季節は紅葉を楽しみにくる人でにぎわっている。

 ポールに案内されながら、千晶は取り出したカメラのシャッターを切っていく。燃えるような木々。リスや鹿。高く澄んだ空から降り注ぐ陽射し。

 無心になってシャッターを切るうちに、遠く、地平線まで見渡せる場所にやって来た。あとはここで夕暮れまで待つだけだ。

 地平線の彼方を見ていると、先程のポールの言葉がよみがえった。

(恋人なんかじゃない)

 手紙のあて先はいつも同じだった。

片田舎の学校で一緒に育った古い友人だ。なにもない場所だった。いつか一緒にあそこを出て、世界を見て回ろうと語り合った。

 しかし、旧家の一人娘である彼女にそんな自由は許されなかった。家を継ぐために、若くして婿をとって結婚した。

 そんな彼女を友人として、そばで支えてやることができればどんなによかったか。どれだけそう思っても、千晶にはできなかった。

 近くで息をのむ音に、遠く馳せていた意識が戻ってきた。

 目の前の景色に焦点をあてて、カメラを構える。

 赤く燃えるように落ちていく太陽。その炎に燃やされたような空と大地。赤く染まった木々。どこまでも赤い世界に、噛みしめるようにカメラのシャッターを切る。

 やがて地平線の彼方に炎が消えて、燃えていた大地がしんと暗がりの底に沈んだ。その姿も写真におさめて、千晶はポールと森を歩きだした。

 いつか、彼女の友人としてあの小さな村に帰ることができる日が来るだろうか。彼女に自分が見た世界を見てもらうことができるだろうか。

「いつか……」

 呟きは前を行くポールにさえ届くことはなく消えた。見上げた空にはもう星が瞬いていた。

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