魔王と僧侶の昼食

 「おねーちゃん、こっち終わったよ!」


 薄緑の肌色の少女が、その手に持つジョウロを足元の地面にゆっくりと置く。

 中にはまだ水半分程入っており、タプタプと波音を立てて左右へ揺れる。


 「ん、ありがとう。じゃあ次はあの花壇に水をあげてきて?」


 修道女の彼女が窓を拭いていたその手を止め、少女を見る。


 村にいる他の人間たちとは明らかに異質な存在。

 緑の肌に、葉とツタのような物が体の至る所にある。

 だが、何も纏っていない肩はつるんと玉のように綺麗であり、その足首も細くか弱い。

 なにより、その仕草とコロコロと頻繁に変わるその表情は、彼女の目に年相応の少女として映った。


 彼女の声に少女が、わかった、と頷くとジョウロを両手で拾い上げ、ヨタヨタとする足どりでその花壇の方へ歩いていき、到着するやいなやそれを傾けて水を注いでいく。

 等間隔に並べられた白い花々やその葉に透明な珠が飾られ、日の光でキラキラと澄んだ輝きを放つ。


 敷き詰められた土の色が濃くなったのを確認し、そのジョウロの口を上げ、その中身をカラカラと言わせながら軽い足取りで彼女の元へ駆け寄る。

 

 「終わったっ!」


 と、満面の笑みでそれを彼女へと手渡す。


 ありがとう、と彼女はそれを受け取り扉を開けて教会に入り、それを所定の場所へ戻し再び少女の元へと戻る。


 「ありがとうね。助かったよ。」


 彼女へにこり、と柔らかな笑みを掛ける。


 それを向けられ少女が、えへへ、と顔を逸らして頭を掻いた。

 

 その時、少女の体からグゥ、と音がした。

 すぐさま少女が自身の腹を両手で抑える。


 彼女は太陽の位置と、少女のその動きから今のおおよその時間を察する。


 「お昼、食べよっか。」


 その言葉を聞くなりその少女の目がぱあっと開き、


 「うんっ!」


 と、快活に頷いた。


 歩くその道中では、土と汗の臭いのする村人が女性に出迎えられて家に入って行き、それに遅れて顔にドロの付いた子供が入ろうとするがそれを女性に何やら言われ、その足で川のある方へと全速力で走り去っていく。


 若い数人の男が和気藹々わきあいあいと会話をしながら酒場の扉の奥へと姿を消していく。


 また、弓と矢筒を身に着けた男性が家から出たかと思うと、馬の手綱を引いて村の外へと出てゆく光景もあった。


 「ん、どうしたの?おねーちゃん。」


 「あ・・・・・・ううん。何でもないよ。」


 自分が足を止めていたのに気が付き、彼女は再び歩き始める。


 もう酒場に着いているのかもしれない。


 日が傾きだせば彼女の苦手な酒気の満ちる場所ではあるのだが昼頃にはそれがせず、旅に出るまではたまに彼と食事を摂っていた。


 彼女が、美味しそうに料理をほうばる彼の顔を思い出す。


 懐かしの味をいち早く食べたいと思い、一足先にもういるのかもしれない。


 そう考え、その歩みを少し速める。


 「あ、ヴァルド様!」


 その時、前から仰々しい角を生やした彼女が歩いてきた。

 頬に土を拭った跡と、その額にじんわりと汗が滲んでいる。


 その冷ややかな目線と、かつて感じた無力感から彼女の体が強張る。


 「お前たちもこれから昼食か?」


 魔王が顎に人差し指を添え、目を細めて眼下の二人を見る。


 「はいっ!ヴァルド様も一緒にどうでしょう?」


 無邪気にそう口にする少女とは対照的に、彼女の顔が凍り付く。


 どのような物を食べるのか、どれほどの量を食べるのか。

 そもそも、人間と同じものを食べるのか。


 ふと彼女が、無邪気な笑みを浮かべる少女を見る。

 今までその姿と所作から、人間の少女と見間違えるが、所詮は魔物。何を主食とするのかが分からない。


 なにより、彼女らの目的は「故郷の土地を蘇らせること」であって「人間と共生する為」ではない。


 その思い違いに、彼女の額に冷や汗が滲む。


 「ほう、良いな。酒場に行くのか?」


 ゆったりと口を開く魔王に、少女がはいっ、と頷き、


 「早く行こ!お腹空いちゃった。」


 と、彼女の手をグイグイと引っ張った。

 


 「お、イリスちゃん。こんにちわ。」


 キィ、と酒場の扉を開いた途端、鈴がチリンと鳴り、机を布巾で拭いていた男性がそちらへ向く。


 「どうも。」


 旅を出る前に見かけたその姿と今の姿とを重ねる。

 

 イカツかった目つきが幾らか柔らかくなっており、その頭髪には数本の白髪が生えていた。

 生傷の絶えなかった手指は古傷が刻まれているものの、最近に出来たであろう物は見受けられなかった。


 「んお?ヴァルドとフィオレちゃんじゃないか。いつもありがとな。」


 彼女から遅れて入ってきた二人の姿を見て、男性がその目つきを更に緩めた。


 「我はいつものを頼む。この子にもな。」


 と、魔王が顎でフィオレを指す。


 「あいよ。イリスちゃんはどうするよ?」


 「あ、えっと。グランといつも食べてたのいいですか?」


 彼女の言葉に意味深な笑みを浮かべ、ちょっとまっててな、と布巾を持ってカウンターの向こうへと消えていった。


 3人は何を言う事も無くカウンターへと向かい、各々そこにある椅子へと座った。


 イリスが膝の上で両手で拳を作り、横とその奥に座る二人を見る。


 フィオレは、周囲に目線を遊ばせては時折指でカウンターをタンタンと軽快に叩いている。


 ヴァルドはというと、頬杖をついては時折自身の角に手を添わせている。

 ふと彼女と視線が合い、フ、と目を細めて彼女の瞳を見る。


 彼女はその目の光が直視できず、咄嗟とっさに目を反らす。

 握りこぶしを作ったまま、額に沸いた汗をぬぐった。

 

 それでも彼女の所作がきになり、カウンターに鉄製のフォークとステーキナイフ、それらが束になって入っている筒。そこのナイフの鏡面越しにその様子を窺う。


 やがて、ジュウジュウという何かの焼かれる音が3人の耳に届く。


 「いい匂い・・・・・・。」


 と、フィオレは目を閉じてスンスンと鼻を鳴らしている。


 その様子を見て魔王はフフ、とカウンターの奥に視線を送っている。


 ここに来て何百回と聞いたこの音も、今の状態の彼女には普段よりもゆっくりと聞こえて来、代わりにトクントクンと自らの心臓の音が鼓膜を叩いていた。


 「よっしゃ、お待たせ。」


 と、男性が奥から出て来た。

 その両手には二つの木のプレートを持っている。


 コトン、コトン、とフィオレとヴァルドの前に置かれる。


 「グランとイリスちゃんのはもーちょい待っててくれな。」


 そう言うなり、再びそのカウンター内に消えていった。


 彼女らの皿からには網目状に焼き跡の付いた肉厚ステーキが載っており、そこから湯気が立っている。

 

 そして上から黒くトロみのあるソースが掛けられており、それがステーキの側面を伝い皿に池を作っている。


 「では、頂くとしよう。」


 と、魔王は傍にあった筒からナイフとフォークを手に取る。


 イリスは目を丸くした。


 立ち込める匂いからして、その肉の正体は食べ慣れたウサギ肉であった。

 

 その人物は、そのステーキにゆっくりとナイフを入れて音を立てずに一口の大きさに切り取ってはフォークで刺し、それを口に入れる。

 目を閉じてゆっくりと咀嚼そしゃくを繰り返したかと思うと、喉が脈動みゃくどうする。


 「ふふ、美味いな。」


 と、目を細めて息を吐き出す。 


 手慣れた手つき、彼女の目に映ったそれは貴族や王族のテーブルマナーを思い出させた。


 人間が口にするものと何ら変わりない物を口にして、しかもそれを美味と言った。


 もしかしたら魔王は人間に近い存在なのかもしれない、とふと彼女は思った。


 一方のフィオレはキョロキョロと魔王とイリスの方とを交互に見て、


 「私は待たずに食べちゃってもいいよ。」

 

 という彼女の声に頷くと、一目散にナイフとフォークとを手に取り、皿の上のステーキにナイフを突き立てる。

 

 少女がギコギコと前後にナイフを動かし、やっとの思いで肉を切り取ると、それを口に入れた。


 「んーっ!」


 と、少女は頬に手を当てて悶えた。


 そのあまりにも人間らしい仕草に、彼女の口から笑みが零れた。

 

 「やっぱりお肉って美味しいですね!」


 「フフ、認めたくはないがな。」


 そういって魔王がもう半分ほど姿を消したそれに目を落とす。


 かと思えば、再びナイフの刃を上品にそれに入れ切り離してはフォークで刺し、再びそれを口に運んだ。


 「魚も食わないとおっきくなれないぞ?」


 と、奥から男が戻ってくる。


 その手には二つの皿と湯気があった。


 「で、でも魚って骨ばっかりで痛いし美味しくないし・・・・・・。」


 「ハハ、それが美味いんだけどな。」


 苦い顔で見つめる少女を他所に、手に持ったそれらを彼女の前に置いた。


 そこには二人に出されたステーキとは何ら変わりはないが、ソースがステーキの一面にふんだんに掛けられていた。


 ありがとうございます、と一つの皿を自らの手前に寄せ、もう一つを隣の空席に置いた。


 「しかし遅いんじゃないか?あいつ。」


 と、男が室内を見渡す。


 殆どの者は食事が終わり、これから再び仕事に戻るべく席を立ったり、座っていてもその皿にはあと僅かしか残っていない。


 「そう、ですね・・・・・・。」


 彼女が俯き、目の前の肉を見る。


 ソースが滝の様にその側面から流れ、それを勿体ない、と皿ごと傾けて口へと流し込む姿。

 それがこの時に来て見れないかもしれない、昼食が取れない程に彼がどこかで無茶をしているのかもしれない。


 その胸がザワつく。


 その時、酒場の扉の開く音がした。


 ぱあっと明るい顔で彼女が振り向く。

 が、そこに立っていたのは彼ではなく、村長のカルボであった。


 「いや、悪ぃ。グランの奴、お前と昼めしを食う約束をしてたんだってな?」


 ギシギシと歩く度に床板を鳴らしながら彼女らの方に、頭を掻きながら歩いていく。


 「すまん。俺一人じゃ心配な問題があってな、ちょっとあいつを借りてる。」


 ふむ、と顎髭に手を当てて空席に置かれたステーキを見るなり、


 「これあいつの分か?」


 と、それを手に取った。


 「ええ、その・・・・・・そうです。」


 彼女の言葉に、そうか、と頷きそれを手に持ったまま踵を返し、扉の方を向いた。


 「村長も良かったら食べてってくださいよ。」


 という男の声に振り返ると、


 「いや、俺はさっき家で芋を食ったからいらね。」


 といって扉から出ていった。


 「おとう・・・・・・村長は変わりないですね。」


 ナイフとフォークを手に取り、すっかり冷めてしまったそれに刃を入れながら彼女は呟いた。


 「まぁ、昔っからああいう人だからな。グランもそういうところが似たんだろうなぁ。」


 男がヴァルドとフィオレの空になった皿を片付けながらそう口にする。


 「グラン・・・・・・。」


 彼女の手が幾分か早くなり、その肉を頬が腫れるまで口に入れては大きく咀嚼しては飲み込む。

 

 「そういえば気になったのだが。」


 ヴァルドの口が開く。


 「得体の知れぬ我らをなぜ、あいつはこの村に受け入れたのだ?」


 魔王のその言葉に、あぁ、と男が頭を掻く。


 「昔っから来るもの拒まず、自分より他人って人だからなぁあの人。」


 そういえば、と何かを思い出し男が続ける。


 「昔、近くの森で大きい火事があってね。そこに住んでいたであろうエルフの集団がこの村に来たっけな。」


 「エルフ、って私たち魔族よりも長生きっていうあの?」


 フィオレが片肘をテーブルに付き、その男の顔を見上げる。


 「そう、そのエルフだ。そいつらが暫くこの村に居させて欲しいって言ったからあの人、二つ返事で快諾したんだよな。」


 イリスがその時の光景を思い出す。


 数にしておよそ20人。人間の村で例えるならば村にもならない程の人数だが、旅に出て知った知識と照らし合わせて初めてエルフにしては規模の大きかった集落だったと知った。


 村長はまず、長であるエルフと話し合いをし、村の仕事を手伝うという条件付きで村への在住を認めた。

 住処の確保の為に酒場の2階を増設し、エルフのいる間は村長自らの家の2階を借り住まいとして貸し与えた。

 力仕事こそ苦手であったが、エルフの中には手先の器用な物、弓の扱いの美味いものが殆どであり、その年は豊作となった。

 とはいえ、食事の心配からその頃から、彼はよく芋のみで食事を済ませる事が多くなった。


 結局、人間との共存は難しいという決断によりエルフ達は、恩は忘れない、と言って村から去っていったが。


 「その時の名残が、ここの2階の宿泊場なんだ。結構大きいだろ?」


 成程、と魔王が首を捻る。

 道理で森に囲まれた辺鄙へんぴな村の割にはあのように旅人用の寝床が多くある訳だ、と合点する。


 「よし、それじゃあ残りの仕事をしちゃおうか。」


 空になった皿をカウンターに置き、イリスが立ち上がった。

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戦士と魔王が始める村人生活 一ノ清カズスケ @yoshida-kazu

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