薫子と南蛮灯と聚楽第


 南蛮灯に火を灯した途端、視界がグニャリと歪んだ。

咄嗟とっさに、薫子は身を固くして目を閉じた。



しかし、それ以上どうということもないようだ。


薫子がゆっくりと目を開けると、ボゥとした灯の照らす薄暗い部屋の中で、顔を引きつらせ、目を真ん丸に開け、唇を戦慄わななかせた奇妙な女達がこちらを見て居た。


「あ、あら、まあ」


流石の薫子も呆気に取られて、女達の方をアーモンドのような大きな瞳で見返した。



 それは、ご維新前の実家の屋敷の主殿にあったような、極彩色のギラギラとした襖絵ふすまえに囲まれた日本間であった。


薫子の近くには、朱塗りの高坏たかつきのような形をした、灯明皿とうみょうざらが置かれ、油を吸って燃える、こよりの芯がジジジジと小さな音を立てている。


そこに、お垂髪すべらかしに、小袖に打掛うちかけという衣装の女たちが、目を剥き、口をポカンとあけ、腰をぬかさんばかりにして、こちらを見ていた。


双方、暫く言葉もなく呆然と見合った。


それはそうだろう。


先程女主人がこればかりは人任せにせず、いつもの如く母親の遺品だとかいう南蛮灯に灯を点した……


途端である。


まるで煙が宙に消えるが如く、その女主人が姿を消した。


これだけでも、もう、なんの呪いか、どこの大天狗の神隠しか、肝が冷え、魂の吹き飛ぶばかりの衝撃である。


それなのに


それなのに


そればかりか


女主人が居たところへ、見た事もない女が現れた、となっては、悲鳴すら上げられず、ただただ身を固くして、この恐ろしい夢からうつつへ戻るのを請い願うしかない。



いつまで経っても、女は消える気配がない。



ヒィィィーーーー!


そのうち侍女らしき一人の若い女が悲鳴を上げると、連鎖のように他の女たちも次々に悲鳴をあげ、出口らしいふすまの方へいざって逃げ始めた。


悪夢が去らないなら、自らが去るしかない。


今に自分までも、煙の如く消えてしまっては大変だ。



「お鎮まりなさい!」



持って生まれた気の強さと、人に命令することに慣れた者特有の不遜ふそんさで、薫子は鋭い声で叱りつけた。


シン



途端に侍女達はそのまま固まったように体を止め、沈黙した。


「何、ここはどこなの。あなた、説明なさい」


薫子は落ちていた扇を拾って、自分の側で後ろに手をついて目を剥いている年配の女性を差した。


若い女達に比べ、その女が比較的落ち着いているように見えたからである。


しかし、その年配の女とて、落ち着いていた訳では決してない。

あまりに驚いて、驚き過ぎて、脳の中の回線が繋がらず、魂が抜けたようになっていただけである。


指名された女は、薫子にじっと見られているうちに、ハッ!と気がついたらしく一瞬目を見張った。


自分を落ち着かすためだろう、襟元をふっくらとした指で正しながら、深呼吸を繰り返し、挙句にこほんと咳払いをした。


その間も忙しく視線を左右して、なんとか言い訳を探して自らを納得させようとしている。


そして、そうこうしているうちに、薫子の命が脳に達したらしく、兎にも角にもそれに服さねばという条件反射的に薫子に向かって一礼して口を開いた。



それは薫子が息をするのと同じ程人に命令することに慣れているように、主人にかしづくことに慣れたものだった。





「そうなの、ふうん、なるほどねぇ」



場所の説明を受け、いくつかの質問に答えさせた薫子は、笑みを口の端にたたえて、自分の前に居並んでいる女達を横目で睥睨へいげいした。


狐の化身か、大天狗の姫君か


はたまたどこかの大明神の神皇女かみひめみこか。


怪しの女にジロリ、ジロリと見られて、女たちは身を縮こめた。

何かの呪いをかけられては大変だ。



一段も二段も高い御在所に敷いた薄べりの上で、厚かましくもすっかりくつろいで脇息きょうそくにもたれ、片手に扇を持った薫子は、純白の寝間着に、手の込んだ手編みのレースに縁取られたペールピンクのシルクのガウンを羽織っている。


それが輝く川のように、畳を重ねた御在所ござしょから下の床へ広がって居る。


見たこともない、細やかな花を編み出したレースの美しさに女達は目を奪われた。


「そうねぇ」


嗜虐的しぎゃくてきな色さえ感じさせる薫子の声に、女達はまた慌てて平伏をする。



「そうね、いいんじゃない。面白いわ」




それから、薫子は先程説明をさせた老女に顔を向けた。

老女はうっと身を縮こめる。



「で、どうなの、あなた」


薫子に問われた老女も他の女と同じように頭を下げたが、表情筋が硬直して能面のような顔になり、それが何とも落ち着いて見えた。


その落ち着いたような風情に、薫子がこの場の責任者に違いないと確信したのも仕方なく、実際にその老女こそリーダーだったわけで、判断自体は間違えていたのだが、薫子の運の良さと言ったらこの上ない。


その老女は、また頭をあげ能面のような顔で、薫子を見た。

それがまた、ふてぶてしくも貫禄たっぷりに見える。


「どう……と申されますと」


「あなた達が仕えていた姫君が居なくなった訳じゃない。

で、代わりに私がここに居るわけね。

それで、私に仕える気があるかしら」


「なければ、どうされ申す」


実は頭が回転せず、ぼーっとただ問い返しただけなのだが、聞いている薫子を始め、お侍女たちには、何とも悪びれない肝の据わった風に聞こえた。


そんな老女の落ち着きを、薫子はスッカリ気に入った。

(あら、いいじゃない)

こういう相手は味方につければ、怖いものなしになる。

薫子はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

こっちは正真正銘の厚顔無恥である。


お侍女達は固唾かたずを吞んで、二人のやり取りを見守った。


薫子は上座に座りじっと老女を、強い光を湛えた大きな瞳で見つめている。

見事な曲線を描く口元には余裕の微笑みが浮かんでいる。


対する老女も平伏をしたまま薫子を見上げているので、必然的に下から剣呑にも睨めあげるように見つめている……ように見える。


「ふふふふ」


薫子の軽い笑い声が、狭い、そしてぜいを凝らした日本間に響いた。


「そうね、私は放り出される気はないから、あなたに出て行ってもらうしかないわ。

どうなの、あなた帰るさとはあるの」


老女は目を落とし、畳の目を見つめた。

そろそろパニック状態から抜け出し始めた脳が、遅まきながら回転を始めた。


この突如現れた高慢そうな女は、動転する事なく、一瞬にして場を支配している。


何とも肝の座った、神経のふとましい女だ。


ふと脇にい並んでいる部下のお侍女達が「右府うふ様(織田信長)」「右府様」とささいている声が聞こえた。


(なんと!確かにこの女、かの右府様にそっくりじゃ)


その瞬間、老女の気持ちは定まった。


10代半ばで、六角氏から押し付けられた偏諱と正室を押し返し、六角氏ベッタリの父親を幽閉して、勇ましくも雄々しくも自ら武力を持って跡目を継いだ浅井のお殿様と、かの天下人織田右府様の妹の間にできた姫君である。


玉のように美しい、生まれたての姫君を胸に抱きまいらせた時の高揚感たるや……


そのご気性たるや、疳走り、まさにそのお血筋に相応しいものだった。


が、ご幼少の頃病に伏してより、どうにもこうにも……


性根の座って居るんだか、座っていないんだかわからない、ふやふやした姫になってしまった。


そのお方に愛情がないわけではないのだが……

今でいう体育会系おばちゃんたる老女としては、こちらの突然降臨したいけしゃあしゃあとした女の方が手応えたっぷりで、ずっと仕える甲斐がある。


丹波の落ちぶれた地侍の娘から、天下人の姪の乳母へ成り上がり、今や太閤殿下の側室付としてここ聚楽第に入っている。

しかしこの老女、実は太閤秀吉とも、次期天下様の家康公とも縁続きである。

そんなこんなで、ここをゴールにするつもりは到底なかった。


メラメラと老女の野心が燃えたった。


「この大蔵卿局おおくらきょうのつぼね、一命をかけ、貴女様にお仕えする所存に御座り申す」


その言葉を聞くと、薫子は満足そうにつややかな唇の両端を釣り上げ微笑んだ。


「それは結構な事。しっかり仕えて頂戴ね」


それはまさに、かの右府を想起するような支配することに慣れた王者の微笑みだった。





(やれやれだわ)


薫子は、パッタリと固い臥所ふしどに横たわって、ゾッとする程、絢爛けんらんな天井を見上げた。


ドームのような形になった天井も、黒漆が塗られた木で四角く区切られ、中には金色の地に極彩色で絵が描かれている。


趣味が悪すぎる。


(こんなしみったれた悪趣味なところにいると、こちらまで辛気臭い気持ちになっちゃうわ。)



既に灯りは最低限に絞られ、臥所ふしどには几帳きちょうが回し掛けられている。


不寝燈として置かれている、あの南蛮灯がユラユラと臥所を照らしいている。



合わせ香が、涼やかな香りを漂わせ、遠くでかちゃかちゃと見回りの侍の腰の物が立てる小さな音がする。


まるで、昔の実家に帰った気持ちになる。


(そりゃあ、もっとすすけていたけれど、ここまで悪趣味じゃなかったわ)


むくり


薫子は起き上がった。

几帳の裾までいざり寄ると


「パシ!」


扇を鳴らして人を呼んだ。


「は!」


薫子は満足して微笑んだ。

(なかなかしつけが行き届いていること)


「あのね。この部屋、明日から模様替えをするから」


「え」

呆然とした、不寝番ねずのばんの侍女に、薫子は頷いて見せ、ずるずるとハイハイしながら臥所に戻って行った。



ところが翌朝



大蔵卿局が、薫子の臥所に引き回した几帳を覗いてみると、そこに居たのは、「ふやふや姫」だった。



「あの、あの、右府様のお方様は?」



「え?」


色白の華奢な姫はびっくりして、乳母を見つめた。


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