第3話 はじめての感情

奏は放課後になると、校舎内にある練習室へ足を運んだ。和也がいるからだ。

大学生三人の授業が遅くまである時は、大抵二人で練習をしていた。ここが音楽を学ぶ高校だからこそ、出来る事だろう。各教室にもグランドピアノが設置されているくらい、音楽に精通している学校なのだ。

彼女が練習室へ入ると、和也がピアノを弾いている所だったが、すぐに奏に気づき、ピアノの椅子に腰掛けるように促した。

「……和也、ピアノはいいの?」

「うん。今、作ってた所まで奏に弾いて欲しい」

譜面台には彼の書きかけの楽譜が置いてある。

彼女は頷いて応えると、鍵盤へ手を滑らせた。正確に弾いていく彼女に、彼が合わせるようにギターを弾き始めると、二人の音色が練習室内に響く。

途中まで弾き終えると、そのまま彼女は彼のギターに合わせるように弾き続けていた。和也は声を上げそうになるのを抑え、二人の音が重なり終わるのを待っているのだった。

「奏! 今の譜面に起こせる?!」

「う、うん」

勢いのある和也に押され気味に奏は応えると、先程の楽譜に加筆していく。数分で出来上がった楽譜と奏に、和也は言葉が出なくなっていた。

……奏がいると音が次々と溢れてくる。

そう彼は感じていたのだ。

「ーー……奏、この曲に合う歌詞を作ってみないか?」

作曲も作詞もした事のない奏は、戸惑いながらも応えていた。

「うん……。やってみたい!」

このように音楽に貪欲な所は、二人の似ている所だろう。

彼女の返事に、和也は顔がほころんでしまう自分がいる事に気づいていた。ギターを弾く際、わざと下を向いて視線を逸らしたくなるほどに。

ーーすきだ……。

奏の歌だけじゃなく…彼女自身が……。

和也は初めて自覚していた。

彼女の事を知る度にすきになっている事に。


二人はいつもと変わらず、下校時間ギリギリまで練習すると、いつものように電車に乗って帰っていく。

「またねー」

「うん、またな」

隣同士の最寄駅の為、奏を見送ると和也は電車の窓から、彼女の後ろ姿を見つめていた。

彼女が見えなくなると、彼は携帯電話のメモ機能に歌詞を綴っていく。

自覚したばかりのこの想いだけで、一曲描けそうになっている和也がいるのだった。




奏は先日出来たばかりの曲を、部屋にあるアップライトピアノで練習をしていた。

……歌詞が浮かばない。

日頃の事をメモするようにはしてるけど、どれも聞いた事のあるような感じがして……。

彼女は気持ちを切り替えるように、クラシックや合唱発表会の課題曲等、様々な曲を弾いていると携帯電話にメッセージが入っていた。

water(s)五人でのグループラインには、miyaより『二時間後、いつもの喫茶店に集合』の文字が、書かれてあった。『了解』のスタンプを返すと、他のメンバーも次々と返信し数分で、二時間後に初めて出逢った日に行った喫茶店への集合が決まるのだった。


奏の最寄駅にある喫茶店の為、彼女は自分が一番乗りかと思っていたが、和也が六人掛けの奥の席に座っていた。

「和也、お疲れさまー」

「奏、お疲れー。……歌詞はどう?」

彼女が書きかけの歌詞を見せると、和也ははっきりと告げていた。

「これ……奏の歌いたい曲?」

私の歌いたい曲?

ーー違う。

初めて……water(s)の曲を聴いた時のような感動はない。

彼女は首を横に振ると、まっすぐに和也を見つめていた。

「もう少し考えさせてほしい……」

「うん……。夏休み中には奏の曲が聴きたいな」

「うん……」

和也は少し落ち込んだ様子の彼女の頭を優しく撫でていた。

「奏の歌が聴きたい……」

「……私の?」

「そう、自分で作った詞の方が感情移入しやすいだろ?」

「そっかぁ……」

そんな風に……そこまで考えた事なかった。

私のうた……。

二人がカフェラテを飲んでいると、残りのメンバーが揃い、数日後に控えた夏休みの練習日程やライブについて話合う事になるのだった。




「奏、今日久々にみんなでカラオケ行こうって言ってるけど、行ける?」

「ごめん、綾ちゃん。練習があって」

「ピアノのレッスン?」

「違うけど、似たようなものかな……」

放課後、彼女が綾子と話していると廊下から和也の呼ぶ声がし、急いで彼の元へと向かった。

「圭介達は一週間遅れで夏休みだから、この一週間はいつもの場所で練習な」

「夏休み中も使っていいの?」

「うん。ちゃんと許可取ったから」

そう言って練習室の鍵を見せる和也に、彼女も笑顔で応えると、二人は足早に教室を出るのだった。


「和也……。聴いてもらってもいい?」

練習室へ着くなり、ピアノの椅子の前に立った奏の手には楽譜が握られている。

「うん」

和也が頷いて応えると、奏はピアノの椅子に腰掛け、一呼吸置くと鍵盤へ指を滑らせていく。

弾き語りをする彼女の姿を、彼は一声も漏らす事なく、静かに聴いていた。

最初に出来ていた曲をバラード風にアレンジしている。初めて描いた歌詞とは思えない程の出来栄えだったのだろう。和也は、彼女の創り出した音色に泣きそうになっていたのだ。

弾き終えると、奏を強く抱きしめる和也がいるのだった。

「か、和也?!」

「奏、凄いな!!」

そう言って、彼女を見つめ直す彼は、嬉しそうな笑みを浮かべている。


二人は出来たばかりの新曲を、メンバーに聴かせるために練習し始めた。和也のアコースティックギターに、奏のピアノの音色が教室に響く。

二人の初めての共同作業はスムーズに行き、その日のうちに曲として世に出せるようになっていった。

曲が完成する頃、窓の外には月が浮かんでいた。

二人は自動販売機で買った蜂蜜レモンの缶ジュースで乾杯をすると、いつものように隣を並んで歩いていく。

その距離がいつもより近かった事に、奏には気づく余裕がなかった。

一から携わった初めての曲の完成に、彼の嬉しそうな表情に、胸がいっぱいになっていたのだ。

ーー楽しかった……。

途中、何度も書いては消してを繰り返して、完成が遠くにあったけど、和也のおかげで曲が出来た。

曲をつくれたんだ……。

隣にいる彼と嬉しそうに歩く奏の影は、ぴったりと寄り添っているように地面に映ってるのだった。

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