第14話 英雄『羽(は)』

 羽があれば、どこまでも飛べる。

 それが人間だったとしてもだ。

 そう考えて、一人の少女は木材で羽を作り、塔の天辺から身を投げたと言う。

 本当の話なのかはさだかではないが、少女はその羽で飛ぶことは叶わなかった。

 他人が何を考えているのか何て考えたところでわかりはしない。

 けれど、その少女はただ単に飛びたかっただけなのだろう。




◇◇◇




 パチパチと火の粉が弾け、それを少女が見つめていた。

 少女の名は、ジャンヌ・ダルク。

 産まれたときからその名前だったわけではない。

 けれど、彼女は元の名前を知りはしない。今後ろで控えているジルだって知らない。

 少女はジャンヌという名前をつけられたのではなく、自分でつけたのだ。かの英雄になりたいがために。

 ジャンヌ・ダルクとは魔女と呼ばれ殺された英雄だ。オルレアンの娘、などとも言われるが、最終的に魔女と呼ばれるようになった。

 自国を救い、英雄となったジャンヌは敵国に捕らえられた際、自国の王に裏切られ、敵国には魔女呼ばわりされて火刑に処された。

 結末はどうあれ、少女にとってジャンヌ・ダルクは生きる目標であった。


「ジャンヌ様、そろそろお眠りになられた方がよろしいかと」


 ジルはジャンヌを見下ろしながら言った。


「嫌です」

「嫌です、と言われましても。明日に差し支えます」

「差し支えればいいのです」


 よくありませんよ・・・・・・、とジルは息を吐いた。

 あしたは、と


「あしたは、晴れるでしょうか」


 それはどうでしょうね。ジルは目を瞑って腕を組んだ。

 そしてそのまま・・・・・・夜が明けた。


「・・・・・・ねむい・・・・・・」

「だから寝てくださいと言いましたよね・・・・・・」




◇◇◇




 ふわあぁ。

 口を大きく開け、目を手で擦る。

 這い出るようにしてテントから出たジャンヌは、ジルを探しに兵士たちの中へ潜り込んだ。

 髪はボサボサだが気にしないジャンヌに対して、兵士たちは気楽に話しかけ、寝癖がついていると言って笑った。

 そうこうしながら歩いていると、見覚えのある男が女性と歩いてくるのに目がいった。


「あ、ジルだ。・・・・・・で、あの女の人、誰?」


 隣を歩く女性に心当たりがないジャンヌはコトンと首を傾げた。

 そのまま歩いていると、ジルがジャンヌに気が付いた。


「ジャンヌ様! 何をしておられるのですか!」


 寝癖が酷いです! と大声で言ったのを耳を塞いで聞かないことにしたジャンヌだが、ゴゴゴゴゴゴゴゴと彼の背後に仁王像が現れたのをきっかけにして回れ右して素早く逃げた。

 後ろは振り向かない。ダッダッダッダッダ! と走る足音が聴こえるからだ。

 ジルはなんだかもう親バカかシスコンなのではないかというくらいな兄の立場に思える。

 ジャンヌとジルの年齢は然程離れていない。ジャンヌは十二、ジルは十八。ジルのほうが上なのに何故敬語なのと言えば、ジャンヌの側付きだからだ。

 魔法の才能を有したジャンヌは、バルバッソ王国の騎士になる前は、バルバッソ王国にある小さな村の娘として生きていた。

 当時十歳という幼さ──いや、今も幼いが──のとき、森で魔物に襲われている子供を助けたことが切っ掛けで今に至っているのだ。その子供の名前は、ヒューイ・ザグレア・バルバッソ。バルバッソ王国の第四王子だった。

 ヒューイを襲っていた魔物は、ベヘモスという硬い甲羅で覆われた亀で、そのときの個体は小さかったが、それでも相当強い魔物だ。それをたった十の子供、しかも女の子が魔法で退治したのだから、その噂が国王の耳に入らぬわけがなかった。

 そうして、国王はまだ幼いと反論する者たちを押切り、ジャンヌを騎士に任命したのだった。

 騎士には階級がある。最下位の第十階級から最上位の第一階級まであり、ジャンヌはその中の第四階級騎士なのだ。ジルは第五階級なのでそれより上のジャンヌを敬うのは当たり前だ。しかし別に敬語で話さなければならないという決まりはなかった。そういう上下関係に関して、バルバッソ王国では緩かった。まあ、ジルの場合、誰に対しても敬語だが。だから、先に述べた『ジャンヌの側付きだから』という理由は確実なものではない。

 さて、リューグー王国への侵入作戦に加わったジャンヌだが、ほとんどのことを理解していなかった。 

 何故、リューグー王国へ侵入しなければならないのか、まずそれがわからないのだ。


「いや! ジル来ないで!」


 ・・・・・・わからないからなんだというのだ。そもそも考えていないではないか。忘れているのだろうか。

 ジャンヌは走る。辺りにはテントが張っていて、その間をくねくねと通り抜ける。その後をジルは追いかける。


「おお! ジルがジャンヌちゃんをいじめてるぞ!」

「つかまんねぇかなぁ」

「拙者、ロリコンではないゆえ、ジル殿の考えはわからぬ」


 などなど、あっちこっちから声が聞こえる。

 戦場の最前線だということをわかっているのだろうか。──いや、わかっているのだ。戦場だからこそこうして騒ぎ立てている。なに、潜入するわけでなし、既に向こうはこちらのことを確認しているのだから騒ぎ立てたとしても問題はない。緊張感がない、そう考える人もいるだろう。しかしこれは、緊張を解しているのだ。身体が固まったままでは戦えやしない。別にジャンヌとジルが意図してやってるわけではない。ネタはどこらにでも転がっているだ。そのネタが今回は彼女たちだった。それだけのことだ。




◇◇◇




 ジャンヌとジルは、ここの最高指揮官である国内に十人しかいない第一階級騎士、ガヴェイン・ソルジャーノに呼び出された。

 彼に呼び出されると碌なことがない。ジルは溜息を吐いてとほとほと歩いていた。ジャンヌと言えば、ニコニコ笑顔で左隣を歩いている。彼女の右手はジルの左手に繋がれていて、こうしてみると兄妹にしか見えない。

 



 ガヴェインのテントには何故か、葉っぱが絡み付いていた。

 気にしては駄目だと言い聞かせて、ジルはテントの前に来ると、口を開い──


「ねぇ、ジル。なんで葉っぱが張り付いてるの?」


 言うんじゃえねぇ!! ジルはそう叫ぼうとしたが堪え、


「ジャンヌ様、気にしては駄目です」

「でもでも、昨日はバナナの皮だったよ?」


 ・・・・・・昨日はバナナの皮かよ!! ジルは溜息を吐いた。それも気にしては駄目ですと言い聞かせる。


「バナナのね、匂いがすごかった」


 それと思ったんだけど、と彼女は言う。


「男のアソコって、ぞうさんとも言うけど、わたしはバナナだと思うんだよね。ぞうさんだと長すぎだし。バナナは口入れることできるしね」


 バナナネタ、引っ張るなよ・・・・・・と思いつつ、行きますよ、と彼女に声をかけた。

 ・・・・・・というか、やばい。誰が下ネタなんて教えたんだ!?

 教育に悪いと彼は思った。


「失礼します」


 言って入る。

 中は普通。他のテントとほとんど変わらないようだ。

 その中の中央には玉座のような椅子があり、一人の男が座っていた。ガヴェインである。


「ジル・スウェンバー、ジャンヌ・ダルク両名、到着いたしました」


 右右手こぶしを左胸に当てる。少し前へ身体を傾けて戻す。これが騎士の挨拶だ。


「ご苦労。さて、二人とも」


 ガヴェインは二人を見る。

 彼の年齢は二十歳。それ相応の顔をしている。黒髪で左頬には一線の傷がある。身に付けている服は──


「すみません。少々よろしいでしょうか?」


 ジルの言葉になんだと聞く。


「何故・・・・・・ソルジャーノ様は、ふんどし一丁でいらっしゃるのでしょう?」


 そう、彼はふんどししか身に付けていなかった。


「ふっ──知っているか? レイレイ様はふんどしがお好きなのだ」


 レイレイ様とは、とある貴族のご令嬢でガヴェインの婚約者である。

 ジルは心の中で知るか! と叫んだが、冷静に言葉を発した。


「そ、そうなのですね・・・・・・」


 この会話であることを思い出した

 ・・・・・・第一階級騎士たちは皆、変人なんだよなぁ。


「それで、ご用件とは?」


 このままではふんどしの話になってしまうと悟ったのか、ジルは話を切り出した。

 うむ、とガヴェインは立ち上がった。びくっとジャンヌは身を震わせたが、ジルは予想していたのか無表情だ。・・・・・・ああ、いや、疲れが顔から読み取れる。若いのにね・・・・・・。


「実は、リューグー王国への侵入が難航していてな。お前らに手伝えと上からのお達しだ」


 上──この場合の上とは、国王ではなく、女王のことだ。

 よくわからないが、国王は女王に弱い。昔から女は強いと言うが、つまりはそれ。女王がそういう指示を出しても国王は言うなとは言えないのだ。

 ここだけの話、国王と女王はうまくいっていないようだ。とジルは兵士から聞いたが、多分本当なのだろうなと思った。女王の顔からして悪人っぽさがある。国王はまあ、優しそうな顔だ。だから、ジャンヌを騎士にしたのは女王ではないかという噂もある。


「いいよー」


 女王は絶対に何か企んでいる。今回のリューグー王国への侵入も女王が計画したのではないかと噂されている(皆、大きい声では言わないが)。

 そんなことは露知らず、ジャンヌは軽い返事で頷いた。

 それに対し、ジル、そしてガヴェインすら将来が心配だと溜息を吐くのだった。

 ・・・・・・最後までふんどし姿かよ。






 用件とはそれだけだったようで、明朝出陣しろというので、ジャンヌとジルは鈍った身体を動かすために手合わせをすることにした。

 

 ジャンヌとジル、どちらの方が強いのかというと、階級ではジャンヌだと思うだろうが事実は違う。ジルの方が強い。というのも、ジャンヌは魔法がメイン、ジルは剣がメインだからだ。

 普通、魔法の方が有利になる。一対一だとしてもジャンヌほどの力量ならば、剣のみで戦うジルを圧倒する。魔法を剣で斬る、動きが素早いのならば勝てなくはないが、魔法を斬る芸当ができる者は騎士の中に一人いるかいないかというくらいだ。

 魔法使いは基本、後衛にいる。それは何故かと言えば、魔法発動が遅いということだ。

 魔法は基本、呪文を必要とする。そのため、唱えている間に攻撃されかねないのだ。ジャンヌの場合、魔法力が非常に高いため呪文を必要としない。つまり、前衛でも立ち回ることができる。

 しかし、懐に入られれば、魔法を発動しにくくなる。自分がミスをすれば自分に魔法が当たるかもしれないからだ。剣が届く範囲に入られると、攻撃を受けてしまう。

 騎士と言うからには剣を持っていなければならないが、魔法という優れた力を持つ彼女は装備していない。間合いに入られたら剣で対抗することができないのだ。

 ならば、相手との距離を維持しつつ立ち回れば、問題ないのではないか。しかしそれは無理だ。

 ジルは一つだけ魔法を使える。それは、身体強化魔法【フィジカルブースト】。筋力を極限までに高めるため、素早い動きができ、力も強くなる。

 つまりジルは、筋力型の速度型なのだ。

 それがどういう影響を与えるかというと、魔法が当たらなくなるのだ。

 流石に剣で魔法を斬ることはできないが、避けることは容易。

 はじめに拘束魔法を使ってから攻撃する方法があるが、魔法発動したときには既にその場にいない。魔法をすぐに発動できればいいのだが、そこまで甘くない。

 そういうことから、ジャンヌよりジルの方が強いわけだ。魔法力はジャンヌが上なのにもかかわらず。


 手合わせは三十分で終え、汗を流しに仮設風呂へ向かった。

 ここには、女性も少なからず存在する。そのため、風呂は二つある。

 女性用の仮設風呂には感知結界が張ってあり、男が入ってくれば瞬時にばれ、迎撃される。まあ、流石に使い物にならないようにはしない。電撃で痺れさせるだけだ。

 ジャンヌはジルと別れると、早速服を脱ぎ出した。

 更衣室は誰もいなく、しーんと静かだ。

 服をすべて脱げば、そこには白いすべすべな素肌があった。穢れていない綺麗な身体。胸はまだ小さいものこれを見て興奮しない男などいないのではないだろうか。

 なにを思ったのか、ジャンヌは目線を下に向けた。その先にあるのは、自身の胸。


「・・・・・・まだ、成長途中だもん」


 彼女は十二歳。この歳で胸が大きい女の子は存在するのだろうか?

 タオルを身体に巻き付けると、風呂場のドアを開けた。すると、中からぶわっと煙と熱気が溢れ出てきた。

 仮設風呂だが、水道が通っている。そのため、シャワーも幾つか設置してあった。

 近くの椅子に座ると、シャワーを頭からぶっかけた。(『ぶっかけた』という表現よりも『被った』『浴びた』という表現の方が適切だが、こう見ていると、ぶっかけられているような図になってしまうのでもうここは『ぶっかけた』であっているのではないか?)

 置いてあるシャンプーを手に付け、頭を洗う。どのみち夜にまた入るのだからしっかりと洗う必要はないが、汗臭いのは嫌なので念入りに。

 頭を洗ったら次は身体を洗う番。

 巻いているタオルをとり、体を洗うタオルにボディーソープを付ける。まずは二の腕から、次は首を洗い、肩を洗う。前を洗って、脇を洗う。背中へいってお尻を洗い、足へ向かう。最後は女の子の秘部。


「・・・・・・あ、タオル落ちた」


 そこを洗ったところで何かあるわけではない。タオルで擦っていたらちょっと気持ちよくなってしまう──そんなことはなかった。

 洗い流すと、すぐさま湯船に浸かる。

 小さいながらも、お風呂としては機能する。家にある湯船三つ分の広さだが、彼女の大きさならもう一人確実に入るだろう。

 しかし、彼女はここに来て一度も誰かと入ったことがない。

 もともと女性の人数が少ない。騎士にはいなく、救護班に五人いるだけだ。お風呂は救護班用にもう一つあり、そちらを使っているため、騎士用のお風呂はジャンヌしか使っていないのだ。

 

 湯船にはタオルを浸けない。それは法律では決まっていないが、常識として皆に根付いている。従って、彼女はタオルを頭の上に置いていた。


「ん~、あたまがおもい」


 体に巻き付けることができる大きなタオルだから当たり前だ。そしてその上に体を洗うタオルまで置いておるのだから重くない方がおかしい。

 仕方なく、タオルを床に置く。棚があれば良かったのだが、仮設風呂に充実性を求めては駄目だ。


「♪♪♪♪~」


 鼻歌が空気を震わした。

 男性用のお風呂はテントだが、女性用は木で作られている。また、女性用にだけ結界がはってあるりそのため、安心感があるのだろう。彼女は覗かれることはないだろうと呑気に鼻歌を歌っている。




◇◇◇




「「「「ぐおおおおおおっ!!??」」」」


 びくびくんっ!! と男どもは電気によって痺れ、その場に崩れ落ちた。ぴくりぴくりと痙攣している。

 お風呂から出てきたジルはそれを見て


「結界が作動したようですね。良かった」


 男どもを何故か持っていた縄でまとめてぐるぐる巻きにして適当にそこらに投げておいた。


「ジャンヌ様・・・・・・結界があるからといって警戒しなくていいというわけではありませんよ・・・・・・」


 そう呟いて、歩き出した。


『♪♪♪♪♪~♪』


 鼻歌はまだ終わらない。




◇◇◇




 彼女は飛べなかった。

 そう、落ちただけ。

 地面には真っ赤な花が咲き、風には鉄のにおいを残した。

 ただ、それだけ。

 

 ──そう、それだけの話なのだ。




◇◇◇




 メイドリスはとある塔にいた。

 五十メートルはあるその塔には、名前がなかった。いや、わざわざ名前を付ける必要はない。何故ならば、もともとはあったのだから。


「・・・・・・エリシアの塔・・・・・・ですか」


 どこにもその名前は書かれていない。マップにもだ。しかし彼女にはわかった。彼女がそう言っているような気がしたから。

 塔の最上階の壁面には、一人の女性の絵が描かれていた。

 栗色の長い髪。細い身体、服は白のワンピースを着ていて清楚な感じがする。

 そして──彼女はどこか哀しい顔をしていた。

 背景は夕焼け色に染まっていて、彼女はどこかのバルコニーに立っていた。

 バルコニーはきちんと描かれていなかった。あたかもそこには存在しないかのように彼女のまわりだけ描かれていてあとは溶けていた。

 多分、この女性がエリシアなのだろう。

 塔に来た目的は、この絵を見るためだ。

 リューグー王国国王であるガルドスと対面してから二日経った昨日、ギルドを通してメイドリス宛にガルドスから手紙が来た。

 その内容は、暇ならばフルエラにある塔に行って見るのもいいだろう、と書かれていた。素敵な絵があるから是非見て来い。

 ここ最近、依頼ばかりやっていたので数日休もうかと考えていた彼女は、行きますかとすぐに決めた。

 フルエラは、オルガンの壁がある街だ。

 街全体が煉瓦なので『煉瓦の街』と言われている。

 フルエラでは、煉瓦を製造していて、リューグー王国で使われている煉瓦の大半はフルエラで作られている。

 また、陶器類も製造しており、煉瓦、陶器を作っている家が多い。

 さて、件の塔も煉瓦を積み上げて造られていて、しかし、白く塗り潰されているため煉瓦であるとは気付かない。

 事前に煉瓦の街であることを知っていたメイドリスだが、自身の目で見るのははじめてなため、少々驚いたようだ。

 そういえば、とメイドリスはインベントリから一枚の手紙を出した。国王からのものだ。

 手紙には、エリシアという女性がこの塔の天辺から背中の翼で飛んだ──と書かれていた。


「天辺・・・・・・この窓ではなく」


 言って、この部屋に一つしかない窓を見て、天井を見た。


「屋根から飛んだ?」


 屋根、というか平らになっていて屋上になっている。部屋には梯子があって、天井にある扉を開けばそこに辿り着けるらしい。

 メイドリスは早速、梯子に手と足を掛け、登り出した。扉は鉄でできているが、難なく開けることができた。

 ──ぶぉんっ!!!!

 強い風が吹いた。後ろに長く伸ばした髪がばさばさと靡く。服が身体に張り付き、横、後ろの布地もばさばさと靡いた。その風で目を閉じてしまった。

 風が止むと、メイドリスは目を開けた。すると、そこには煉瓦の街とたくさんの木々、お花畑や街外れにある農地、そして大地に聳え立つオルガンの壁。見ればこの景色は最高だ。煉瓦の街は下から見てもいいが、上からの眺めもまたいい。

 オルガンの壁はエリシアの塔よりも遥かに高く、壁の向こうは見えない。メイドリスは少し残念だと呟いた。

 しかしこの屋上は危ない。フェンスはないし、煉瓦が高く積み上がってるわけでもない。煉瓦が二十センチかそこら飛び出ているだけだ。

 そろそろ戻ろう。──そう彼女が思ったときだった。

 壁の一部が鉄が熱で赤くなったときの色に染まり──融けた。

 地面近くだったため、地面も溶けていた。


「──!? 何でしょうか。急に溶けて──?」


 と、ドーム状にどろどろに融けた壁の穴から、銀の鎧を纏った人間が出てきた。一人ではない。二列になってまだ出てくる。


「あれは・・・・・・兵士、ですか?」


 十人出たところで──白の胸当てと籠手、脛当を付け、腰に剣をぶら下げた背の高い若い男と、こちらも白の胸当てと籠手、脛当を付け、腰に剣をぶら下げた少女が出てきた。しかし少女の防具は男とは違い、赤く薔薇の模様が控えめに描かれていたり、腰鎧を付けていたり、腰鎧からスカートのように後ろは長く前は短い白の布があったりしていた。

 ・・・・・この国の者ではありませんね。自分の国の壁を壊して入ることなどするわけがないでしょう。ならば──バルバッソ王国の兵士。

 この壁を挟んだ先にはバルバッソ王国が存在する。隣接している距離は長いが、まさか自分がいる延長線上に敵がいたとは彼女は微塵も思っていなかった。

 ──しかし、あの少女──見た目小、中学生にしか見えませんが。あの方も戦われるのでしょうか。

 いや、彼女にはわかっていた。彼女も戦闘に参加することを。しなければ、わざわざここに来るわけがないし、剣をぶら下げているわけがない。ご信用と言うのであれば可能性はなくはないが、見たところオーダーメイド品だ。その線はない。

 さて、どうするか。

 まさか今日ここまで攻めてくるとは誰も思うまい。今知らせに行ったとしても、対応できるのはフルエラにいる兵士だけだ。王都に知らせようとしても知らせるのに相当時間がかかるし、増援がくるのにも相当時間がかかる。通信機器はないし、魔法で【コール】という魔法があるが、高等呪文なので使えるやつは滅多にいない。

 ならば、どうするか。

 決まっている。

 メイドはメイドらしく──


「──お掃除、致します」


 メイドリスの服装がメイド服へと変わった。




◇◇◇




 すんなりと侵入できた。【ファイヤーボール】の熱で壁をぶち破るのではなく、その熱で壁を融かすという案はジルが出したものだ。やはりジルは頭がいい。ジャンヌはそう思い、ジルを見上げる。

 ・・・・・・大きいなぁ。

 見上げていると首が痛くなってしまう。彼女が小さいということもあるがジルはもともと背が高い。百八十はあるであろう身体は、筋肉で固くなっている。

 なんというか、ジルの側にいるとドキドキが止まらないなとジャンヌは思った。今までに感じたことのない、不思議な感覚。以前、体調が悪いのかと思い、医者に見てもらったが、これは病気などではなく恋ではないかと言われた。

 ──恋。

 つまり、ジャンヌはジルのことが好きだ、ということだ。

 まあ、彼女には自覚がないらしいが。まわりから言われればそれが恋なのだろうと納得してしまう。恋なのだと考えるとジルを見る度に意識してしまう。目を合わせられない。

 ・・・・・・・どうしたらいいのか、わからないよー。

 だが、とジャンヌは切り替える。ここは戦場。私事で足を引っ張ることをしてはダメだ。特にジルの邪魔だけは。


「──ま・・・・・・さま、──ジャンヌ様!」

「ひゃ、ひゃい!?」


 突然呼ぶ声にびっくりする。


「びっくりしたぁ」

「何度も呼んだのですがね、何故か返事をなさらない・・・・・・」


 突然じゃなかったんだね、と自分が考え込んでいたせいかと反省した。


「それで、何かあったの?」

「はい。あちらの塔の上に人影のようなものが見えたと兵士が言っておりまして。見られている可能性があります」

「派手に壁を壊すのはやめたけど、近くに人がいれば見つかりもするよね・・・・・・」

「はい、だから、警戒してください。今みたいにぼーっとしないで」

 わかってる、と頬を膨らませて言った。

「ジル、結界を張って様子を見よ」


 なるほど、そうしましょう。言って彼は兵士たちに止まるよう命令した。


「〝我が主よ。窮地に立たされた我らに彼らを認知するための壁をお与えください──〟」


 結界魔法【見えざる策壁】。

 唱えると──何も起こらない。いや、既に起こり終えている。結界は透明なため、人の目には映らない。

 結界の範囲は半径百メートル。この結界に触れると術者であるジャンヌに伝わる、という仕組みになっている。つまりは、探知魔法のようなものだということだ。

 何故、探知魔法ではなく結界にしたのか。探知魔法は、常に魔力を消費しなければならないのに対し、結界は完成すれば魔力は消費しないからだ。(強度を上げたり精度を上げたりするのであれば、魔力は必要。)

 だが、この結界には、一つ、欠点があった。


「──ぐあああああああああああああっっっっっ!!!!????」


 突如、ジャンヌから見て前方、つまりは兵士から悲鳴──いや、

 それは、既に人ならざるものに成り果てていた。

 生き物ですらなかった。

 

 悪臭。


 悪臭の海。


「狙撃か!?」


 ジルが叫ぶ。

 いいや、あれは狙撃ではない。狙撃しただけでは、あのような無惨な姿になるわけがない。

 

 先頭にいた一人の兵士が何者かの攻撃を受けて、その命を絶った。

 残りの兵士たちは恐怖を覚え──なかった。

 一応は平常心を保っていた。

 伊達に兵士などやっていない。

 すぐさま警戒体制に入る。

 対して、ジャンヌは


「・・・・・・あ、うぇ、───ひゃぅ・・・・・・」


 怯えていた。

 脅えていた。

 おびえつくしていた。

 無理もない。

 ジルもジャンヌ同様、十代だが、ジルとは違い、ジャンヌは、精神がまだ完全に成熟していない。未成熟のままだ。

 人殺し。

 それを間近で見た彼女の反応は、ごく当たり前のものだ。

 ジルは失念していた。彼女は、人殺しをするのも見るのも初めてだったということを。

 今までは、戦争には参加せず、魔物の討伐ばかりをやっていた彼女には、無理もないことだ。

 まだまだ子ども。

 こんなところに子どもがいることがおかしいのだ。


「ジャンヌ様! 目を閉じて!」


 それしか言えなかった。

 防御魔法を展開してほしいと言うべきだったか? 敵の位置を探ってほしいと言うべきだったか? 攻撃魔法を撃ってほしいと言うべきだったか? いやいや、それは無理だ。言ったところでそれが行われることはない、起きることはない。ならば。

 ならば、目を閉じ、何もせず、じっとしていればいい。

 ジャンヌが剣を抜く必要など、どこにもないのだから。




◇◇◇




 突然、真ん中の床の一部が開き、中から何かがせり上がってきた。

 メイドリスは、侵入者の排除に向かいたかったが、何かが出てきたので調べずにはいられなかった。

 そこにあるのならば、調べるのは容易い。

 そこにないのならば、調べるのは困難。

 出てきたのは──石像。

 幼女。

 幼い女と書いて幼女。

 まんま幼女。

 まごうことなき幼女だった。

 幼女が石像と化している。

 いや、石像が幼女と化している、と言うべきか。

 腰まである髪の毛は、本物であるかのようで、いや、すべてが本物であるかのようだった。

 服装はゴスロリ。似合いまくっている。

 左手には日傘を持っている。

 色こそないものの、それはもう、生きていると言っていいのかもしれない。

 数秒間、メイドリスは思考停止した。生命すら停止したかもしれない。まあともかく、彼女は、ゴスロリ幼女という今までで一番出会いたかったものに出会えたのだ。

 ゴスロリは幼女が着るべきものである。

 二十歳の女が着たのを見たところで、『かわいい~!』とはならない。あり得ない。

 というか、現実でそうそうかわいい女など存在しない。ぶっ細工な女がゴスロリ着たのを見たら、気持ち悪くなって吐いてしまうだろう。

 ゴスロリは、二次元だけでいい。彼女はそう思っていたが、いやはや、これはなかなかどうして。素敵なゴスロリ幼女に出会えた。

 まあ、ここはVR世界だし、幼女は石像だ。そこが残念だ、と思った。


「さて、これは、どうすればよいのでしょうか」


 石像が出てきた。だから何なのだろう。そもそも、何故石像が出てきたのか。何故出てきたのが今なのか。

 試しに触ってみることにしよう。

 彼女は手を伸ばす──膨らみかけの胸に。


 ──ふにょん。


 柔らかかった。

 貧乳だが、固いわけではなく、ほどよい柔らかさ。

 まな板ではなかった。

 頬擦りしてもごりごりせず、ふにょん。と柔らかく──


「──って、柔らかい!?」


 本物の胸だった。

 本物のおっぱいだった。

 本物のオパーイだった。

 もうなんだが、オパーイという感じだった。


「おっぱいおっぱいって連呼しないでよ、メイドのお姉ちゃん」


 ──と、

 さも同然と、その声は言う。


「きみが僕の胸に、つまりはおっぱいに触ったから、封印が解けかかっているんだ」


 何故言い直したのかはこの際、スルーするとして、胸を触ったからって封印が解けるものなのか?

 そういうものなんだよ、と幼女は言った。


「もうちょっと待ってて。少なくともあと一分は」


 そうすれば、封印は完全に解けるから、と。

 メイドリスは困惑しつつも、わかったと頷き、侵入者の監視をし始めた。

 監視しつつ、彼女は心の中で叫んだ。


「(僕っ娘だああああああああああああああ!!)」




◇◇◇




 私は、僕っ娘が好きだ。

 最近、と言っても、ここ一週間はログインしっぱなしなのでつまりはメイドとしてまだ働いているときだ。そのときにちょうどお嬢様と見ていたアニメに僕っ娘キャラが出てきて、ハマった。そのキャラは緑とオレンジのキャラだったけれど──つまり、黒好きの私はあまり好きではない色だった──色がなんだとばかりに私はそのキャラに、僕っ娘にハマった。

 簡単に言うと、一目惚れだ。それが一目惚れかはひとまず置いといて。

 とにかく、僕っ娘にハマった私だけれど、僕っ娘は意外に少なかった。いや、意外でもないか。予想はしていたし、また、現実にもあまり、滅多にいないだろうとは思っていた。

 僕っ娘キャラは、幼女に限る。

 ハマるきっかけになった緑とオレンジのキャラは、幼女だった。

 幼女=僕っ娘

 僕っ娘=幼女

 私の頭は、それでいっぱいだった。溢れんばかりの幼女と僕っ娘が金色に輝く聖杯に注がれているイメージだ。イメージというかもう、そうなっていた。

 そんな感じのまま、私はこのゲームをはじめたけれど、いやはやまさか、これはどうして。

 ──私の背後に幼女がいた。

 厳密に言うと、石像化している幼女が、だ。

 どうやら今は、その石像化を解除しているらしい。私が胸に触ったから──などと言っていた気がするけれど、そんなことはどうでもよくて、もう喜びに満ち溢れていた。

 満ちに満ちていた。

 満ちすぎて道にすらなっていた。

 変態ではないよ? そう、別に変態というわけではない。勘違いしないでもらいたい!

 いやまあ、変人ではあると思うけれど。


「──終わったよ、メイドのお姉ちゃん」


 声が聞こえた。

 聞き間違いでなければ、今、彼女は終わったと言った。つまりは──石像出はなくなったということだ。

 ということは。

 ということは、だ。

 ──完全なる幼女を、ゴスロリ僕っ娘幼女を拝めるということだ。

 私はおもいっきり振り向くのではなく、ゆっくりと、ゆっくりと振り向いた──そこにいたのは。あったのは。


 ──白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白


 白だった。

 白かった。

 すべてが白だった。

 何の色にも染まっていない白。


「何を驚いているんだい、メイドのお姉ちゃん」


 目の前の幼女は、無表情のままそう言った。




◇◇◇




「えっと・・・・・・」


 予想外だった、とメイドリスは思った。

 何故ならば、目の前の幼女が、黒ではなく白だったからだ。

 黒に染まるが故の白。

 黒に染まらないが故の白。

 肌は流石に真っ白ではなかったが、陽の光で焼けていない肌も白かった。

 髪の毛、眉毛、睫毛、彼女の体にある毛はすべてが白く。

 目も白い。

 そして──ゴスロリすら白かった。

 すべてが白。

 白で埋め尽くされていた。

 白尽くされていた。

 

 暫しの無言が流れるが、幼女が口を開いたことによってその無言の時間が解けた。


「さて、メイドのお姉ちゃん。完全なる僕を見た感想は?」


 感想は? と聞かれても・・・・・・とメイドリスは思った。何をどう答えればいいのかわからなかった。

 ただひとつ、言うとするなら


「──神?」


 神。

 言い換えて、女神。


「なに、その答え」


 まあ、いいけれど。幼女は言った。


「えっと、少し説明してほしいのですが」

「うん、まあ、そのつもりだよ」


 どこから話したものかと幼女は答え、話始めた。


「じゃあ、僕の名前からだね。

 僕の名前は──」


 ──エリシア。エリシア・■■■■■■■


 彼女は、無表情のままそう言った。


 

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