第7話 信用と大げんか


「つ、司! おはよう!」


 慌てて北斗から離れた私は、司に声をかける。呼ばれたことに気付いた司は、少し離れたところから不機嫌そうな顔をしてこちらへと歩いてきた。


「おはよう」

「……おはよ」

「き、木からね! 落ちそうになったところを助けてもらっちゃった!」

「……そう」


 聞かれてもないのに、気まずい空気に耐えかねて私はつい言い訳のようなことを口にしてしまう。そんな私から視線を逸らすと、司は北斗へと向き直った。


「で、お前は何やってんの?」

「……だから、こいつを助けて――」

「そうじゃなくて、何でこんなところに来てるんだ? ここは仕事をする人間か、この村の人間が来るところだ」


 司の言葉が、やけにとげとげしく感じる。

 どうしたんだろう、普段はこんな言い方をするような人じゃないのに……。


「司……?」

「はっ。そんなに大事なら、こいつの首に縄でもつけて繋いでいたらどうだ?」

「何を……!」


 北斗の言葉に、司は声を荒げる。

 私は慌てて二人の間に割って入ると、司の腕を掴み「あのね!」と声を上げた。


「大貫さんのところに行くようにっておじいちゃんに言われたんだって」

「……大貫さんの? なんでだよ。昨日も来てたのに」

「それは……」


 説明をしようとした私の言葉を遮ると、北斗が続きを口にする。


「昼間に暇してるぐらいなら大貫さんに紹介してもらって、村の困ってる人を助けてこいって言われたんだよ」

「……へぇ」


 そんな北斗の態度が面白くなかったのか、司は眉をひそめて笑った。


「まあそうだよな、真っ昼間にどこの誰かも分かんないやつに家にいられちゃ安心して外にも出れないもんな。それよりはみんなの手伝いしてこいって言って外に出した方が安心だもんな」

「そんな……」


 そんなことを、思ってるわけじゃない。

 そう言おうとした私の言葉は、司によってかき消された。


「不審者のことを村中で見張ってるだけだよ。何されるかわかったもんじゃないからな」


「司!」


 司の腕を振り払うと、きっと睨み付けるようにして名前を呼んだ。

 言っていいことと、悪いことがある。 これじゃあまるで、北斗が何か悪いことでもするみたいじゃない。


「北斗は、そんな人じゃないよ!」

「何で分かるんだよ。知り合ったばっかりの、こんな記憶喪失なんてウソかホントかわかんないようなこと言うやつのこと」


「わかるよ!」


「明莉……?」


 私の言葉に、北斗は驚いたように目を丸くする。

 でも、私は怒っていた。悲しんでいた。情けなかった。

 大切な幼馴染が、こんなことを言うことが。司に――こんなふうに、怒りを伝えなきゃいけないことが。


「朝も、さっきも、私が危ないときに北斗は怒ってくれた。人のことを想って怒れる人に、悪い人なんていないよ」

「…………」

「だから、私は北斗がそんな人じゃないって、信じる」


 ジッと、司を見つめる。

 どれぐらいの時間そうしていただろう。

 ふいっと司が目を逸らした。

 そして――。


「勝手にしろ」


 そう言って、役場の中へと繋がるドアの向こうへと消えて行った。

 私は、司の姿が見えなくなると思わず大きな息を吐き出して、その場にしゃがみ込んだ。そんな私の隣で北斗がポツリと呟いた。


「……悪かったな」

「え?」

「俺のせいで、喧嘩させちまって」


 申し訳なさそうに頭を下げる北斗に、私はへラッと笑う。そんなこと北斗が気にすることはない。それに、私と司は幼なじみだ。だから。


「大丈夫だよ。……これぐらいの喧嘩、すぐに仲直りできるから」

「そうなのか?」

「何年、司と幼馴染やってると思ってるの? ずっと一緒にいたから、これぐらいで壊れる私たちじゃないよ」


 子どもの頃から、しょうもない喧嘩から、取っ組み合いの喧嘩までいろんな喧嘩をしてきた。大人になってからだって口げんかなんてしょっちゅうだし、どちらかが怒ってもう知らない! なんて言うことも何度かあった。それでも、そのたびに仲直りをするのだ。当たり前のように。それが幼なじみというものであり、私と司の関係だ。

 そう言った私の言葉に、北斗は寂しそうに笑った。


「いいな、そういう相手がいるって」


 記憶を失う前の北斗にも、そういう相手がいたんだろうか。

 喧嘩して、それでも傍にいる、私にとっての司のような人が。


「…………」


 胸の奥が、チリッとした気がした。

 でも、そんな気持ち悪さを抑え込むと、私は北斗の腕を取った。


「いこっか」

「え?」

「大貫さんのこところ」

「……おう」


 いつか私が、北斗のそんな相手になれたらいいのに。

 そうしたら、北斗も寂しくなくなるんじゃないかな。


 伝えられなかった気持ちを飲み込むと、私は勢いよくドアを開けた。


 北斗をどこに連れて行けばいいのだろう。入り口の前でどうすればいいか考えていた矢先、北斗はニコニコと歩く大貫さんに手招きされそのままどこかへ連れられて行ってしまった。

 どこに行くのだろう……。思わず北斗の行方を視線で追っていると、視界の端っこに司が見えた。

 ……目が、合った。


「っ……」


 確かに目があったはずなのに、司は私から顔をそむけると、立ち上がって部署を出て行ってしまう。


「はぁ……」


 思わずため息をつく。

 さっきの司の言葉が態度が、私を心配してくれてのことだということはよくわかっていた。

 でも……。司の心配してくれる気持ちは嬉しいけれど、あんなふうに北斗を傷付けることを言うのは絶対ダメだ。

 ただでさえ、記憶喪失で不安なところに、あんな追い打ちをかけるようなこと……。


「え……?」


 もう一度ため息を突こうとした瞬間――私の頭の上に、何かが置かれた。

 突然の出来事に慌てて上を見ようとするけれど、頭の上に置かれたそれを押し付ける力で、顔を上に向けることができない。


「っ……な、なに? 誰がこんな……」

「……やる」

「……ありがと」


 頭上からは司の声が聞こえる。

 顔を合わせることなく、頭に置かれたものを手に取る。

 そこには、いちごミルクがあった。

 どうやら……さっき席を外したのは、これを買いに行ったからだったようだ。


「……さっきは悪かったな」

「それは、私じゃなくて北斗に言ってあげてよね」

「気が向いたらな」


 昔から、喧嘩をした後はいつもこうだ。

 いったいいつまで司の中での私は小さな子供なのだろう。

 ……いちごミルクなんて、もう司と喧嘩した時ぐらいしか飲まないのに。


「あれ、さ」

「え?」

「大貫さんの持ってたやつ。あれ、ご意見箱の中身だよ」

「あー……それじゃあ北斗大変だ」

「だな。まあ……慣れるまで当分しんどいだろうから、色々教えてやれよ」


 そう言うと、司は自分の席へと戻って行った。

 ――ホント、素直じゃないんだから。


 立ち去る司の後姿を見送りながら、私は甘ったるいいちごミルクを口に含んだ。

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