死神の病(過去編)

1. 冥界の死神少年

 しとしとと降る梅雨の雨のひんやりとした湿気が通夜会場に流れ込む。雨の匂いと焼香の匂いの中、おごそかに読経が流れていた。

 祭壇の少女の遺影に参列客の席からひそひそと『自殺』という単語が聞こえてくる。その度に家族席で父親らしき男は顔を歪め、母親らしき女はひたすら涙し、妹らしき少女は呆然と座っていた。

 遺影と同じセーラー服姿の少女が三人、会場から出てくる。

「……この後、どうする?」

「カラオケでも行く?」

 とても通夜に参列したとは思えない、軽い声を交わしながら傘を差し、灯りの滲む街へと向かう。

「あ~あ、これからテストとかどうしよ」

「また、似た子を見つければいいじゃん」

 そんな彼女達の後ろ姿を見つめながら、唇を噛む幽体となった遺影の少女の隣には黒い僧衣姿の狸型獣人の少年が立っていた。

「私ってなんだったのだろう……」


『あ、これもやっといて』

『ちゃんと自分でやらないといけないのじゃないのか?』

『いいじゃん、どうせバレないし。法稔ほうねんがやらないなら、ボクもやらない。困るのはアイツらだしね』

『……解った。私がやる……』

 

 少女の言葉に遠くに追いやったはずの過去がキリキリとよみがえる。

「私の人生なんだったんだろう……」

 泣き出した少女の肩にそっと少年は毛先から滴のしたたり落ちる手を置いた。

久美子くみこさん、これは本当はいけないことなのですが、私がおさに頼んで、しばらく貴女が現世こちらに留まれるようにして貰います。だから、今更かもしれませんが私にやりたかったことを言って下さい」

 少年は顔を濡した少女に精一杯、微笑んでみせた。

「私がお手伝いしますから、久美子さんが満足してから一緒に冥界に逝きましょう」



 お盆初日。ジーワジーワと、元気な声で鳴いている蝉の声を聞きながら、派遣されて五年、班ごと居候している皐月さつき家の木戸をシオンは潜った。

「今日も来ているんだ……」

 生来の姿、巨大ザリガニに戻り、庭木の向こうから漂ってくる若々しい安息の闇の力に足を向ける。

 ようやく涼しげな風が吹くようになった夕暮れの薄闇が漂う地面には青い光の魔法陣が浮かび上がっている。その中央には茶色の毛に覆われた丸い体躯の狸型獣人の少年が数珠を巻き付けた手で印を組んで立っていた。

 魔法陣の光がゆっくりと端から薄れ、少年の足下へと集っていく。少年が小さく気合いを発すると、光が上へと立ち昇り、彼の持つ数珠へと吸い込まれる。

「見事」

 縁側から、魔王軍特別部隊破壊活動防止班、ハーモン班の後方支援担当術士である玄庵げんあんの賞賛の声を上がった。

「その若さで、ここまで力を制御出来るとは、さすがは冥界の法術師じゃの」

「いえ、玄庵様の御教示のおかげです」

 術を納めた少年は頭を下げて礼を述べた後、庭木の向こうから伺っていたシオンに黒い目を向けた。

「おかえりなさい」

「ポン太、今日も来てたんだ」

「はい。昼から時間が空きましたので、玄庵様に稽古をつけて頂いてました」

 魔王の『破壊認定』の下ってない世界を『破壊』しようとする身勝手な魔族を取り締まる破防班と違い、少年が務める各界の死者の魂を冥界に運ぶ死神は常に多忙だ。それなのに、彼は時間が出来ると玄庵や前衛補助担当術士のエルゼに教えを請いに皐月家にやって来る。

「ところで、シオンくん、私の名前は法稔なのですが……」

 生真面目に訂正する法稔にシオンはへらりと笑った。

「良いじゃん、ポン太で。似合っているよ。ボクも『シオン』って呼び捨てで良いから」

「はあ……」

 困惑したように眉をひそめる。

 ……全然、会話になんないなぁ……。

 ほぼ同じ頃に新人として、この世界に派遣され、歳も同じくらい。折角だから仲良くなろうと、いろいろとアプローチしているにも関わらず、彼はシオンにまったく打ち解けようとしない。頑なな少年にシオンは背を向けると、小さく肩をすくめて玄関に向かった。


 

遥香はるかさん、アッシュさん、何か手伝うことある?」

 一端、自分の部屋に入って、買ってきたものを置き、ポケベルだけをハーフパンツのポケットに突っ込んだ後、シオンは台所に顔を出した。

 今日も朝から女友達の誘いに飛ぶように出掛けた後輩に、この家の家主である遥香と一緒に夕食の準備をしていた副長のアッシュが

「たまには班長の訓練も受けないと、また捕まえられて強制的に受けさせられるぞ」

 注意しながら冷蔵庫から麦茶をコップに注いで出す。

「じゃあ、ちょっと頼むよ」

「はい」

 シオンは食器類の置かれたテーブルの椅子に座り、置かれた麦茶を一口飲んで大きく息をついた。

「アッシュさん、アッシュさんは冥界人に何人も知り合いがいるんでしょ。冥界人って皆、あんな感じなの?」

「法稔くんのこと? 確かに冥界人は『要の三界』の中でも、穏やかで規律正しい気質の人が多いけど……」

 創造神と呼ばれる大神は各界を造った後、『要の三界』、天界、魔界、冥界に『創造』、『破壊』、『再生』の他の世界を支える役目を負わせた。そしてその代償として『邪悪を打ち消す光』、『全てを破壊する力』、『優しい時間』をそれぞれに与えたのだ。大神からの『優しい時間』のお陰で冥界には天災と呼ばれるものが無く、政情も大小の事件はあっても国同士の争いも無く安定している。そのせいで冥界人は傲りやすい天界人や、力に酔いやすい魔族に比べて、落ち着いた精神を持つ者が多かった。

「でも、あそこまで真面目で礼儀正しい子は珍しいと思うよ」

 刻みネギに生姜にゴマ、それにゴマ油と醤油と酢を入れた、タレのボールをシオンに渡しながら、アッシュが苦笑いを浮かべる。

 アッシュの生家、ブランデル公爵家は冥界と直接交流がある。そこで出会った冥界人達に比べても法稔の真面目さは群を抜いていた。

「……だよね。でも、もう少し打ち解けてくれても良いと思うんだけど……なんとなく、避けられている気がするんだ」

 ボールの中身をスプーンで混ぜながらシオンが首を捻る。破防班のメンバーを徹底的に無視する遥香の大学一年生の息子ほどではないが、やんわりと距離を置かれているように感じる。

「ボク、何か気に触ることしたっけ?」

「オレも思いつかないけど……冥界人も人、聖人君主じゃないから、ただ単にシオンが苦手なタイプなのかもしれないな」

 シオンのポケットから電子音が鳴る。ボールを置いて、ポケベルを取り出す。今日遊んだ女の子のメッセージを読む。

「……まあ、友達はたくさんいるから良いけどね……」

 明るく人懐っこい性格のおかげで、子供の頃から学校でも、新兵時代も、アルベルトに拾われてグランフォード家の居城で暮らしていたときも、シオンは友達を欠かしたことはなかった。今も人型をとると可愛い少年になれるのもあって、主に女の子を中心にたくさんの遊び友達がいる。

 ……でも。

 長い第二触角をハサミでしごく。

 ……この姿で遠慮しないで、この世界の子には話せない話が出来る友達が欲しいんだよね……。

 自分があだ名で呼ぶ度にちょっと困った顔をするくらいしか反応しない冥界の少年に小さく息をついたとき

「シオン、いる?」

 のれんを潜って、エルゼが柔らかな風の気と共に入ってきた。

「なあに? 姐さん」

「おたまがね、法稔くんのことでシオンに頼みたいことがあるっていうの」

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