鬼は身のうち

鬼は身のうち・前

 カタン……。背後で小さな音がして少女は振り返った。真っ暗な室内は所々青白い月の光で照らされ、破れた障子や変色し剥がれ掛けた壁が浮かんでいる。

 もう少し、もう少しだから……。

 彼女がいる女子グループの子が、この家に置いていたノートを握り締める。数日前、一緒に図書館で勉強して、帰ったら無くなっていたものだ。部屋中、半泣きになって探していたが、やっぱり盗られていた。宿題の答えの上に、彼女に対する罵詈雑言が書かれた状態で。

 彼女は、この女子グループの中でイジメを受けている。でも、グループを追い出されたら一人ぼっちになってしまう。クラスの女子グループは、どこもきっちりメンバーが決まっていて、中に割り込むことは気弱な彼女には出来ない。だから、嫌々ながらも付き合うしかないのだ。

 そして彼女は今夜も、幽霊が出るというので有名な空き家に、自分のノートを取りに行かされた。

『私達がここで待っていてあげるんだからさ』

 盗人猛々しく、あざ笑っていた彼女達の顔を思い返し唇を噛む。前方に光が見えた。歪んだ玄関のドアの隙間から差し込む月の光。少女はほっと息をついた。無事に帰れた。壊れ掛けたドアのノブを掴み押し開く。だが、開かない。代わりに何かが、ずずっと地面をこする音がする。精一杯力を入れてドアを押すと下の隙間から、何か石のようなものが月明かりに見えた。

 誰かがドアの前に重石を置いたんだ!!

 背筋にどっと冷や汗が流れる。きっと彼女達に違いない。楽しげな、けたたましい笑い声が脳裏にこだまする。

 どうしよう!!

 涙が目の縁に浮かんでくる。ばくばくと心臓が鳴り、頭がくらくらしてくる。

 どうしよう! どうしよう! どうしよう!

 そのとき、空気が変わった。はっきりとは言いつらいが何かが完全に変わった。ほとんど換気のされていない空き家の滞った夏の熱気に、ひんやりとした水気が混じる。黴と埃の匂いにもう一つ生臭い匂いが加わった。

 オオォォォォン……。何かの叫びが家の奥から聞こえた。ズルリズルリ……。床をするように這い寄ってくる音が近づいてくる。

「いやぁ!!」

 思わず少女は叫んだ。

「助けてぇ!!」

 必死にドアの隙間の向こうに叫ぶ。両手でドアを叩く。だが、誰もやって来ない。隙間から遠くに見える深夜の住宅街の道路には人一人いない。

 オオォォォン……。ズルリズルリ……。音はどんどん近くなってくる。少女は全身をドアに預け、背中でドアを押した。が、よほど沢山の重石が置かれているのか、ドアはほんの少しずつしか開かない。

 少女の目の前、廊下の向こうのダイニングキッチンと思われる部屋から、動く何かが出てくる。

「助けてぇぇ!!」

 少女が叫ぶ。その声はやがて消え、白々とした月の光の中、空き家はしんと静まり返った。

 

 

 夏の昼下がりのファミレス。穏やかな曲が流れる店内は夏休みの子供で溢れていた。揚げたての山盛りポテトに、ドリンクバーでも頼めば、ワンコインで涼しい店内に飲み放題で何時間でも居られる。首都圏のベッドタウンである、山根市の住宅街近くのファミレスは子供達の格好のたまり場だった。

 客単価が低いうえに、うるさい客に店員がうんざりしてる中、シオンこと、魔界の兵士、魔王軍特別部隊破壊活動防止班のハーモン班の捜査官であるシオン・ウォルトンは、先日片付いた『破壊』事件の被害者が日常生活に戻れたかを調べる追跡調査を終えて、遅いランチを食べていた。ミックスフライ付きのハンバーグセット。更にそれだけでは足らず、ピザにウィンナーとポテトの盛り合わせ、デザートにフレッシュメロンのパフェも頼んで片っ端から平らげていた。

「相変わらず、よく食べるね~」

 向かいの席に、こちらはドリンクバーだけ頼んだ高校生の女の子が座って、呆れた声を上げる。

「そっかな~。でも、うちにはもう一人、このくらい食べる人がいるから」

 班長のモウンである。シオンはパフェを食べ終わり、ドリンクバーからホットのカフェラテを持ってくると、改めて少女に訊いた。

「で、香奈芽かなめちゃん、ボクに用って何?」

 彼女は山岸やまぎし 香奈芽。この辺りでは、ちょっと顔の知れた少女である。人付き合いが良くて、今時珍しい世話好きな子で、山根市と隣の関山市の女子高校生からよく頼りにされていた。

「う~ん、ほら、シオンって妙に顔が広いじゃない? それで……」

 確かにお調子者で、サラサラの茶髪に大きな瞳の可愛い系の男の子として、この辺りではアイドル並みに人気のあるシオンはいろいろと顔が広い。そのせいで、それを頼りにした少年少女に相談を受けることもよくあった。まあ、大概は恋愛相談……この子が気になるんだけど知ってる? のような、たわいもない相談なのだが。

「それで、何?」

 今回もそうだと踏んだシオンは、のんびりとカフェラテを口に含んだ。

「それがね……」

 香奈芽は真剣な目でシオンを見た。

 おっ、香奈芽ちゃんも、とうとう好きな子が出来たのかな?

 そう考えつつ、彼女の次の言葉を待つ。

 香奈芽はかなりためらった後、思い切ったようにシオンに言った。

「シオン、シオンの知り合いに御祓いの出来る神主さんとかいない?」

 むぐっ!! いきなりの質問にカフェラテが、あさっての方向に流れ込む。シオンは思いっきりむせ返った。


 

「だっ、大丈夫? シオン」

 むせるシオンに香奈芽が、テーブルの脇の紙ナプキンを差し出してくれる。

「……う……うん……大丈夫……」

 げほげほと気管に入ったカフェラテに咳をしながら、シオンはそれを受け取り口に当てた。

「……ごめん、あんまり予想外だったから」

 水を飲んで、大きく息をつく。

「そうだよね~。いくらシオンでも御祓いが出来る人に知り合いはいないよね~」

 香奈芽が申し訳なさそうに謝った。

「いや、いるよ」

「へ?」

 彼女がポカンとシオンを見る。

「ポン太っていう、ボクの友達。お寺の息子で、祓い師の修行をしているんだ」

 これは嘘ではない。ポン太……もとい、この世界担当の冥界の死神、狸型獣人、法稔ほうねんの一族、茶狸ちゃり族は、冥界の神である安息を司どる闇の神を祭る寺に務めていることが多い。法稔もまたそういった寺の出身で、彼の場合、強い法力を持っていたので、死神養成の学校に進学し死神になったのだと聞いていた。

 冥界の死神は魂を冥界に運ぶだけでなく、死神の手から逃げ、邪霊と化した魂の回収も行う。浄化、破邪もお手の物だ。

「でも、どうして? あいつ結構忙しいから、ちゃんとした理由が無いと呼べないよ」

 香奈芽は好奇心でそんなことをする子ではないと知っているが、一応、釘を刺しておく。

 香奈芽は、はあ……と息をつくと暗い顔で話し出した。

「実はね、私の幼なじみが、今、イジメにあってるんだ」



「……で、五年前、イジメにあっていた女の子がイジメっ子に一晩、この家に閉じ込められて死んじゃったんだって!」

 夜十時、そろそろ早い家では家人が眠りにつく頃、けたたましい声が古い空き家の前で響く。周囲のバブル期に不規則に建てられた住宅のせいで、風の通り道のほとんど無い蒸し暑い住宅街から少し離れた一角に、その家はあった。住んでいた住人が泥棒に皆殺しにされたとか、事業を失敗して一家心中したとか、おどろおどろしい噂のあるコンクリート造りの家。崩れ掛けたブロック塀に傾いたドアと割れた窓、周囲には蔦やススキが生い茂り、草むらからは虫の声が路地へと流れ出ていた。

「……うるさいよ。近所迷惑になるから静かにしなよ」

 シオンが不機嫌な顔で少女達に注意する。この辺りの中高校生のアイドル『紫苑様』に会えると着飾ってきた三人の少女達が黙り込む。

「言うね~」

 隣に大人しそうな少女を連れた香奈芽が笑った。

「そりゃあ、ボクは女の子に不自由していないから」

 選び放題だから、イジメをするような子は眼中に無いよ。言外にそう匂わせる。実際そうであるし、シオンはそのチャラい言動と童顔で、人間に換算した歳、十七歳より更に一つも二つも幼く見えるが、実のところは魔族として二百年以上生きている。人を見る目は並みの大人以上にあるつもりだ。

 それにしても自分もイジメをしているくせに、イジメで死んだ子の話をするなんて、どういう神経しているんだろう?

 香奈芽の横の少女に目を向ける。彼女は村田むらた真里まり。香奈芽の幼なじみで中学、高校と別れてしまったが、母親同士が友人で、会う回数は少なくなったものの、ずっと仲良くしている女の子なんだという。

 ショートカットの髪に細いピンクの縁の眼鏡を掛けた、いかにも気の弱そうな子。彼女はさっきから騒いでいる三人の少女達と同じクラスで同じグループにいて、そのグループのイジラれキャラ、使い走りのようなことをしていると聞いた。

 そして、彼女達のイジリ……完全にイジメなのだが……で、今夜一人でこの空き家で肝試しをさせられそうになっていたのを、香奈芽が聞きつけ、空き家の悪い噂からシオンに相談し、今日こうして彼女達の肝試しに割り込んできた。

「ねえ、シオン。さっきのあの子達の話、本当?」

「それをポン太が調べて来るって言ってた」

 ただ……杞憂だったかとは思う。空き家からは何も悪い気配はしない。微かに水気は感じるが、ただ古くて不気味なだけで、何も無さそうだ。

 ポン太に無駄足踏ませちゃったかなぁ……。

 悪かったな。と思いながら、ここで待ち合わせる約束をしている彼を待つ。LEDライトの街灯が白い光を落とす狭い路地の向こうから黒い影と共に安息の闇の気配が流れてきた。

「ポン太」

「法稔だ」

 むっとした声と共に丸い顔、丸い体躯の地味な少年が現れる。途端にシオンの友達だと聞いて、格好良い男の子を期待していた三人の少女が露骨にがっかりした声を上げる。思わず睨むと「いや、馴れている」法稔はシオンを制して空き家の前に立った。

「調べてきましたが、五年前にイジメられていた少女が死んだのは本当です」

「ええっ!?」

 シオンに香奈芽に真里、三人の少女まで驚く。どうやら、彼女達も単なる噂だと思っていたらしい。

「本当に?」

「はい。五年前、イジメっ子に連れられて、少女がこの家で無理矢理、肝試しをさせられました。そのとき、イジメっ子達が彼女を家に閉じ込めてしまったのです」

「一晩、閉じ込められたっていうのは本当だったんだ……」

「一晩……で済めば、助かっていたのかもしれないけどな」

 法稔が数珠を出すと手に掛ける。

「家族が朝、少女がいないことに気付いて、当然のことですが大騒ぎして警察に届け探し回りました。それに怖くなってしまったのでしょう。イジメっ子達は彼女の居場所を黙っていたらしいのです。向こうの住宅街の住人に、彼女がイジメっ子に連れられて、この家に向かったところや、昼間、イジメっ子達がドアの重石にブロックや煉瓦や石を空き家の近くに集めていたところが目撃されていて、それを聞いた家族がこの家に入ると、ドアのところに彼女が倒れていました」

 その後、病院に運ばれたが熱中症による脱水症状がひどく、少女はまもなく死亡した。法稔がジャラリと数珠を鳴らし、空き家に向かい小さく鎮魂の経文を唱える。

「当然、イジメっ子達は捕まり、その後、イジメグループは全員、家族共々どこかに引っ越したのか行方知れずになりました。それでも、肝試しをするのですか?」

 法稔が三人の少女に訊く。

「とっ! 当然でしょ!!」

 どうやら言い出したら聞かない、自分が一度決めたことをやめることを『負け』と感じるタイプらしい、リーダーらしき少女が喚く。

「今は特に怪しい気配はしませんが、そういう曰く付きの家です。私も同行しましょう」

 法稔が、話を聞いて不安そうにしている香奈芽と真里を見て頷いた。

「で、真里ちゃんはどうすればいいの?」

 シオンがリーダーの女の子に訊く。

「……お……奥の部屋に真里の数学の問題集があるから、それを取ってきて!」

 リーダーの子が金切り声で命令する。

「それを取って来たら、真里をもうイジメないって約束してくれる?」

 香奈芽がリーダーを睨む。

「あ、あんたには関係ないでしょ!!」

 叫び返すリーダーにシオンは顔を顰めた。

『これは、お仕置きが必要だな』

『それなら私も手伝う。だが、今はこの家が先だ』

 シオンの心語に、法稔が心語で答える。

『何かあるの?』

『実は五年前、少女の事件前までは、この家は正真正銘のお化け屋敷だった』

 家は、この辺りにあった小さな沼を埋め立てて建てたもので、人が住んでいたときから怪異の絶えない家だったらしい。

『方角的にも『呼び易い』んだ。それに……』

『沼の水気が邪霊を呼ぶんだね』

 淀んだ水は陰気を呼び易い。

『方角と淀んだ水気が呼んだモノが集まって、陰気を吸って、邪霊の集合体みたいな塊が出来ていた』

 法稔と、彼の先輩死神である猫型獣人の女性、猫又族の術使い、おたまが破防班に相談して祓おうかと考えていたところ……。

『少女の事件以降、その邪霊の塊が消えてしまったんだ』

『え!?』

 思わず目を見張る。

『どこかにいった気配は無いのに、綺麗に邪気が消えてしまった』

 法稔が空き家の目を向け、顎でしゃくった。

『お玉姐さんがこの話を聞いて、私に真里さんを連れて、シオンと共に家に入れと言ってきた』

『……なんで?』

『私にも解らない。でも、お玉姐さんは『五年ぶりに救えるかもしれない』と言っていた』

『五年ぶりに救える……?』

 誰を? 再度訊くシオンに法稔が静かに首を振る。

「どうしたの!! 怖じ気付いたの!!」

 なかなか動かない二人に、リーダーの女の子が叫ぶ。

「行きましょう」

 法稔が促す。彼が先に立ち、その後に香奈芽と真里。そしてしんがりにシオンがつく。四人はブロック塀の間から入り、草むらを掻き分けて、傾いだドアを開けた。

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