第6話

 黄瀬さんは穏やかに今回の殺人事件の経緯を語った。

 母さんと宗一郎さんの死因に不信を覚えていたこと、日記を見つけて確信を覚えたこと。


「私が、殺さねばならないと思ったのです。お世話になったかたでしたので」


 そう、覚悟を決めたのだとあっさり黄瀬さんは言った。何の迷いもない言い方には殺人の悲壮さが全くなかった。

 どこか嘘のように、だけど生々しい方法で不可解な殺人事件を語るその姿は確かに犯人だった。だが、どこか腑に落ちなかった。


「悟様を拉致したのは、単純に犯行の隙を作りたかったからです。それに私のほかにこの館に詳しいものは彼でしたから。乱暴な手段になってしまったことは、本当に申し訳ないです」


 そう言って俺に頭を下げる黄瀬さんは、心からの謝罪の一方、どこかその目に安堵を感じた。殺人犯にしては穏やかなその目に、俺はある想像をしてしまい戦慄した。

 犯人を手にかけたのは俺のためではないか? 家族ではなかったが、ここ数年黄瀬さんとはほぼ毎日一緒にいた。

 黄瀬さんは俺たちの本当の関係を察せられる立場にいた。だから、どれだけ俺がただの愛人の連れ子だと主張しても、悟様と丁寧に扱った。

 事件の前には繰り返し練習をしたし、下準備をしていた。細心の注意は払っていたが、もし彼がそれに気が付いたら。仮面の下に隠した復讐心に気が付いたら。そんなことはと思う一方で、もしそうだとしたらこの世で一番恐ろしいことのようにすら感じられた。


「……お許しください、五月さんが五鈴を名乗れなかったのは私のせいなのです。私が本家の方々を諫めていられたら――もう全てが遅い話ですが」

「黄瀬さん」


 あなたは知っていたんですか、俺の計画を。だから、俺の代わりに手をかけたんですか。何と聞けばいいのか分からなくて、言葉に詰まった。言いようのない罪悪感があった。

 黄瀬さんは子供をなだめるような笑顔を浮かべ、首を振った。


「悟様、さぞ不安に思われたでしょう。申し訳ありません、貴方には何の非もないのです。私がそうしたかったのです、本当に申し訳ありません」


 そんな謝罪が聞きたかったわけではない、だが何といえばいいのかわからず俺が黙っていると、黄瀬さんは穏やかな顔で俺から目線を外した。


「ですから、これで最後です」


 そう言って黄瀬さんは殺意のかけらもない温かい笑顔で、刃物を取り出した。不自然でありながら、それをみじんも感じさせない一瞬の出来事だった。

 黄瀬さんが老体とは思えないほどの早さで宗司へと突進していく。呆気にとられるもの、理解して悲鳴を上げるもの、制止をしようとするもの、尻餅をつき怖じ気づくもの、一瞬で場が騒然と化した。


 俺はスローモーションを見ているように彼を見ていた。ありったけの覚悟で最後の刃を突き立てようとする彼と、恐怖に震える憎い相手が見えた。

 頭の中が真っ白になった。何を感じているのか自分でもわからないまま、俺はその光景を見ていた。

 と、黄瀬さんの体が不自然に傾いた。見れば誰かがその腕をつかんでおり、それでバランスが取れなかったらしい。黄瀬さんはしりもちをつき、茫然とした目が俺へとむけられた。

 腕をつかんでいたのは俺だった。


「……もういいんです」


 何故か、涙が止まらなかった。何が悲しいのかわからない、それでも胸が裂けるような痛みだった。


「何をしたって、二人は帰ってこない。だから、もう良いんです。黄瀬さんがしなくていい」


 驚いた顔のせいか黄瀬さんは普段よりもずっと小さく見えた。燕尾服を脱げばどこにでもいるお爺さんで、家族ではなかったけどそばにいた人だった。


「もう、やめてください」


 そこから先は言葉にならなかった。泣き崩れた俺には何ももう目に入らなかった。

 この悲しさは何なのだろう、やるせなさや行き場のない虚しさはあの二人の死と向き合ったときに似ている。

 ただ、彼がその手で人を殺したことが、それが辛かった。彼が追い詰められていたこと、一人で抱え込んでいたこと、俺が追い込んでしまったかもしれないこと――こんな終わり方ほど、辛いものはないと思った。


「そこまでです」


 いつの間にか傍にいた近藤さんが刃物を取り上げていた。


「道の復旧が終わったそうです、あと数時間で警察も到着します。あなたの復讐はここまでです」


 黄瀬さんは近藤さんを見て、和泉をみて静かに頷いた。

 彼の眼には憎しみの嵐も後悔の渦もなく、穏やかな海のようにただただ静かだった。



 こうして後に「緑玉館殺人事件」と言われた事件は、一人の探偵によって解き明かされた。

 多くの死と憎しみ、そして悲しみに彩られた物語は幕を下ろしたのである。


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