第2話

「さて」


 二人が部屋に入って三分後、俺は素早く納戸に向かった。

 今から15分以内に明日用の殺人トラップを仕込みに行かなければならない。昨晩確認した通り、これが作動すれば自然と奴を殺せるはずだ。


「……ざまぁみろ」


「はい、トリック準備ご苦労様でーす!」

「うおっ!?」


 背後には気を付けていたはずだった。しかし、突然の耳元で砂糖を煮詰めたような甘い声に、衝撃のあまり奇声を発してしまう。

 慌てて振り向けば艶やかな微笑を浮かべた近藤さん。だが、その毒を含んだ表情は先程までの無垢な子犬のような印象とは全く異なっていた。


「あ、こ、近藤さん」


 極限に慌てたからか非常にどもってしまう。我ながら物凄く怪しいが、勢いで誤魔化しきるしかない。


「やぁ、えーと、その近藤さん! こんな所で、その荷解きはいいの? 部屋に虫でもいた?」


 笑顔に自信がないが、あたりさわりのないことは言えたはずだ、多分。冷や汗が止まらない俺に対して、近藤さんは変わらない笑顔で切り捨てた。


「あー、そういうのは良いです。私はご相談に来ただけなので」

「ご相談」


 直感が言っている、このご相談ほど不吉なワードはないと。警戒をあらわにする俺に対して、近藤さんは悪魔のようにほほ笑んだ。


「率直に言って、私と手を組んで社会的にコロッとしません?」

「コロッ?」

「はーい、詳しくはこちらです」


 こちらの疑問を気にもせず、恐ろしい笑顔のままA4のレポート用紙30枚ほどの束を押し付けてくる。受け取るのに勿論ためらったが、その表紙の言葉に目を奪われる。

 『五鈴宗一郎及び葉山五月殺害関係者レポート及び社会的抹殺計画』、このタイトルは一体どういうことなのか。


「……な」

「憎いですよね、遺産の取り分が減ることを理由に毒殺未遂で強制植物状態からの殺害、お母様は事故に見せかけての感電死で殺害! 分かりますよぉ、憎くて憎くて憎くて、殺してやりたいですよね」

「なんで、それを」


 それは自分しか知らない、証拠も全てあいつらが金でもみ消した事実のはずだった。それを何故全くの部外者が当然のように知っているのか。

 この時の自分の顔は幽霊か悪魔を見るような顔をしていたに違いない、だが近藤さんは変わらぬ微笑みでそれを一蹴した。


「そりゃあ、最強ワトソン系ヒロインの真白ですから。この程度は片手間です。ダーリンの悲しむ顔をなくすため、友人犯人フラグはへし折らないと」

「……ダーリン?」

「はい、ダーリンは天使だから、行く先々で悲しい事に巻き込まれる運命にあるんですよね」


 ダーリンとは桜庭和泉のことだろうか。どこか陶酔したように語るその姿ははっきり言ってヤバい、関わり合いになりたくない。半分くらい何を言っているのか分からないが、下手に突っ込むと命が危ない予感すらした。

 そんな様々な恐怖で半冷凍されている俺に対して、近藤さんは全く意に介さず得意げに言い放った。


「再開はフラグの一つ! 久々のご友人はコロッとされるか、スケープゴートにされるか、犯人の三択! ダーリンは天才だから事件はずばっと解決しますけど、ほら死んだ人は蘇りませんし? 犯人は逮捕ですし? ダーリンのやるせない顔とか、私許せません!」


 あまりの内容に頭が付いていかない俺に対して、ですからと自信満々に近藤さんが続けた。


「だから私と手を組みましょう! 私、ダーリンが笑顔でハッピー、あなた、生き地獄に落とせてハッピー! 何より貴方が手を下さなくとも、あとは勝手に自滅しますので」


 高みの見物で嘲笑いましょう、と近藤さんは良い笑顔で言い切った。なんかもう色々ひどい、常識や倫理が色々と破綻しているやばい人間にしか見えなかった。

 あまりの展開に俺が絶句していると、近藤さんが不思議そうに首を傾げた。


「あれぇ? ご納得いただけません?」


 死ぬほど怖かった。口元の薄ら笑いと、ガラス玉のような瞳が明らかに彼女の狂気を物語っていた。だが、ここで黙り込むのは嫌な予感しかせず、とりあえず口を動かした。


「い、いや、その色々言われすぎて」

「あー、そうですね。ごめんなさい、ダーリンの愛ゆえに先走っちゃって」


 えへ、と恥ずかしそうに笑っているが、内容は全く可愛らしいものではない。だが、とりあえず狂気の矛先からは逃れられたと俺は胸をなでおろした。


「いいですよ、一晩お待ちします。それを読んでじっくりお考えを。あ、でも勝手にコロッとしたり、ダーリンに告げ口したら全力で敵に回るので」

「……はい」


 生きた心地がしなかった。人生で一番の関わりたくない人間に会った気がする。あれほどあった殺意すら、目の前の恐怖に行き場をなくして惑っている。

 俺はどうすればいいんだろう、とりあえず手にしていた即席感電死用トラップを棚に戻した時だった。


「いやぁぁぁ!」 


 女の絶叫が聞こえた。尋常じゃない叫び声は本館から聞こえ、思わず身が固まった。ひしひしと嫌な予感を感じる俺に対して、近藤さんは平然としていた。


「あ、始まりましたね」

「始まったって」

「言ったでしょ? 勝手に数は減るって。ダーリンという天使がいる以上、貴方が手を下さなくとも事件は起こります」


 どこか得意げに言う近藤さんだが、正直それは天使じゃないと思う。が、それを指摘する度胸なんてあるわけがなかった。


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