無神論

音澤 煙管

アナタハ、カミデスカ?





表題の通り、この世界には神など居ない……この世界にはということになる。

神頼みとか、神へ手を合わせ願い事を祈る。でも叶わない時に神は居ないと実感する。神は人には見えないが、祈らせるきっかけが欲しいから、物理的に像として祀っていると思うし、居ないから願いも届かないし叶わないのは当然だろう。

ある老人は、

"願いが叶わないのは日頃のお前の行いが悪いからだ!"と言う。


見えないもの、存在しないものの信仰へ文句は言わないがこれは、この老人の思考感覚だろう。


人がこの世に生まれてきた以上、行いは悪いに決まっている。

一つの理由は、自然界の食物連鎖を無視し、人だけのために無駄があり不自然だ。もう一つは、人の利益のために無理矢理にも人以外の動物を殺生していること。

後者は仏教界で一番の罪とされているが、この国では普段の生活の一部になっている事が現実だ。この国の民の大半は仏教崇拝だ、それを知ってか知らずか現在でも崇拝に反して止めようとはしない。この国の少数派である十字を切って掌を組み天を仰ぐ宗派もまた然り。勝手に造った生誕祭には、鳥を生贄にして食らっているほどだ。


これでも、老人が言う"行いが悪いから"は、理由にはならない。

元々が人の創り上げた神など居ないからだと思うし、人は生まれながらにして罪だということだろう。

今、これを書いてる筆者も、これを読んでいる人もこの世界だから言っているだけだ。この世界以外ではわからない、本当に神が実在している世界があるのかもしれない。その神同士たちが剣や盾を持ち闘っている世界が在るかもしれないし、悪魔もいるならば退治しているのかもしれない。

また、神がある村で一揆を起こしてるのかもしれないし、神社会で不満だらけの神たちがデモやストを起こしているのかもしれない。

仮想するとキリが無いが、これはあくまでも人間界の現実世界にいる筆者が妄想して言っていることだ。もしかしたら、妄想では無いかもしれないが立証出来ないし、観せて説明することもできない。

なので、人は妄想で神を創り上げ人間界の現実社会へ送り込んだ、そうすれば生まれながらに罪が多い人を操れるし総括も可能という道具に過ぎないのだ。


この物理的でしかない現実世界では不可能な事ばかりだろう。だから、在りもしない神の存在を祀り上げ、少しでも人の思う神に近づこうとしている道具になるのだ。こうして我々人という罪多き動物はこの世に君臨している存在なだけなのだ。


詳細が解明されて居ない古代人も、神を何かに置き換え崇め生活して居たに違いない。古代文明とは、神の創造期間だったのかもしれない。壁画の絵文字にもそれが現れている、そうあって欲しい現在が描かれている。現実そのままを描いてる絵文字もある。理想と現実の世界は古代も今現在も何ら変わらない世界だということだろう。

古代文明とはいうものの、現在使われている文字も言葉も無い時代にどうやって意思伝達して居たのかも謎だ。

解明されて居ないだけで、この文明も現在と同じように言語を用いて生活していたとも言える。

現在と変わりなければ、古代文明にも神は存在しなかったに違いない。

存在するのは、国を総括する国王だけだろう。


よって、人がこの世に生まれてからの神は人の創り上げたものとなる。

人が居なかった以前の世界は、自然界そのものだけだったのだろう。

その自然界を造ったのは神だと信じる者もいる。では神はどこへ行ったのか?元々は神は居なかった論へた辿り着く。現在では、人は自然に反して人工的な暮らしをしている、ましてやその自然界を壊している。中には、筆者と同じように自然界を論説し人の力で守ろうとする者も居るが極少数だろう。


神が居ない代わりに、人が神になれば良いのだ。現在の人間界ではほぼ、悪魔しか居ないだろう。殺生しなければひとは生きられないから。

人は、神にもなれるし悪魔にもなれる。夜空の星の並びを神話の正座に例えた時代の様に、また人が神になる、神にならなければならない時代に直面しているのかもしれない……。



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