第12話

 戦争が始まったと聞いてから、数カ月が過ぎた。未だに私のところに、コトリからの連絡は何も来ていない。彼女のいない生活にはまだ慣れないもので、随分と頼り切ってしまっていたのだなと改めて思い知った。コトリがここに帰ってくるまでには、ある程度できるようにしておかないときっと笑われてしまうだろう。この家に帰ってくるのかわからないが。そんなことを考えながら私は、一人分に減った朝食を作る。


「コトリ…… 元気でやっているだろうか……」


 朝食を食べ終えて食器を片付けながら、ぼんやりと考えるのはいつも同じ事。彼女の健康と無事。そんなことばかりだった。だが、私のそんな平穏な日常も長くは続かなかった。


「エリックさん! いますか、エリックさん!」


 静かな家の中に響いた声と、乱暴に扉を叩く音。慌てたように叫ぶ声を聞きながら扉を開けると、前にコトリを迎えに来たジャックが息を切らしながら立っていた。そのただならぬ様子に私は、緩んでいた気持ちを引き締めた。


「エリックさん、逃げてください! この街ももうすぐ、争いに巻き込まれてしまいます。だからどうか、争いの火が来ていない今のうちに!」

「いや、私はこの家からは出ない。悪いが君だけでも逃げてくれ」

「だけれど!」


 彼はコトリを連れていった後に、私が住んでいるいるこの家と私を守ってくれていた。同じ屋根の下で共に過ごすことは無かったが、彼はいつも近くで私のこと様子を見ており、何かあれば守ってくれていた。主人であるコトリとの約束を守るために。


「さあ、早く君は逃げるといい。私は大丈夫だ」

「エリックさん……」

「早くしないと、ここも直に火の海になって逃げられなくなるぞ」

「……わかりました」


 私は途中で振り返りながらも去っていく彼の後ろ姿を見送った後、家の中へと入っていった。この家には秘密がある。それは、地下の深いところに存在する巨大な魔力の塊。多くの水晶が人の手によって集められ、それが魔力の貯水槽のようになっている。そしてこの貯水槽は、この家の地下にある物以外で五か所あり、街を囲むような位置に配置されている。だが、どの貯水槽も普通には見つけられないように隠されており、手掛かりも何もない状態では辿り着くことはできない。辿り着けたとしても、最後のスイッチを起動させるのが難しいだろう。そこまでやってやっと、この街を守る巨大な結界が起動する。


「上手くいくといいんだが……」


 呟きながら地下への隠し階段を降りていく。この結界のことは国王と、それを守る人物しか知らないものであり、昔は各貯水槽の近くにその人物はいたのだが皆年老いていき、遂に守る人物は私しかいなくなってしまった。今の国王もこのことを知っているかどうかは怪しいところである。


「私も歳を取ったものだな」


 かつて、同じ使命を背負っていた者達の顔を思い出しながら階段を降りきり、洞窟のような開けた空間の真ん中に沢山の水晶が昔と変わらない姿でそこにあった。この巨大な結界を作る計画に携わっていた時は、まさか本当に使う日が来るとは思ってもいなかった。


「始めるか……」


 水晶に近づき、動力源を起動させるための詠唱を始めた。詠唱に応えるように水晶が光を放ち、地面に魔法陣の紋様が浮かび上がってきた。紋様はきれいな円を描き、その中に詠唱を構成する文章が書かれていき魔法陣が完成した。


「まずは一カ所」


 魔術の成功を喜んでいる暇はなく、他の貯水槽の場所を家から持ってきた地図を広げ確認した。古い地図なので街並みなどはだいぶ変わってしまっていると思うが、水晶の位置は変わっていないだろう。もし変わってしまっていたら結界が発動しなくなってしまう。そうなってしまえば、隣国であるフリュイ国を巻き込んだ大戦になってしまう。それだけはどうしても避けたかった。


 地図で次に向かうべき場所を確認し、長旅に備えて家の中へと一旦戻り準備をしはじめた。今から出発したとしても、おおよそ五日間程になるだろうか。そこまで時間が残っているとも限らないので、途中で馬車などに乗るのも考えておこう。そんなことを考えながら、着替えや野宿になってしまった時のための道具等を大きなリュックに詰め込み、それを背負い玄関の鍵をかけた。


 家から街へ向かう途中、普段は鳥や動物達の声で賑やかな森が今日は静かだった。恐らく彼らはここにも危険が迫っているというのを感じ、どこか別のところへと逃げたのだろう。動物達にはそういうことを察知できる力がある。そうでなければ生き残ることは難しいからだろう。


「先を急ごう。何もかも手遅れになってしまう前に」


 焦る気持ちに比例するように、歩幅は広くなり次第に駆け足になっていた。街へと出たら北東へと向かい、隣のノル地区に入り貯水槽を探さなければならない。幸いなことに私が住んでいるのはウエスト地区の中でもノル地区に近いところのため、次の場所まではそこまで遠くないのだが三か所目の場所へ辿り着く前に日が暮れてしまうため、今日はノル地区で宿を探そうと考えている。


 だが、街に着く前に自分に見た目を変える魔法をかけておこう。今は人目が無いから大丈夫だが、こんな森に住んでいる人がいるのが知られてしまうと、魔女ではないのかと疑われてしまい処されてしまうだろう。そうなってしまっては、コトリとの約束も守れない。


「これで大丈夫だろう」


 見た目を誤魔化す魔法をかけてから街へと入り、いつものように賑わう通りを歩いてノル地区へと進んでいく。目指すのはノル地区の最北端。ここルーヴルの海の玄関口とも言われている場所にある隠された洞窟だ。洞窟自体が数百年前のもののため、探すのに時間がかかってしまいそうだが、その上に目印の灯台があった覚えがあるので、それさえまだあればすぐに見つかるだろう。


 様々なことを考えながら一時間ほど歩いた頃、潮香を感じ辺りを見回してみると建物もウエスト地区とは違ったものが見えはじめていた。ウエスト地区は木造での建物が多く、色も木の色を使ったものが多い。だがノル地区は材料こそわからないが、白い建物が建っていた。それは街の中心に行けば行くほど増えていき。辺り一面は白い壁の建物ばかりになった。ここに着くまではそこまで遠くはないかったが、それでも思っていたよりも遅くなってしまった。


「まずは宿が空いているか探すか……」


 港からそこまで離れていない場所を歩きながら周囲を見回し、今夜の宿を探す。日が少し傾きはじめており、早めに済まさないと暗くなってしまい危険だ。だが、行動を起こすなら人目の少ない夜がいいだろう。さて、どうしたものか。


 考え事をしながら歩いていると、視界の端に宿らしき名前が書かれた看板が見えた。もしやと思いながら扉を開けて中に入ると「いらっしゃい」と女店主が声をかけてきた。


「お客さん、随分大きな荷物だね。旅人かい?」


 私の姿が珍しいのか、女店主はそう聞いてきた。


「そうです。今、泊るところを探してまして」

「そういうことなら、うちに泊まるといいさ。何泊するんだい?」

「今夜だけで。明日の朝には発たないといけないので」

「なんだい、そんなに急いで。大事な用事でもあるのかい?」

「はい、とても大事な用事が」


 彼女は大げさに笑ってから、この宿の料金を教えてくれ鍵を渡してくれた。


「どんな用事なのか深く聞くつもりは無いけど、無理だけはするんじゃないよ。あと、夕食は出してないから外で済ませておくれ。この裏手の道に食べるところがたくさん並んでいるから、何にするか迷うと思うよ」

「ありがとうございます」

「風呂は部屋にあるからそれを使ってちょうだい。他に何か困ったことがあったら、私に聞くんだよ」

「はい、そうします。荷物置いてから少し散歩してきますね」

「そうしておいで。この街は色々とあるから楽しんできな」


 女店主にお礼を言ってから部屋へ向かうために別れ、大きな荷物だけを置いて部屋の鍵をかけ宿の外へと向かう。目的はもちろん魔力の貯水槽。その場所を今日中に探し出し、起動させることができればいいのだが。


「店主さん、少し出かけてきますね」

「あいよ、いってらっしゃい。戻ってきたら声をかけてちょうだい」

「わかりました。いってきます」


 女店主に声をかけてから宿を出て、海沿いの方へと歩いていく。北の方へと進みながら、どこか高台のような場所がないか探していた。昔来た時は高台に灯台を建て、その下に隠すように水晶の塊を運んだのだが、今でもその目印である灯台があるのかが心配だった。


 不安を抱えながら進んでいると、目の前に灯台が見えてきてひとまずは安心した。だが問題は、その下に目的の物があるかどうかだ。普段は魔術で隠してあるとはいえ、あれは純粋な魔力の塊。運悪く見つかってしまえば、確実に利用されてしまうだろう。


「とにかく、あることを願うか……」


 灯台の下まで来た私は手で側面に触れながらぐるりと周りを歩いていき、崖側の方角で足を止めた。私が軽く魔力を放出すると、それに反応するように魔法陣が浮かび上がり、解除の術を唱えて魔法を解き、灯台の中へと入った。


 何度も修復された痕がある外側とは違い、灯台の中は建てられた当時からあまり変わっていなかった。壁は色褪せて所々木材の色が見えている部分があったが、しっかりと組んで作られているおかげか崩れているところは見られなかった。


「ここは昔のままだな……」


 過去の情景を思い浮かべながら、私は中央に開いた地下への階段を降りた。

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