第二章 共に過ごした二つの刻

第11話

 数年の月日が流れて幼かったコトリはもう十五歳となり、出会った頃よりも随分と大きくなっていて、今では私と同じくらいの背丈になるくらいに時が過ぎていた。身体だけではなく中身の方も大きく成長しており、年齢の割にはかなりしっかりしている方ではないだろうかと私は思っている。


「おはようございます、師匠」

「おはよう、コトリ」

「今日の朝御飯はベーコンとスクランブルエッグで、スープはクラムチャウダーですよ」

「お、肌寒い日も増えてきたから、温かいものは丁度いいな」

「そうですね、だいぶ涼しくなってきましたね」


 そんな会話を交わしながら二人で朝食を準備をして、向かい合うようにそれぞれの席に着く。いただきますと手を合わせてから、私達は食べ始めた。


「そういえば、街で噂になってましたが魔女裁判がまた始まるそうですよ」

「魔女裁判、か……」

「始まったら師匠も危ないですよね…… この際、街を出た方がまだ安全なのではないでしょうか?」

「それなら、君も危ないだろう?」

「それもそうですね……」


 魔女裁判。通称魔女狩りとも言われるが、その実態は異端者を魔女と称して罰するものだ。何も罪の無い者達をただ他と違うという理由だけで、処刑台へと上らせてしまうのだからそういう人間は愚かだと思う。人間という理由よりも「自分達と同じだということが正常」という考えが愚かだ。


「ごちそうさまでした」

「あぁ、ごちそうさま。美味しかったよ」

「師匠、この後お出掛けになりますか?」

「いや、今日は書斎で魔導書の解読をしようと思っているが、どうかしたか?」

「支度をしてから、街へと買い物をしようと考えていたのですよ」

「そうか。悪いけど、気を付けて行くんだよ。なんせ、そんなことが起きる街だ」

「はい、わかりました。気を付けますね。それじゃあ、片付けも終わりましたし行ってきますね」

「いってらっしゃい、コトリ」


 出掛ける彼女の後ろ姿を見送りながら、ふと一つのことが頭に過った。それは、コトリとはもう会えなくなってしまうのではないのかというものだった。出掛けていくコトリを見送ったばかりだというのに、私はそんな予感を抱いていた。昔に見た夢が本当になってしまう。彼女の泣き顔が頭から離れなかったあの夢のように。そんな不安を抱えながら私は、奥の書斎へと入り故友から頼まれた魔導書の解読を始めた。


 コトリが出掛けてからどれくらい時間が経ったのだろう。ふと窓の外を見ると、明るかった空は暗くなっていて、あれから随分と時間が過ぎたのだということがわかった。だが、彼女はいまだに家に帰ってきていない。


「買い物にしては、あまりに遅すぎるな……」


 書斎から移動して弟子の帰りを今か今かと待っていると、突然玄関の扉が勢いよく開き驚いて顔を上げると、顔まで赤に染まったコトリが息を切らしながら立っていた。


「何があったんだ!」

「し、しょ……」


 言い終わる前に彼女は意識を手放したようで、ふらりと倒れはじめた。床に倒れる前に彼女を抱きとめ、魔法を使って玄関に鍵をかけてから彼女を部屋へと運んだ。顔や腕に付いた汚れを丁寧に拭き取り、傷が出来てないかを確かめてから血で汚れた服を新しい服に替え、コトリをベッドにそっと寝かせた。静かに寝ている間に魔術で雨雲を作り出し、彼女が家に着くまでに付いたであろう痕跡を洗い流そうと考えた。そうすれば、もしも追手がいたとしても途切れた手掛かりからはこの場所は探せないだろう。


「それにしても、一体何があったんだ……」


 こうなってしまった要因を一人で考えても、明確な答えなんて出ないだろう。何よりコトリ本人がまだ起きてこないのだから、勝手に答えを出すのは良くない。私は彼ベッドの側にある椅子に座って、寝ている彼女の小さな手を握る。「どうか無事に目を覚ましてくれ」と、願いを込めながら。


 ゆさゆさと揺すられてる気がして顔を上げると、コトリが目を覚ましていた。どうやら私はいつの間にか寝てしまったようで、暗かった空の色はもう明るくなっていた。


「おはよう。起きたか、コトリ」

「おはようございます、師匠」

「気分はどうだ?」

「まだ、あまり良くないです……」

「そうか…… もうしばらく休むといい」

「はい…… ありがとうございます」


 もう一度横になったコトリの頭をそっと撫で、休息の邪魔にならないように部屋から出て下の階へと降りる。目が覚めてくれたのはよかったが、何故あのようなことになったのかを私から聞くのは憚られる。


「さて、どうするか」


 とりあえず、また起きてきた時のために、食べやすいものでも準備しておこうか。そういえば昨日、コトリが作ったクラムチャウダーがまだ残っていたはずだ。それを温めなおして、小さくちぎったパンを入れれば幾分かは食べやすいだろう。あとは、汚れた服の洗濯をしないとだ。水に浸けてはおいたが血液はなるべく早く落とさないと、赤い色が残ったままになってしまう。私は彼女の上着がある浴室へと向かい、洗面器を取り出してゴシゴシと手洗いを始めた。


 浸けておいたにも関わらず服に付いた汚れは酷く、綺麗に落とすのにしばらく苦戦していたら、起きてきたコトリが私の様子を見に来ていた。


「あの…… いつもありがとうございます、師匠」

「いいんだよ。むしろ、今ではもう、こういうことくらいしか私にはできないからな…… 体力も衰え、身体も随分と言うことを聞かなくなってしまったしな」

「そんなお歳には見えないのですが」

「はっはは。君達人間の年齢で言ったら、かなりお爺さんだぞ。爺さんというより死んでいてもおかしくないな、私の歳は」

「そうかもしれませんが……」

「君が気にすることはないさ、コトリ」


 手に付いた石鹸の泡を流してからぽふぽふと彼女の頭を撫で、洗濯が終わった服の水気を切り、陽当たりの良い裏庭へと干しに行く。屋根と森の木に繋がったロープがこの家では物干し竿代わりになっており、そこに綺麗な紺色に戻った上着をかけ洗濯ばさみで飛ばないように留める。あとは太陽と風が乾かしてくれるのを待つだけになり、私は家の中に入ってソファーに座っているコトリの隣に腰かけた。


「もう動いても平気なのか?」

「はい、もう大丈夫です。ありがとうございました」

「そうか」

「昨日は、心配かけてごめんなさい」

「一体どうした?」


 一度言い辛そうな顔をしてから、コトリはゆっくりと口を開いた。彼女が話した内容はこうだった。魔女狩りが復活して「森の中にいる魔女の首を取れば懸賞金を渡す」という噂が街の中で立っているようで、それを聞いた彼女が真偽を確かめに行ったところ「お前もあいつの仲間か」と疑われ、魔女狩りをしているの人々に襲われたとのこと。そしてそのまま乱闘になってしまった。多数の大人を相手にしたため、怪我をしたりさせたりしてしまったものの、どうにか気絶させて終わらせたそうだ。乱闘が終わった後、周りには多くの人がいて、彼女はその街の人達の記憶を改竄して、急いで逃げ帰ってきたということだった。


「そういうことが起きていたのか……」


 彼等が言っていた「森の中の魔女」は十中八九私のことだろう。この街で他に、森の魔女と言われる人物にはあったことがない。


「ごめんなさい、師匠…… だけど、私。あの人達が許せなくて……」

「コトリ、それは」


 それは良くない。そう言おうとしたが、いつかの日に街中で「死神が出る」と広まっていた噂を確かめに行ったこともあって、私は続きを言わなかった。弟子は師匠に似ると昔から言われていて、私がそう行動したなら、彼女もそうしてもおかしくはない。昨日のコトリと同じ立場ならば、私だって同じことをしただろう。


「それは良くないが、君と同じ立場にいたら私もしただろう」

「師匠……」

「だけど、そう行動する前に今度は逃げてくれ」

「はい……」

「まあ、無事に家に帰ってきてくれてよかったよ」

「心配かけてごめんなさい。ただいまです、師匠」

「おかえり、コトリ」


 少し涙目になっているコトリを胸に抱き寄せ、そっとなだめるように背中をトントンと軽く叩く。彼女が落ち着いてから温め直した食事を運んで、ソファーに二人並んで食べ始めた。


 食べ終えてから昨日の出来事を改めて聞いた後に、私はコトリに「ここにいては危ないだろうから逃げなさい」と告げた。だが、彼女は首を縦には振らずに「もう少し、師匠と一緒にいさせてください」と返してきた。私は彼女を危険な目に遭わせたくないのだが、まったく困った弟子だ。彼女に一緒にいたいと言われ、どうしたものかと首をひねりながら悩んでいると、玄関の扉を叩く音が家の中に響いた。


「こんな時間に誰だろうか?」


 不思議に思いながらもドアを開けるために手を伸ばした時、コトリが駆け寄り私の手を掴み静止させた。


「師匠、お願いです。ドアを開けないでください」

「何故なんだ、コトリ」

「……」

「コトリ」

「私を探しに来た、国の偉い人達です……」

「そうか」


 小声で彼女と会話しながら、扉を隔てた向こう側にある複数の気配に気が付いた。私は家の中に幻を見せる術をかけ、元々の結界を更に強めた。


「ここにいたら彼等に気付かれてしまうから、地下へと行こうか。そこでまた、話を聞くとしよう」

「はい……」


 彼女は小さく返事をして私は玄関先にある書棚の一つの仕掛けを動かし、その下へと続く階段が現れた。二人で地下室へと降りて、下から仕掛けを元に戻した。ここへは滅多に入らないのだが、もしもの時の避難部屋として後から作った。


「家の地下にこんな部屋があったんですね、知りませんでした」

「魔女と呼ばれていた昔も、こういうことがあったからな。だから、どうしても隠れる部屋が必要だったんだ。それにここからなら、家の裏にある広い森へと逃げることができる」

「そんなこともできるのですね。流石、師匠です」

「ありがとう。それで話は戻るが、何で国の偉い人がこんな森へと来ている?」

「はっきりとはわかりません。ただ……」

「ただ?」

「数日前に私の下姉様が送ってきた手紙に、もうすぐ大戦が始まると書かれていましあ。そして私は本家。いえ、国の上層にいる人達にとっては、切り札なんです」

「能力者だから、生かすも殺すもできるからってことだろうか……」

「はい、その通りです……」


 この子の身近にいた大人達は、彼女が家出をした今でも使い捨ての兵器か何かだと考えているようで、彼女を拾った身としてはとても腹が立った。今すぐにでも外にいる者達を罰したいが、そんなことをすればコトリにも危害が及ぶかもしれないし、何よりきっと、この子はそれを望まないだろう。そんな行き場のない怒りをどうにか抑え、慰めにもならないであろう言葉をかけた。


「軽んじていい命なんて、この世には存在しないはずなんだがな……」


 彼女が受けてきた扱いや、家を離れた今でも受けている扱いを実際に知り、コトリを助ける術がこうして逃げることしか思いつかない自分が悔しかった。他に何か出来ないかと考えてはみるもののどうしても時間が足りず、今は彼女の側にいてあげることしかできなかった。


「師匠。私、怖いです…… 国に連れ帰られ、戦場に送られることになったら……」

「きっと大丈夫だ。そんなことにはならないだろう」

「でも……」


 怯えて震えているコトリの肩を抱き寄せる。彼女が未来を見ることができるらしいということは、少し前に聞いており知っていた。そして彼女が言っていることは、私が昔に見た夢でもそうだった。だが、今はその未来が嘘であってほしいと願う。彼女と過ごす平穏が、この先も続いてほしいと。そう願いながら私達二人は、突然やってきた危機が通り過ぎるのを地下室でじっと耐えていた。


 それからしばらく経ち、私は彼らが帰ったかを確認するために戻ろうと仕掛けを動かした。


「少しここで待っていてくれ。私は、上の様子を見てくるから」

「どうかお気を付けてください、師匠」

「私に何があれば、外へと続く道標が出てくるようにしているから、そこから外へと逃げてくれ」

「師匠、でも……」

「そんな泣きそうな顔をするな、コトリ。少し見てくるだけだからな」

「わかりました……」


 コトリに見送られ私は地上階へと戻り、仕掛けを元に戻して一度地下を閉めた。そうしておかないと、もしもの時に彼女の身が危なくなってしまう。


「もう、いないといいのだが……」


 そう思いながら小さな鼠の使い魔を召喚し、外の様子を見てきてもらうことにした。その間に私は、家に張ってあった結界を確認する。こちらには特に変化もなく、彼らはが何かした様子は無かった。鼠の方も無事に帰って来て安全が確認できたので、地下室の仕掛けを動かしてコトリを迎えに降りた。


「ただいま。もう大丈夫だぞ、コトリ」

「お帰りなさい、師匠。ご無事で何よりです」

「さあ、戻ろうか」

「はい」


 二人で書斎に戻り、地下室の仕掛けを閉じた。コトリを見ると何か考え事をしている様子で、難しい顔をしていた。


「どうかしたか?」

「いえ、何でもないです」

「そうか」


 慌てて首を振って笑顔を取り繕うその様子に何かを隠しているように見えたが、今はまだ聞かないことにした。


「しばらくは街に行かない方が安全だと思うが、コトリはどうだ?」

「そうですね。出掛けた先で下手に見つかるよりも、家にいて静かにしてる方がいいですね」

「なら、しばらくは二人で家で過ごすことにするか」

「そうしましょうか、師匠」


 魔女狩りが街では始まり、そして今日のことが起きてしまったので、私もコトリも出掛けることもしばらくはできないだろう。コトリを探して今後この家に、先程の人達が来ないとも限らない。恐らくなのだが、まだ何度か探しに来そうだと私は思っている。そして、それよりももっと面倒なのが魔女狩りだ。人間に見える彼女が魔術を扱えるということを街の人が知ってしまえば、魔女裁判にかけるために捕まってしまうだろう。捕まってしまえば助けるのは難しくなる。どうにかなればいいのだが。


「師匠、夕食は何食べたいですか……?」

「ん? あぁ。そうだな、シチューが食べたい」

「シチューですね。それじゃあ、材料を裏庭から採ってきますね」


 コトリに話しかけられた私は、考えていた事を中断して彼女の言葉に返事をした。そして彼女は、裏庭で育てている野菜を採りに行った。こういう状況の時に、わざわざ街まで食材を買いに行く必要がないというのは幾分か助かっている。そんなに種類が多くないながらも、ある程度の数は育ってては保存しているので、数カ月間は食べる物には困らないだろう。


「私も夕食の準備をするか……」


 魔女狩りやコトリのことについて不安は残るが、私がそれをすぐにどうにかできるわけでもなく、今はただ時間が解決してくれることを待つことしかできない。この老いぼれた私に、一体何ができるのだろう。そう考えを巡らせながら、夕食を作るために台所へと向かった。


 彼女が採ってきた野菜を使ってシチューを作り、食器によそった私達二人は並んで席に座り一緒に食べながらこれまでのことを紛らわすために、彼女と他愛もない会話を淡々と続けた。まるで、目の前にある問題にあえて触れないように。そんな腫れ物に触れないような会話を続けていれば、お互いに話す話題は慎重になり気がつけば口数は次第に減っていった。


「こんな会話やめるか」

「そうですね」

「これから、一体どうするか……」

「どうしましょうか……」


 二人の間に流れる沈黙を破ったのは私でも彼女でもなく、コンコンッと玄関のドアをたたく音だった。


「もう夜だというのに今日は来客が多いな……」


 そう呟きながら立ち上がり、扉の向こうに声をかけてみる。


「はい、誰でしょう?」


 だが返答はなく、首を傾げながらもゆっくりとドアを開いて、隙間から顔を少し覗かせて様子を伺った。するとそこに立っていたのは、黒い礼服を着た一人の男性だった。先程ここへ来た者達と似たような雰囲気を感じ取り、私はしまったと思ったがもう遅い。どういった用なのかと、私は立っている男性に問いかけてみた。


「ここに死神が住んでいますよね?」

「死神ですか? 何のことなのか、私にはわかりかねますが……」


 そう答えると男性は私のことを無視したかのように、家の中に響くような声をあげた。


「聞こえていますよね、お嬢様。出て来られないのでしたら、こちらの老人を手にかけることになりますが、それでもよろしいのでしょうか?」

「できるものならやってごらんなさい。あなたにできるのなら、ね。ジャック」


 聞き慣れない低い声が聞こえてきたかと思えば、先程まではいなかったはずのコトリが私のすぐ後ろに現れていた。いつもの年相応の可愛らしい雰囲気は無く、酷く冷たい人物だという印象を彼女から受けた。


「いたのならばもっと早くに出て来ていただかないと。こちらとしても面倒な手段は使いたくないので」

「うるさいわね。それで、用件は何かしら?」

「今更とぼけるのですか? お姉様から聞いていらっしゃるのでしょう?」

「……私に大量殺人兵器になれと? 冗談は寝てから言ってもらえるかしら? やっとの思いで家から出たというのに、貴方達はまだ私のことをそういう風にしか見ていないのね」

「そうですか。ならば残念ですが、この老人を……」

「待ちなさい」

「何でしょうか。戻りたくないのでしたら、ここに残る意味を消し去ってしまおうかと思ったのですが?」

「私が戻るのには条件を付けるわ」

「その条件とは?」

「あなたの目の前にいる人、私の師であるその人を守り抜くこと。それが戻るための条件よ」

「私がそれを呑むとでもお考えですか?」

「嫌なら別にいいわ。今ここで貴方を始末して、この国からも師と一緒に逃げるわよ」


 そこまで言われた黒服の男性は、ため息を一つ吐いてから諦めたように返事をした。


「かしこまりました。お嬢様の条件を呑みましょう」


 コトリはそのまま私の横を通り過ぎ、男性との間に立って私を見て少し困ったように笑った。


「師匠、守ってくれてありがとうございました。でも、やっぱり行かないといけないみたいです」

「どうにもならないのか?」

「師匠を目の前で失うことに比べたら、これくらい大丈夫ですよ。なんせ私は死神ですからね!」


 わざとらしい笑顔でそう言う彼女の肩が小さく震えているのに気づいた私はコトリを止めようと口を開いたが、それを遮るように彼女が言葉を重ねてきた。


「大丈夫ですよ、師匠。師匠の安全は保障しますし、私の身は心配しなくても簡単には死にませんよ」

「だが……」

「だから、師匠」

「なんだ?」

「いってらっしゃいって見送ってください」


 震えを抑えながら精一杯の笑顔を浮かべた彼女を見て、それ以上止めることができずに彼女が言った通りに見送ることにした。


「……いってらっしゃい、コトリ」

「はい。いってきますね、師匠。どうか、元気で過ごしてください……」


 それだけ言って、コトリは迎えに来た男性に向き直る。


「もうよろしいでしょうか?」

「えぇ。行きましょうか、ジャック」

「かしこまりました。御師様もこのような時間に失礼いたしました」


 一礼をしてからジャックと呼ばれていた黒服の男性は、コトリの先を行き少し離れた所に止まっていた高そうな黒い車のドアを開いて彼女をエスコートをし、車は静かに出発した。その車を見送り終えると、私は静寂になった家に独り取り残されたのを改めて感じた。


「どうして私はいつも見送る側なのだろうか……」


 去っていった小さな背中を想いながら代わりになることもできない私は、空を仰ぎながら彼女の無事を願った。


 そして、彼女が黒服と戻ってから数日が経ったある日のこと。国の本土の方で、隣国との戦争がついに始まったという話が私の耳に入ってきた。事の発端は色々と話されているのではっきりとはわからないが、コトリは間違いなくその戦場にいるだろう。海を越えた向こうにある本土は神々が住む大地とも呼ばれていて、普通の者達では立ち入ることすら難しいと言われている場所だ。そんな場所に彼女は一人、国の兵器として扱われながら孤独に闘っているのだろうか。味方であるはずの同じ国の者から人として扱ってもらえず、周りは敵だらけという状況になってないことを願うが、能力者の子供を兵器としてしか見ない者達が沢山いるような話を聞いていたため、コトリのことが心配になってしまう。


「元気でやっているだろうか……」


 私は彼女の身を案じながら、この戦争は本土だけではなく海を越えたこの街ですら巻き込んでしまうのではないかと薄っすらと感じていた。

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