第15話 好きの意味
薄暗い帰り道。冬の空気が肌をヒリヒリと痺れさせる。冷たくなった鼻は林檎のように真っ赤で、感覚も無くなっている。
でも私の心は過去最大に熱くなっていた。
ドアノブに手を掛けて明るい声で玄関へと入る。
「ただいまー! 」
口角が上がったまま階段を上がって、向かった先は自分の部屋ではなくお姉ちゃんの部屋。
「ただいま、お姉ちゃん! 」
「おかえり、海花」
部屋着に着替え、机に向かっていたお姉ちゃんがくるりと私に微笑んだ。
お姉ちゃんの部屋は暖房が効いていて程よい温かさだった。
部屋に入ってお姉ちゃんの元へと行く。机の横に立ち、座っているお姉ちゃんを見下ろした。
「あのね! 彼氏できたの! 」
お姉ちゃんは少し驚いていた。今までスラスラと走いたシャーペンを止め、私を見上げる。私は笑顔のまま、今日の出来事を伝えた。お姉ちゃんは机に置いたマグカップを持ってココアを一口。
そして再び私に微笑みかけた。
「よかったね、おめでとう」
私は高ぶった気持ちのまま「うん! 」と笑った。お姉ちゃんの顔を見て、ふと思い出す。
そういえば、お姉ちゃんも彼氏できたって言ってたっけ。
リュックを肩から下ろし、両手で持つ。部屋のドアに向かい、くるりと振り返った。
「もしかしたら、ダブルデートしちゃうかもね!」
そんな冗談めいた言葉。お姉ちゃんは少し止まった後、さっきよりも少し苦しそうに笑った。「そうだね」と答える声色は少し暗かったけれど、私はそれよりも自分のことで精一杯でその時の違和感に気づけなかった。
お姉ちゃんの部屋を後にし、やっと自分の部屋に入る。お姉ちゃんの部屋よりも暗くて、寒かったけれど私は布団にダイブしてポケットからスマホを取り出す。
ブルーライトの光に照らされた顔面は、自分でも引く程にニヤついていた。
その理由は、LINEの新しい友達の欄に「永遠」の文字があったから。
それだけで嬉しくて足をバタバタさせる。枕に顔を押し付けて言葉にならない声が漏れた。
——今日からよろしくね。
そう心の中で唱えたあと、私はそのまま眠りについた。
翌日は、電車の中でスマホを見ていた。
多分誰もがお世話になっているであろう検索サイトで、『恋人 できたら』で検索をかけていた。
彼氏ができたら! なんていう項目が一番上に表示されていて、試しにタップしてみる。
ずらずらと書かれている文字に目を凝らしてみるけど、結局何が言いたいのか分からなかった。
彼氏彼女という立ち位置になって何が変わるのだろう。
初めての彼氏だからこそ大切にしたいという想いが強かった。でもどう接したらいいのかが分からないまま、教室の前まで来てしまう。
「おはよー! 」
とりあえず挨拶。結と美波が私の机を囲むようにして集まってくる。
バタバタと急ぎ足で近付いてきた結は、瞳をキラキラさせながら私に問いかけてきた。
「ねえ、告白はどうだったのー?」
そうだ、すっかり忘れていた。
昨日は永遠くんと両思いになれたことが嬉しくて、つい二人に報告をするのを忘れていた。
なんて話し始めたらいいのだろうかと悩んでいる時、教室のドアがガラッと開く。
結と美波の隙間から顔を覗かせると、目に映るその人に私の心臓は飛び跳ねる。
席を立ってその人物の机の前に。緊張しながらも笑顔を作る。どんな反応をするのかと、ドキドキしながら話しかけた。
「おはよう、と……永遠くん……。」
スマホで音楽を聴きながら頬杖をつく。ゲームをして夜更かしをしていたのか、永遠くんの瞼はとても重そうだった。
私に気づいてくれたらしく、イヤホンを外して笑いかけてくれた。
「おはよう、海花。」
その一言だけで心が踊った。今日からは毎日この笑顔が見れるんだと思っただけで凄く嬉しくて、凄く幸せだった。
少し離れた所で、結がニマニマと気持ちの悪い笑みを浮かべていたけれど、それには触れないでおこう。
まあ、話す時間を省けたと思えば、腹も立たない。
そんな事よりも、私は目の前で微笑んでくれている永遠くんの方が大事だ。
「永遠くん、今日も一緒に帰りませんか?」
恥ずかしくなると、私は何故か敬語になってしまうらしい。
拙い誘いに、永遠くんは快く首を縦に振ってくれた。
その優しさに、私の胸はきゅんと鳴る。頬が緩んで、笑顔を隠しきれない。
……ああ、好きすぎる!
そして、その日を境に、永遠くんと二人でいる時間が増えた。もちろん友達との時間を大切にしていない訳ではない。
ちゃんと結と美波とも笑ってふざけ合った。放課後は永遠くんと一緒に帰って、休日はデートして。本当に幸せでずっと一緒にいられるんだと、そう心のどこかで思っていた。
でも……。
「……え? 別れた? お姉ちゃんが? 」
順風満帆な日常にヒビが入った瞬間だった。
何もかも完璧なお姉ちゃんは彼氏さんに「俺の事本気で好きじゃないだろ」と言われたらしい。
お姉ちゃんは泣きもせず、悲しむこともなく、ただ苦しげに笑って私に問いかけた。
「ねぇ海花。好きって何だろうね……?」
私は何も言えなかった。私はただ、永遠くんと一緒にいられることが幸せで、永遠くんと笑い合える事が嬉しくて。
ただそれだけで……。その時ふと思った。
永遠くんは? 永遠くんは私といて幸せなのかな?
その瞬間今まで目の前で輝いていた光が一瞬で消えていく。現れたのはただの暗闇。どこまでも続く暗い闇。私は必死に永遠くんの名前を呼び続けた。でも永遠くんは愚か誰も答えてくれない。
ねぇ、永遠くん! 私はここだよ? 永遠くん!
叫んでいるのに、伝えているのに、闇は深くなるばかりだ。
その闇は、やがて牙となって、私を飲み込んでいく。
怖い。恐い。なのに、誰も助けてはくれない。
——永遠、くん……。
ピピピと耳元から鳴るその音が、私を現実に引き戻してくれた。
目が覚めると、いつもの天井だった。
アラームの音が鳴り響く。暖かい日差しが差し込むのを見て、朝なのだと気づいた。
目の辺りを触ると微かに湿っていて、これは涙の跡だと悟る。
「……永遠くん……。」
握り締めたスマホからは、耳を塞ぎたく成程に現実を突きつけるアラームの音が鳴り響く。
私は、自分の心の中にあるざわめきに、一人呟いた。
「……五月蝿いよ。」
学校は何があってもいつも通りで、その騒がしさが私の心を誤魔化してくれているような気がした。
重い足取りのまま階段を登る。一人で歩く私の横を何人もの楽しそうな生徒達が通り過ぎていった。
昨日まではこのドアを開けるのが楽しみだった。なのに今は……怖い。
「おはよう……。」
俯きながらドアを開ける。真っ先に目で探していたのは永遠くんだった。
いつも通り、スマホを触りながら一人席に座っている。
今までだったらすぐに駆け寄ることが出来たこの足が、今日は動きたくないと言っている気がした。
私の好きと永遠くんの好きは同じなのかな。
今までは何も気にしなかった。私は永遠くんが好きで、ただそれだけで。でも今はそれだけじゃなくなった。
この同じ空間にいるのでさえ怖くて、本当は話したいのに足が動かない。
永遠くんは私の気配に気付いたらしく、私の方に近づいてくる。永遠くんの足が動く度に心臓は音を鳴らせた。
「どうしたの、海花。顔色悪そうだけど」
「……う、ううん! なんでもない! ただの寝不足、だからー! 」
必死に口角を上げる。いつも通りの私らしく振る舞わなくちゃ。永遠くんに怪しまれちゃう。
ヘラヘラ笑いつつ、私は自分の後頭部を撫でる。永遠くんは何かが気にかかってたらしいけど、私にそれ以上の追求はしなかった。
それがほっとするような、少し寂しいような。そんな曖昧な感情を抱えながら、授業を受けた。
放課後。いつもなら一緒に歩くはずのこの道を、今日は一人で歩く。今永遠くんと二人きりになったらきっと、普段と同じようには笑えないから。
「このままじゃ駄目なのに……。」
歩道に揺らめく影は一つだけ。辺りには誰もいない。独り言が漏れても、誰もそれを気にはしない。
私はどうすればいいんだろう。そんな永遠に答えの出ない疑問が頭の中でずっと回っている。
世間ではもうすぐ冬休み。冬休みに入ったら永遠くんとクリスマスを過ごして、それで……。
——私は永遠くんとどうなりたいんだろう。
結婚したいなんて考えたことない。でも別れるなんて考えたことすらなくて。
「現状維持……?」
ならばその現状とは何だろう。永遠くんと二人でいられること? なら別に付き合わなくたってできるのに。
私は自分がしたいことが分からなくなっていた。何をしたいのかも、どうしたいのかも。
「ほんとだね、お姉ちゃん。好きの意味って何だろう……」
それから家までの帰り道、私は一人涙を零した。この雫が乾いた後に、答えが生まれると信じて——。
——そしていよいよ二学期終業式の日。
一年で最後の登校日ということもあってか、クラスはいつも以上にガヤガヤしていた。
私もその一人で結や美波とたわいのない雑談をしていた。
寒い体育館の中で終業式が始まる。校長の話はいつもの通り長くて、居眠りしては先生に注意される生徒も多く見られた。
式が終わると大掃除が始まる。今までは掃除してなかった所までちゃんと綺麗に掃除をした。
先生の話が終わり、クラスはさっきまでの静寂から解き放たれたように声を上げる。「じゃあなー」「良いおとしを! 」「その前にクリスマスだろ」なんて、どこにでも見られる学生の光景。でも私は違った。いつも通りの私じゃなくて、そしてこれからまた変わっていく。
いつの間にか教室にいる生徒の数は減っていた。騒音は静寂へと進んでいく。
教室に残るのは私ともう一人。
私はその人に向かって話しかけた。何から言ったらいいのか少し迷ったけど、まずは私らしく笑顔で。
「ごめんね、永遠くん。こんな時間まで待ってもらっちゃって。」
永遠くんは私の方に歩いてくる。私も自分の席から立ち上がった。二人が立ち止まったのはちょうど後ろの黒板の中心辺り。
永遠くんは相も変わらず優しい声で「大丈夫だよ」と答えてくれた。
うん。その声が好き。
私がヘラヘラ笑って内心ここからどう話そうって迷っていると「どうしたの」って言ってくれる。
その優しさが好き。
私の横に立ち、黒板にもたれ掛かる。
その横顔が好き。
永遠くんを見る時はいつも少しだけ私が顔を上げて話す。
その背が好き。
私がつまらないことを言っても。あと不意に永遠くんを見たら笑ってる姿も。
その笑顔が好き。
好き。好き。好き。永遠くんが好き。
やっぱり私は永遠くんが大好きなんだ。こんな時にそれを思い出しちゃうんだもんな、本当に永遠くんはずるいや。
ゆっくり深呼吸をして。泣きそうだけどもう少しだけ頑張れ、私の涙腺。
私は一歩前に出て永遠くんの正面に立つ。そしていつもみたいな笑顔で。
「——永遠くん、私と別れてください。」
あまりにも唐突過ぎるその言葉に永遠くんは口を開けた。その口からは声にならない声が漏れだしていてそれだけで私は泣きそうになる。
「……僕のせい?」
いつもより低い声に私の体が跳ね上がる。私は怖くて自分の足元をみていた。そしてそのまま首を横に何回も振った。
ああ、我慢しようと思ってたのに永遠くんの声を聞いただけで涙が止まんないや。
私は自分の想いを少しでも伝えられるように篭もりそうになる口を動かした。
「違う……私が悪いの……。私がちゃんと……永遠くんを信じられなかったから……。でも永遠くんを嫌いになったわけじゃなくて……ほんと……ごめん、ごめんね……」
大粒の涙が私の上履きを濡らす。手で必死に涙を止めようとしても、それが止まることはなかった。
永遠くんは泣きじゃくる私を見てただ黙っていた。その沈黙の間にも私の涙はとめどなく溢れ続ける。ヒクッと泣いている私の声だけが教室に満ちていく。
好きだから別れるなんてあまりにも身勝手過ぎる。いっその事永遠くんに嫌われる方がマシかもしれない。でもきっと永遠くんは私を嫌わない。それがあの人の優しさだから。誰よりもこの二週間この人の傍にいた私だからそれが言えるんだ。
どれくらい泣いていたのだろう。もう時間感覚すらも分からなくなった時、永遠くんは声を上げた。
「分かった。何も気づけなくてごめんね。」
違うよ、永遠くん。謝るのは私なんだよ。
こんな身勝手で最低な女が永遠くんの隣にいてごめん。永遠くんの彼女でごめんね。
永遠くんはそのまま教室を出ていった。ドアが閉まる音がした後、私は盛大に泣き叫んだ。
沢山のごめんを叫んで、ただひたすらに泣いた。
誰かを本気で愛してしまったからこそ、私は愛が怖くなった。
自分勝手な私を、どうか許さないで、永遠くん。
許してしまったら、私はまた君の優しさに漬け込んでしまうから。
涙が枯れるまで泣いて、そして涙が枯れ果てた時私は一つの決意をした。
私が永遠くんを疑ってしまったのは私が弱かったから。魅力がなくて自分に自信がなかったから。
だからこの冬休みで強くなろう。
そしていつか自信をもって本当のことを言うんだ。
それからおこがましいかもしれないけれど「また私と最初から始めませんか」って言うんだ。
それが私の目標で夢だから。
家に帰ったら目が腫れているのをみんなに心配された。適当に濁しちゃったけど、でもお姉ちゃんには本当のことを話した。私が永遠くんと別れたこと。そしてまたいつかやり直したいことも。
お姉ちゃんは「強いね、海花は。」と少し辛そうに笑っていた。
お姉ちゃんには言わなかったけれど、心の中で一人呟く。
お姉ちゃん。私、強くなんてないよ。弱いままだよ。でもね、だからこそ強くなりたいって本気で思うんだ。
そしてその翌日、お姉ちゃんはおじいちゃんの家に行くことになった。だからお姉ちゃんが帰ってきた時、見違えたねって言って貰えるように頑張ろうと思った。私は一人ベランダで冬の空に叫んだ。
「やってやりますか! 」
けれどその後に私は知ることになる。
本当は永遠くんが私を好きでいてくれたこと。
クリスマスを楽しみにしてくれていたこと。
プレゼントを用意しようとしていたこと。
そして——お姉ちゃんが永遠くんに恋をしたことを。
でも私がその全てを知るのは少し先の未来の話。
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