まず輪っかを作ります。


 ふわりと花の匂いがした。

 通勤中、数名の自高の生徒たちに追い抜かされる。「おはようございます」と声をかけてくる者もいれば、いない者もいる。保健室に来ない生徒にとっては、知らない人なのだから当たり前だ。


「岬ちゃん、おはよー」


 基本的に窓峰を名前で呼ぶ生徒はただ一人だ。振り向いて挨拶を返す。


「おはよう。先生をつけなさい」

「岬ちゃん先生」

「つける場所が違う」


 月岡は少し眠そうに、しかし屈託のない笑顔を見せた。嬉しそうなその顔に、悪意も見られなければ、反省の色もない。

 隣に並んで、正門までの道を歩く。その横を自転車で何人か、月岡の友人たちが通って行ったのを窓峰は見た。


「月岡は自転車で来ないの?」

「自転車、春休み中にぶっ壊れてさあ」

「どうして壊したの」

「壊れたんだって。俺が壊したんじゃないんだって」


 そう弁明する月岡を横に、窓峰は小さく肩を竦めた。壊れたにしろ、壊したにしろ、自転車からすれば“壊された”のには間違いない。


「ちょっと考え事しながら漕いでたら、電柱にぶつかってタイヤが曲がった」

「……それは壊したって言うんだよ」

「岬ちゃんのこと考えてたから、じゃあ半分岬ちゃんの所為ってことで」

「責任転嫁しない」


 正門に着くと、生徒指導の教師が立っていた。二年の現代文担当、そして月岡の担任である。

 月岡と窓峰が並んで入ってくるのを見て、少し驚いたように挨拶をした。しかし、それ以外に何も言われなかった。


「すっげえ今物申したそうだった、三住センセー」

「何で三住先生には普通に先生をつけられるの」







 午前中、窓峰が職員室に書類を取りに行くと、授業のないらしい三住に捕まった。


「窓さん、月岡と一緒に登校してんの?」

「その呼び方やめてくれる? 一緒に登校してないから」


 三住と窓峰は同級である。しかもこの高校出身で、クラスは違ったが三住は窓峰のことをよく知っていた。それだけ有名だったから、だ。

 三住は隣の椅子を引いて、窓峰をそこに座らせた。誰の席なのか、職員室に机を持っていない窓峰には分からなかったが、躊躇いなく座った。


「そういえば去年の夏くらいから月岡が岬ちゃんって子の虜らしいってうちのクラスの女子が話してたけど……まさか窓さん、」

「他高の子じゃない?」

「窓さんの名前って岬だったよね?」

「他人の話を聞けよ」


 ドスの入った声に三住は震えた。強制的に頷く。


「まあ、そんなことより」

「そんなこと」

「今度、合コンあるの。行かない?」

「えー……面倒くさいなー」

「はい、行く決定!」


 他人の話を聞いていない。よく教師になれたな、と窓峰はそれを見て感心すらしてしまう。三住はたまに図太い。

 月岡のことよりもそちらが本題だったようで、話がまとまると解放された。

 必要書類を持って保健室へ戻る。

 自分の椅子に座って、窓の外を見た。春が遊び半分で花たちと戯れている。

 頬杖をついていた指先を、自分の唇の方へと持っていく。保健室内はひどく静かで、次の瞬間には月岡が扉を開けてやって来そうだと思ってしまった。

 来るはずも、無いのだが。




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蝶々結び 鯵哉 @fly_to_venus

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