ANCHOR

雲水

第1話 俺の日常

──まただ。

 あいつが何かを言ってるんだ。あいつの口の動きを読もうとしたところで俺は毎朝起きてしまう。ずっと昔の記憶のような、これから起こる未来のような……。


千晃ちあき!」

 下で母ちゃんが叫ぶ。まだあと20分あるってことだ。ぼんやり天井を見ながら波の音に耳をすます。


──あいつは誰なんだ……。何を言ってたんだ……。


 せめて顔を思いだそうとするが、追えば追うほど遠のいて姿が全く見えなくなってしまう。



「千晃!起きいぃ!学校遅れるよ!」

部屋のドアを乱暴に開けて母ちゃんが乗り込んできた。

「うっせぇ」

俺の声を聞くとくるっと向きを変え、

「早く用意して朝ご飯食べんなさいね!あと、おっちゃんにお弁当渡しといてんね。清良きよらちゃんのお弁当も忘たらあかんよ!」

 あわただしく階段を下りて玄関の扉が閉まった。家が穏やかな静寂に包まれる。

母ちゃんの軽トラのエンジン音を確認し、俺は起き上がり窓の外を見た。


──よし。今日もいい波だ。

 

 この辺はいりくんだ地形と大小さまざまな島々に囲まれているおかげで波がすごく穏やかなんだ。たまに台風の通り道になって荒れるが、普段はさざ波が太陽の光をピチピチ反射させるおとなしい海だ。

 だが俺が小さい頃海が荒れ狂った時があった。あの時の恐怖がトラウマになり、俺はあれから海に入れないし毎日穏やかな波を見ないと落ち着かない。

 ちなみに俺の家は海から道路を挟んですぐだ。漁港の保全組合会長をしているじいちゃんが建ててくれた。親父が亡くなってすぐに母ちゃんと俺はこの家に移り住んだ。母ちゃんは今は亡きじいちゃんの漁港で朝早くから夕方まで働いている。仕事の合間に毎朝このバカ息子を起こしに来てくれているんだ。


 高校の制服に着替えたら弁当を三つ持って家を出る。

「よぉ。ん」

外で待ってる幼なじみの清良に弁当を差し出し、毎朝毎朝嬉しそうに通学カバンに入れるのを見届けた後、二人でおっちゃんの骨董店へ立ち寄り弁当を渡して学校へ行く。

 学校が終わったらおっちゃんの店で何をするでもなく、だらだらと過ごす。これが俺の日常。平和な港町で代わり映えのしない平凡な日常。

 高二の俺はちょっとぐらい刺激が欲しいと思うときもあるけど、絶対にそれを望んではいけない気がするんだ。いや、確信している。だから今のままが一番なんだって言い聞かせる。何も変えちゃいけない。


「ちあき」

 おっちゃんが弁当をつつきながら声をひそめた。

「本当にあんの島に行くのかぇ?」

「あぁ。迷ってる」

「きよらはどした。今日はこんねぇなぁ」

「あぁ。寄るとこがあるって言ってた」

「っかぁ……」

何か意味ありげだ。

「なんだよ」

「んもねぇ」

おっちゃんは空の弁当箱を洗って俺に渡した。

「あんの島に近付くなぁ」


──あの島かぁ。

 おっちゃんの店の目の前にある愛別島のことだ。来月あの島で皆既日食が見られるらしいが、新しく来た町長が島へ渡ることを禁止している。十数年前は金環日食が見られたとかで……正直、俺がガキの頃だったから覚えてねぇわ。

 この町の大人たちはみんな口を揃えて

「あの島に行くな」

って言う。何でか聞いても理由は誰も言わない。だから町の子供たち俺らは肝試し感覚であの島へ行くんだ。


「おっちゃん!」

「んよぉ。きよら。今日はこんねぇと……」

「おっちゃん!あの写真見せて!私達が小さかった頃の!」

 息を切らして店に入ってきた。制服が少し乱れてる。どれだけ爆走して来たんだよ。

「んあぁ。あれなぁ。無くしてしもたんじゃぁ。」

 おっちゃんが背を向けて店の奥に入って行った。

「何慌ててんだ?」

「ぅわぁぁ!いたの!」

「んぁ?」

 俺はいつもいるじゃないか。

「な、な、なんでもなーい!」

 言い残して走り去ってしまった。なんだよ。

 おっちゃんも戻ってこない。つまんねぇ。

「おっちゃん!俺帰るわ。」

 叫んでみたが何も反応がない。

「おっちゃん!帰るからな!」

 腹でも壊したのかな。仕方ない、帰るか。

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