第25話 正月でも

 私はタバコを辞めて10年経ちました。

 しかし、10年吸い続けた事もあり、いまだにタバコというものを見てしまう依存は残っています。

 吸いたいと思うことはもうほとんどありませんが、吸っている人には普通の人よりも過剰反応してしまいます。

 心のどこかで、まだタバコに未練があるのでしょう。私にとって喫煙というものは、体にはかなりのダメージを残しましたが、心にはかなりの安らぎを与えて貰いました。

 タバコはストレス解消になるのか?

と、聞かれると答えは「イエス」です。

 ただ、一時的なストレス解消により失うものはかなりのものでした。

 しかし、ストレスで不健康になったかも知れないと考えると、不思議とタバコも正当化してしまいます。

 喫煙者の10年間は、少なくともストレス解消といった面では大変お世話になりました。

 その為、ストレスが溜まるこの社会で、私の中では、喫煙所=ストレス解消のイメージが色濃く残ってしまっているのかも知れません。

 正月に初詣に行きました。かなりの行列で少しイライラしてしまい、ふと見てみると喫煙所が目に入りました。

 神社にも喫煙所が設けられて居ました。そして、そこにも大勢の喫煙者達。

 昔はかっこいいと思っていた人達も、今年の正月はなぜかかっこ悪いと思いました。

 喫煙所が狭かったのもありますが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれている姿は、なんか哀れさすら感じました。

 それにしても、日本には、まだまだ喫煙者は多いと感じました。大人の喫煙者は、マナーのいい喫煙者も居ますが、若い喫煙者はほぼマナーは良くありません。

 ぎゅうぎゅうの喫煙所に入ることなく、人目につかないような端っこでプハプハしてました。確かにあんなとこには入りたくないですが。

 正月にわざわざ混んでる神社に初詣に来て、喫煙所ではない場所で、喫煙している人達は、「何しに来たの?」と思います。

 わざわざ神様のお家に挨拶に来て、お家を汚して帰るぐらいなら来なきゃいいのに。 

 混んでる行列で喫煙している人も、居ました。わざわざ神様の前にきて、マイナスになるような行為をするなんて。。

 けれども、神様は寛大なので、こんな細かい事は気にしてないと思いますが、私はついつい見てしまうクセがありますので、気になりました。

 大勢の人が集まる場所では、必ず喫煙所がありますが、居酒屋などのお酒を飲むような場所では喫煙所がありません。

 禁煙席もほとんどありません。

 要は、子供が同席するような場所では分煙って事ですね。

 こないだ行ったラーメン屋で、子供が店に入って来たら店内禁煙になると書いてありました。日本は、喫煙者と非喫煙者との分煙ではなくて、子供と大人での分煙になっています。

 結局のところ、日本は大人の世界では分煙化されていません。

 日本はまだまだタバコ文化だと感じた今年の正月でした。 

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