第3話 ラッキースケベはアンラッキー

 ウルスラグナは孝太に言われるがまま再びソファーにその身を委ねた。すると少しは気持ちも落ち着いて周囲を気にするだけの余裕が出てきたのだろう、今度はやたらキョロキョロと部屋の中を見回し始めた。デスクの上にある液晶モニターやスマートフォン、初めて見たときに孝太が抱えていたベースギター、それに壁に掛かる電波時計すらもウルスラグナにとっては初めて目にするものばかりだった。


「ところでコータ、なんだか見たこともないものがやたらと並んでるけど、ここは倉庫、いや、工房か何かか?」

「ずいぶんと失礼なことを言ってくれるじゃねぇか。ここはオレの家だよ」

「なんだと? ここに住んでんのか、コータは」

「住んでちゃ悪いか?」


 ウルスラグナは苦笑混じりに答える孝太を尻目にソファーから立ち上がると天井を見上げ、そしてもう一度部屋全体をぐるりと見渡した。


「それにしてもこりゃまるでMeidanzulメイダンズルの住まいだな」

「メ、メイダン、何だって?」


 孝太はまたもや出て来たイースラーなる言葉に思わす声を上げて聞き返した。


Meidanzulメイダンズルだ。本来はMeidanimメイダニム mihressiuミーレッシュたみと呼ばれる種族で、こんな小さな連中だ」


 ウルスラグナは孝太がイメージしやすいように両手のひらを合わせて高さ20センチメートルくらいの隙間を作って見せた。


「野の民は国を持たない、森の中に棲んでるんだ」

「で、そのメイダンなんちゃらの家がオレんみたいだ、ってのか?」

「ヤツらの住まいってのはもっと小さくて貧相なんだ。なにしろ枯れ木やら石やらで造るんだからな。デカい木のうろなんかで暮らしてんのもいるし。けどヤツらの族長の家は別だ。連中の背丈には不釣り合いなくらいの高さと広さがあるんだ」

「なるほどね、それがここと同じくらいってわけか……って、それってやっぱ狭いとか小さいってことだろうが。とは言え、ひとり暮らしなら十分な広さだし、なにより今のオレは定職にも就いてない、言わば『野の民』みたいなもんだしな」

「なんだ、働いてないのか、コータは」

「いやそういうわけじゃ……ま、それも追い追い、な。さてと」


 思い立ったようにキッチンに向かおうとする孝太をウルスラグナは目の前にある物体を指さしながら呼び止めた。


「ところでこの黒い板はなんだ?」


 それは四〇インチの薄型液晶テレビだった。ウルスラグナは孝太の答えを待つより先に恐る恐るスクリーンの前に近づく。そして腰をかがめながら顔を近づけて覗き込み、黒いそこに映る自分の顔を確認すると自信に満ちた表情で孝太を見返した。


「なるほど、これはわかったぞ。コイツはayiynakkuアイーナック、こちらの言葉だと、そうか、鏡、鏡だな。それにしてもやたらと暗いな。使えるのか、これ?」


 孝太は大まじめに語るウルスラグナを見て思わず吹き出してしまった。


「プッハハハハ、そりゃアイなんとかなんかじゃねぇ、テレビだよ。ほら見てみな」


 孝太はスクリーンのすぐ前、テレビ台の上に置かれたリモコンを手にすると電源ボタンを押した。

 時刻は午後11時、スクリーンには大きく映る女性キャスターの顔、今ちょうど始まったばかりのニュース番組が軽快なテーマ曲とともに今夜のニュースを伝えていた。


「な、なんだなんだ、なんなんだ、この女。それにこの音はどこから……コータ、おまえはちょっと下がってろ!」


 ウルスラグナは素早く後ずさると右手を胸の前に構えて握りこぶしを作る。するとその手の中に短剣の柄と鍔のようなものが現れた。鈍く輝く銀色の短剣、しかしそこにやいばは見えなかった。続いて握りしめたその柄を振り下ろすと、そこにはまるで磨き抜かれた水晶のような刀身が現れて澄んだ光を放つ。そしてウルスラグナは敵を威嚇するかのようにその短剣をスクリーンに向けて叫んだ。


"Mihmimミーミム adosimアドシム Urusragunaウルスラグナ xalsハルス. Nahmimナーミム adsimtosアドシムトス yisiminamyohmイシミナムヨーム!"

(我が名はウルスラグナ。貴様、名を名乗れ!)


 一連の素早い動作に孝太は息を呑んだままその場で固まっていた。しかし続いてウルスラグナが短剣を構える姿にハッとして我に返り、慌ててその腕を掴みながらその身体からだを押さえつけた。


「コータ、なにすんだ、放せ」

「落ち着け、落ち着けって。とにかくその物騒なのを下ろしてくれ」


 その言葉に緊張で張り詰めていたウルスラグナの身体からだから無駄な力がスッと抜けていくのが孝太にはわかった。


「こいつはテレビって言ってな、ここに居るわけじゃねぇ、どっか遠くの別の場所のがここに映ってるだけなんだ。しかしオレも迂闊だったな、テレビなんて見たことなかったか。そりゃ驚くわな」


 ウルスラグナは自身の身体からだを抑えたまま説明する孝太の手をほどくと手にした短剣を再び胸の前に立てて構えた。すると透き通った鋭利な刃は霧散するように消え、続いてその手から柄と鍔も白い輝きとともに消えてしまった。そして後には右の中指に着けた指輪だけが照明の光を受けて銀色に輝いていた。


 スクリーンから女性キャスターの姿は消えて、今ではどこかの議会だかの映像が流れていた。


「これがテレビと言うのか、コータ」

「あ、ああ」

「オレの頭ん中に『テレビ』という言葉は浮かんだんだが、それが何かはわからなかった。それにしても……」


 ウルスラグナは「もう大丈夫だ」というように孝太の肩を軽く叩くとツカツカとテレビの前に行き、その裏側を覗き込もうとした。予想できたとは言え、あまりにもベタなその行動に可笑おかしさを抑えきれずに孝太は声を上げて笑ってしまった。


「お――い、裏には何もねぇぞ。それにしてもコテコテ過ぎるリアクションだな、今のは、ハハハ」

「オ、オレにもわかってたさ。でも……その……念のため、念のためだ」


 そしてウルスラグナは顔を赤らめながら口をとがらせてつぶやいた。


「そ、そんなに笑うことないだろ、コータ」


 そしてテレビにもう一度目を向ける。画面には次のニュース映像が流れていた。孝太が「もういいだろ」とテレビの電源をオフにすると、今度はテレビが置かれたその後ろにある引き戸に目を向ける。どうやらその向こうに何があるのかが気になっているようだ。


「ところであのテレビとやらの向こうには何があるんだ、コータ」

「あ――ウルスラグナ様、そちらは我が家の寝室にございます」


 孝太は緊張をほぐしてやるつもりで皮肉を込めた慇懃いんぎんな言い回しでおどけて見せた。するとウルスラグナは興味深げな顔でそこに近づこうとした。


「そうか、どれどれ、ちょっと拝見……」

「ま、待て、待て、待って!」


 孝太は慌てて素早い動きで行く手を阻むように回り込むと引き戸の前に立ちはだかり両手を前に上げてその動きに待ったをかけた。

 するとそのとき孝太の両手は温かく柔らかい感触に包まれた。なんと孝太のその手は勢い余ってウルスラグナの両胸を鷲掴わしづかみにしていたのだった。


「あっ」


 その場で固まる孝太。薄く白い布地のその下に下着と思われるもう一枚の布が身体を覆っていたがそれでもまるで直に素肌に触れているような柔らかなさわり心地だった。そしてその胸のふくらみからはトクントクンと脈打つ鼓動が微かに感じられた。

 しまった、何やってんだオレ。よりにもよってコイツの、コイツの胸を……ヤバい、これはヤバいぞ。

 今、孝太の脳裏には頭を掴まれたときの力強い感触とさっきの固い握手の記憶がよみがえっていた。

 シャレが通じる相手じゃなさそうだし、こりゃマジでられる。終わったな、オレ。

 観念したかのように固く目を閉じて歯を食いしばる孝太、しかしウルスラグナはそんな孝太をキョトンとした顔で見ながら言った。


「どうした、コータ。何をそんなに怯えてるんだ?」

「い、いや、これは、その……スマン」


 孝太はすぐに目の前にある豊かな胸の膨らみから手を下ろすとペコリと小さく頭を下げた。しかしウルスラグナはまったく意に介すことなく、ただあたふたする孝太のさまを不思議そうな顔で見ているのだった。


「そ、そうだ、茶でもいれようか。とりあえずおまえはソファーに座って待っててくれ。それと、くれぐれもその辺のもんにさわるんじゃねぇぞ」

「なぜだ」

「またぞろ剣なんて振り回されたらたまったもんじゃねぇ。とにかくそこでおとなしくしてろ」


 孝太はぶっきらぼうにそう答えるとそそくさとキッチンに向かった。


「ふぅ――危ねぇ、危ねぇ、あいつのあの力で締め上げられたらオレ、絶対死んでただろうな。いやはやもう少しでラッキースケベどころかアンラッキーってなことになるところだったぜ。でもまあ、とにかくさっきのあれは気にしてないみたいでよかったぜ」


 そして孝太はソファーに座って所在なげにしているウルスラグナの様子をキッチンカウンターの向こうから伺い見るのだった。


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