第2話 美しく勇敢なウルスラグナ

 目の前に突然現れた娘、その白く長い髪の隙間から見える上端が尖った耳を指さしながら孝太は恐る恐る質問を試みた。


「ところでおまえのその耳、そいつは本物なのか?」

「あったり前だろ。なんなら触ってみるか、ほら」


 そう言って娘は右手で耳元の髪をかき上げる。するとそこには娘の肌の色と同じ浅い褐色の尖った耳があった。


「いやいや、いいから、見せなくていいから。それにオレには他人ひとの身体的問題を深堀りする趣味はねぇから。とにかくその髪を下ろしてくれ」


 そして孝太は床から立ち上がると壁際にあるソファーを指して、そこに座るようにすすめた。


「それにしてもなんだか落ち着かねぇなぁ。おまえはとりあえずそこのソファーにでも座ってくれ。オレは……っと」


 孝太は愛用のチェアをソファーのすぐ脇まで持ってきながら、床から立ち上がった娘の全身を素早く観察した。

 背丈は自分よりも頭半分ほど低いようで、180センチメートル近い孝太の身長から逆算するとおよそ170センチメートルとちょっとくらいだろうか、彼が知る女性の中では割と背が高い方だなと感じた。すらりとした身体からだを包む薄手の白い布一枚に見えたその衣服の下には同じく白布の下着のようなものを着けているのがうっすらと透けて見える。そして突然この部屋に飛ばされてきたからであろう、革製の紐を編み上げたサンダルらしきものを履いていた。

 短い時間ではあるが娘を観察した孝太は小さなため息とともに「ちょっと待ってろ」の言葉を残して玄関先に向かう。そして一足のスリッパを手にして戻ってきた。


「あのさ、お嬢さんのお国ではどうか知らねぇけど、ここでは部屋の中じゃあ履物は脱ぐもんなんだ」


 娘は孝太が差し出したスリッパを受け取ると、


「なるほど、どうやらいろいろと勝手が違うようだな」


と言いながらサンダルを脱ぐ。そしてうっすらと革紐の跡が残る長く細いが引き締まった筋肉に包まれたその足のつま先にスリッパをかぶせてみた。


「う――んこれは……なあコータ、とにかく靴を脱いでればいいんだろ? ならオレは裸足はだしでいいや」


 そのとき孝太はまたも観察していた。どうやら手も足も指は五本、オレたち人間と同じだ。髪や眉毛以外の体毛はなさそうだが、それは手入れをしているからだろうか。そんなことを考えながらもそれを気取けどられないように孝太は娘に問いかけた。


「ところでさ、オレはまだおまえの名前すら聞いてねぇんだけどな」


 娘はハッとした表情で孝太を見ると、すぐにソファーから立ち上がって右手を胸に当てながら孝太が座るイスの前で片膝をついた。


「オレとしたことが、これは失礼した。オレの名前は……ちょっと長いけどしっかり聞いてくれ」


 そして娘は美しい鳶色とびいろの瞳で孝太の目をしっかりと見据えながら、イースラーと呼ぶ自分たちの言語で自己紹介らしき言葉を発した。


"Mihmimミーミム adosimアドシム Halwatahtimハルワターティム yiyイー Suraohsiaimスラオーシャイム Daxutahlダフタール Birizianemビリジャネム Sessaretnemセッサレットネム Urusragunaウルスラグナ Mexuldahlimメフルダーリム xalsハルス."

(我が名はハルワターティム=イー=スラオーシャイム=ダフタール・ビリジャネム=セッサレットネム・ウルスラグナ・メフルダーリムと言う)


 イースラー、そんな言語を孝太は知らない。しかし単に自分の名を語るにしてはやたらと長ったらしいことに違和感を覚えていた。そう、それはまるで呪文か何かのように。


「おいおい、なんだ、その長ったらしいのは。それがおまえの名前なのか?」

「そうだ。だから長いと言ったろ。オレたちの名前には父と母の名、それにオレへの想いが込められているんだ。そしてオレの名前と一族の名が続くんだ。それでハルワターティム=イー=スラオーシャイム=ダフタール・ビリジャネム=セッサレットネム・ウルスラグナ・メフルダーリムだ、覚えたか?」

「まるで寿限無じゅげむみたいなそんなもん、覚えられるわけねぇだろ」

「ん、なんだ、そのジュゲムとかいうのは。この国の王か貴族か?」

「そんなんじゃねぇ。寿限無というのはな、落語の……ま、それはそれとして、しかしなぁ……」

「とりあえず説明を続けよう。まずはオレの父と母の名だ。父がハルワタート、母がスラオーシャと言う」


 こうして長い名を持つ娘は自分の名の由来を語り始めた。娘の国では両親の名の次に両親が子供に託す想いを込めたひとつかふたつの修飾的な言葉を続ける。そして娘の名前と一族の名、これは日本の苗字にあたるものだそうだが、それを続けるのだった。


「なるほど、親父さんはハルワタートさんってのか。でもさっきハルワターティムって言ってなかったか?」

「おっ、なかなかいい耳してるじゃないか。その通り、イースラーでは名前の後にイムをつけることで所有を表わすんだ。コータの、と言う場合はKohtaimコータイムって具合だ」

「じゃあ、イーってのは父と母とみたいなもんか」

「その通りだ。ちなみにそれに続くDaxutahlダフタールというのはむすめという意味だ」

「なるほど、ハルワタートさんとスラオーシャイムさんの娘ってことだな。で、その後は何だ?」

Birizianemビリジャネムは美しい、Sessaretnemセッサレットネムは勇敢な、だな」

「なるほどね、美しく勇敢な、って……おいおい、自分で言うのかよ、美しいとか勇敢とか」


 しかしその名前もさることながら彼女の説明もまた長かった。すぐにでも襲いかからんとしていたさっきまでの姿とはうって変わって自信に満ちた態度で自らの出自を語る姿を見るに、この娘はそこそこ高いくらいにあるのではないかと孝太は直感的に感じていた。

 それにしてもこの長い名前をどう呼べばよいのか。長々とされた説明によればおしりから二つ目のウルスラグナというのが名前だと思うのだが、どうしたものかと困惑している孝太の気持ちにはお構いなしに娘はなおも話を続ける。


「心配することはないぜ。今のは神の前や正式な儀式で名乗る真名まなというヤツだ。せっかくだからコータには真名で自己紹介をしただけで、普段はもっと短くハルワタート=スラオーシャ・ウルスラグナ・メフルダールって言うんだ。父、母、オレの名そして一族の名だけの、こっちが普段使いの名前だな」

「それでも長げぇよ、名前も説明も。もっとなんとかなんねぇのかよ」

「そうか、それならウルスラグナ・メフルダールでいいぞ」

「んだよ、なら最初からそう言えよ……ってことはおまえの名前はウルスラグナって言うんだな?」

「そうだ、あらためて……Unurukuウヌルク bihnimimビーニミム. Dygunosuyukusディグノスユクス.」

「なんだ、今のは?」

「これは『はじめまして、よろしく』という意味だ」

「そ、そうか……えっと、ディ、ディグノスユクス」

「おう、よろしくな」


 孝太の前で膝をついていたウルスラグナと名乗るその娘はすっくと立ち上がると孝太に向かって右手を差し出した。

 そうかこの娘の国にも握手の習慣はあるのか。孝太も恐る恐る右手を差し出すと、娘はその手をぐいっと掴み返してきた。その握力は相当に強かった。確かにさっき頭を掴まれたときも孝太ひとりではその腕を外せないほどの強さだった。しかし今は彼女なりに加減をしているのだろう、もしこの娘が本気を出したならば自分の右手は砕けてしまうのではないか、ただの握手だけでもそう思わせるだけの迫力を感じた。


「ウルスラグナ、ウルスラグナ……それでもまだ噛みそうだな。ま、いいか、呼び名なんて追い追い考えれば」

「ちょっと待て、いくらなんでも初対面でそれはひどくないか?」


 ウルスラグナがまたもいぶかし気な顔で聞き返すと、孝太は面倒臭そうに応えた。


「はいはい、わかりましたよ、ウルスラグナさん。これでいいだろ?」

「まあいいだろう。それにしても大雑把なヤツだな、コータは」


 そしてウルスラグナはニヤリと微笑むとその手に少しばかり力を入れて握り返してきた。


「イテッ、イテテテ、お、おまえ、今のわざとだろ」


 そんな軽口の掛け合いのおかげで少しは気持ちがほぐれてきたのだろう、今のウルスラグナの顔からはさっきまでのとがった表情はすっかり消えていた。

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