君は夢か幻

猫柳蝉丸

本編

 それは夢か、幻か……。

 俺には忘れ得ぬ愛おしの君が居る。

 何処で見たのか、何処で会ったのか、それは遠い記憶の彼方だ。

 けれど、俺の心の中には確かに存在していて、未だに強く記憶している。

 あの今も心に残る君は誰なのか、俺はそれを求め続けているのだ……。



     ☆



「お兄ちゃん、タイムスリップしよう!」

 リビングで寝転んでテレビを観ていると、美奈子がまた馬鹿な事を言い出した。

 いい加減にしてくれよ、もう十五歳なんだぞ、この妹。いや、俺も十五歳だけど。

「いきなり何を言い出してるんだよ、おまえは。また変な深夜アニメでも観たのかよ。夜更かしして菓子とか食ってたら母さんみたいに太るぞ」

「そうじゃないの! タイムスリップして確かめたい事があるの! お兄ちゃんだってずっと気になってるでしょ! あたし達の事!」

「俺達の事? 何か気になる事あったっけか?」

 俺が真面目に訊くと美奈子は顔を近付けてから俺を見下ろした。

 女の方が男より成長が早いのは知っているが、妹に身長で抜かれるのはちょっと辛い。

 いや、今はそんな事はどうでもいい。俺は軽く頭を振って美奈子の次の言葉を待った。

「誕生日だよ! あたし達の誕生日に決まってるでしょ!」

「おまえの誕生日ならまだ半年後だぞ。ちなみに俺の誕生日は再来月だ、何かくれよ」

「うん、あたしが大事にしてるものをお兄ちゃんにあげるね……じゃなくて、自分で言ってておかしいと思わない?」

「何が?」

「お兄ちゃん、自分が何歳か分かってる?」

「十五だけど」

「あたしは?」

「おまえも十五だろ、何当たり前の事言ってんだよ」

「おかしいじゃない!」

「いきなりデカい声を出すな、近所迷惑になるだろうが」

「あっそれはごめんね……。でもお兄ちゃん、やっぱりおかしいと思うんだよね、あたし達の誕生日って」

「そうか?」

「いや、おかしいじゃない! どうして兄妹なのに同い年なのよ! ううん、同い年なのはなくはないかもしれないけど、誕生日が四ヶ月しか離れてないのはどう考えてもおかしいじゃない! 人間の妊娠期間は十月十日なのよ!」

「古い言葉知ってるよなあ、美奈子は……」

「もっと真面目に考えてよ!」

 美奈子が怒るが、こいつに言われるまでもなく俺だって少しは不思議に思っていた。

 何故俺と美奈子の誕生日は兄妹なのに四ヶ月しか離れていないのか。

 それを母さんに訊ねた時、一応は納得のいく答えが返ってきた。

「真面目に考えてるよ。それに前に母さんが言ってたじゃないか、美奈子が早産だったからなんだって。四ヶ月での早産だったから美奈子がちゃんと育つか心配だったって言ってただろ?」

「お兄ちゃん、そのお母さんの言葉、信じられるの?」

「信じるも信じないもそれ以外の可能性なんて考えられないだろ?」

「違うね、女の勘で分かるもん。ママが嘘を言ってるんだって」

「女の勘って、まだクマのぬいぐるみと寝てるような子供が何言ってんだよ」

「女は女だもん! 女の子は産まれた時から女なの!」

「そういうもんかね」

 女の勘は置いておくとして、母さんの説明に完全には納得がいかなかったのは俺も同様だ。美奈子が早産だったのはまだいい。俺を出産してから美奈子を妊娠するまでが早過ぎる気がするのだ。父さんと母さんが性欲旺盛だったとしても、いくら何でも妊娠が早過ぎやしないだろうか。自分の両親を性欲旺盛と考えるのも何となく嫌だが……。

「おかしいって思う理由はまだまだあるんだよ、お兄ちゃん!」

「とりあえず言ってみろ」

「あたし達の赤ちゃんの頃の写真が全然無いって思わない?」

「アルバムを見返す習慣が無いから分からんけど、そうなのか?」

「そうなの! あたしちゃんと調べたもん! あたしとお兄ちゃんの一番古い写真なんて調べてみたら五歳の時のだったんだよ? おかしいじゃない! 一番可愛い頃の赤ちゃんの写真が無いなんておかしいじゃない!」

「母さんが写真嫌いだからじゃないのか? 今でもカメラ向けると嫌がるし」

「違うね、演技だよあれ。女の勘で分かるもん。ママは演技で写真を嫌がってるの!」

「どうしてわざわざそんな演技なんかするんだよ」

「本当に知られたくない事を隠すためだよ、あたしには分かるもん」

「本当に知られたくない事って何だよ?」

「それはね、あたし達が……」

「俺達が?」

「あたし達が本当の兄妹じゃないって事だよ、お兄ちゃん。それなら誕生日が四ヶ月しか離れてないのも、あたし達の赤ちゃんの頃の写真が残ってないのも説明が付くでしょ? そうとしか考えられないでしょ? きっとあたしだけ他の家の子供なんだよ……」

「俺達が本当の兄妹じゃない……?」

 にわかには信じられなかった。

 俺達が本当の兄妹じゃないなんてそんな事がありえるのだろうか。

 血が繋がってなかったらいいなと思う事はたまにあったが……。

 そこまで考えて、俺はようやく美奈子が言い出した言葉の意味を理解した。

「それでタイムスリップか?」

「そうだよ、お兄ちゃん。本当の事なんてパパやママに訊いたって絶対に教えてくれないもん。あたし達でタイムスリップして直接確かめるしかないんだよ!」

「そんな事言ったって、タイムスリップなんて出来るわけないだろうが」

「それが出来るんだよ、お兄ちゃん。最近あたしが帰るの遅いなって思わなかった?」

「彼氏でも出来たのかなって思って気にしてなかったな」

「気にしてよ、そこは! ううん、まあいいよ。とにかく最近帰りが遅かったのは彼氏が出来たわけじゃないの。タイムスリップの為に部活動に勤しんでたんだよね、この真実を愛する美奈子ちゃんは!」

 部活動……?

 美奈子が所属している部活は科学部でもオカルト研でもなかったはず……。

 いや、科学部やオカルト研ならタイムスリップ出来るという意味ではないが。

「いや、部活っておまえの所属してるの日本舞踊部だろ? タイムスリップと何の関係があるんだよ」

「分かってないなあ、お兄ちゃんは。日本舞踊には影能っていうタイムスリップに使える能があるんだよ?」

「能かよ! 渋いなオイ! いや、渋いのは別にいいけど!」

「この前、鈴木先生に悪用しちゃ駄目だよ、って秘伝を教えてもらったんだよね」

「軽いな秘伝! いいのかよ鈴木先生! そんなホイホイ秘伝教えちゃって!」

「大丈夫! 清く正しい美奈子ちゃんは影能を悪用したりしないもん!」

「清く正しい妹を持ててお兄ちゃんも嬉しいぜ! ……それで、その影能ってやつでタイムスリップして俺達が本当の兄妹かどうか確かめるわけなのか?」

「うん、とりあえずあたしの産まれる日にタイムスリップすれば、真相が明らかになると思うんだよね。あたしの誕生日にママが本当に妊娠してたらママが嘘を言ってなかったって証拠になるでしょ?」

「なるほど……。いや、待てよ。そもそも戸籍を取り寄せればいいんじゃないか?」

「あっ……」

「その手段を考えてなかったのかよ……」

「う、ううん、タイムスリップするの! も、もしかしたら戸籍まで偽造してるかもしれないでしょ? 偽造してるはず! そうに違いないよ、お兄ちゃん!」

「そうかな……、そうかな……」

 俺は美奈子の戯言を諌めようとして、止めた。

 タイムスリップなんて本当に出来るはずがないじゃないか。

 無理に止めるより美奈子の好きにさせてやった方がこいつも諦められるだろう。

 それにもし本当にタイムスリップが出来るとしたら、確かめたい事もある。

 勿論、俺の胸の中にずっと残っているあの人の事だ。物心付く前からずっと存在している幻のようなあの人。最近、気付き始めた。あの人は何処となく俺の知っている誰かに似ている。もしかしたらその人は俺の……。

「よーし、じゃあ早速タイムスリップするから見ててね、お兄ちゃん! 鈴木先生によると影能は見ている人も一緒にタイムスリップさせられるらしいから、ちゃんとまばたきせずに見ててよね! 一瞬でもまばたきしたら、一緒にタイムスリップ出来ないから気を付けてね!」

「地味にきついなオイ!」



     ☆



 俺達が現代に戻った時、時計の時間は過ぎていなかった。

 と言うか俺の記憶している時間より五分ほど戻っていた。

 過去で見た光景が予想外で、美奈子が動揺して戻る時間を間違えてしまったのだろう。

 しかし、それは俺だって同じだった。

 俺の愛おしの君の正体がまさかあの人だったなんて……。

 道理で愛おしの君が美奈子に似ているような気がしていたはずだ。

「美奈子」

「何、お兄ちゃん……?」

「疲れてるみたいだな、大丈夫なのか?」

「うん、大丈夫だよ……。三回も影能を舞ったから目が回っただけ……」

「目を回すだけでタイムスリップ出来るとか凄いコスパだよなあオイ!」

「それで? あたしに何か言いたかったんじゃないの、お兄ちゃん?」

「ああ、そう言えばそうだった。なあ、美奈子。母さん、やっぱり嘘言ってなかったじゃないか。いや、嘘と言えば嘘だったけど、それでも俺達は正真正銘、血が繋がった兄妹だったじゃないかよ」

「そうだね……、まさかあんな事が現実に起こるなんて思わなかったよ……」

「能でタイムスリップしてる俺達が何言ってんだって話だけどな」

「ううん、あたし達に起こった事の方が逆に凄いと思うよ……。そんな事が起こるだなんてこの目で見ない限り絶対に信じなかったと思うもん、あたし……」

 その気持ちは俺も同じだった。

 美奈子と血の繋がった兄妹である気はしていたが、まさかあんな形で産まれた兄妹だったとは思わなかった。父さんと母さんが俺達に誤魔化して説明した気持ちも分からなくもない。特に美奈子なんかは頑固だから確実に信じなかっただろう。

「俺だけ先に産まれた双子だったなんてな。思わなかったよな……」

「うん……」

 俺と美奈子は一度目に向かった過去で見た。

 俺をその腕に抱いた父さんが、美奈子を出産した母さんを見ているのを。それだけなら美奈子でなく俺の方が養子である可能性もなくもない。そう主張した美奈子は次に俺の誕生日に影能でタイムスリップした。それには俺も異論は無かった。

 そうして俺の誕生日にタイムスリップした先で俺達は見たのだ。

 突然の陣痛で双子を早産するはずが、俺の方だけ母さんが出産してしまった光景を。

 つまり早産で産まれたのは美奈子ではなく俺の方だったというわけだ。そう考えると美奈子の方が俺より無駄にデカい理由が分からなくもない。俺が未熟児で産まれ、美奈子の方が通常の妊娠通りに産まれたからこそ、美奈子の体格が俺よりよかったのだろう。

「こんな事があるなんて……」

 美奈子が呆然と呟いている。

 美奈子は俺と血が繋がっていなかった方がよかったのだろうか。

 或いは血の繋がりが無い方が都合のいい感情を俺に抱いているという意味なのだろうか。

「こんなのって……、こんなのって……」

 俺は呟いている美奈子の肩に手を置こうとする。

 呆然としている美奈子の想いを少しでも落ち着かせてやろうと思ったからだ。

 しかし、美奈子は顔を上げると晴れやかな表情で言い放った。

「こんなの凄いロマンチックじゃない!」

 あっ、そっちでしたか。

「凄いよね! 凄いよね、お兄ちゃん! あたし達って双子だけならまだしも、お兄ちゃんだけ先に産まれた双子だったんだよ! こんなの中々ある事じゃないよ! すっごい特別って気がしない? するよね? ねっ?」

「まあ、滅多にある事じゃないとは思うが……」

「これ間違いないよ、お兄ちゃん! 神様があたし達に結ばれろって言ってるんだよ!」

「おまえは何を言っているんだ」

「そう思わない? だってこんなにも特別な二人なんだよ? こんな奇蹟みたいな二人が結ばれなくていいのかな? いや、よくない! おかしいじゃない! こんな奇蹟の二人が結ばれないなんておかしいじゃない! だからあたしと結ばれようよ、お兄ちゃん! 実を言うとね、あたしお兄ちゃんと血が繋がってないかもって思うのが嫌だったの。こんなに大好きなお兄ちゃんと血が繋がってないなんて、本当の妹じゃないかもなんて思うのが辛かった。だから、どうしても確かめたかったの。あたしとお兄ちゃんの血が本当に繋がってないのかどうか。怖かったけど確かめたかったんだよ? でも、確かめられてよかった! 大好きなお兄ちゃんと血が繋がってるだけじゃなくて、こんなにも特別な奇蹟の双子だったなんて!」

 今までに見た事が無いくらいに美奈子がはしゃいでいる。

 はしゃぎたい気持ちは俺にも分かるし、奇蹟の双子と言いたい気持ちも理解出来る。俺だって美奈子の事が嫌いなわけじゃない。出来る事なら美奈子の想いに応えてやりたい気持ちが無いわけじゃない。大切な妹なんだから。

 だが、そういうわけにもいかない。

 俺は美奈子の両肩に手を置いて、言い聞かせるように話し始める。

「いいか、よく聞いてくれ、美奈子。おまえの気持ちは嬉しい。だけどな、その気持ちには応えられないんだよ」

「ど……、どうしてっ? あたしが妹だからっ?」

「そうじゃない。俺には好きな人が居るんだよ、美奈子」

「好きな人って……、あの?」

「ああ、小さな時におまえに話した事があったな。ずっと俺の胸の中に居るあの人だよ」

「でも、その人は誰か分からないんじゃ……」

「いいや、分かった。さっき分かったんだ。ずっとそんな気はしてたんだ、あの人が最近の美奈子に似ているって、そう思ってたんだよ。さっき過去にタイムスリップしてみて分かった。あの人が美奈子に似ているのなんて当たり前だった。だって……」

「だって……?」

「俺の愛おしのあの人は若い頃の母さんだったからなんだよ!」

「そっちかー!」

 あの愛おしの君が美奈子に似ているのも、どう探しても見つからないのも当然だった。

 母さんは俺と美奈子が双子である事を隠すために、面倒な説明を避けるために意図的に自分達の写真を隠していた。その写真を見ていたら俺ももっと早く気付いていただろう、俺の愛おしの君が若い頃の母さんだったのだと。タイムスリップしてみて若い頃の母さんの顔を見て驚くと同時にときめいた。若い頃の母さんこそ俺の理想の人だったからだ。

 いや、でも、まさか若い頃の母さんがあんなに美人だったとは思わなかった。俺達を産んだ後に太ったって言ってたけど、太る前の母さんが愛おしの君だったなんてな。うん、これこそ奇蹟の出会いってやつだよな。

「そういうわけだから悪いな、美奈子。俺には若い頃の母さんしか見られそうにない」

「ダメだよ、ママに恋するなんて! おかしいじゃない! 非生産的じゃない!」

「双子の兄と結ばれようとしてるおまえに言われたくないぞ」

「いいの! あたしとお兄ちゃんは奇蹟の双子なんだから!」

「それが奇蹟なら、俺と若い頃の母さんだって奇蹟の出会いだ! この恋だけは諦められそうにないんだよ!」

「このマザコン! ド変態!」

「マザコンじゃない! 若い頃の母さんが好きなだけだ!」

「それがマザコンだって言ってるの!」

「それはそうと美奈子、おまえに一つ頼みたい事があるんだが……」

「な、何よ……」

「影能の舞い方教えてくれ。今度タイムスリップして若い頃の母さんに告白する」

「絶対ダメ!」






めでたしめでたくもなし






作者註、一人だけ先に産まれる双子は本当にあります。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君は夢か幻 猫柳蝉丸 @necosemimaru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ