彼と彼女の怖いもの④


「……やってしまった」


 昼休みの学食で、遥は頭を抱えていた。

 食欲も湧かないので、手元にはパンひとつと飲み物だけ。


 完全に、失敗だった。

 雪季に今までにない激しいキスをされて、理性のタガがはずれてしまった。

 せっかく今まで、ずっと制御できていたのに。


「終わった……」


 今朝から何度目かわからなくなったため息を吐く。

 その度に身体も心も重くなっていく気がして、遥はますますため息の出る思いだった。


 そもそも、雪季はどういうつもりであんなことをしたのだろうか。


 遥は昨日の出来事を思い出す。


 遥がずっと考えてきていたことを、雪季に話した。

 遥なりに、しっかり雪季に伝わるように。


 そして、雪季も「伝わった」と言ってくれた。

 その言葉に嘘はないはずだ。

 なのに、どうして雪季はあんなことを。


 自分の気持ちが伝わっているなら、あんなことをするのはおかしい。


 進むのが怖いと、その思いを理解してくれたのなら……


「はぁぁあ……」

「……遥?」

「ん?」


 突然の声に顔を上げると、親子丼をトレイに載せた絢音が立っていた。


「絢音……」

「あ、あんた、大丈夫? 今朝からずっと元気ないわよね?」

「絢音……絢音ぇ」


 泣きついてしまいそうになる気持ちを抑えて、遥は深呼吸した。

 ここは学校の食堂だ。

 それに絢音とは、いろいろあった。

 あまり今回の件で、頼るわけにもいかない気がする。


「なにか悩み事?」


 絢音はそのまま遥の向かいに腰掛けた。

 絢音とは最近の席替えで隣同士になった。

 もしかすると、だからこそ自分の様子がおかしいのに気づいてくれたのかもしれない。


「ま、まぁ……そんなとこ」

「ふぅん」

「……」

「……雪季のことね」

「えっ」


 なぜわかったのだろうか。

 遥は思わず目をぱちくりさせてしまった。

 絢音は呆れたように首を振ってから、柔らかく笑った。


「あんたが言いにくそうにしてるから、たぶん、それじゃないかって」

「な、なるほど……」

「ふふん、何年幼馴染やってると思ってんのよ」

「さ、さすが絢音さんです……」


 遥はなんだか全身の力が抜ける思いだった。

 人に知られているとなると、少しだけ気持ちが楽になる。


「あとはまあ、あれよ」

「あれ?」

「今日はね、雪季がものすごく、不機嫌」

「うっ……やっぱり」


 またしてもズーンと気が重くなる。

 今朝は朝食こそ一緒に摂ったが、登校は別々だった。

 喧嘩、というわけではないのだけれど、やっぱりまだ気まずさが大きい。


「雪季、怒ってる……よな?」

「なに? あんたが悪いの?」

「い、いや……まあ、なんと言いますか……」


 我を忘れて雪季を襲い、挙句怖がらせて拒絶された、なんてことは口が裂けても言えない。

 遥がどうしていいかわからずまごまごしていると、絢音はクスッと笑って。


「いいわよ、言いたくないことは言わなくて」

「ご、ごめん……」

「なんで謝るのよ。そんなこともあるでしょ、普通」

「まあ、そうなんだけどさ……」


 絢音の優しさが心に染みた。

 相談することはできそうにないけれど、遥は少しだけ救われたような気分だった。


「雪季、どんな感じだった? 怒ってる?」

「怒ってる、って言うより……うーん、イライラしてる?」

「い、イライラ……ひぃぃい」

「ずっとムスッとしてる」

「うわぁぁあ……」


 不安が募る。

 やはり雪季はまだ、昨日のことを引きずっているようだ。

 まあ自分がこれだけ悩んでいるんだから、当然かもしれないが。


「これは……嫌われたかも」

「えぇ? ちょっと、大丈夫なの?」

「……わかんない」

「心配させないでよね……」


 絢音は複雑そうな顔で一口お茶を飲んだ。


 雪季が怒っているとすれば、それはもう、自分に幻滅しているということだろう。

 その時こそ怖がらせたが、今となっては遥のことを軽蔑しているかもしれない。


 怖がっていても、強引に進めてしまえば良かったのだろうか。

 それとも、冷静さを失った時点で失敗だったのか。


 遥にはわからない。

 しかし、たとえ雪季が望んでいたとしても、あのまま無理やり、というのは遥には絶対に嫌だった。

 恋愛と恐怖が結びつくことが、どれだけ辛いことか、遥にはよくわかっているのだから。


 でも、それなら最初から、我を忘れちゃダメだよなぁ……。


 再び大きなため息が出て、遥は少しだけ涙がにじむのを感じた。


「はぁぁあ……」

「……でも、大丈夫だと思うわよ、たぶん」

「えっ……」


 遥の落ち込みように反して、絢音はなんだかさっきよりも平気そうな顔をしていた。

 いったい、なぜなのだろうか。


「雪季、イライラしてたけど、あの時に似てる感じなのよ」

「あの時……?」

「ほら、一回雪季が家出した時あったでしょ」

「あ、ああ。あったなぁ」


 今となっては随分前のことのように思える。

 あの時は橙子ともいろいろあって、様々なすれ違いの結果、雪季が都波の家に駆け込んだのである。


「あの時、私も学校では雪季と話して、愛佳から話も聞いたんだけど」

「う、うん」

「あの日の雪季に、似てる」

「……と、言いますと」

「イライラしてるんだけど、それ以上にたぶん、ウズウズしてる」

「う、うずうず?」

「うん」


 ウズウズ。

 ウズウズとは。


「……なにに?」

「知らないわよ。それくらい自分で考えなさい」

「えぇ……」


 絢音はまた首を振ってから、トレイを持ってすっくと立ち上がった。


「ちゃんと仲直りしてよね。まあ、私にとっては喧嘩してくれるのはチャンスだし、嬉しいんだけど」

「えっ……」

「それじゃあね」


 言って、絢音はさっさどこかへ行ってしまった。

 残された遥は、しばらくぽけっと口を開けていた。


「やっぱり、私に略奪なんて無理よね……」


 去り際の絢音のそんなセリフも、食堂の喧騒に紛れて遥には届いていなかった。


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恋愛恐怖症の俺は、同居してた超絶美少女と付き合うことになりました 丸深まろやか @maromi_maroyaka

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