手と手を合わせて

雨音

手と手を合わせて

 何一つ面白い事なんてなかった。

 計画は全部失敗したし、あれだけ期待させておいた空も全然綺麗じゃなかった。つまんないって登ってきた扉を蹴りつけたらひしゃげる音が妙に響いて、君はとても嫌そうな顔で髪をかき上げたっけ。

 いつも君はそうだ。

 嫌で嫌でたまんないって顔をしながら絶対に私の後をついて来る。私も君のそういうところがずうっと気に入らなかった。

 だから、あの時。

 私が拾って押し付けたナイフで、君がその長くて綺麗な髪を斬り落としたあの時。すっごく愉快な気分になったの。


 全然思い通りにならない君なんて、だいきらい。



*******



 君のことは昔から気に食わなかったんだ。


 成る程、これが最後の晩餐というものかと感心してしまった。

期待など全くしていなかったものだから、目の前のモノを食べ物だと理解するのにはまだ時間がかかりそうだった。

 何せ、生まれてこの方、食料というものは四角か、丸いか、三角か、固形か、液状か、錠剤か、それくらいでしか判断する必要がなかったのだ。私の味覚は生まれつき無い。このご時世では珍しい話ではないし、美味いやら不味いやらといって選り好みしなければならない連中に比べれば、寧ろ生きるのには容易い体質だからと歓迎していたくらいだ。

 でもこうして今、食べ物……というのだろうか?を目の前にしてしまうと、己の体質が少し恨めしく思えた。まあ、匂いくらいは楽しめるからいいか。そもそもこの匂いがどんな味覚に付随するものなのかすら知らないのだけれど。

 私が看守に申告したのはクリスマスディナーというものだった。図書館の閉架のメディアまで探しに行かないと見つからない古い古い概念。

 そう、概念だろう、こんなもの。

 クリスマスという言葉は知っているけれど、正確な意味などこの街では誰も覚えていない。晩餐、も精々が夜に食べる物、がいいところだ。 

 

 どうせ死ぬのだから食餌なんてどうでもいい。どうでもいいが、それならば知らない人間にできるだけ手間をかけさせてやろうと思いついたのが、昔拾い出したこの概念だった。


 それが今、目の前にある。

 生の植物と動物性たんぱく質。一生見ることなく人生を終える人間が殆どだというのに、ただの死刑囚の為によく用意したものだと思った。

 恐る恐る、手前にあった生の植物、そう昔の人間は植物を生で食べていたのだ、をフォークで突き刺して口に入れた。


 妙な歯ごたえに背中が粟立つ。繊維質の何かが口の中に広がり、青臭い匂いだけが鼻に届いて消えた。

 嚥下して体内に入れるのにも勇気がいるが、この際仕方ない。何で態々こんな真似を。黄色のスープ、白い何かのペーストに、何かの肉の塊。つまり、何かの死体。まさか本当に動物の死体を食べていた時代があったなんて!それとも、今でも『天空楼』の人間達は動物の死体を食べているのだろうか。そうだとしたら私が地下に生まれた事は、とても幸運な事に違いないだろう。

 恐る恐るカトラリーでそれ―肉を解体してみる。骨は付いていないようだ。不均一でおよそ柔らかさとは無縁のその塊を一心不乱に解体する。繊維も柔らかくはなく、偶に固い筋すら残っていた。こんな面倒な食べ物が合成タンパク質に取って代わられるのも仕方のない事だと思った。何だかぶよぶよとしているし気持ちが悪い。


 これを、食べるのか?

 私が?


 要求しておいて何だが、とても口に出来るものではない。何せ、私には味覚がないのだ。訳の分からない物体を咀嚼して嚥下し続ける作業に従事する事は、途轍もない苦行に思えた。それならば何故。何故、こんな無駄な注文を付けたのか、管理者達には到底理解できないだろう。残念、私にも理解等できていない。誰かに手間をかけさせたいなんて雑音は考えるだけでも面倒なのに。

 おそらく、すべての元凶が無事に処刑された今、罵る相手がいなくて途方に暮れているのだろう。

 

 なんてザマ。


 つい癖で髪をかき上げようとしたけれど、馴染んだ感触がそこに無い事実に余計気分を滅入らせただけだった。風も塵も、ついでに汚染物質すら排除された独房に、餓死しないように差し入れられる恐らく人並みの食餌。そのおかげで、自由だった時よりも健康になっているような気がするのも笑えない。元から笑った事なんてなかったけれど。もし長いままだったら、さぞや君好みの髪になっていたのだろう。そう思ったら少しだけ気分が上向いた。


 ざまあみろ。どのみち君には手に入らないものだ。


 『最期の願い』もといクリスマスディナーを放棄して、独房の端に転がしておいた『遺品』を手に取ってみる。

 今朝届けられた彼女の帽子。

 邪魔だと言ってすぐに髪を切ってしまうから、何時だって滅茶苦茶だった君の髪。見る度に苛々したから、ゴミ捨て場で拾って無理矢理に被せたこれを、君は嫌がらせの様にずっと被っていた。何故こんなもの私に寄越す様に手配したのか。

 どうせ数時間後にはダストシュート行きだ。最期くらい独りにして。もううんざりしていたんだ。君に。君と一緒にいる自分に。

 

 だから、賛成したのに。


 失敗するのなんて誰の目にも明らかだった。「空を視に行く」なんて。例えあの天井を突き破って上を視る事が出来たとしても、君の眼が色彩を判別できる様になるとは到底思えなかった。現実とはそういうものだ。

 本物を見たからといって何になる。

 何にもならないし何処へも行けなかった。形見なんて渡されても手の施しようもないのだ。

 ―いっそ、私の手でダストシュートに投げ込んでやろうか。そう思って、そう考えているだけで私に残された時間は終わるだろう。何度も、何度も繰り返し過ぎた所為で、答えの方が先に来てしまう思考に嘆息した。

 茶番だ。全部が。

 いつも君がしていたみたいに遺品とやらを指先で回せば、君がうんざりするほど噛んでいた草の匂いがして、久々に嗅いだその独特な青臭さに眠ってしまいたくなった。嘘だろ。この期に及んで更に失望してしまう。私に。

 毎度毎度勝ち逃げしやがって。今何時だろう。あとどれだけ待てばこの部屋の扉は開くのか。軽くなって落ち着かないままの頭に、君の重さを乗せて項垂れる。自分では視認することができないから判らないが、きっとこの帽子は私に似合わない。短い髪だって。

 

 べつに、似合わなくたって構わなかった。あの瞬間、君を傷つけられれば後の事なんてどうでもよかった。結局、私だって刹那的だ。その証左にどこかの誰かに多大な労力を強いた食餌よりも、今は兎に角あの草を噛みたかった。ちゃんとした名前すら知らないあの薬草。どこから手に入れていたのかも知らない、君が何時も隠し持っていたそれ。

 

 何もかもを押し付けてきた君が、終ぞそれだけは渡さなかった。  


 ああ

 

 君の事は本当に昔から好きになれなかった。

 

 それでも、私には




*******




 昔ひっかきまわした資料庫で知った墓石みたいな塔を昇る。


 そう言ったら君は嫌そうに顔をしかめた。ひとりでやれ。口を開く前に君がそう言うのがわかった。やっぱりね。それでも私が連れてきた『同志』を見たら、体がぺちゃんこになりそうな程に息を吐いて君は立ち上がった。

 そのまま回れ右をしたって構わなかったのに。

 馬鹿だね、って笑ったら本気で殴られた。荒事に向いていない君の手なんて全然痛くない。鬱陶し気にまとめられる髪の毛が消えそうなピンク色の灯りに照らされていっとう綺麗だった。ピンク色がなんなのか私にはわかんないけれど、この明るさはピンク色だって君が教えてくれたから。

 本当のところは黄色だったりしてね。いいよ、それでも許してあげる。この前死んだ名前も知らない子。あの子だって色が分からなかった筈なのに、自分で作ったみずたまりの中で「あかい、あかいあかい」って笑って死んだ。いつか君が教えてくれたのと同じ明るさの液体。私だって人間の中身が血液だって知ってるよ。  

 でもさあ、我慢できなくなっちゃった。

 何で私の世界を君が決めるの。

 何で私は君の色を知らないの。

 もしかしたら、君の中に流れている液体は緑色かもしれないのに。そう思ったらもう堪らなくなっちゃったんだよ。

 

 ねえ、一緒に空を見に行こうよ。名前も忘れた友達と一緒に。

 世界の腹をぶち破ったら、私にだって君が嘘を吐いていても判るでしょう?


 だからほら、いつもみたいに諦めて

 考えているフリなんてやめてさ。

 イライラするから、そういうの。




********




 反逆罪。

 それは紛れもない事実だった。私としては彼女があの塔を昇る前にその罪で捕まえて欲しかったが、残念ながら司直の眼が節穴だった所為で叶わなかった。気の毒な巻き添えになった人達がどうなったのかは知らない。正直、興味も無かった。人を誑かす事だけに長けていた君の犠牲者の数なんて、数えていたらそれだけで一日が終わってしまう。無為に。

 私なんて一生を無駄にした。忌々しい。

 息を吐き出した当然の帰結として馴染みのある匂いを吸ってしまい、思い出す必要もない「へえ。意味のある人生とかってあるの?」という君の声で馬鹿にされて、殴りたい時に対象が殴れる範囲にいないという不便さを心底嘆いた。

 君がいなくなって困った事なんてそれ位だ。私も君みたいに腹立ち紛れにモノに当たれる質なら良かった。

 

 ねえ、君の視たがった空の色。

 君の眼の色と同じだって教えたっけ。

 吐いた息が湿っぽいのは久々にあの草の匂いを嗅いだ所為で失くした色の為じゃない。ましてや、独りになったからでもない。

 

 ……どうでもいいか、もう

 誰かの努力の成れの果てを片付けることにした。植物は飲み込み辛いので諦めて、何かのペーストのスープと、柔らかすぎて腹持ちがとても悪そうなパンに手を付けた。分解しすぎた肉はどうしようか。見た目も気味も悪いし、不味いという概念は分からないけれど、食べていいものと悪いものがこの世の中にある事は知っていて、どう見てもこの肉は後者の様な気がしてならなかった。


「でもさ、君、動物の肉は食べたことないでしょ」


―不意に。鼻先に闇市で盗んできたラットをぶら下げて、君が吐いた世迷い事を思い出してしまった。そう言えば、そうだ。生まれてこの方、口にしたものの殆どが大豆の合成タンパク質で作られていた。


「私たちの食べ物って全部同じ材料でできてるんでしょ?薬で味変えてるだけでさ。だったら、本当は君みたいに全部同じって思うのがせーかいなのかも」


 食べる?これを?


「こいつ、そのまんまは食えたもんじゃないからさ、捕まえてから匂い消しに薬草だけ食べさせるんだって。かわいそうだよね。私だって、この草の味は嫌いなのに」


 口寂しいと言ってはしょっちゅうその薬草を噛んでいる癖に、嫌いだなんて全くどうかしてる。頭がおかしい、と正直な感想を述べても喜ばれるだけなので、私は押し付けられた君と同じ匂いのする死体を黙って窓から投げ捨てた。あんなものを体の中に入れるなんて正気の沙汰とも思えなかったから。


 ほんの一瞬だけ、迷ったけれど。


 それは、どうせこうなる事が分かっていても、結局君の計画に加担した理由と根本を同じくするものの所為だった。

 例えほんの僅かの可能性でも。

 もしかしたら、君の眼に本物の太陽光を通す事ができれば、或いは。


 愚かな考えだった。

 でも

 判りたくもないけれど、分からなくもなかったから。


 おそるおそる、カトラリーを何かの死体に刺してみる。別に君の口車に乗った訳じゃない。五月蠅い黙って。脳内の君に怒鳴りつける事しかできないだなんて本当に不便だ。どうせなら、この世から消えた時に私の頭の中の君も持って行ってよ。


 しかし本当にこれは何の死体なんだろう。

 そもそも動物自体、生きている本物を見た事があるのはラットしかいなかった。この街で見る外の動物なんてあとはそれこそ人間くらいだ。まさかね。




*******



 空の色?

 体制崩壊?

 そんなのに興味ない。

 なんか意味ある? 

 ぜーんぶどうでもよかったよ。

 二人でここに収容されればさ。

 

 で、

 聞いてくれるんでしょ?

 私の最期のお願いってやつ。



*******


 

 口に入れた瞬間、散々嗅ぎなれた草の匂いがして、吐いた。

 

 吐き方は知っている。昔は何が良くて駄目なのか全く判らなくて、散々君に指を突っ込まれたから知っている。食べてから吐かせるのが君の常套手段。これで覚えた?なんて勝ち誇った顔しやがって吐くのは得意だふざけんな。内臓が痛くて苦しいひっくり返りそう。気持ちが悪い気持ち悪いきもちわるい何でこんな酷い事したんだ頭がおかしい気が狂ってる、味なんてする訳がない、畜生、吐くならお前の帽子の上にぶち撒ければよかった酷い酷い汚い気持ち悪い殺してやる!

  

 体の中身全部を絞りだす様に吐いて吐き続けたら、喉と舌が焼けた。焼けて痛くて、多分これが酸っぱいという味なんだろう。痛い気持ち悪いこんなの全然知りたくなかったこれで満足か大馬鹿野郎


 私はただ、その草が不味いって判りたかっただけなのに

 

 

 本当、大っ嫌い


  


 


  








                         (手と手を合わせて/終)

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手と手を合わせて 雨音 @Rain_0707

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