第9話 スタンプキラー

 その日付けに意味はなかったのだろうが、どこかセンセーショナルで、まさに、映画を模したようだと言われ、平成の「スタンプキラー」と呼ばれた。


 映画スタンプキラーとは、1930年代のアメリカで自主製作で作られたマニアのみ知るホラー映画である。

 監督、脚本などスタッフの記述がなく、一個のカメラで、しかも犯人目線での映像なので、公開された当時は殺人犯人が自らの犯行を撮りながら犯行を行ったのではないかと噂され、あっという間にどこかに消え去った。

 それが、1990年代になり、世紀末伝説と同じくしてこの映画の奇妙さなどが発掘された。

 なぜならば、スタンプキラーは、1999年9月9日に9人の家族と知人を惨殺し、その殺害順にナンバーを体に刻み付けて行ったのだ。

 1930年代当時の90年代という遥か未来では、車が空を飛び、人さえも空を自由に闊歩していると想像されていた映像は、SF技術や、特撮技術の稚拙さが目を引くが、その後に忍び寄ってくる殺害シーンでは、見終わった後に思わず振り返ってしまうほどだった。

 90年代に入り、実は、登場人物すべてがスタッフであることが明かされ、監督が最後に殺された父親役を。カメラマンがそのまま犯人役をしていたのだと判ったが、今なお「あれは、本当に殺人を行っていたのだ」と思うファンは多い。


 そして、この平成のスタンプキラーは、まさにこれと同じことを行っていた。


 平成9年9月9日。

 犯行現場は、閑静な住宅地の、幸せそうな家の中で行われた。

 玄関先にも花を飾っているような、花と緑あふれる家。家族で出かけることを目的として買われたであろうワンボックス・カー。外から見えるカーテンも、ただの白色のレースではなく、小花が編まれたレースのカーテンだった。

 この家は、家人の愛に溢れた家なのだ。

 

 だが、その玄関を開けてすぐに倒れていたのが、「4」と刻まれた妹の佳香よしか(9)だった。

 思いっきり顔面に振り下ろされたバットにより頭頂骨陥没で即死だった。

 「4」の刻印は、頬に付けられていた。ひどく刃先のこぼれた包丁で引っかかれており、包丁はその横に落ちていた。


 次に、佳恵の悲鳴を聞きつけ現われた母親の佳美よしみ(40)が「5」だった。

 逃げようと体を反転した際、足元にバットを投げ込まれ、足を取られて転倒し、その背中に馬乗りになって、バットで頭を殴った。陥没個所は複数見られた。たぶん、一撃では死ななかったので何度も殴ったと思われる。

 そのあとで―もうすでに死亡しているので、生存反応のない―包丁の傷が無数に背中にあった。まるで刻印を囲む額のように。

 「5」の刻印は、服を引きちぎった背中にあった。


 犯人は、この時、二本のバットを持っていたのだ。木製バットと金属製バットだ。

 そして、このバットが、この狂気的な犯行のきっかけだった―。


 次に、和室で寝ていた祖父の、達夫実たつおみ(73)、祖母のハナ(76)はともに布団に寝ていた状態でバットを振り下ろされ、無抵抗のまま亡くなっていた。

 二人は、同時期に脳梗塞と、認知症を発症し、寝たきりとなり自宅介護をされていた。だが、家族による負担が大きく、二人を一緒の施設に入れるため、一家は引っ越しを考えていた先の事件だった。

 達夫実の腹に「6」。ハナの腹に「7」の刻印がされていた。


 以上の四人は木製バットで殴られており、その傷口に木片がついていた。


 次に、二階の部屋にいたたすく(14)は、最大音量でヘッドフォンをしていたので、階下の異変に気付かなかったのか、背後から一振りにされていた。

 成績優秀で、近所の人からも好印象を受けていた。

 「8」の刻印は頬に刻まれていた。


 最後が、仕事から帰ってきた父親、佑介ゆうすけだった。

 車を止めると、駐車場に犯人が立っていて、不意をつかれ、頭部を殴られ、意識を失ったようだった。

 その間に「9」の刻印を頬に刻まれた。これは、被害者の血で書いたものだった。


 この二人は金属バットだった。佑は即死だったが、父親である佑介がかろうじて助かったのは、一打目がこめかみの上だったからだろう。


 事件発覚は、この父親が何とか一命をとりとめ、近所に助けを呼んで解ったのだ。

 現場に入った警官はその状況に呆然とした。

 そして生き残った父親から、

「は、犯人は、次男の香佑(12歳)です」

 という言葉だった。


 一家の番号が「4」から始まっていることから、「1」から「3」の被害者を探すよう手配されたが、すぐに犠牲者は解った。


 「1」は、香佑の同級生の田丸たまる 修斗しゅうと。小学校一年生のころから香佑をいじめていたらしく、香佑の体にはいじめによる痣が絶えなかった。だが、父親にいじめの確認を取ったところ、

「香佑は普段からあまり話さず、甘えて来ず、手のかからない子。だと思っていたので、いじめられているなど知らなかった」

 と言った。じっさい、香佑の部屋には、いじめられていたことをにおわすような手記は全くなかったが、香佑をいじめていたという目撃談は多数上がっていたので、間違いないだろう。

 田丸 修斗は、学校の北庭と呼ばれる、以前なら焼却炉があった場所。今ではもう誰も寄り付かない場所になっている。さみしい場所に、頭を殴られて放置されていた。

 家庭へ持って帰るべきプリントに「バカ」「死ね」の文字が書かれていた。筆跡鑑定で、田村 修斗が書いたものだと判明し、そのプリントの主が、香佑だった。そして、そのプリントの、いたずらされている文字の上に「1」が赤ペンで書かれていた。


その赤ペンは、「2」の刻印を刻まれた、当時の担任の、真崎まさき 和恵かずえ(27)のモノだった。

真崎 和恵は、プール横―今はもう九月で使用しないのでプールは閉鎖されている―で頭を殴られて発見された。


 だが、ここで疑問が生じた。

 田丸 修斗も、真崎 和恵も、死体の場所に血痕はなかったのだ。のちの調べで、教室で殺害されていたことが分かったが、教室は校舎の四階にあり、当時12歳の香佑が一人で二人も、しかも、和恵は大人の女性だ。それを担いで運んだとは考えにくかった。


 そして、事件発覚の翌日、小学校近くの河川敷に住むホームレスの田村 やすし(69)の遺体が発見され、彼の頬に「3」の刻印が記されてあった。

 

 なぜ、父親だけが助かったのだろう? 父親によると、頭を殴られて、気を失ってしまったが、気を失いかけた瞬間、香佑が消えた気がすると言った。

 その言葉通り、香佑の消息はその後忽然と消え去り、全く足取りが掴めないのだ。

 12歳の男子が遠くへ行くわけがない。彼は、どこへ行ったのか? 本当に香佑の犯行なのか? 父親が関与しているのではないか? と散々捜索したが、香佑の行方は今だ解らないままだ。


 そして最大の謎は、12歳の少年が、バットで人を殴り殺す「動機」だ。

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