第5話

 その日の朝は、夏の朝らしくすでに日差しが強く出てきていた。

 エレノアは荷物を取ってから仕事場に向かわなければならないからと、すでに家を出ていた。

 起きてきて、寝ぼけているロバートの目に朝食を取って居るライト記者の姿が目に入った。

「おはようごさいます。男爵。お元気でしたか?」

 ライト記者は相変わらず朝から威勢がよくて、彼の食べっぷりに驚いているシダークレー子爵にライト記者を紹介する。

「あなたがシダークレー子爵でしたか。うちの新聞に寄稿していただいてますね。もっとも、おいらは社会部。事件やらなんやら物騒なものばかりを書いているので、あなたの書いている連載小説のほうは正直見向きもしなかったのですが、あれですよ、ほら。「」あれはよかったですなぁ」

「あぁ、ありがとうございます」

「小説を書かれているのですか?」

「小説というほどでは。ただ、古い本を書き写したりしていますと、私でも書けるのではないかと思いましてね」

 そういってシダークレー子爵は照れ臭そうに笑った。

「いやいや、あの「痛む右手」はなかなかなものでしたよ。ロバートも読んでみたほうがいいですよ。思わず、右手を観察してみたくなりますからね」

「ほお。どう言った話しなんですか?」

 ロバートが聞き返した時、サミュエルが入ってきた。

「やはり君か、にぎやかだと思ったよ」

 ライト記者は破顔の笑みを浮かべて机に紙の束を置いた。

「先日連絡をいただいていた身元不明の死体は今なお見つかってません。病院に搬送されたけが人のうち身元の解っていないものはそれだけいるようですが、お聞きになっていたような特徴の人は見つかりませんでした。

 あと、ジョージ・スタン伯爵……ですけど。半年前に急に現れた人のようですね」

「半年前?」ロバートが聞き返す。


 シダークレー子爵以外の脳裏に去年の春の出来事がよみがえる。


 去年の春。貴族を田舎の夜会に招き入れ、血液型の適合者を求めていた男がいた。その男のため夜会を開いていたのも「スタン伯爵」だった。

 だが、彼は去年の春のだ。未だ犯人は解っていない。あの事件の犯人ジミー・マイルズ医師であろうと思われたが、彼もまた獄中で死んだので真相は闇の中なのだ。


「半年後に、スタン伯爵が登場とは、どういうものかね?」

「ですからね、調べたんですよ。スタン伯爵というものがそもそもいるのか。いませんでしたよ。貴族辞典を発行しているところへ行って調べてみましたけどね。過去、どの時代においても、スタンという名前の貴族は居ません」

 ライト記者は断言した。

「まぁ、そうだろう」

 サミュエルはそういって食後のコーヒーをすすった。

「そこでちょっと考えたんですよ。過去の事件。なんらかに関わったスタンという名前を。そしたらありました。一件」

 ライト記者はそういって、目を見張るロバートたちの前に、先ほど置いた紙束から、ちょうど真ん中あたりを上下でずらし、下から出てきた分を指さす。

「本当に小さな、記事でしたよ。

 今から、二十年近く前の事件です。えっと、事件はこうです。

 楚国との国境近くの貧しい村において、スタン神父なる人物が孤児院をやっていた。とある日、スタン神父が用で外出の際、賊が侵入したものと見え、神父の一人娘のアメリ嬢、教区教師のジョージ・マクドウェル。以下、30数名の子供をにより惨殺した。

 シティー警視庁より敏腕と名高い、警部が来て捜査をしたが、賊の足取りは依然としてつかめなかった。

 賊と決めつけたのには、この孤児院で生活をしていた少年一人が行方不明のためだ。彼は賊の道先案内人となって誘拐されたのに違いない。彼の安否と賊の行方が気にかかる。

 という事件です」

「それで、犯人は?」とロバート。

 ライト記者は首を振り、

「この続報は一切なかったようです。というのも、ここで捜査指揮にあたっていたこの警部、無能と名高くて、そのあとすぐにクビになって、それ以降、似たような事件も起こらないし、そもそも、央都から遠い、小さな小さな貧しい村の事件なので、それっきりのようですよ」

 呆れたようにライトが首をすくめる。

「依頼されてから数日なので、おいらだって行けと言われたら行きますけど、まだまだ向こうに汽車は通っていないので、何日かかるか」

「だが、その捜査では、スタン神父にも容疑はかかっているんだろう?」

「ええ。ですが、神父はその日の朝、村を出て、三つ先の修道院へ昼頃に着き、慌てて戻って惨劇を目撃しているんです」

「偉く詳しいね」

「一応、うちの記者が一人、この事件を調べに昔行っていたようでしてね。でも、本当に何もない村だったようで、寝泊まりも大変だったようですよ」

「それで、神父は歩いて向かったのかね? 馬車? そう、馬車……、一人で? 誰かが荷台に乗っていたらしい? では、その子を修道院へ運んだというのかな?」

「それが、そうでもないようでね、あの村から三つ向こうの修道院というのは一つしかなくて、かなり厳しいところなんですよ。いろんな修道院からバツを与えられた修道士たちが入る、いわば修道士の監獄のような場所なんですが、その日に入館したものは居ないんです」

「では、神父はなぜそこへ行ったのだろうかね? よくそこへ通っているのならば、日常のことだろうが、」

「いいえ、まったく一度も。のようですよ」

「では、おかしいじゃないか、神父はなぜそこへ行った? 実際、本当にそこへ行ったのだろうかね?」

「……さぁ、そこまでは資料はありませんね」

「では、スタン神父の犯行とも考えられるわけだ」

「そうですね」

「なぜ?」

 ライト記者とロバートが同時に言う。

「なぜ、スタン神父の犯行だと思うんだい?」とロバート。

「子供を30人。を振り下ろし続け、大人二人を、女はともかく、教区教師と言えどもそれなりに体格はあるだろう? 子供一人が起こせる犯行ではないだろう?」

「警察では賊だと、」とシダークレー子爵。

「賊ならば、なぜ貧しい村の孤児院に踏み込むんです? どう考えたって金品などありゃしないじゃないですか? もし、その一人娘のアメリを売ろうとするならば、一人で外に出たときに誘拐すればいい。そのほうが、子供を30人も殺し、大の大人を相手するよりだいぶ楽だと思いませんか?

 アメリが抵抗し、声を上げれば、アメリだけ殺せばいい。わざわざを持ってきて惨殺する理由はないでしょう」

「だが、神父に殺す動機などあるものか」とシダークレー子爵。

 シダークレー子爵の中には、聖職者に対する尊敬があり、悪事は「絶対」行わないと決めているような口ぶりだった。

「経営悪化。子供の扱いにうんざりした。何もかも嫌になった。まぁ、理由はいくらでも出てきますが、僕が注意すべきは、一人だけ行方不明になっている子供です」

「あぁ、事件後姿を消した? 賊の道先案内として誘拐されたのだろう?」

「ねぇ、君? その村は山深いところにひっそりとあるのだろうか?」

 ライト記者は少し含んで笑い、

「いいえ、見晴らしのいい街道ぶちにあります。道をどちらかに行けば隣の村に行ける。道を外れることはないほどの道ですよ。

 ほら、その当時としてとても高価なカメラで撮った村の写真です。村の入り口と、事件のあった孤児院。たったこの二枚だけです。あとはぶれていたり、よくなかったそうです」

 そういってライト記者が見せた写真は、おそらく、写真が世に出始めたころで、フィルムも質が悪かったようで、ましな写真はこれだけだった。ということらしい。

 たしかに村は街道の脇に二、三十の家が並んでいるだけの小さな村に見えた。この辺りは寒さが厳しいと見え、生えている草の丈が短く、大きな木も生えていないように見えた。

 孤児院というのか、教会というのか、馬小屋を少しマシにしたような、そんな屋根に十字架がかけられているだけの粗末なものだった。

「ちょうど、記者が調べに行ったときに、スタン神父と会ったそうですよ」

「それで?」

「それでって、記者やつも賊の仕業だと思っているわけですから、大変な目に遭いましたね。と言ったら、えっと?」

 そういって、手帳を取り出して読み始めた。

「あぁ、これは、その記者が、この写真なんかと一緒に参考資料にと置いていったものらしいです。

 あぁ、えっと。

 スタン神父はひどく痩せていた。目の下のクマ、頬のこけかたがまるで病人だ。

 スタン神父は、犯人は、行方不明の少年だ。と言っている。信じられない。

 少年 特徴 黄色い肌 黒髪 黒い目 だが、そんな人間見たことがない

 村の鍛冶屋、孤児院の黒髪の、最近やってきた気持ちの悪い子供が、なたを盗んでいった。本当に子どもの仕業か?

 ―で、終わってます」

「そのことを警察には?」

「解りませんね」

「なぜ? 今すぐに聞いてくれっ」

「無理です、記者は死んでますから」

 サミュエルが言葉を切った。

「ですから、うちの方でも取材がとん挫しているんですよ」

 とライト記者は言った。

 ロバートが不安げにサミュエルを見た。


 あれから軽く一時間が過ぎたころ、サミュエルが伸びをした。

「それでは、ある材料で推理をしようじゃないか? 正直、僕の考えがうまくまとまらないのでね」

 とサミュエルは微笑んだ。

「推理? どの事件の?」とロバート。

「どちらか、あるいは、両方」

 サミュエルはそういって深々と椅子に座り、

「まず―」

 と言って右手を少し上げた。

「シダークレー子爵の探しているエレナの一件」

 左手を上げ、

「過去のスタンという何者かが関わるおぞましい殺人事件。

 もっとも、両方ともスタンと名のつくものが関わっている限り、いつかはどこかで合流するかもしれないが、入り口は別だ。さぁ、まずどちらから考えてみるかね?」

 サミュエルの言葉に三人は顔を見合わせた。

 少し時間をかけ、シダークレー子爵が、

「あなたはどうお考えですか? エレナを見つけるために、過去のその事件を解決することで、見つけられるとお思いですか?」

「それはどうでしょうかね。たまたま偶然かもしれない。

 そう、「スタン」という名前はただの偶然なのかもしれない。

 ではここから始めよう。「スタン」という名前がごくありふれている名前だとする。だとすれば、いずれ爵位を購入したであろう「スタン伯爵」なるものが居てもさほど驚きはないよね?」

 三人は頷く。

「では、その「スタン」が、我々の身の回りで、この数年の間にすでに三人存在している。シダークレー子爵は一人でしょうが、我々の周りでは、」

「いや、二人だよ」

 とロバートが言うと、ライト記者が頷く。

「ジミー・マイルズ医師の事件と、今回の事件だ」とロバート。

「あぁ……そうか。僕だけが三人の「スタン伯爵」に会っているんだね」

 サミュエルは頭をくしゃりと握り、

「どこで会ったのか説明するのが非常に。とだけ言う。とにかく、僕は、顔も、性格も違う「スタン伯爵」を三人見ている」

 ロバートが少し考え「解った」といった。その言葉にライト記者も、シダークレー子爵も質問はできなくなった。

「それでは、その三人、いや、二人でもいい、それは同一人物に見えなかったよね? 親せきか、血縁があるようには?」

「まったくないねぇ。ライト君はどう?」

「おいらも血縁があるようには思えませんでしたねぇ。

 と言っても、ジミー・マイルズ医師の時に会ったスタン伯爵は、死んでいたけれど、その後、あの界隈で伯爵のうわさを聞いたけれど、とにかく変態で」

「変態? どういった変態だね?」

「どうもこうも、人の乱痴気騒動を見ているのが好きだっていうやつですよ。自分はボタン一つ外さずに見て興奮する奴です。それが、女に触られると、その女を引っ叩いたとか、もしかすると、女には興味がないのかもしれないという噂がありましてね。

 あとは、庭で素っ裸で踊っているところを見た人が大勢いましたよ。自分の庭ですから何をしたって構わないけれど、西山新興住宅カップケーキはそんなに広い庭があるわけじゃないし、高い塀があるわけじゃないから、外から丸見えでね、ご婦人がたが悲鳴を上げて走り去るのを高笑いしていたそうですよ。

 伯爵の取り柄は筋肉のついた肉体美だったそうで、実は、自分の全裸ヌードの肖像画を描かせる予定だったそうですから。」

「なるほど、なかなかな変態ぶりだ」

「そして、今回のスタン伯爵は、ギャンブル狂ですね。酒もやりますが、ギャンブルが大好きでね、女なんてものは無駄に金がかかると、そこは修道僧並みに無関心なようですよ。

 これを聞いて、この二人が血縁や、親戚、知り合いだとはおいらは到底思えませんね」

 ライト記者の報告に全員が頷く。

「僕の会ったもう一人は、非常に女好きだった。

 姿かたちはどうだった? 性格や思考は演じることができるが、姿かたちは易々と変えられまい?」

「まったく違うと思いますよ。

 私が知っているスタン伯爵はだらしのないギャンブラーです。服はよれていたし、風呂にも入っていない気がしますね。無精ひげを生やし、いや、右の耳の下辺りにカミソリで切った跡がありましたね。古いものでしたが、よく切ると見えて、赤くなっていました。

 伯爵と名乗らなければ、非常にだらしのない男です」

「なるほど、それはジミー・マイルズ医師に関わった伯爵とは別人のようだ」

「確かに、スタン伯爵は三人いる。そうでしょう。でも、それがエレナの捜索に役立ちますか?」とシダークレー子爵。

「役には立ちませんね」

 シダークレー子爵は憂鬱そうにため息をつく。

「まったく無関係の人が我々の前に現われることは当たり前のことです。

 だが、決して多くはない「スタン」という名字が、三人もいる事が偶然でしょうか? しかも、その「スタン」の周りで事件が起こっている。殺人に誘拐。もう一人は、解らないが、あの軽薄さから言えば、不倫がばれ亭主に追いかけまわされたとか、そんなことで姿を消している気がするね」とサミュエル。


「スタン伯爵には事件が付きまとう。それが共通点?」

 ロバートが口を開く。

「そう。何故、スタン伯爵は事件を起こすのだろう?」

「なぜって、」シダークレー子爵が言葉を切った。

 ロバートがライト記者とシダークレー子爵を見た。


「では、別のほうを考えよう。

 エレナは生きている。と仮定する。ロバートが言ったように、犯人は金が目的だが、人殺しを好む性質はない。だとすれば、かろうじて生きているはずだ。

 だが、すでに殺されている可能性も否定できない。遺体が見つかっていないだけで、どこかでひっそりというのはないわけじゃないが、ここでは、生きていると仮定して推理しよう。

 では、犯人はどこで、どの時点でエレナがソフィア嬢とは別人だと気づいたのか?

 ソフィア嬢の言い分が間違っていないとすれば、身に着けていた宝石類を犯人に渡せば、彼女は帰ってくるはずだ。だが、帰ってこなくて、身代金要求が来た。

 サルバトーリに確認を取ったが、脅迫状は、ソフィアを救い出したければ。という文言だったよ。つまり、脅迫文を送った犯人はソフィア嬢とエレナが入れ替わっていることを知らない相手となる」

「だけど、シダークレー子爵以外は、ソフィアがデートをした相手だろう? もしかすると、本当にただの物取りかもしれないぞ?」

「そう、そうその通りなのだ。見事な宝石や服を着て女が出てきて誘拐する。いたってシンプルに考えれば、ただの強盗だ。

 だが、彼女は有名なソフィア・サルバトーリだ。顔写真もよく新聞に載る」

「では、間違えることなど、」

「新聞に載っても、見ている箇所が違えば見ないものです。子爵だって、新聞の「今日のポエム」や、「見事な園芸」という記事を読みますか?」

「いえ……そんな記事があるんですか?」

「ほらごらんなさい。人は興味のない箇所は読み飛ばすものなのですよ。写真であってもです。

 だからこそ、強盗だという線も捨てがたいが、この場合、ソフィアだと解って誘拐したような気がする」

「根拠は?」とロバート

「サルバトーリの央都の屋敷は結構裕福な人が住む街だ。ソフィアがが、相手にくれてやるために高価な宝石を身につけさすことはないだろう。せいぜいといった代物を渡すはずだ。

 となると、大した宝石を身に着けているわけでもないエレナより、もっと上等なものを身に着けている人が居る中で、エレナを連れ去ったのはなぜか?

 

「だったら、それがソフィアではなく、別人だと解ったら、解放しますか?」

「そこが問題なんだ。この犯人は金が欲しくて誘拐している。さっきも言ったが、殺人を好む犯人ではないのだ。ではなぜ、犯人はエレナを開放しないのか?


 ほら、僕はいつもここで詰まるんだ。


 性格が合わないんだ。

 金が欲しい犯人。

 エレナがソフィアでないと気づいて手放さない犯人。

 まったく合わないんだ。ソフィアではないエレナを側に置いておく理由がないんだ。金にならないのだからね」

 サミュエルが頭を抱える。


「では、過去の事件は? 行き詰ったら、他を考えればヒントになるかもしれませんよ」

 ライト記者の言葉に三人は頷く。

「小さな村で起こった30数名を殺した事件。警察は賊が殺したと捜査していますが、このメモには、スタン神父が、犯人は行方不明になっている少年だと言っています。どう思いますか? そういえば、これで「スタン」は4人存在しますね」

 全員が頷く。

「私は、……私は警察を支持しますよ。少年がなたで30人もの人を殺せるわけがない」とシダークレー子爵

「確かにそうでしょうが、少年というのは、成人する18歳までですよ。17歳でも少年だ。だが、17歳と言えば体格は大人に負けない。その子は一体いくつだったのだろう?」とロバート

「なるほど。確かに17歳だとすると可能ですが、でも、一人で30人も相手にできますか? 相手は抵抗してこないでしょうが、逃げ惑うと思うのです。子供だから」とシダークレー子爵。

「ワーキャーと追いかけっこ好きですからね、子供は」とライト記者。

「サミュエルはどう思う?」

「17歳なら可能だが、年齢が下に行けば不可能だと思われる」

「当り前じゃないか。を振り回しているんだよ。大人を二人も相手している」

「そうだね。……やはり、スタン神父の犯行だとは思えないかい?」

「アリバイがありますよ?」

「それをいったん忘れてみようじゃないか」

「……だが、スタン神父の犯行だとして、先ほど言っていた、神道行為が嫌になったとして、子供を一人行方不明にしたのはなぜだろう?」とロバート。

「その子を犯人に仕立て上げたかった」とライト記者。

「だが、警察はそれを信じなかった。たぶん神父は警察に話しているはずですよね? 事情は聞かれるはずだろうから」

「もし、それを聞いていながら、警察が信じなかったのは、あり得ないと判断したからだろうね。17歳よりも幼い、本当の少年が一人でするわけがないと」

 ロバートの言葉に全員が頷いた。

「では、その少年が一人でやったとしよう。どうやって? なぜ?」

「サミュエル、それは不可能な話だよ。それこそ、魔法なんかがあるわけじゃないからね」とロバートが笑う。

「そう、まさにそう。魔法が無ければ不可能だ。だからこそ警察は、ありきたりに賊の侵入という方針を取ったんだ。

 ではなぜ、少年は消えた? なぜ、スタン神父は少年の犯行だと言った? 彼のことが嫌いだったからか? 聖職者が好き嫌いで、少年を殺人鬼にするだろうか? しないと思うね、僕は」

 三人も同意するように頷いた。

「どうも、こうも、すっきりとしないね」とロバート。

「しかし、この国で、黒髪、黒い目、黄色い肌と言えば目立つでしょうに、どこへ隠れたんでしょうかね? 国境を越えたんでしょうかね?」とシダークレー子爵。

「確かに、黄色い肌なぞ見たことが無いからね」とロバート。

 サミュエルは思考から戻ってきた。ロバートの声が鮮明に入ってきたので驚いたのだが、集中しようと少し俯いた。だが、ロバートの言葉に引っ掛かり、それが、深い谷底に落ちるように見えた記憶とぶつかる。


―黄色い肌……黒髪、黒い目……、いや、あいつの目は、赤かった。違う。強膜白目が赤く、真中は黒かった―


 サミュエルはぞっと寒気を感じた。

「会っている……」

 サミュエルはつぶやいた。

「もう一人のスタン伯爵ともども、あの人の宴にいた。そう、確かに名前を聞いたんだ。……何と言ったか……。ああ、もう! 思い出せん」

 その時、お茶を淹れに来たジェームズが名刺を一枚差し出した。

「捨ててくれとおっしゃっていたのですが、どうも、その名刺は、」

 と言いにくそうにサミュエルに手渡した。

「……そうだ、キリコだ」

 そういって名刺の名前を三人に見せる。

 ロバートと、ライト記者が顔をゆがめる。

「なんだろう……、非常に気分の悪い感じを受けるね」とロバート。

 シダークレー子爵だけは何ともない顔をして、

「その名刺のキリコと、この少年が同じだというのですか?」と聞いた。

「その男は年のころは30前半てところだと思うね。子爵の言うように、この国では黒髪で、黄色い肌の人間は居ない。彼を同一人物だというには少し証拠が甘いだろうが、


黒髪で、黒い目で、黄色い肌の男の側に「スタン」がいる」


 サミュエルの言葉に息をのんだ。

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