第3話

「実はね、サルバトーリ氏は避暑を兼ねて近くの別荘に来ているんだよ。カスタゴ伯爵の別荘にね」

 とロバートが言うので、ロバートの使用人から、今度の婚約の祝いを言いたいとサミュエル名義で手紙を送ると即答返事が返ってきた。

 翌日の十時。婚約時で忙しいだろうから、午前のお茶の時間にお邪魔すると連絡をしておいた。

 予定の五分遅れで馬車をつけると、満面の笑みのサルバトーリとソフィアが出迎えに出てきた。

 サルバトーリは丸々とした腹をせり出し、脂ぎった顔をしていた。いつから貴族になったのか? と言いたくなりそうな片眼鏡を「今風」に右目に付けていた。

 ソフィア嬢は確かに美人に違いなかった。顔立ちも姿も見栄えがいいが、どうも好きになれない高圧感を感じた。人を見下し馬鹿にしたような立ち居振る舞いがにじみ出ていて、一朝一夕でそれを隠せそうもなかった。

 馬車から、ロバート、サミュエル、そしてシダークレー子爵が降りてきたのを見て、この親子はあからさまにイヤそうな顔をした。

「大勢ですまない。実は、アームブラスト男爵の屋敷に避暑に来させてもらったら、そこにシダークレー子爵もいてね、ソフィア嬢の婚約の話しになってぜひお祝いを言いに行こうではないかということになったのだが、僕の思い違いだろうか? 知り合いだったかね?」

「え? いえ、まぁ」

 歯切れの悪い返事のするサルバトーリを無視するようにサミュエルは別荘邸を褒め、ソフィアのほうを見た。

「これはこれは。婚約おめでとう。美しい社交界の花がまたいなくなってしまうのですね」

 そういうとソフィアは満開の花のように顔色を良くして、屋敷の中にサミュエルの腕を取って入る。サルバトーリもロバートとシダークレー子爵を案内する。

 応接室はまさに悪趣味なものだった。狩りを好む伯爵らしく剥製がたくさん置いていたが、それよりも、それらを撃ち殺したであろう猟銃の数がひどかった。ざっと見ただけでも三十丁はそこにあっただろう。

「弾は入れてませんからね」

 サルバトーリは銃に眉をひそめているロバートにそういって椅子をすすめる。

「弾はどこに保管を?」

 サミュエルの言葉にサルバトーリは笑い、

「言えませんよ。弾を込められて狙われても困りますからね」

 サルバトーリはそういいながらシダークレー子爵のほうを見た。

「そういえば、シダークレー子爵はソフィア嬢とデートをしたことがあったそうだけど?」

 サミュエルが聞くと、―さっき、知り合いか? とかって聞いてたくせに、なんだよ、それ―と言う顔をサルバトーリはする。

「いえいえ、子爵が会っていたのは娘ではなかったんですよ。なぁ?」

 サルバトーリは額の汗をハンカチで拭いながら言う。ソフィアは嫌そうに、

「私、他の方とのデートがあって忙しくて、子爵とは会えないと伝えるようにって言ったんですけど、どうも、メイドの一人が私に成りすまして会っていたようで、」

「そんなこと、以前は言って無かったじゃないか?」とシダークレー子爵。

「あれから! あれからメイドたちに事情を聴いたんです」

 ソフィアは大声を張り上げてシダークレー子爵を制して、サミュエルに泣きつくようなしぐさを見せた。サミュエルはそれをうまくかわし、手を組んで、

「メイドが勝手にあなたの服を着て会っていたというのですか?」

「え? ええ、そう」

「あなたはいつも、メイドにそのような自由をさせているのですか?」

「え?」

「あなたの服を勝手に着れるような、そんな自由をメイドに与えているのですか?」

「それは、それは、あの子が勝手にやったんですわ」

「なぜ?」

「……子爵と結婚でもできれば、あ、あ、あの子は、ひどく貧しい、家の娘で、」

「そう、そうそう。まじめに働くからというので田舎から連れてきてやったのに、恩を仇で返すとはこのことですよ。

 こちらは被害者なんですよ。娘のドレス、宝石をもって行方知れずなんですからね」

「行方知れず? いつから?」

 サミュエルの言葉にサルバトーリは圧倒されながら、

「さ、さぁ……、気付けば、」

「ちゃんと思い出してください、いつ?」

「覚えてませんわ。だって、存在の薄い娘でしたもの」

 ソフィアの言葉にシダークレー子爵が何かを言おうとしたが、怒りを表現することが苦手なのだろう、怒りで拳を強く握りしめただけにとどまった。

「そのメイドの名前は?」

「え? いなくなったメイドのことなんかよくありません?」

「名前は?」

 サミュエルの言葉に頬を膨らませ、

「エレナ。エレナ・ルカリーですわ」と言った。

「あなた方の居た村出身ですか?」

「ええ、西の楚国との国境に近い村です」

「解りました。では、」

 サミュエルが立ち上がったので、ロバートと、シダークレー子爵も立ち上がる。

「お昼を食べてから、」

 ソフィアが止めるのをサミュエルは冷たく見下ろし、

「メイドが一人居なくなっても探さないような薄情な人とは相いれないのでね。それから、は、不必要に触られるのを良しとしないんだ。失敬」

 サミュエルはそういって屋敷を出た。その後をロバートとシダークレー子爵も出てくる。シダークレー子爵は何か言いたそうに屋敷を振り返るが、ロバートに促されて馬車に乗る。

 別荘の敷地を少し走った道で、馬車が止まった。

「どうした?」

 とロバートが聞くと、御者が女が話がしたいと言っているというので戸を開けると、メイドらしい格好をした女があたりを気にしながら立っていた。

「サルバトーリのメイドだね? さぁ、乗った」

 サミュエルに言われ素早く馬車に乗り込む。

 サミュエルは御者に、サルバトーリの屋敷の裏手にゆっくりと向かうよう指示をした。あの親子がこのメイドに気づかないように送り返さなければいけないのだ。

だがそこは地元の御者なので、屋敷から見つからないように走るすべを心得ていた。

「私は、マリアと言います。エレナとは仲が良かったものです。先ほど、皆さんのお話を、その、―非難されても仕方ないわ。メイドのくせに立ち聞きしていただなんて、恥ずかしいけれど―聞きまして。

 お願いです。エレナを探してください。エレナは、ソフィア様の服や宝石を持ち出したりなんかしていません。

 いえ、今の段階では、そうですけど、でも、これには訳があるんだと思うのです」

 マリアは明るい茶色の髪をきちんとまとめていて、ごく普通のメイドのようだった。特に特徴となるような顔の印象は無く、ただ、話すときに手を揉みながら話す癖が目に付いた。時々、鼻に引っかかるような音を出す。その程度しか彼女の印象はなかった。

「エレナは西の方から来た貧しい家の娘です。というのは、サルバトーリさんの言い分で、私は違うと思うのです」

「違う? というと?」

 ロバートは、意外なところで話を聞き返したサミュエルのほうを見た。

「エレナは発音はきれいでしたし、しぐさも上品で、もし、ソフィア様と逆でしたら、きっと、もっと高貴な方とご結婚できただろうにと思ったんです。

 エレナはソフィア様ほど華やかな美人ではありませんが、きつく編んでいましたけれど、解けばきれいな金髪で。染めているソフィア様なんか目じゃないんですよ」

 マリアは、たぶん、ソフィアを嫌っているのだろう。給金をもらっているから「様」をつけているだけの印象を受ける。

「よほどきれいな髪なんだね?」

「ええ。髪だけではなくて、わたしうまく話せているかしら? エレナは心まできれいなんです。ソフィア様にどんな意地悪をされても反論もしませんし、悪口も言いません。

 一度聞いたんです。そこまで我慢する必要があるのかって? そしたら、

「我慢などしていないのよ。ただ、悪口を言うのって、疲れない?」

 って笑ったんです。無駄に疲れることをするだけの元気があるのなら、お部屋を掃除してきれいにしたほうがいいと思うって。

 わたし、もう、本当に驚いちゃって。だって、わたしとか、他の子たちはソフィア様の悪口を言わない日は一日だって、半日だってないのに、彼女は、ずっとソフィア様の侍女をしていて、一度も悪口を言わないんですよ」

「……君の話しからすると、エレナというのはとても素晴らしい女性なのだね」

「ええ。とても素晴らしい人です」

「その、素晴らしい人が、貧しさを理由に央都までついてきて侍女をする。……時々なら、彼女に結婚を申し込む人もあったろうに?」

「もちろんですわ。でも、それをすべて邪魔していたのもソフィア様です。相手の男を誘惑して、エレナに見切りをつけた途端捨てちゃうんです」

「ほぅ。その時、エレナは?」

「何も言わないんです。ただ、そんなに好きではなかったのだろうと思いますが、でも、」

 マリアはシダークレー子爵のほうを上目遣いで盗み見て、

「最近は、とても困っているようでした」

「困っている?」

「ええ。最初は、ソフィア様の身代わりでデートに行くように言われていたんです。彼女。……ソフィア様が自らおつきあいをして、そのうちの誰かから婚約をもらえなかったら、子爵に、結婚を申し込ませるように仕向けるというのが、目的で。エレナはソフィア様の服を着て、宝石をつけ、顔はベールで覆いますからあまり見えません。背格好や、少し声を高めに出せばソフィア様に似ていなくもないので、身代わりをするようになったのですけど」

 マリアは申し訳なさそうに言い、

「ソフィア様から、子爵には適当に、飽きさせない程度に付き合うようにと言われていたようですけど、何度かお会いするようになって、エレナ、まるで人が変わったようでした。

 頬に赤みがさして、デートを楽しんできたのだとすぐに解りました。

 でも、服を脱ぎ、鏡の前に立ったとたん苦しみ始め、

「子爵を騙しているのが辛い。今日こそは本当のことを言おう。と決めていたのに。あの方の優しさや、会話に、つい。……でも、あの方が、ソフィア様の名前を呼ぶたびに、私の心に針が刺さって」

 というんです。

 わたし、思い切って自己紹介して、二人で逃げたらどうか? と提案したんです。ですけど、

「私を紹介したら、子爵は、だましていたのかと激怒されてしまう。私、あの方に嫌われたくないの」

 というのです。

 解ってくださいね。子爵様。エレナはソフィア様の計画で愚かにもあなたを騙すようなことになっただけで、本当にあなたのことを愛しているんです」

 マリアの言葉にシダークレー子爵は頷き、マリアの手を取って二度軽く叩き、

「ソフィア、いや、エレナはいい友達を持ったようだね。あなたの話してくれている人こそ、私が愛し、私を突き動かしている人だよ」

 シダークレー子爵に言われ、マリアは安堵したように馬車を降り、何か進展があったらロバートの家に知らせてくれるよう約束をした。


 帰りの馬車で、ロバートと、エレノア、シダークレー子爵は独自の展開を話していたが、サミュエルは口を開かず、ずっと軽く握った拳を口元に当てて窓の外を見ていた。



 

 

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