旧き守護神と旧き主(6)

 リクラフに代わって動き出した1体は、“オーガス”という名の巨漢風。その身にまとうダークブラウンの装甲は被面積としては小さく、関節周りと頭蓋を控え目に覆う程度。だが、2メートルに迫る背丈に100kgを超える体重で、起立した熊のような体躯には、分厚い鋼のような筋肉を張り付けている。

 もう1体は“シュガ”という名の痩せた中背猫背の剣士風。首から頭部全体を覆いつつ目鼻のラインで細くT字にひらけた釣り鐘型の兜が目を引く。その右手には胴ぐらいの長さの刀剣をだらりと握っている。薄着のオーガスと異なり、胸部全体も厚みある胸甲でしっかり包み、こちらも防御面は手堅い。


 私はどちらの理甲も扱ったことがある。能力的には悪くなく、前線ではなくアリゴラで手配できたのが意外な個体だ。こちらの命令に対する反応レスポンスや理幣の消費量、指示遂行の自律性や柔軟性、そして単体としての馬力や格闘性能といった点で、理甲たちにはいささかの個体差が存在する。この2体に関しては教練所を出たての新米理官が扱うにはやや癖がある部類だが、第二分隊の手練れが操るのだから心配するのが野暮というものだ。



 処刑の執行は、剣を持つシュガが命じられた。ソフィの前で立ちすくむリクラフの対面側――つまりハイバルの背中側から、罰される2人へゆらゆらと歩み寄る。ソフィはシュガの方へ移動し、ハイバルの前に立ち塞がった。あんな風に庇ったって、死ぬ時間がほんの数秒変わるだけなのに。

 シュガの手にした刀剣が、いよいよソフィの頭上に振りかざされる。

「執行せよ」との担当理官の掛け声が響き、細身の理甲は忠実に刀剣を振り下ろす。

 私は2人の魂が安らかに逝くよう、せめてもの祈りを捧げた。



 ――祈りを終えて、眼を再び開いた時。

 その剣はソフィの眉間のすぐ手前で、ぴたりと止まっていた。

 振り下ろされたはずの刀身が、によって押し留められている。


 状況をじっと注視すると。

 それは、ハイバルとソフィの肩越しに伸びた、リクラフの右手だった。

 私は初め、ただ眼の前の現象としてそれを受け止めたが、すぐに猛烈な胸騒ぎに襲われた。


「――おい、待て、ウィルダ中級理官、何をしている?」

 カウリールがまず私に声を掛けた。「なぜリクラフを動かした?」

 何度か瞬きをした。リクラフは確かにシュガの邪魔をしているが、少なくとも私は何もしていない。

「あの、小官は何も指示していませんが……」と私は両手を広げ、首を横に振りながら答えた。

「じゃあ、そのリクラフの動きはなんだ? なぜ執行を阻害している?」

 今度はランドール副官が戸惑いの声を上げた。「担当理官の意に反して、リクラフが勝手に動いたとでも言うのか?」

「ま、まさか……リクラフ、その手をシュガから離せ。――おい、リクラフ!」

 私は叫ぶが、リクラフは頑として離そうとしない。

 理幣が足りないのか? 新たに理幣を1枚使用し、もう一度「手を離せ」と命じるが、それでもなお変化は見られない。シュガはなおも必死で振り下ろそうとしていて、リクラフがそれを押し留める構図は変わらない。

 おかしい。この程度のちょっとした動作指示で、理幣の不足なんて生じるわけがない。担当理官だって私のはず。現にさっきまでは私の言う通りに動いていたし、同調を切った覚えも、切られた記憶もない。


「何でしょうね、これは。……執行はオーガスにやらせますよ。分隊長、いいですね?」

 カウリールの隣に立つ、オーガスの担当理官が宣言した。カウリールも「気をつけろよ」と追認する。

 ソフィとハイバルの2人を挟んで拮抗する2体の側方から、オーガスが巨体を駆動してにじり寄る。ソフィたちをほとんど真下に見下ろせるほど至近まで迫ったオーガスは、対象を殴り潰すため、丸太のような右腕を引き絞った。

 その右腕が放たれた――と思われた瞬間、オーガスの巨体は爆発したように後ろへ吹っ飛んだ。まるで棒で打たれた球のように飛んで、甲渠の壁に激突。その衝撃に甲渠全体がずずんと揺れ、壁際には打ちのめされたオーガスが横たわった。


 私も動体視力には自信がある方だが、何が起こったのかを追い切れなかった。ただ、シュガの剣を押さえながらもリクラフが片脚をあげ、まさに下ろそうとしている様子から、オーガスが吹っ飛んだ理由を推測することは容易だった。

 恐らく、リクラフが横蹴りを見舞ったのだ。


「ウィルダ中級理官! なぜオーガスを攻撃した! 気でも狂ったか!」

 ランドール副官の怒号が鼓膜をつんざいて、私を現実に引き戻す。

 推測は簡単だが、推理は困難を極めた。

 警備兵たちは迅速に副官とアルバント中佐の前に躍り出て隊列を組み、私の方へ槍の切っ先を向けた。

 オーガスを蹴り飛ばしたのが、私の指示だと断じられていた。

「ちょ、待ってください、小官は何も……本当に何も……」

 絶望的に私は呻いた。

「馬鹿野郎、リクラフをすぐ制御しろ――制御するんだ、エリザ!」

 背後からもカウリールの怒号が甲渠内に反響する。

「せ、制御って言ったって……」

 誰か、何が起こっているのか説明してくれないか。

 こちらの指示なく勝手に動き、止めろと言っても聞き入れない理甲に、私ができることなんて、何が?


「くそっ……あいつ、後でしばく」

 カウリールは毒づきをかますと、両隣の理官の背中を思い切り叩いて叫んだ。「おら、さっさとオーガスを立て直せ! シュガも処刑完了まで気を抜くな!」

 ばたばたとカウリールらが対処に追われる。

 一方で、ランドール副官はその鉄仮面を取り戻し、手直な将兵に命令を下す。

「本部に増援を要請しろ。それから、ウィルダ中級理官を確保するのだ」

 号令一下、ランドール副官の周囲にいた警護兵の数名が私の周りを取り囲むと、両手を縛り始めた。

 手に縄がきつく食い込んだ感触で、ようやく我に返った。

「え、副官殿、あの、これは……」

 説明を求めて向いたランドール副官から、ぞくりとするほど冷たい眼差しが私に突き刺さった。

「理甲の“暴走”による責は、理動した本人が負うことになる――貴官も忘れたわけではあるまい。この事態が落ち着いた後で、先ほどの行動の真意をとくと訊かせてもらう。――カウリール上級理官!」

 今度はカウリールの方へ副官が叫ぶ。「現刻を以てリクラフの“暴走”を確認した。対象を沈黙させろ。破壊も止むなし! 貴官にはそれだけの戦力を与えているはずだ」

「――了解」

 カウリールが右手を掲げて指を鳴らす。何らかの合図が響く。


 その時、シュガの刀剣がついに折れた。理甲同士の互いに譲らない馬鹿力が刀身の一点に集中し、破断してしまった結果だ。

 だが、処刑の指示はまだ生きている。

 シュガは即座に折れた刀剣を投げ捨てた。理甲の力があれば、素手でも人間ぐらい殺せる。ソフィらを殴殺するため、火花が散るほどの速度で右腕のテイクバックへ。

 これにはリクラフも意表を突かれたか

――との淡い期待は、シュガの顔面ごと粉砕される。

 先に叩き込まれたのは、リクラフの拳だった。頭部を覆う釣り鐘型の兜は無惨にへしゃげ、シュガの身は背面から地面に激突。石造りの床が砕け散る音が轟き、シュガは完全に沈黙した。

 ああ、シュガはもうだめだ。あれでは当分再起できない。


 だが、絶望も束の間。

 そこへ、リクラフの背後から巨大な影が激突した。再起したオーガスの体当たりだった。さすがのリクラフも不意を突かれ、地面に押さえつけられた。


「よくやった」

 カウリールはオーガスの担当理官の背中をぽんと叩いた。「気合入れて押さえとけ、リクラフの速度は想像以上だ。処刑は俺がやる」

 そう告げた彼の背後の暗がりから、遂に3体目の理甲が前へ出た。

 闇から生み出されるように現れ、天窓から差し込む光束を浴びて、神々しいまでの光彩を帯びた姿に、私は息を呑んだ。

「――フェリックス、か?」

 現れた理甲の名はフェリックス。武骨な巨漢のオーガスとも、痩せっぽちで猫背のシュガとも違う、輝くばかりの乳白色の装束に黄金の帯をまとった偉丈夫。

 その金髪碧眼、そして彫りの深い優美な面つきは乙女なら誰もが惚けて見つめるだろうし、どんな画家もこの美しさを描き留めようとするだろう。珍しく頭部に装甲のない理甲のため、その気高い容姿を遮るものは何もない。そして光そのものかと思うほど輝きを放つ刀剣を、両手にそれぞれ構える二刀流。

 理甲の中でも最精鋭と呼ぶべき個体。本来なら理甲師団に20人といない小隊長クラスしか扱えない上位種。それがまだ分隊長に過ぎないカウリールに与えられたのは、このリクラフの“暴走”を見据えての配置ということか。


 複数枚の理幣を手に、カウリールは指示を与えた。

「フェリックス、そこのハイバルって間諜と、ソフィ・ユリスキアの処刑を命じる。リクラフが邪魔だてするなら破壊しろ。時間を掛けるなよ、直ちにやれ」

 フェリックスは柔らかい微笑みを浮かべて、頷いた。


――と、思えば、次の瞬間にはソフィらのすぐ前でリクラフと組み合っていた。

 一気呵成にソフィらを葬ろうとしたところ、リクラフがすんでのところで反応したのだ。リクラフは懐に潜り込んで両の刀剣の持ち手を掴み、ぎりぎりと力任せに競り合う。


 いや、どうしてあそこにリクラフがいるのか。

 その光景に違和感が走った瞬間、私の眼の前が急に暗くなり、一拍遅れて真上から巨大な何かが落下した。1、2度バウンドし、私のすぐ鼻先で、その物体は止まった。

 ぴくりとも動かないそれを見ると、オーガスの巨体だった。

 思わず、ぞわりと鳥肌が立つ。オーガスは今の今までリクラフにのしかかって押さえつけていたはず。リクラフは一瞬でこいつを跳ね除け、フェリックスを食い止めたということか。

「お前、また――!」

 警護兵の蹴りが背中に入った。突然の衝撃に呼吸が遠のく。硬い地面に打ちつけられ、顎をがつんとぶつけた。

「わ、私じゃないって……」

 そんな弁明に何の効果もない。地面に転がったその姿勢のまま、後ろ手をますますきつく縛り上げられ、関節がぎしりと軋む。



 畜生、リクラフのせいだ。

 何度私の人生を狂わせれば気が済むのか。またしても――またしてもッ!


 それでも――いくらリクラフが強力だと言っても、フェリックスほどの理甲ならそれを上回ることができるはずだ。

 いや、上回ってくれなければ困る。

 でなければ、もう誰にも止められない。

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