大転換(3)

 私に声を掛け、こうして会話をしている本当の目的は何なのか。

 ソフィとハイバルはまだ言葉を発しなかった。きちんと聞こえているようだが、それは慎重な沈黙だった。ソフィとハイバル、次にどちらが何を言うかで、何かが転がり始める気配が漂い始めた。


 やがて両者は一度互いを見つめ合った後で、私に向き直った。

 口を開いたのはソフィだった。

「エリザ、初めて会った時に相談したこと、覚えてる?」

「もちろん。ほんの3日前だからね」

 譲れない想いがあるなら他人がどう言おうがやり通せ、と言った件か。

 すると、ソフィは少し眼を伏せたかと思うとはっきりと見開いて、意を決したように言った。



――わたしと昔一緒にいた啓霊が、今は理甲師団にいるの。

 わたしはその啓霊ともう一度会いたい。

 そして、望みが叶うのなら、もう一度一緒に暮らしたい。

 ハイバルとはそのための方法をずっと話し合って来た。

 エリザにも、ぜひ協力して欲しい。理官のエリザの協力が絶対に必要なの。

 これはわたしの心の底からのお願いよ。



 ソフィの瞳に、私は思わずたじろぎそうになった。それは下手に出てお願いするような柔らかな眼差しでも、不安に揺らいで大人にすがろうとする眼差しでもない。

 諾か、否か。

 逃げもごまかしも許そうとしない、ただそれだけを迫る眼差し。

 他の誰でもなく、私個人の決断を迫る眼差し。

 この小動物のような可憐な娘さんの、一体どこにそんな激しさがあるのかと疑ってしまうほどの強い眼差し。


「――ちょっと待って。“理甲と一緒に暮らしたい”から、“理官の協力が必要”って……あなたたち、私の立場をわかってるの?」

 私はそのソフィの圧を押し返すように、身を乗り出し、卓に両手をついて、強い語調で反駁した。

 ここで半端に気圧けおされてしまうと何かが危ない、と私の第六感が警告を発していた。「――さっきからあなたたちは、あまりにも土着民族や未開部族の道理で物事を語っている。理官の私に理甲絡みの取引を持ち掛けただけで、お互い死罪だってあり得るのよ。理甲が絡む話だなんて、いくら友人としての頼みでも絶対受け入れられない」

 私は怪我明けの身体が許す限りの勢いで席を立ち上がった。「ソフィ、それからハイバルさん。今のは聞かなかったことにしてあげる。あなたたちがそういう目的で近づいてきたのだとしたら、申し訳ないけど会うのはこれっきりにさせてもらうわ」

 そんなことを要求されるだなんて、さすがに想定の範疇を超えていた。とんでもない面倒事を持ち掛けてきたものだ。

 聞かなかったことにするだけでも私の方が裁かれてしまいそう。そんなの冗談じゃなかった。



「――待って下さい、エリザさん。どうか最後まで聞いて下さい。俺たちはそんな大それたことをお願いしたいわけではありません」

 背中を向けかけた私を呼び止めたハイバルは、なぜか顔に微笑を浮かべていた。その態度には余裕すら漂っている。この話の主導権はあんたではなくこちらにある、とでも言わんばかりに。


「近々、とある理甲が処分――つまり“廃甲”されようとしているようです」

 ハイバルがそう切り出した。私は知らない話だが、なぜこいつがそれを知っているのか。「その話があなたの元に届いたら、廃甲に反対して下さい。その理甲はまだポテンシャルがある、それを発揮させる手立てがあるはずだ――と理甲師団の担当者に仰って頂ければそれでいい。今お願いしたいのはそれだけですよ」

 簡単でしょう? とばかりにハイバルは両手をぱっと広げた。「エリザさんは、ただ理官としての意見を求められ、常識と命令の範囲内で、見解を答えるに過ぎません」

「――仮に、あんたの言う通り廃甲が行われるとして」

 私は少しだけふたりの方へ向き直った。「私ごときの見解をいちいち師団本部が尋ねるわけがないし、ましてそれで決定が覆ることもあり得ない」

「いいえ、そうなりますよ、きっと」

 彼の表情は変わらずにこやかだ。「どうせ最後は師団本部の判断です。エリザさんが責任を問われることではないはず。本部を説得しろ、とまでは頼みませんから。――いかがですか、恐らく充分だと思っているのですが」


 確かにそれぐらいのことならば。

 しかし、その程度の協力でいったい何が動くのか。私に意見できる権限などないのに。


 疑念が募る私のことなど気にしないように、ハイバルは滔々と語り続ける。

「とにかく、今その伴侶亜人類プロクシーズが廃甲されてしまうと都合が悪いんです。俺は俺で、ソフィはソフィで、この命を賭けてもやりたい目的がある。そのためにはその理甲が必要なのです。今その廃甲を止めるスイッチを入れられるとすれば、それはあなたしかいないんですよ」

「だったら、協力してほしい相手にはせめてしっかり説明することね。こっちにだって冴えないなりに人生があるのよ。妙なことに巻き込まれちゃ敵わないわ」

 私は声を荒げた。「だいたい、あなたたちの人生にその廃甲がどう影響するわけ? 『軍が、使えないと断じた兵器を処分する』、廃甲なんてそれ以上でも以下でもない。それで何が変わるわけでも――」

「……エリザ、」

 私の言葉を遮り、ソフィが再びその眼で私を貫いた。「……お願い。わかってほしいの」

「でもね! ソフィ、」

「お願い」

 ソフィはもう一度、繰り返した。「――自分だけが持てる、他の誰にも否定しようのない想い、それを無視してはいけない、つまらない遠慮をして恥じたり押し殺す必要はない。そう言ってくれたのは、あなただったわ、エリザ」

 有無を言わせぬような凄みがあった。

 そして、それは確かに私がソフィに言った言葉だった。



 確かに言った――それは否定できないけれど。

 どうして、そんな眼をするのだろうか。

 どうして、このハイバルという得体の知れない男を信じようとするのだろうか。

 他人の迷惑など気にするなとは言ったが程度問題があるし、連邦の法規に触れる行動を奨励した覚えはない。

 でも、私はどうやら3日前のあの図書館でのやり取りで、悩めるソフィの何かを焚きつけてしまった責任があることも確かで。

 その協力とやらも、ハイバルの言うように私に充分できる範囲のものだ。そもそもが私の一存でどうこうできる話でもない……。


 眼を閉じて、嘆息。

 再び眼を開けて、私はハイバルに尋ねた。


「……その協力による益は何だ?」

「ん? 益と言うのは、カネでしょうか? 残念ですが、それは用意できませんよ」

「そんなものはいらない!」

 唸るように私は反論した。馬鹿にするな。「私が確認しているのは、その協力が利益に与するものなのか、その1点だけだ」

「ああ、そりゃそうですね」

 納得した様子でハイバルは椅子に座り直し、背もたれに身体を深く預けながら答えた。「ご協力頂ければ……まずは、我々の友人であるソフィの願い、そのファースト・ステップは叶いますね。これは連邦の利益とは必ずしも一致しないかも知れませんが、連邦に害をなす話でもないはず」

 それは自明の話だ。

 ただ、実際ソフィがどれほど強く望んだって、軍人でも理官でもない者が理甲と一緒に暮らすだなんて荒唐無稽過ぎる。とは言え、廃甲されてしまえば可能性そのものが消滅する。問題はむしろ廃甲を免れた後の方にも思われるが、どんなやり口を企んでいるのかさっぱり想像がつかない。


 それに、ソフィの願いよりも気になるのは、この男の狙いの方だ。

「……ちなみに聞くけど、あんたの願いとやらは?」

「俺の願いですか?」

 ハイバルは吹き出すように笑みを見せた。「改まって言うのも照れ臭いですが、そうですね――この大陸に平和をもたらすこと、とでも言いましょうか」

 その双眸が月光に照らされた刀身のように艶かしく輝いた。

「へぇ……平和って何?」


「ええ、例えば――蛮教徒カルトの壊滅」


 壮大な神話を語るように、彼は断定した。「いかがでしょう。これなら、あなたにとっても、連邦にとっても、それほど悪い話ではないと思いますが?」



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