大転換(2)

 私はごく単純な疑問を差し挟んだ。

「私、あまり歴史に詳しくないのだけど、この大陸だって何百年以上も群雄割拠の戦国時代だったはず。5年前の戦役以前にも大きな戦乱ならあったでしょう? なぜ先の戦役だけが、その大転換とやらを引き起こしたと?」

 訊かれたハイバルは、再びどこか楽しそうに頷いた。興味を持ってもらえたことが嬉しそうな様子に見えた。

「あの戦役がそれ以前の戦乱と異なるのは、伴侶亜人類プロクシーズ――土着民族の言う『啓霊』が、史上初めて戦場へと大々的に投入された、という点です」

「へぇ。それ以前は全く投入されなかったってことなんですね。意外です」

 ごく率直な想いで私はそう言った。

「意外、ですか?」とハイバルは私に上目で尋ねた。

 そういうあんたの反応が意外だ、と言いたげな眼。

「……ええ、土着民族にしても伴侶亜人類プロクシーズがあれだけ強いことはわかっていたはず。逆に、私からすると『土着民族は理甲師団の出現にびっくり仰天した』などと言われる方がよくわからないのです。――だって、誰だって思いつきませんか? あれだけの力を自軍に組み込めたらどうだろう、って」


 少しの沈黙があって、ハイバルは落ち着いて答えた。

「――発想があったとしても、できなかったんだと思います。どこの勢力にしても、今の連邦のように伴侶亜人類プロクシーズを“運用”するだけのが用意できなかったのでしょう」

 彼の語り口はことさら滑らかになる。「この大陸の歴代の為政者たちは、自領に存在する伴侶亜人類プロクシーズを庇護する役割がありました。同時に、伴侶亜人類プロクシーズの怒りを買って自身と領民が危険に晒されないよう、共同体を庇護する使命も果たしていたんです。そんな彼らにとっては、伴侶亜人類プロクシーズを自身の尖兵としてこき使う選択は取れなかったのでしょう」

「ええと……」

 言葉の意味がすんなりと掴めない私を見て、「……もう少し話を噛み砕きましょうか」とハイバルが言った。



「――元々、伴侶亜人類プロクシーズというのは、人が住まうよりも先に、この大陸の各地に点在していたんです。あたかも山がそこにあるように、川がそこにあるように、海がそこにあるように」

「つまりね、」

 ソフィが横から補足した。「人間のいるところに啓霊を連れてきたのではなくて、元々啓霊がいたところに人間が集まってきた。啓霊が長らく居着いたところに集落ができて、祭壇や神殿が作られて、町ができて、国ができた。このアリゴラだって元を辿ればそう。その国や町や村にはそれぞれの啓霊がいて、それぞれの歴史があって、それぞれの祭儀があるの」

「……なるほどね」

 興味深い説明だと思った。

 だから、とソフィはさらに続けた。

「その土地から啓霊がいなくなってしまったら、大陸の民の暮らしや、王様や村長の統治は、軸を失くした独楽コマみたいになってしまう。わたしたちががわからなくなる。啓霊を戦争に向かわせれば、確かに目先の戦いには勝てるかも知れない――けれど、そんなこと、この大陸の人は誰も納得できなかった」

「……まぁ、仮に争いごとがあったとしても、頭目だけを戦わせて下っ端は奥に隠れていればいい、って話にはなりませんよね」

 ハイバルはそう言って肩をすくめてみせた。「仮に、頭目こそが彼らの中で一番強かったとしても、です」


――海の向こうから、その“啓霊”を臆面もなくこき使う、異邦の軍団が侵略でもしてこない限りは、か。


 私は頷きながら言う。

「確かに、その考え方と歴史は、連邦のものとは全然違うね」


 連邦本土の連中は無神論者ばかりなのか、と言えばそんなことはない。伴侶亜人類プロクシーズとは関係のない、別の宗教と文化が根付いているだけだ。

 そういうがいるので、連邦本土では伴侶亜人類プロクシーズは信仰なんかされていないし、土地や風習と結びつけられてもいない。理幣実用化後のたかだか数十年の歴史しか持たない伴侶亜人類プロクシーズが、今さら連邦臣民の意識レベルに割り込むのは困難だ。


 だからこそ、連邦は伴侶亜人類プロクシーズを後腐れなく扱える。

 我々の感覚は『ここに町を作る。だから伴侶亜人類プロクシーズを動員する』し、『敵兵力がそこにいる。だから理甲を投入する』。伴侶亜人類プロクシーズが破壊されようが疲弊しようが、別に知ったことではない。あいつらは連邦臣民の培ってきた宗教観や価値観の枠組みには最初から存在していない。

 理幣のコストを度外視すれば、使い勝手の良い奴隷と言っても過言じゃないぐらいだった。


「……そういうわけで」

 ハイバルは再び口を開いた。「伴侶亜人類プロクシーズたちのいるところに、我々大陸の民のご先祖様は集住し始めました。こちらが恭しく接する限り、伴侶亜人類プロクシーズは知恵や啓示を授けてくれることもあったと言います」

 ハイバルの説明を聞きながら、私はソフィが語ってくれた啓霊の話を思い出していた。

 村にいた啓霊は豊作・凶作の兆候を知らせてくれた、だから村の皆がそいつを信仰したのだ、という話を。

伴侶亜人類プロクシーズたちと良好な関係を築くことは、共同体の生活のためには必要不可欠でした。ですから、一定の規律と共に人間の集団を取りまとめ、その代表者として伴侶亜人類プロクシーズと接し、庇護する役割が必要だった。それを務めたのが、この大陸の各地の為政者です」

 彼はそういって眼を閉じた。「そんな立場の彼らが、伴侶亜人類プロクシーズを自身の手駒のように扱うことなど、できなかったのです」



「……もしかして、伴侶亜人類プロクシーズは恐れられていたんでしょうか?」

 ちょっとした疑問が生じたので、私は口を挟んだ。ハイバルも私の顔を即座に見つめた。「失礼ながら、私に言わせれば伴侶亜人類あいつらは感情のない暴力装置です――理幣さえ支払って命じてさえしまえば、躊躇なく人間を殺すんですから」

「まぁ、そういう見方もできると思います」

「それに、仮にも政治なんてものに関わる人間が、神様への純粋無垢な尊崇の念だけで動くとも思えない。ただ祈るだけなら、神官にやらせれば済む話ですよね。でも、為政者自身が伴侶亜人類プロクシーズと直接付き合う必要があったということは――為政者にとって、伴侶亜人類あいつらは何らかの実害やリスクをもたらすような存在だったということでしょうか?」


 ハイバルは少し考え込んでから言った。

「……唐突ですが、エリザさんは『啓霊様への行いは、天と地と啓霊様が見ている』という言葉をご存知ですか?」

「はあ」

 会話の流れから言って、確かに唐突に思える振りだった。「もちろん知ってますよ。あの陳腐なお説教ですよね」

――啓霊様への行いは、天と地と啓霊様が見ている。

 子どもの頃、何度言い聞かされたかわからない。『天網恢恢疎にして漏らさず』とか、『悪は滅びる』なんかと同義語。

「……何ですか、まさかあんな子ども向けの言葉を為政者たちは信じていたとでも?」

 含み笑いで冗談を言ったつもりが、ハイバルは全く真顔で「そうですよ」と答えた。

「啓霊信仰の根本には畏怖があるのではないか、というエリザさんのご指摘は鋭いと思います。啓霊に罰当たりな真似をすれば神罰が下る――物騒な言い方をすれば、“抑止力”です。為政者たちはそれを本当に恐れていた。だから、誰もがあんな教訓を子どもに言い聞かせるのです」

「へ、へぇ……そうなんですね」

 鼻を挫かれたような気分だった。「でも、別に伴侶亜人類プロクシーズが戦場にぶっ込まれて暴れたってわけでもないのでしょうに、抑止力っていうのも」

「古い伝承ですが、その言葉の元になった、こんな話があるんです」

 そう断って、ハイバルは昔話を始めた。



――1000年以上も前のこと。とある古代王朝があった。

 時の王は、欲望に忠実な暴君だった。国中の美女を侍らせ、奴隷や配下をいたぶり、しかしそれにすらも刺激を感じなくなっていた。

 そして、彼は王朝が奉じる美形の啓霊に目をつけた。あらゆる美女を征服した王にとっても、その神々しい美貌は別格の未踏峰だったのだ。

 反対者を片っ端から処刑した後で、王はその美しい啓霊を牢につなぎ、自身の悪辣な嗜虐趣味の玩具おもちゃにし始めた。その啓霊はどんな仕打ちにも歯向かわず、どんなに痛めつけてもすぐに回復する。それでいてその容姿は凛々しく高潔で崩れることがない。残虐な王は誰にも邪魔されず、心ゆくまで暴力と恥辱に明け暮れた。


 しばらくは何事もなかった。

 神罰を恐れていた人々が、もしや杞憂だったのでは……と思い始めた、そんな頃合いだった。


 数柱の啓霊が王宮に現れた。

 王宮警護の禁兵が「誰何」と問い掛けた瞬間、狂宴が始まった。王宮の誰もが無差別に、公平に、強制的に参加させられた、凄惨な血の狂宴が。

 神官の懺悔、禁兵の抵抗、女中や王妃たちの命乞い、それらは啓霊たちの進撃に対して何の抵抗にもならなかった。

 例外的に、ひとりの従者だけは生かされた。ただし、『この出来事を詳細に記録し、あまねく伝えよ』と啓霊に恫喝され、繰り広げられる惨劇をその眼に焼きつける役目を押し付けられた。この話がこうして伝わっているのは、この従者のお陰だ。

 やがて、王を含む宮中全ての人間が屠られた。虐げられた啓霊を牢から助け出すと、血塗れの啓霊たちはどこかへと消え去った。それと同時に大小多数の偶像アイドルが王都の四方に現れて、解き放たれた狂犬のように豪華絢爛な王都を蹂躙した。残された兵や臣民には、なす術もなかった。


 こうして、啓霊の怒りに触れた王朝はたった1日で滅亡した。畏れ多くも啓霊を弄んだ、愚かな王のせいで。



「――この伝承のポイントは、2点あると思っていて」

 ハイバルはその視線を私に集中させて言った。「ひとつは、先ほど言った通り、伴侶亜人類プロクシーズは抑止力を有しているということです。しかし問題は、『伴侶亜人類プロクシーズの抑止力』がなぜ為政者から恐れられたのか」

 彼の投げかけはごもっともだ。

 伴侶亜人類プロクシーズのご機嫌を損ねると仕返しされてしまう、というだけであれば、抑止力などと呼ぶほど大げさなものではないはず。

 ハイバルの語った伝承の内容も含めて少し考えてみると、私の頭に閃くものがあった。


「……、ということですか?」


 彼は力強く頷いた。

「俺が思う、伝承のもうひとつのポイントがそれです。伴侶亜人類プロクシーズ同士、そして伴侶亜人類プロクシーズ偶像アイドル同士は、ひとつの種族としてリンクしていると思われます。この伝承に沿えば、美形の啓霊は1柱だけ牢に入れられて虐待されていたのに、複数の啓霊たちが現れて救出したとあります。さらに、王宮を襲撃した後、呼応するように偶像アイドルの群れが王都を破壊した、ともね。つまり、伴侶亜人類プロクシーズに非道を働けば、伴侶亜人類プロクシーズ偶像アイドルが神罰を下しに現れる。そしてその神罰は、ヒトという共同体そのものに無差別に降りかかる。破滅をもたらす“神の怒り”――為政者と領民が恐れた抑止力は、そこに根差していたのです」

「言われてみれば、伴侶亜人類プロクシーズ偶像アイドルは“叫鳴”という形でコミュニケートが可能ですね。あいつらだけに通じる何かがあるってことなんでしょうか」

「こればかりは俺も憶測でしかありませんが、何らかの集合的意識とでもいうべきものを有しているのかも知れませんね。――ともあれ、この大陸は伴侶亜人類プロクシーズが共同体の礎であり、為政者と領民にとっては畏怖すべき存在だったということです。――いかがでしょう、軽々に使役できなかった土着民の気持ちが、エリザさんにも少しおわかり頂けたのではないでしょうか?」


 ここまでの話を自分なりに振り返る。

 恭しく接すれば啓示を与えてくれるが、非道を働けば偶像アイドルと共に押し寄せて共同体に破滅をもたらす――そんな緊張感の中では、伴侶亜人類プロクシーズへの尊崇と畏れを抱きつつ、共同体を束ねられる敬虔な為政者が求められた。

 領民にとっても為政者の振る舞いは他人事では済まない。伴侶亜人類プロクシーズに対して邪知暴虐を働く愚昧な王は、さっさと除かねば自分たちの身にも火の粉が降りかかってくるからだ。

 そうした場合、余計な軋轢や下克上を嫌う統治者なら、伴侶亜人類プロクシーズにどういった態度を取れば配下や民衆の支持を得られるか、それを考えるはず。

 このやり取りの最初に、ハイバルの言った言葉を思い起こす。


“為政者たちは、自領に存在する伴侶亜人類プロクシーズを庇護する役割があった。

 同時に、伴侶亜人類プロクシーズの怒りを買って自身と領民が危険に晒されないよう、共同体を庇護する使命も果たしていた。

 そんな彼らにとっては、伴侶亜人類プロクシーズを自身の尖兵としてこき使う選択は取れなかった。”


 なるほど、合点がいった。

「――そういう事情なんですね」

 私はここまでの解説に感謝する気持ちも添えて答えた。「それが念頭にあるから、啓霊を最前線に送り込んだり、土木工事をやらせたり……といったことはおっかなくてとても指示できなかった、ということですか」

 ハイバルとソフィはともに頷いた。


 その辺、連邦は理幣を使ってうまくやってるということだろう。もちろん我々も多少無茶を命じることはあるが、理幣を先払いしていることが鍵なのかも知れない。理幣として払った信用分しか言うことはきかせられないし、国としても理幣を造る能力は限られている。

 仮に、ニセ理幣を刷りまくり、伴侶亜人類プロクシーズたちを滅茶苦茶に虐待すれば、我々も伝承の王のような目に遭うのだろうか。

 私は思い出したように茶を少し口に含んだ。ほとんど冷めかかっていた。



「今のお話でお分かりでしょうが、過去の大陸内の戦争は、全て人間同士の殺傷でした。人間の争いは人間が蹴りをつけるべし、啓霊を持ち出すなど子どもの喧嘩に親が出るようなものだ――という不文律が、土着民族全体で共有されていたのです。そこへ、連邦軍が理甲師団……つまり伴侶亜人類プロクシーズを率いて侵攻を開始したのが5年前の戦役」

 連邦軍に対して、土着民族は破れかぶれで“啓霊”を持ち出して抵抗を始めた。その中では、リクラフのようなイレギュラーも現れた。

「――しかし、それだけではなかった」

 彼は少し語気を強める。「連邦軍は伴侶亜人類プロクシーズの現地調達――つまり啓霊の鹵獲も進めようとしたのです。啓霊を神聖不可侵とする絶対の不文律を有していた大陸の民にとって、その行為がどれほど恐ろしさと怒りを呼び起こしたことか想像に難くありません。あの戦役まで、誰もそんなことはしなかった。だから“大転換”だと述べたのです」

「でも、実際に連邦に鹵獲された啓霊はそう多くなかったはずですが」

「大人しく差し出すぐらいなら、最後まで徹底的に闘うことを選んだ人々が多かったからでしょう。そんな話は俺も各地で聞きました」

 説明すべきことは終わったらしい。ハイバルもようやく茶を口にした。




「――歴史のこと、啓霊信仰のことはよくわかったわ。いろいろとためになる話だった、どうもありがとう」

 私はそっと告げた。時間も時間だ。そろそろ話のまとめ時だと思った。「でも、あなたたちはこんな歴史の話をするためだけに、私を呼び出したわけではないのだろうと思っているのだけど」


 ふたりは何も言おうとしなかった。

 腹の探り合いが始まっているのだろうか。

 私は意を決して、ひとつの問い掛けを振り込んだ。


「ハイバルさん――それから、ソフィも。私に声を掛けた目的は何?」

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