第3章

謀略の鼓動(1)

 ソフィと図書館で会うのもこれで3回目。

 中央の広間の机に並んで座り、彼女は昨日私の薦めた書物を片手に、「エリザの好みって独特ね」なんていつもの純粋無垢な眼差しで言うものだから、私もどうやら選書を張り切り過ぎたようだ。

 私が薦めたのは、大昔のアリゴレツカ王朝に勤めた不真面目な下級神官の随筆だ。連邦に降伏するまで約300年に渡って20代近くも続いた治世の中で、その第4代国王時代に書き記されたものになる。

 波乱万丈の建国の後に訪れた、良くも悪くも平穏でダレた時代。そういう時節に書かれたせいか、その随筆の内容自体も取るに足らないものばかり。酒呑みのあしらい方だとか、ミスをごまかす時のハッタリの心得だとか、菓子のうまい食べ方だとか。

「昔のアリゴレツカの人はこんなにのどかな働き方をしていたのね」とソフィが不思議がるのは自然な反応だと思う。

「あんまり今と変わらないでしょ?」と私が訊くと、ソフィも頷いた。庶民の考えることや感じることは、何年経っても大して変化はしないのだ。


 ソフィがもう1つ反応したのは、伴侶亜人類プロクシーズに関する言及だった。

「わたしの村も昔は啓霊が身近にいたから、アリゴレツカではこうだったって記述はおもしろかったわ」

 そう言えばソフィが『伴侶亜人類プロクシーズ』との言葉を口にすることはほとんどない。ほぼ必ず『啓霊』と呼ぶ。

 いくら連邦側が『伴侶亜人類プロクシーズ』の呼び名を広めようとしても、土着民族の多くにとっては方言や訛りと同じレベルで、習慣的に『啓霊さん』とか『啓霊様』といった呼び名を使い続けているのが実情だ。

 ただ、彼女に関しては無邪気にそうなっているのではなくて、『伴侶亜人類プロクシーズ』とは意地でも呼びたくない、という、何か強いこだわりがあるようにも感じられた。


 いや、それよりも、ソフィの発した『アリゴレツカではこうだった』という一言。

 うっかり聞き逃しそうになったが、すんでのところで私はその違和感に気づいた。

「――ソフィは、アリゴレツカの生まれではないの?」

 そう問い掛けると、彼女はこくりと頷いた。

「わたしの生まれはもっとずっと東の方の田舎」

「旧国名で言えばどこ?」

「うーん、どこの国かって意識もなかったわ。国未満の存在――連邦の人が言うところの、『未開部族』のひとつと言えばいいかしら。戦役が終わった後でアリゴラに移り住むことになったの。今言った啓霊の話は、越して来る前にいた村のことね」

「ふぅん……」

 そういうことなら、彼女がアリゴレツカの話に興味を持つのも理解できる。



 アリゴレツカ王朝では、伴侶亜人類プロクシーズの協力を求める時、まず国王以下の王朝要人が神灯を前にして請願の儀式を行った。その上で神灯の火を松明に灯し、請願する伴侶亜人類プロクシーズのそばの祠まで、神官たちの集団――神聖団が運搬し、依頼事を申し伝えたという。

 私が薦めた随筆の著者はその神聖団の下っ端だったので、請願の際には伴侶亜人類プロクシーズとも関わる立場だった。私がこの著者のことを『不真面目な官吏』と言ったのは、伴侶亜人類プロクシーズに対して様々な不手際やいたずらを仕掛けたことを白状しているからだ。


 例えば、著者は運搬中の神灯を消してしまったことがある。

 ある時、請願を行う必要が生じたので、とある伴侶亜人類プロクシーズの下へと神聖団が神灯を運搬していた。

 野営の際、一際立派な天幕の中で、著者は神灯を宿した松明の見張り係を仰せつかった。しかし居眠りしてしまい、ふと眼が覚めた時には松明が消えてしまっていた。著者が青ざめたのは言うまでもない。

 しかし幸か不幸か、その時に野営する神聖団へ山賊が襲い掛かった。狼藉を働き始めた山賊は神灯を探し始め、著者のいる天幕にも乱入した。しかし、山賊たちが眼にしたのは何もついていない松明だけ。まさかそれが神灯の松明だとは考え付きもせず、山賊たちはそのまま帰って行った。なお、著者は積まれた荷物の陰に隠れ、難を逃れた。

 翌日にその山賊たちは掴まったが、彼らは「天幕に押し入ったが、神灯らしい松明はどこにもなかった」と口を揃えて証言した。「神灯の見張りはお前の役目だろう。なぜ消えていたんだ?」と上官に問い質された著者は、「不埒者の手に神灯が渡らないよう、聖なる火を避難させていたのです」などといけしゃあしゃあと答えて、いかにも仰々しそうな演技でそこら辺の適当な煮炊き窯の火種を取って来た。

「ほら、小生の機転のおかげで、ご覧の通り神灯は健在でございます!」と嘘八百を言いながら、恭しく松明を再灯火して見せた。「いくら何でも、煮炊き窯に聖なる火を隠すなよ……」と上官は呆れたものの、ともあれ著者の機転のお陰で神灯が消えずに済んだと信じ込んだので、それ以上のお咎めはなかった。

 この話にはオチがある。

 おかしなことに、その松明を持っていくと伴侶亜人類プロクシーズは何の問題もなく神聖団の言うことを聞いてくれたそうだ。だから誰も著者が神灯を差し替えたとは思わず、不真面目な著者は失態を追及されるどころか「なかなかの知恵者」として割と色んな人に称揚されたんだとか。


「大して信心深くない私でも『それはヤベーだろ』って思うことをしてるんだよね」

 私は笑いを少し堪えて言った。ソフィも同感のようで、興味津々で私に尋ねた。

「こんなこと、もしバレたら大変だったんじゃないの?」

「そりゃね。3回殺されてもまだお釣りが来るだろうよ」

 この随筆は筆者の死後しばらく経って発見されている。さすがの王様も死人を裁くことは出来ない。その悪運の強さも笑える要素だ。


「……まぁでも、伴侶亜人類プロクシーズてのは意外と大らかなもんだと思ったよ」

 それは私の素直な感想。神灯の中身が差し代わっていても、こちらの言うことを聞いてくれる柔軟性について。「それに不真面目な神官がこの著者だけだったとは限らないし、昔の人はもっと砕けた関わり方をしていたのかなと思うとね」

「――でも、そういう風に感じるのは、エリザが今、理甲師団にいるからじゃない?」

 ソフィは小さくて丸みのある顎に手を添えた。頭の中からちょうどいい言葉を探しているように見えた。「わたしにとっては、今の連邦のように、理幣という対価を支払って関係を作るやり方よりも……いえ、神灯をしっかり用意しないと啓霊たちと接することが出来ないアリゴレツカの作法だって、かなりきっちりしている方だと思う」

 語り口にやや熱が入っているような気がした。彼女にとっては一家言ある話題のようだ。

「じゃあ、例えばソフィのところは、伴侶亜人類プロクシーズとはもっと砕けた関わりをしていたの?」

「砕けた、というのがどのレベルなのかわからないけれど――私の村の啓霊は本当に皆と一緒に暮らしていた。儀式をしないと会えないとか、偉い人しか会えないなんてことはなくて、自分からそこら辺を気ままに歩いていたもの」


 彼女が語り始めた、“自分の村にいた 伴侶亜人類プロクシーズ”の存在は、私にとっては随分意外なものだった。

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