役立たずの理甲(6)

 長い滞空時間が終わり、リクラフは2体の偶像アイドルから数十歩ほど離れた草の上に着地した。

「――ウィルダ。もうひとつ、悪い知らせです」

 リクラフがまた口を開いた。「我々の宿営地の方から、複数の偶像アイドルがこちらに向かって来ているようです。接敵まで少し時間はありそうですが」

 こちらが指示したわけでもないのに、進んで敵情を報告してくれるなんて気が利く理甲だこと。

「宿営地の方からって……友軍が撃退した偶像アイドルじゃないの?」

「いえ、私から見える限りでは……」

 リクラフは宿営地の方の暗がりに眼を凝らした。「……あれは潰走しているのではなく、私たちの方へ向かって、意思を持って向かっているように見えます。その後ろに追撃する友軍の理甲も見えますが」


 こちらへ向かって来る理由がわからなかった。

 ここにいるのは私とリクラフ、それから味方を破壊した偶像アイドル1体に、味方に破壊されてしまった偶像アイドル1体だけ。

 偶像アイドルへの救援のつもりか、それとも――。


「――追っ手のことはひとまず後ね」

 遠くに見えるなだらかな丘の宿営地よりも視線をずっと手前に移せば、そこには体勢を立て直し私たちの方へ向き直った偶像アイドルがいて、再びこちらへ突進を開始するのが見えた。「あの騎手にも

 私は再び刀剣の柄を握り直す。

 こちらへ迫り来る偶像アイドル――その背に見える騎手へ、私はありったけの声で叫んだ。

「止まれぇ! 戦意がないなら見逃すが!」

 突進を取り止める気配も、方向を変える気配も、微塵もない。

 鼻先を間違いなく私に定め、背の騎手は鞭のように手綱をしならせる。その巨体の踏み込みはますます加速した。


 戦意満タン、か。

 突進しか能がないくせに、上等だ。


「跳べるな、リクラフ――今!」

「はい」

 瞬間、私を抱えて、リクラフはほぼ直上へ跳んだ。


 突っ込んで来た偶像アイドルの体高を、ほんの少し上回る程度の高さ。

 跳躍の最高到達点、束の間の浮遊感。

 私と偶像アイドルの背にまたがる騎手、互いの視線がほとんど水平に合った。

 騎手の青ざめた顔、見開いた眼球。

 しまった、とでも思っているのか。

 私の網膜は、絵画を審美するように、それをとくと捉えた。



 絶妙の高さだ。

 やるじゃない、リクラフ。



「警告はしたからなァ!」

 ねじり切った体幹を独楽こまのように解き放ち、騎手の首元へサーベルを思い切り振り抜いた。

 空気を切る音だけが、ぴゅんと響いた。


 すれ違いざま、血か肉の飛沫のようなものが噴き上がり、ぐらりとその身体が倒れる。相手は偶像アイドルと共に高速で通過し、リクラフに抱えられた私はほとんどその場に滞空している。だから私に見えた騎手の姿はそこまでだ。

 リクラフの着地後に振り返ると、私たちに背を向けて走っていく偶像アイドルの背中に、その騎手の影はもう見えない。乗り手を喪った偶像アイドルはあのまましばらく走り続けるだろう。我々の宿営地とは反対の方向に。



 サーベルの血を振り落とし、鞘に収めた後で、私はひとつの憶測をリクラフに尋ねた。

「……あんたが“叫鳴”を行った時、相手の偶像アイドルが返した咆哮に、宿営地の方からも応答があった。今思えばあれは、こちらの位置を知らせていたのかな?」

「その可能性はあります」とリクラフは答えた。「まだこちらへ接近中の敵 偶像アイドル7体は、進路を変えていないように見受けられます」

「狙いは私たちってこと?」

 偶像アイドルを片付けた今、ここにいるのは私とリクラフだけ。寄ってたかって攻めてくる意図はよく掴めないが、狙われているらしいことは確かだ。「戦場で追いかけられるなんて、私らも罪作りなことよね、リクラフ」

「……ウィルダ、それはどういう意味で?」

 真顔で返されてしまった時、相手が理甲だったことを思い出した。こいつらのカルチャーに冗談というものは存在しないのだ。

「……何でもないわ。皮肉ってやつよ、皮肉」

 理幣を払ってこいつらに冗談が通じるようになるのなら、支払っても良いかもしれないなと思った。ちなみにこれも皮肉だ。



 ふと、近くの草葉の陰から誰かの呻き声が聞こえた。

 声の方へ近寄ってみれば、先ほどの同士討ちで振り落とされた騎手のエルハン少年が横たわっていた。腹を押さえ、両足を抱えるように縮こまっている。全身を強打した際に骨か内臓がやられたか、息をするのも覚束なさそうなほど重傷に見えた。

 かわいそうに、助けなきゃ――とは、もう思わない。


「エルハン君。くたばる前に、どういうことか答えてもらおうか」

 私は収めたばかりの刀剣をもう一度抜き、少年の眼の前にかざしながら尋ねた。

 淑女的に優しくお尋ねする時間はとっくに終わっている。その貴重な時間を、この少年は私を罵ることだけに費やしたのだから。「喋れなければ『はい』か『いいえ』で答えろ、でなきゃ指を一本ずつ斬り落とす。――さっき君がベラベラ喋っていた無駄話は、時間稼ぎのつもりだったのか?」

 エルハン君は怯えたネズミのような眼をこちらに向けて、答える代わりに首を微かに縦に振った。

『はい』、つまり時間稼ぎだったということか。

 優しくしてやったのに、小賢しい真似を。

「その時間稼ぎの目的と狙いは? 私か、こっちの理甲か、それとも両方か?」

 すると彼は弱々しい声で答えた。

「リ……リクラフ様を……、戦場に……リクラフ様が現れたら……生け捕りにせよ、と……」

 なんだ、リクラフの方か。

 私は心の奥底で少しだけ安心した。

「こいつがリクラフだと、いつわかった?」

「ぜ、前線からの報告があって、俺たちにも、い、行けと指示が……それに、“叫鳴”で確信した……」

「それにしては、君はリクラフに投げ飛ばされた相棒を見捨てて逃げたようにも見えたが」

「に、逃げたんじゃない、む、向こうの仲間を呼んだんだ……そ、そいつらと合流するまで、お前らを、引きつけようと思った……」

 リクラフの足があれほど速いことは想定外だった、というわけか。浅慮なことだ。

「お前ら蛮教徒カルトがリクラフを狙う理由は?」

「わ、わからない……」

「白を切るか? この期に及んで」

「そ、そこまで知らない、訳は聞かされてないんだ……う、嘘じゃない……」

 確かに嘘ではなさそうな必死さだ。


「……なるほどね、」

 私は彼にとっては冷酷な現実に気付いた。わざわざそれを告げるのは、この少年への意趣返しでもある。「お前らは、ただリクラフを引き摺り出すための陽動に使われた捨て駒ということか。だから護衛も皆無、武装もしないまま、丸腰でのこのこ出てきたんだな。だったら、おめでとう、君の任務は無事成功だ。――かわいそうに、命と引き換えにするには、つまらない役目だがな」

 少年の大きな眼に、痛みや怯えとはまた異なる感情が迸ったのがわかった。

 肉親に殺されることを知った子どものような表情――動揺、と言ってもいいだろう。

「そ、そんなはずは……お、俺は、陽動だなんて、捨て駒だなんて、言われていない……それは……違う……」

「信じないのはお前の勝手だが、冥土の土産話に覚えときな。蛮教徒カルトっつーのはそういう連中なんだよ。――貴重な情報の御礼と、同じ戦場でこの不幸な殺し合いに臨んだ誼だ。せめて楽に逝け」

「待っ……」

 子どもの分際で私を罠に嵌めようとした怒りも込めて、彼の首筋をぴんと断ち切った。噴水のように血が溢れ、その一部は私の顔と軍装にもびしゃびしゃとかかった。

 袖を使って顔を拭う。自分の汗と脂、そして少年の血による不愉快なぬめり。

 鉄臭い味と、生臭さ。


「殺さずとも、捕縛してもよかったのでは?」

 びくびくと身体を震わせて死にゆく少年を見下ろし、リクラフが静かに尋ねてきた。

「いいのよ。こいつに聞けることは、どうせこれぐらいだろうから。それに……私の出自も聞かせてしまったしね」

 せっかくこちらが下手に出て、ある程度腹も割ってやったというのに。

 説得というのは難しい。私は吐き捨てるように自分の行為と判断を正当化した。


「……さて、最後にもうひと仕事ね。追加の理幣は必要?」

「いいえ。剰余はまだあります。改めて指示を頂くまでもなく、状況も把握しています」

「案外、腹持ちと物分かりがいいのね」

「私は飛び跳ねているだけですから。今のところ」

 危うく吹き出しそうになった。リクラフは全くの真顔だが。

 リクラフ、今のは軽口のつもりか?

 もし冗談で言ったなら、なかなか面白い。

「……まあいいわ。もう1枚支払うから、最後までよろしく」

 私は理幣を1枚取り出し、改めてリクラフに指示を出す。

 私の身を護ること。なおかつ、接近中の偶像アイドル7体についてこの場に釘付けし、捕縛されないよう最大限注力すること。友軍と合流後はこれを支援すること。その目的に合致する指示については、理幣による信用供与の範疇において守従すること。

「――わかりました」

 指示が伝わったらしいリクラフが応答した。「しかし、今度は多勢に無勢です。今なら逃げることもできますが、ここで迎え撃ちますか?」


 いよいよ増援の偶像アイドルが私の眼にもはっきり見えるほど迫ってきている。敵の影は7体ほど。宿営地に乗り込んだ連中がほぼ全てこちらに取って返して来ているようだ。

 しかし、7体の偶像アイドルからやや離れて、その背後から5体ほどの理甲と数十人ほどの人影、つまり友軍が追ってもいる。ここで私が短時間でも粘ることができれば、挟撃の形に持ち込めるかも知れない。


「あいつらの狙いがあんたなら、ここで下手に逃げるとかえって友軍に危険が及ぶ。カウリールたちと合流するまで……せいぜい1分、その時間だけここで暴れましょう」

「1分とは言え、つでしょうか?」

「さっき軽巡級2体であれだけやれたのよ、いけるでしょ」

『馬鹿と鋏は使いよう』と言う。何だかんだで、このリクラフも相棒としては思ったより使えるかも知れない――と感じてしまう自分に気づいて、私はひとつ咳払いをした。



 そんな過信の代償は、このすぐあとに、自分の身体で支払うことになる。

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