役立たずの理甲(5)

 どうにか宿営地に達するかなり手前で足止めに成功できた。

 一息ついて、しかし彼の首元に刀身を添えたまま、私は話を持ち掛けた。

「私はパングラフト連邦軍 理甲師団第2分隊所属エリザ・ウィルダ中級理官だ。貴官の名は?」

「エ、エルハンだ」

「貴官の所属と階級は?」

「お、俺は軍人じゃない」

「――OK、エルハン君。話をしましょう」


 首元に刃物を向けながらする“話”ほど欺瞞的なものもないが、相手は何を仕出かすかわからない蛮教徒カルトだ。用心深く、確実に優位を確保しておかなければ、こちらがやられる。


 私に改めてそう決意させるだけの怪しい相手だった。エルハンを名乗る彼は、少年と言っても失礼ではない程度に若い青年で、軍人然とも狂信者然とも見えない。勝手な偏見かも知れないが、たまたまお使いを頼まれて出てきた商人の息子のように見える。


 さっき宿営地の戦闘でリクラフが投げ飛ばしたのも少年兵だった。蛮教徒カルトはそれだけ人材がいないのだろうか。

 それとも、中核の戦力を割く必要のない役割を背負っているのだろうか――例えば、“活餌”や“捨て駒”と言った、残酷な役割を。


「――お互い奉ずるものは違うけれど、今この場の私と君は、この戦場の空気を共有する間柄だ。ここにいるのは私と君の2人だけ。お互いおっさんの顎で使われる身だけど、この場に上官は誰もいない。いいわね? 穏便にいきましょう」

 私ならこれで落ちるだろうな、と思う口説き文句を告げた。相手がくそ真面目な兵士ならかえって逆上してしまうかも知れないが。

「お、俺にどうしろと……」

「簡単な話よ。このまま撤退してもらいたいの。向こうで転がってる君の相方と一緒にね。そうしてもらえれば、私らも引き下がる」

「ぐ……」

 予想に反して少年は考え込んだ。


 何を悩むことがあるのかと思った。彼は首筋に刀身を当てられている。こちらの持ち掛けを拒絶するなら、私は彼の頸動脈を即座に刻めるのだ。1秒もいらないぐらいの早さで。

 よしんば、彼が私の隙をついて神速の一撃を食らわすことが出来たとしても、次の瞬間には私のすぐ背後に控える理甲がこいつを叩き潰すだろう。とても賢い判断には思えない。


「――悪いけど、私もあんまり気長な性分じゃない。即答してもらえないかしら?」

 愚図る彼に、刀剣でさわさわと筋肉の薄い首筋を撫でてやる。「そんなに考え込んだところで、反抗してこの場で死ぬか、言うことを聞いて家に帰るか、このデカブツごと投降するかの3択しかない。エルハン君が反抗するメリットは何もないと思うけれど」

「……お、俺にだって、言いつけられている役割がある」

「へぇ、軍人でもないのに?」

「ぐ、軍人かどうかなんて、関係あるものか!」

 少年はいきなり喚き始めた。「お前ら連邦が、俺たちの暮らしと信仰を侵略したんだ! 民衆の中にだってお前らを許せない奴、戦うことを決めた奴はいっぱいいるんだ! 軍人だけがお前らを憎んでいると思うなよ!」


「――そうね」

 とだけ答えると、少年は少し勢が抜けたように眼を丸くした。

「……言い返さないのか? お前は連邦軍だろ?」

「だって、その通りだと思うもの。今でこそ私は連邦軍の一兵卒だけど、生まれはこの大陸だし。気持ちは理解できるわ」


 それに、この場には誰も上官がいないことだし、そんな本音も言える。


 自分自身の出自に関する事実を淡々と答えると、少年は複雑そうな顔をした。

「なんだよ……道理で言葉が上手いと思った。でも、だったらどうして連邦で“悪骸”なんか操れる? 俺たち大陸の民なら一番嫌うはずの役回りだ。お前、何も思わないのかよ?」

「“悪骸”――久しぶりに聞いたわ、その呼び名」

 ため息が漏れた。


 大陸征服戦役で反抗的な土着民族が唱和した、ばかばかしい前時代的な名称。

 何が悪骸だ、何が啓霊だ。要するに『お前のビンタは悪い暴力、俺のビンタは良い暴力』と言っているに過ぎない、野蛮で知性の欠如したレトリック。


 そんなことをこのあまり賢そうでもない血気盛んな少年に説いても馬耳東風か。

「――でも、私にも色々事情があるの。だから、君個人とは憎しみ合う理由もない。話を聞いてくれない?」

「……事情って、何だよ!」

 少年はまた喚き始めた。剣を突きつけていなければ耳を塞ぎたいと思うぐらい。「侵略者に魂を売れる事情って、なんだ? 俺たちの文化を壊して、自分たちの汁を吸いあげるのか? お前の後ろにいるその“悪骸”が元々何だったか、知らないわけがないだろう? おかげで皆、奉じていた啓霊をお前らに“調達”されて、そうやって顎でこき使われて、誇りも歴史も奪われて……あてがわれた慣れない仕事を毎日歯ぁ食いしばってこなしているんだろうが!」

「それはあんたの主観に過ぎない。尊重はしてあげるけど、首肯を求めているのなら付き合いきれない」

「黙れ! もう一度訊いてやる!」

 彼は叫んだ。偉そうなガキだ。「事情があるからってお前は何とも思わないのか? お前の後ろのそいつ、リクラフ様じゃねえか? なぁ、お前もここで生まれたんなら、どのツラ下げてそのリクラフ様の拳を俺たちに向けられんだ、ええ?」

「――さっきも言ったけど、私はあんまり気長な性分じゃないの」

 少年の言うことがなまじ迫真であるだけに、私のいらつきも増した。

 それに、ひとつ決定的にこの少年の言葉と相容れないのは、彼にとっては憧れのリクラフであったとしても、こいつは私にとっては未だに憎悪する悪夢だということだ。「何をがなったって私の気持ちを変えようなどと思わないことね。こちらの要求はひとつよ。相棒と一緒にすぐに引き返して。そうしてくれれば、」

「ウィルダ」

 不意に背後からリクラフの声がした。

 そういえば後ろにいたな、と思い出したが、今は少年を説得するのが先。特に振り返らずに途切れた言葉を再び続けた。

「――いい、大人しく引き返してくれれば、私らもこれ以上の手出しは」

「ウィルダ」

「……何よ?」

 私が振り返ったのと、リクラフが私を抱き抱えたのはほとんど同時で、しかもリクラフは偶像アイドルの背中から跳び上がった。



 ほんの一拍遅れて、飛び上がるほどの衝突音が轟いた。

 今まで私とリクラフがその背に乗っていた偶像アイドルへ、後方からもう1体の偶像アイドルが激突したのだ。

 突撃された方の偶像アイドルは、半身を粉々に叩き砕かれてその場に転がる。私が手を下すまでもなく、完全に破壊された。


「あいつは……」

 リクラフに抱かれた私は、自由落下しつつも空中からその様子を見下ろしていた。間一髪だった。「さっきあんたが向こうで上手投げした偶像アイドル?」

「はい。起き上がって追撃に来たのでしょう」とリクラフは言った。

 ラッキーだ、と素直に感じてよいものだろうか。

 数秒前まで会話をしていたエルハン少年の姿はどこにも見えない。恐らく激突の衝撃で吹っ飛ばされたか、巻き込まれたのかも知れない。

「あいつら、味方ごと始末するつもりだったのか?」

「あるいは操縦を誤ったのかも知れません」

 苦々しい想いで、私は奥歯を噛み締めた。操縦を誤ったのだとしても、あの少年のような素人に偶像アイドルを預けていたのならそうなってしまってもおかしくない。

「本当に血も涙もない奴らだな……」

 自然と悪態が漏れた。だから、蛮教徒カルトは嫌いなんだ。



 確かにエルハン少年が叫んだように、連邦軍の侵略は様々な恨みを買っているのは事実だ。

 それでも、連邦を恨む彼が加勢した蛮教徒カルトのやり方だって、ご覧の通りのもんだ。

 蛮教徒カルトは明らかに兵士や偶像アイドルを使い捨ての駒としか見ていない。我々連邦軍の人使いの荒さも大概だが、蛮教徒カルトに比べれば遥かに理性的だ。自軍将兵の損耗を度外視してしつこく夜襲を繰り返すことも、友軍もろとも攻撃することも、教練も満足に積んでいないあんな少年に偶像アイドルを任せることも、我が軍では考えられない。

 しかし、蛮教徒カルトは平然とそれをやってのける。物量で敵わないからと、湯水のように人命を散らす。奴らのやり口は騙し打ち、騙し打ち、騙し打ちだ。戦略も戦術もなければ、道徳もルールも騎士道精神もない。奇襲のためにかりそめの和睦を結ぶこともいとわず、辺境の集落や田畑を襲い、奪い、焼き尽くす。

 そこには、祖国再興の誇りと矜持もなければ、そこから生まれるはずの彼らなりの美学も、今のところ私には感じられない。


 祖国への想いに燃える純朴な人々の自己犠牲に甘え、泥沼の殺傷に巻き込む、野蛮で狂信的な暴力集団テロリスト

 こんな連中に、正統性などあってたまるか。

 こんな連中に、私たちの祖国の再興など成し遂げられてたまるか。


 だから私は何の疑問も抱くことなく、連邦軍として蛮教徒カルトの手先を抹殺することができる。

 例え相手が正規の軍人でなかろうが、同胞の少年だろうが。あんな連中を信奉する頭も力も弱い奴らは、皆同罪だ。


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