5ー5 開かない瞳

 ノース・シティ中央病院、ICU集中治療室

 ガラス張りの扉の向こうには、数多くのベッドがずらりと並ぶ。

 まるで戦時下か災害時のようだった。意識不明の患者が次々と運び込まれ、医師や看護師が忙しなく処置を行なっている。


 イチは、手前の方のベッドに寝かされていた。その小さな身体を、ここからではしっかり確認することができない。


 ——イチくん、それまで普通にお友達と遊んでいたんですが、急に「へんなものがみえる」と言い始めて。それから一分くらいで、すうっと眠るように気を失ったんです。


 病院まで付き添ってくれた保育士が、当時の状況をそう説明してくれた。


 運び込まれた患者は合計十八名。全てノース・シティの住人だ。皆ほぼ同じ時間帯に、イチと同じような状況で意識を失ったらしい。十歳以下の幼い子供や高齢者が多いように見受けられる。

 共通点は、電脳チップを埋め込んでいること。大人はともかく、幼い子供たちも。


 ハンターチームの何人かが妙なファイル付きのメッセージを受信し、エータが目の不調を訴えたのも、ちょうどその辺りの時刻だった。あの時は、彼が苦しみ始めてから即座に端末にアクセスしてプログラムを停止させたので、無事で済んだ。

 もし例のメッセージが原因なのだとしたら、セキュリティを潜り抜けて届いたそれを、イチは警戒することなく開いてしまったのかもしれない。


 夜になり、イチの様子が落ち着くと、ICUの隣の小部屋で医師から説明を受けた。


「イチくんは、心拍、血圧など、一応は安定している状態です。脳波を見ると、深い眠りであるノンレム睡眠の波形を取っています。いつ目覚めてもおかしくない状態ではありますが、本来であればレム睡眠とノンレム睡眠を繰り返すはずの脳波に変化が見られません。何らかの外的要因により、強制的にその波形を取らされている可能性があります」

「電脳チップに送られてきたファイルが原因ということですか?」


 既にこの件はネットニュースに上がっており、ノース・シティの住人の不特定多数に送り付けられた不審なメッセージとの関連性についても言及されていた。


「その可能性が高いかと。そうであった場合、問題のファイルを適切な方法で削除しないことには、医療としてはどうにも手の施しようがありません」

「……埋め込んだ電脳チップを取り外すことは?」

「できなくはないですが、少し難しい手術になりますよ。頸部の毛細血管から微小な電極を完全に取り除く必要があるんですが、その際に重要な血管や神経を傷付けるリスクがあります。後遺症が残る可能性もゼロではありません」

「そう、ですか……」


 埋め込み処置をする際に、入れるのは簡単だが外すのは難しいと説明を受けていた。だが、よもやこのような事態に陥るなどとは思ってもみなかったのだ。

 ベッドに横たわるイチは、厳つい医療機器に取り囲まれ、さまざまな種類の管に繋がれていた。

 そんな姿を目の前にして、最悪の想像が頭をよぎる。


「ですので、このまま自然に快復して目覚めるのを待つか、イチくんの端末で起動しているプログラムを終了させる方法を見つけるか……現在、専門機関で今回のプログラムの分析を行なっているところですので、もう少し待ってみても良いと思いますよ。電脳チップの除去手術は最終手段と考えてください」

「……分かりました」



 そうして二日が過ぎた。

 イチの意識は相変わらず戻っていないが、容態が安定しているので、一般の小児病棟に移された。

 シュカは仕事を休み、ほとんどの時間を病室で過ごしていた。夜も、付き添い者用の簡易ベッドを借りて、イチの隣で眠った。


 途中で一度、自分の着替えやシャワーのために自宅へ帰った。

 イチのいない家はやけに静かで、冷蔵庫の唸る音がやたらと耳につく。

 不意に、小さな何かを踏んだ。


「痛っ……」


 イチのブロックだ。一つだけ片付け忘れていたのだろう。

 今しがた発した自分の声が変な余韻となって残り、思わず息が詰まった。

 普段ならこんな時、イチを口うるさく注意していた。

 たかだか、その程度のことで。

 叱られたにも関わらず、自分に甘えて抱き付いてきた温もりを思い出し、シュカは浅い呼吸をただ繰り返した。

 キッチンカウンターの上に置いたレイの写真に、顔を向けることもできない。この部屋は一人で過ごすには広すぎる。


 この数日、職場からの連絡はない。恐らく、トバリが気を遣ってくれているのだろう。

 それをありがたく感じる一方で、苦しくもあった。仕事でも何でも、やることさえあれば埋められたはずの空白を、丸きり手付かずのまま抱えてしまっているのだ。

 さりとて、病室に戻ってもシュカにできることはない。

 切れ切れに微睡む隙に、またあの夢が滑り込んでくる。


 ——ころせ。


 繰り返し聞こえるあの声を振り切ろうと、シュカは必死に目の前の現実に意識を向けた。

 試しに保護者権限でイチの端末に介入してみたが、例のプログラムは操作不能のまま稼働を続けているようだ。


 他の患者も似たような状態らしい。誰か一人でも快復傾向が見られれば希望が持てただろうが、皆こんこんと眠り続けていた。

 そう、イチはただ眠っているようにしか見えなかった。

 いつもと何も変わらない。色白の頬も、そこに落ちる長い睫毛の影も、自分と同じ色の柔らかな髪も。

 次の瞬間には瞼を開けて、何事もなくベッドから起き上がるのではないかと思えるほどに。


 どうしてこんなことになってしまったのか。

 あのメッセージを仕掛けた犯人は誰で、その目的は何なのか。

 スクラップ・クリーチャーとの関連はあるのか。


 違う。そんなことよりも。

 イチが被害に遭ったのは、頭に電脳チップが入っていたせいだ。

 事実がどうであれ、イチをこんな目に遭わせたのは、他でもないシュカなのだ。


 自分の端末に残っている、イチからの思念話メッセージのログを見る。


『ママ! はやくきてね!』

『ママ、おしごとがんばって、はやくおわらせてね!』

『さみしいよ。いつおむかえにくるの?』


 イチはいつだってシュカのことを待っていた。


 思考を支配するのは、どうにもならない後悔ばかりだ。

 最後に目にしたイチは、ぐちゃぐちゃの泣き顔だった。

 イチがずっと楽しみにしていた誕生日を、シュカが台無しにしてしまったから。


 ——ママのバカ! ママなんてきらい!


 最後に聞いた言葉は、それだった。

 イチがそう言ったのも尤もだ。何もこんな日にまで仕事を優先させなくても良かったのに。

 十八歳未満の子供のアカウントへは、保護者であればアクセスできる。もしあの時一緒にいたなら、シュカはイチを助けられたかもしれないのに。


 用意していたプレゼントも渡せていない。イチはまだ、シュカの中で五歳のままだ。

 もし。

 もしこのまま、イチが目覚めなかったら——


 込み上げてくるものを、ぐっと喉を詰めてやり過ごし、静かに息を吐く。

 自分に涙を流す資格などない。

 心臓が、握り潰されそうに痛んでいる。


 六歳のイチに、会いたかった。

 ずっと、耳の奥でイチの声がリフレインしていた。


 ——ママのバカ! ママなんてきらい!


「……ママは大好きだよ、イチのこと」


 応える声はない。

 ただ、イチの身体に繋がった機械の音が、小さく響くばかりで。

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