第2話

 大陸の首都で私を奴隷として買ったのは、同じ神を信仰する王国の人々であった。この為、草原での生活と同様に西の方角へ向かって一日に五回礼拝をする習慣は続けられた。しかもそれ迄暮らしていた草原よりも、聖地に近い西方へと私は移動していた。神は私を見捨てなかったのだ。そして新しい使命を与えられた。山地で奴隷を隔離した煉瓦造りの工房に住み込み、熟練した職人の下で絨毯を織ることが日課となった。周りの人々の多くは肌の色が私のような浅黄色ではなく白い。そして二重瞼の瞳で彫りが深く鼻も高かった。私を直接指導したのは、祖父よりは若くとも父よりは老けて見える寡黙な男性で、眉が太く威厳のある顔は頬も顎も濃い髭に覆われていた。彼は開口一番低い声で朴訥とこう言った。

「人は幾らでも楽をしたがる。怠けずに手を動かして仕事をすることだ」

 肉親ではない心の師の登場である。


 私たち子供の小さな手と指は細い糸に触れてそれを制御するには好都合な道具のようなもので、縦糸と横糸を直角に交差させて絨毯を織りあげていった。この単純で地道な作業の繰り返しにより細い線がやがては広い面になっていくのだ。この糸を織る段階は、絨毯が完成するまでの五つの工程の四つ目に相当し、師は全ての工程を掌握していた。第一工程は素材を用意することであり、山岳地帯から工房に届けられた羊毛を厳選する。そして第二工程では図案が作成され、それは全て師が描いたものであった。第三工程は糸の染色で、この作業は私たち子供よりも年長の人々が担っており、師はこの染色の段階において入念な精査を常に怠らなかった。色の原料になっていたのは植物の花が多く変化や示唆に富み、私の好奇心や興味を大いに駆り立てたものである。無論、原料の種類は花だけではなく貝殻や虫も含まれているが、染められた糸の色味は原料にだけ左右されるのではなく混ぜる液体の質と量にも微妙に影響されている。師はその配合をも完璧に見極めていた。ここまでの工程が終了した後で、やっと私の担当した糸を織る段階に至るわけである。面積の大きい絨毯を制作する場合など、数人が組んで横一列に肩を並べて壁の前に座り、長い棒に幾重にも巻かれた糸を分担して作業を進めることになる。織っていく糸が線から面に変化し図案として姿を現し始めると私の胸は高鳴った。そしてその後の最終工程は仕上げとしての形になった絨毯の洗浄と乾燥だ。


 此処は草原よりも標高が高く寒暖の差が激しい。灼熱のような暑さの夏と身も凍るような厳寒の冬は未だ経験したことのないものであった。それでも修練を重ね多忙でありながら実りを感じる日々が続く中、風の噂で元帝国が崩壊したことを知った。首都を明け渡し北方へ逃れたという。都に入城した強大な勢力が、今度はまた新しい支配者となり別の帝国を築いていくのだろう。私は父や兄の安否に気を病んだ。無事であることを祈りたい。実際に戦場で兵士となり戦った経験など無い身ではあったが、戦争は真に恐ろしいものだ。私たち家族は戦争によって引き裂かれている。そしてそれは多くを語らないあの師もまた同様であった。師の出生地は美しく謎めいた海が見える処で聖地ともさほど遠くはない。海は身を横たえても決して沈むことのない奇跡のような水を湛えているそうだ。信じられない話だが、師は決して嘘をつかない。よって事実なのだ。また日の出と黄昏の海ほど感動的な光景はなく、夢幻の豊穣な色彩が至る所に広がっているにも関わらず、心には名状しがたい平安が訪れている。しかしそのような神を讃える静謐を打ち砕くように、師が生まれる以前から聖地を巡って幾度も戦争が繰り返されてきた。しかも同じ唯一の神を信仰している者同士が互いを異教徒と呼び憎悪し相争ったのである。

「神は大いに嘆かれている」

 工房の外で暫しの休憩をとっている間、師は抜けるような青い空を仰いで呟いた。戦災孤児の師が私と違うのは殺戮の現場に直面していることだ。西方からの十字軍と称される軍団の大規模な侵略は既に終息しつつあったが、積年に渡る憎悪の連鎖は断ち切り難く、師の一族は暴発した小競り合いのような短期間の戦闘で、村ごと皆殺しに近い惨劇に見舞われたという。以来、師は鮮血の悍ましい記憶が精神的外傷となり動物の肉を食すことができなくなった。唯一の生き残りの師はそれから奴隷商人の手に渡った。

「おまえは私と似た道を辿っているようだね。私たちには奴隷ではない人々が当たり前のように手にしている自由がない。我々は彼らに比べれば、全盲のような存在なのかもしれない。だが憶えておくがいい。本当に不幸な人とは心の目が見えない人だ」

 師は時折、拳ほどの大きさの平たい石を左手に握りしめ、無言でじっとその石を見つめていた。まるでその石と対話をするように。当時の私には謎であったが、年老いた今、その謎も霧に霞んでいた風景が徐々に全貌を現すように少しは解けてきた気がする。


 私が師の元で絨毯を制作していた頃、少年から青年に向かっていたあの時期は、人生において貴重な時間であった。そこで私はものを生み出す創造という稀有な行為を経験した。そして神に対する理解も深めたようだ。一日の仕事を終えて師は私たち弟子と共に大地に腰を下ろし、星々が宝石のように輝く果てしない夜空の有様を眺めて語った。

「見るがいい。これこそ神がお創りになったものだ。我々人間がどのように努力を重ねても遠く及ばない。ただ我々はそこへ到達することはできなくとも、己自身を高め限りなく近づくことはできるはずだ。なぜなら我々人間も神によって創られたのだから。それが証拠に、自分の技が上達する時は突然やってくる。神に背を押されるようにして」

 師の言葉通りだった。できなかったことができるようになるのはいつも急だ。だから諦める必要はない。師は弟子が失敗しても決して怒らなかった。作業の修正を促すことはあっても、ひたすら弟子を見守り続けた。師は常に大局を俯瞰しており、徹底的に待てる人なのだ。創造に携わる人は神の共鳴板のようなものであり、私たち弟子にも打てば響くような瞬間が必ずやってくる。


 私が師との出会いの中で一番驚かされたのは絵の上手さである。しかも渓谷の川の流れや風に散る花びらのような素早い動きで筆を走らせて対象を紙に描いてゆく。そうした習作に描かれているものは動物であれ植物であれ、そこに躍動感や生を謳歌する喜びを感じさせた。そして完成品となる絨毯の原型の図案が見れることも、私のささやかな楽しみの一つになっていた。図案には季節の自然物を抽象的に還元したものが絵的な要素として数多く描かれていた。じっくり鑑賞すると、いろんなものが組み合わさることで美麗な模様と化しているのがわかる。その模様は部分と全体が混然一体となり絶妙に構成されている緻密な世界だ。その偉大な成果物の中には、ほんの小さな範囲ではあっても私の仕事も含まれている。何と光栄なことだろう。


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