(8)夜分の来客
もう夕方に近い時間になっていたので、ほどなく閉店の時間となり、ティナも2階から降りてきて夕食の準備を始めた。用意された食事は、予想通りの鶏肉のクリーム煮と、豆とタッタ菜のサラダ、ライ麦パンだ。
いつも通りカウンターに椅子を並べて夕食を食べながら、それとなくティナの様子をうかがっているのだが、今のところ何か気づいている様子はなかった。
ブレスレットの話題にもなったが、友達とおそろいで買ったと言ったらすぐに納得したようだ。少なくともリームにはそう見えた。
夕食を半分ほど食べ終えた頃、トントンと店の扉を叩く音が聞こえた。
もちろん表には閉店の看板を出してあり、ただでさえ訪ねる者の少ない店なのだ、こんな時間の来客はリームは初めてだった。
まさか『青』じゃ……? リームは冷やりとしたが、すぐに思いなおす。直接訪ねてくるのならば自分に魔法具を持たせる意味がない。『青』じゃないはずだ。たぶん……。
「はい、どちらさまでしょう?」
そんなリームの心中をまったく知らないティナがなんの警戒もなく扉を開けると、そこには黒いローブを着た三十代の黒髪の男性が、葡萄酒の瓶と食材の入ったカゴを持ち、とってつけたような満面の笑みで立っていた。
「やあ、ティナ・ライヴァート殿。美味しい葡萄酒が手に入ったので一杯どうですか?」
クロムベルク王国宮廷魔法士、リームいわく腹黒ノゾキ魔おじさん、ラングリーだった。
「ラングリー! どういう風のふきまわし?」
「ええっ、オジサンですか!? なんの用なんですか? 用があってもなくても帰ってください!」
リームは来客が『青』でなかったことにほっとしつつ、宮廷魔法士ラングリーだと分かった瞬間、ほぼ条件反射で冷たく言い放った。
当のラングリーはそれを見て、はぁ~と芝居がかったため息をついて肩をすくめる。その様子は相変わらずどこか楽しそうで、リームはそれをバカにされているように感じるのだった。
「おいおい、それはないだろう。ちゃんとリームのためにジュースも持ってきたんだぞ。フローラとばかりお茶してるんだから、たまにはお父さんとも付き合ってくれたっていいだろう」
「ゼ・ッ・タ・イ・に、嫌っ!!! 私にお父さんなんていなーいっ!!」
「まったく、難しい年頃だよなぁ。で、入れていただけますね? ティナ殿」
「ん。まぁ、とりあえずどうぞ」
ティナが下がってラングリーを招き入れると、リームはえーっと不満の声をあげた。食事中の皿を持って、ずりずりっと椅子と一緒に少し後ずさり、ラングリーに拒否の意志を示す。
カウンターまで進んできたラングリーは楽しげな表情でそんなリームを見やり、葡萄酒のビンと食材のカゴをカウンターの上に置くと、ぐるっと雑貨屋の店内を見回してつぶやいた。
「ふぅん、かなり古い形式の結界だな。下手に小細工してない分、無難ではあるか」
ティナは再びカウンターの椅子に戻り、ラングリーの持ってきたカゴの中身をチェックしながら言う。
「もしかして、結界が張ってあったから様子を見に来たの? 随分暇なのねぇ」
「王妃様がいる以上、宮廷魔法士なんて半分趣味のようなものですよ。もちろん、リームの顔を見に来たって理由もあるがな」
にっこり笑ってリームを見るラングリー。リームはつんとそっぽを向いたままだ。
――と、ラングリーの視線がリームの皿を持つ左手首に止まる。ラングリーは笑顔から怪訝そうな表情に一転した。
「……? なにか発動してる……か? こっちは結界と違ってかなり手の込んだ細工ですね、ティナ殿」
その言葉にティナはきょとんと小首をかしげ、リームははっと息をのんでブレスレットを手で覆った。
「え? 何? そのブレスレットがどうかしたの?」
「ん? ティナ殿が作った魔法具ではないのですか?」
二人の視線が、リームに重なる。
蒼白な表情で凍りついたリームは、急にぽろっと大粒の涙をこぼした。
「ど、どうしたのっ、リーム!?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!! ティナのためでもあるって、思ったんです!!」
「おいおい、どういうことだ?」
もうだめだ。やっぱりこんなことしなきゃよかった。リームには、ティナの傷ついた表情、怒りと軽蔑が入り混じった表情が見えるようだった。
『私を青に売ったわけね』『そういう子だとは思わなかった』『信じてた私が馬鹿だったわ』――とてもティナが言いそうな言葉には思えないが、ありありと目の前に浮かんできてしまう。胸が苦しくて顔が熱くて、涙が止まらなかった。
ラングリーは(何故持っているのか)女物の柔らかなハンカチを取り出し、リームに差し出しながらリームが手に持つ料理を受け取った。
リームはひっくひっくとしゃくりをあげながらハンカチを受け取ると、ぐしぐしと目元を拭く。そして、ゆっくりとブレスレットを外し、カウンターの上に置いた。
「ひっく……『青』の人から、渡されたんです。ティナの調査をするための、魔法具みたいです……」
「あぁ、なるほどねー。様子がおかしかったのは、そのせいだったの」
リームにとって自分の胸にナイフをつきたてるぐらいの、決死の覚悟を決めた告白だったが、ティナの口調は信じられないほど軽いものだった。なーんだ、そうだったんだー、とでもいうような感じであった。
「き、気づいて、たんですか……っ?」
「んー、実は彼氏でもできて隠してるのかなーと思ってた。あははっ、とんだ見当違いだったわねっ」
「……怒って、ないですか? ティナの嫌いな『青』に協力して……ティナを騙すようなまねをして」
目を真っ赤にして震える声で言うリームに、ティナは優しい笑顔で答える。
「怒るはずないじゃない。憧れの『青』から頼まれて、悩んでくれただけで嬉しいよ。ありがとう」
ティナは私が悩んで苦しかったこと、分かってくれるんだ。許してくれるんだ。
辛い気持ち以外の感情が心の底からわっと湧きあがってきて、リームは再び声をあげて泣きだした。
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