愛の証明式

無記名

愛の証明式

「博士」


 甘い声。

 硝子張りの天井からふりそそぐ陽だまりが端麗な彼女の輪郭を縁取っている。


「これは愛と言えるのでしょうか」


 初めて彼女が来たとき、「植物園みたいですね」と言って笑われた研究室。

 その片隅で、手のひらにのる大きさのサボテンの鉢を持ち上げ、まじまじと視線を注いでいる。

 無機物に対する感情が愛であるのかと。そういう質問だった。


「さあ、私が教えて欲しいことだし、ロボットにしか興味のない私にに聞くことかい?」


 彼女は大きな瞳をぱちぱちと瞬かせ、ふふっと微笑む。

 研究室に高校の学生服の上から白衣を羽織った彼女。違和感はそこにはいない。


「そうかもですね。博士にとってはその為に私がいるんですよね」


 私は目の前の資料に目を戻した。

『AIにおける感情の創出』の計算を再開する。



ΔΔΔ



「……博士」


 硝子を雨が叩く。

 研究室の扉が軋む音に目前の論文に注がれた意識が移った。

 雨水を滴らせる彼女の黒髪は、夜の闇より深い色で触ってはいけないものの気がした。


「久々に友達にあったんです。そしたら気持ち悪いって、って」


 ふるふると小さく震える肩をどうすることもできず、彼女が落ち着くまで、私はただ隣で座っていた。

 

「5年経っても見た目が変わらない。話てても何考えてるか分かんない。だから、気持ちが悪いって、人間らしくないって」


 私は彼女から零れ落ちる言葉に思考が乱された。

 10年前ならばきっと、人間らしくないという言葉はそれ程大きな意味を持たされていなかった。

 世界共生人権宣言が世界政府に採択されたのが10年前。アンドロイドを含む、感情を理解するAIの主体的な社会への参画が認められた。

 そして、世界は本当の意味で二分された。人間であるものと、そうではないもの。

 研究室にこもる私は、知識で知っていても時の流れが生み出した変化を理解していない。

 人間らしくない。この言葉も時の流れと共に育ち、意味を帯びている。


「そんなに人間らしいってことが大切ですか? みんなに認めてもらえないと、世界にいてはならないのですか?」


 そして、また彼女の口から。


「怖いんです。認められないと、一生誰にも愛されないんじゃないかって。愛を正しく理解することができないんじゃないかって」


 懇願するような声音で愛を知りたいと。

 言葉の意味を理解できるから、愛が遠ざかるように考えるのだろう。

 

「私には、分からない」

「……分からないよ」


 空虚な私の声が雨音にかき消される。


 −−だって君は。

 


ΔΔΔ



「博士」


 青白い紗幕のような月の光が研究室の中央に座りこんだ彼女を包みこむ。

 目の前の小さなロボットのアームを弄るのに一生懸命な彼女の横顔は、慈母のようなあたたかさ。

 性質上、彼女の方が緻密な組み立て作業に向いていて、私は組み立てる前の製図や計算のような机上で語る論理に向いていた。

 とある研究会で知り合ってから二人は互いのパーツを補う関係だと、そういうことになっている。

 初めて彼女が研究室にいるようになってから、ずっと変わらない距離。


「今日、クラスの男の子に告白されたんです」


 その言葉につい顔をあげてしまう。抑揚のない平淡な声音だった。


「愛する、と言う感情に照らし合わせた時に私が一番合うそうです。人の感情を理解しながら、あえて無関心なのが魅力的だと。知りたい感情だから魅力的なんだと。私の顔が、私の長い髪が、人の見た目の上で、最上に美しく感じてしまう。そういう形で愛が生まれたと、そう言われました」

「それはつまり……」

「ええ、実にでしょう?」


 決定的な物言いに私は確信する。

 きっと、動揺というものをしたのかもしれない。


「彼の、アンドロイドの彼の感情への理解は、私に対する愛ですか? 本当に、愛されているんですか?」


 人間同士が恋に落ち。人間とそうでないものが恋に落ち。そして、人間ではないもの同士が恋に落ちる。

 10年も経てば、人間の価値観なんてものは脆く、周囲を巻き込みながら変化する。歴史がそうして来たように同じ道を辿っただけだ。


「ねえ、私たちじゃダメですか、博士」


 彼女の言葉を噛みしめる間に、私たちの距離はとっくに埋まっていた。

 瞳が熱を帯びて、制服の下の右腕が月の光を受けて

 お互いが、違うものだと思い出させるためにあえて肌を用意しなかった鉄の右腕。


「私たちは……違う」


 こんな言葉は言い訳なんかにはなり得ないと、彼女と、自分自身を説得し得るには不十分だと理解していた。

 人間とアンドロイドの肌に違いはほとんどない程に十全に技術は発展してきた。

 違うもの同士が技術によって子を産み、愛を育む。そこに大きな差はない。

 だから、肌の温度を実感するたびに、人間同士のように愛に溺れてしまえればどれほど彼女も私もどれほど楽だろうとかと思考する。


 だけど、AIの愛というものを見たかっただけの創造主と、愛を純粋に求める少女としての意識。

 そこに生まれた恋慕や愛情を認めてしまって良いものか。

 

 やがて、私の思考は考えることを拒絶した。



ΔΔΔ



「博士」


 私はスリープ状態に移行したとあるアンドロイドの肌を撫でました。

 人間と変わらぬ肌の質感を持ちながら、人肌としての温度は急速に死人のような冷たさとなっていくのを感じながら問いかけました。


「まだ、愛してくれないのですか」


 幼い頃に右腕を無くした私はいつしか自分が右腕を表現したいと思うようになり、中学生の頃には当時のアンドロイドの技術にのめり込んでいきました。


 そんな私が博士と出会ったのは紛れもなくとある研究会に参加した、高校に上がった春のことでした。 

 気怠げな立ち振る舞いから放たれる革新的な研究の数々に恋に落ち、そして強引に博士の研究室に通い詰めるうち、博士に恋に落ちたのです。


 そんなある日、博士は死にました。

 研究室の扉を開けると、這って扉の前で生き絶えた博士がいました。血の海がアンドロイドの試用運転部屋から続いていました。

 私はすぐに理解しました。制御装置を取り付ける前に、感情を理解するアンドロイドを稼働させたのです。きっと、人間への生命への嫉妬という感情を理解するうちにそのアンドロイドは博士の脇腹を鉄の腕で貫いたのでしょう。

 そして、生命倫理への思考の途中で限界を迎え機能は停止したようでした。

 

 私は求めました。博士を。

 将来に希望したのだと思います。博士の遺体を培養液につけ、各種の臓器に電気信号を送り続けました。

 脳を死亡したという判断から復帰させる技術はなかったですが、それ以外は揃っていました。


 私は再現しました。博士を。

 博士が残した精神転送のバックアップ一つ一つを私の記憶と照らし合わせながら、調整を続けました。生前に大量に残した動画から彼の癖、仕草、口ぶり、研究内容まで。その全てをまるで人間と同じような器に移し替えました。

 

 地獄でした。寂しくて、結局器に博士の意識を植えつけても私はずっと、失った悲しみを背負うのではないかと。

 ふとした時に違うものだと思ってしまうのではないかと。


 私は思いついたのです。

 だったら、博士に認めてもらえば良いと。

 彼の研究であったAIの愛の実験を続ければよいと。

 博士の意識を人間のままだと思い込ませて、私をアンドロイドに見立てて。そこには確かな愛が存在すると、博士の口から言って貰えばいいと。


 そして、私は博士の意識に混濁を与えないように成長しない少女を演じることにしました。

 外見を保つため、自分の肌を捨てました。人工肌に覆われていた義手を露出させました。博士の意識を向けるために。


 私は再び博士の顔を撫で、問います。


「ねぇ、博士」


 私は博士から答えが聞きたいのです。

 

「私のこれは愛と言えますか?」

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愛の証明式 無記名 @mukimei

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