エンドレス食堂

津田梨乃

エンドレス食堂

 どこから出ても食堂だった。


 入り口から食堂を出たつもりが、食堂に入っている。

 後ろ口から食堂を出たつもりが、食堂に入っている。

 ならばと窓から出ようものなら、食堂に入っている。


 3つ目は試してない。そんな度胸はない。でも結果は同じ気がする。


 たまには食堂でリッチにお昼でも、と慣れない行動をした結果がこれだ。食堂内には我々学生がこよなく愛する揚げ物や、いささかこってり目のラーメンのスープ、さっぱりスタンダードなそばうどんを茹でる小麦粉の匂いなどなど。それらが絶妙にブレンドされた香りが広がり、食欲をそそる。ただし食前に限る。すでに食事を済ませた身としては、胃もたれさえしてきそうだった。


 ひとまず扉の前で思案する。


 扉の向こうは不思議な世界でした。内心で呟くが、何もワクワクしてこない。ファンタジーというかホラーでさえある。狂気である。滑稽かもしれない。誰か笑い飛ばしてくれないだろうか。


 頬をつねってみるが、鈍い痛みが走るだけだった。

 どうしてこうなった。


 残念ながら今日は友人と一緒ではなかった。相談ができない。

 否、今日も友人と一緒ではなかった。相談ができない。

 否々、そもそも友人と呼べる存在がいなかった。相談ができない。

 どうしてこうなった。


 内心沈んでいると、不意に背後から舌打ちが聞こえてくる。素行の悪そうな茶髪男が不快を隠そうともせずこちらを睨んでいるではないか。入り口を塞いでいた己に気づき、そそくさと横にずれた。男は、またしても舌打ちをし、歩き始めた。

 なんとガラの悪いことか。ちょっと気の弱い人間ならショック死してもおかしくない。幸い鋼鉄メンタルを自負している身としては、全く問題ない。瑣末なことだった。大丈夫だ。全然平気だぞ。


 彼のちゃらついたピアスを引き抜きたい衝動を抑えながら思う。


 ——彼についていけば、自然と外に出られるのではないか?


 名案だ。早速彼についていく。

 こちらに気づいたのか、またしてもあからさまな舌打ちをされてしまう。


 カチンときた。いいだろう。そちらがその気なら、こちらも特大の舌打ちをお見舞いすることもやぶさかではない。指の関節をポキポキさせながら大口を開けて、舌をセットする。


 いざ!


 スコーンと舌を打ち付けると、間抜けな音が食堂に響いた。目の前に不良少年の姿はなかった。代わりに食事を楽しむ大衆がわずかに静まり、好奇の視線を向けていた。とんだ赤っ恥だ。なんて難しいんだ舌打ち。

 失敗だ。威嚇にも、脱出にも。


 だがめげない。めげてはいけない。 残念ながら学習能力は人並みにあるのだ。大衆の視線を避けるべく、可及的速やかにカウンターへと移動する。もちろん追加注文のためではない。


 間髪入れずに呼びかける。

「すみません。従業員用の出口はどこですか」

 どうだ。普通の出口がダメなら、別の出口だ。我ながら逆転の発想である。窓から出るのと変わらないだろうという無粋な抗議はよしてもらおう。座右の銘は、思い立ったが吉日だ。


「……」

 しかし、カウンター周りを掃除しているおばさんは、こちらを一瞥したきり何も言ってくれない。おばさんは布巾を手に、学生たちが無遠慮につけていった指紋を消していく。


 聞こえなかったのだろうか。食堂は意外に騒がしいから仕方ない。


 ひとまず深呼吸。

 呼吸を整えてから、リベンジである。


「あの! 従業員用の」

「るっさいわ! 出口はそこの二つだけだよ!」

 怒られてしまった。なんて短気なおばさんか。日ごろ、むやみに発揮される学生的若さパワーに囲まれて、内心爆発寸前なのかもしれない。

 そして衝撃の事実に暗澹たる気持ちになる。事実かどうかも疑わしいが、まさかカウンターを乗り越えて調理場に突入するわけにもいかない。

 仕方ないので、唐揚げ串を買った。余ったからと一つ多めに刺してもらえた。

 なんて気の良いおばさんか。ひょっとして女神?

 我ながら現金なものだった。


 物は試しと、現状を相談してみた。困った時は大人に相談だ。幸い思春期をこじらせていないので、盗んだバイクで走り出したり校舎の窓ガラスを壊して回ったりと、有り余る若さを大人への反抗へと向けたりはしない。

 ぜひ女神パワーと長年培ってきた機転で、この珍妙な物語を集結させていただきたかった。


「なに? 食堂から出られない? 大人をからかっちゃいけないよ」

 豪快に笑い飛ばされた。いやいや、じゃあ見ててくださいと、入り口に駆けようとしても、「はいはい、じゃあポテトもおまけしてあげる」とこちらを見てさえくれない。聞く耳もない。くそう。やっぱり大人なんて信じられるか。今からでも大人への反抗を開始しようかと決意を新たにする。


「ごちそうさまです!」

 でもポテトはもらった。反抗は明日からにする。



 からあげとポテトを貪ってるうちに、いよいよ時間がなくなってきた。いや、これはもう実質タイムアウトではないか。ちょうど、食堂の隅を陣取っていたスクールカースト上位的集団たちが、こちらをちらちら見ながら出て行った。何を見ているのか。見世物ではないぞ。文句を言おうと追いかけると、やはり食堂に入ってしまった。



 万事休すか。力なくイスに項垂れる。このままでは午後の授業に遅れてしまう。確か物理の鷲住先生は、遅刻にすごく厳しい。怒られる。どうしよう。


 もう食堂内に人はいなかった。食堂のおばちゃんも「授業遅れちゃダメよ」と言ってシャッターの向こうに消えていた。


 独りだった。


 教室で机に伏せっている時より、何倍も心細かった。もう二、三度食堂の扉を潜ってみるが、どうしても外には出れない。


 頭をかきむしる。

 ポテトを食べる。

 頭をかきむしる。

 ポテトを食べる。

 頭をかきむしる。

 ポテ……なくなってしまった。


 青天の霹靂。

 いよいよ現実逃避ができなくなったころ、見知った顔が食堂に入ってきた。ちょっと近寄りがたく、一部ではヤンキー疑惑も浮上している静子さんだった。その浮きっぷりと、名前負け(むしろ勝ちでは)している彼女には、一種のシンパシーを感じざるを得ず、密かに心の友として認定していた。邪な気持ちなどない。

 どうやら食堂に併設されている自販機に用があるらしく、難しい顔で思案している。


 幸運の女神は前髪しかない、という言葉がある。このチャンスを逃す手はなかった。


 意を決して立ち上がる。

 静子さんの元に向かう。


 言うしかない。

 一言。一言だけ。

 言うぞ!

 言うからね!


「あ、あの」

「んあ?」


「私と友達になってください!!」



 間違えた。

 うっかりした。

 助けを求めるつもりが、つい潜在意識が先に出てきてしまった。

 この窮地も、食堂を脱するのも無理かもしれない。


 迷宮入りだ!

 食堂なのに!

 学校なのに!


 ここで手酷く傷心したのち、置き去りにされた挙句、学校は閉鎖され、明日あたりに新聞かなんかで『学校食堂で、女子高生謎の変死体』なんて見出しが載ってみたりして、静子さんがテレビのインタビューで『とても親切で、周りに気を配れる子でした』とか適当に当たり障りのないコメントをしたりして。


 喋ったことないのに!

 今、喋ったばかりなのに!

 めちゃくちゃ睨んできてるし!


 かくなるうえは、お詫びの印に先ほど食堂のおばちゃんにもらった唐揚げ串を……しまった食べかけだ。

 とりあえず食べた。


「ぷは。なんで食べるし」

 静子さんは、お腹を抱えて笑い始める。私は、何がおかしいのかわからないので、「おいしいよ」と感想を述べたのだが、静子さんは一層苦しそうに笑う。


「も、もう意味わかんない。え? なに? と、友達? い、いいよ、オッケーオッケー」

 なぜか友達ができた。そのときファンファーレよろしくチャイムが鳴った。

「とりあえず何? サボる? もう間に合わないし」


 ほら。とりあえず教師が見回りに来るからいこーよ。そう言って私の手を引く静子さんにされるがまま扉へ向かう。


 事情を説明する暇もなかった。

 静止する余裕もなかった。

 静子さんと無機質な扉をくぐる。


 食べ物の香りはしない。

 ……手の温もりも消えていない。


「どしたの?」

「ううん。なんでもない」


 1時間ぶりにでた廊下は、やけに澄んだように感じられた。

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