その6
――
ゴブリンとの死闘から一夜が明けた。
「すみません。この勇者、偽物なんですけど!」
起きてすぐギルドに向かったノーラは受付のカウンターをバンバン叩き、声を荒げて苦情を告げる。早朝のギルドには多くの冒険家がたむろし、眠い眼をこすりながら黙々と朝食を平らげていたが、突然の騒ぎに「何事か」と一斉に彼女のほうを見た。
さて、昨日は生と死をさまようほどの大けがを負った伝説の勇者バベルであったが、今日は打って変わってピンピンした様子だった。
――この世界には、読者が想像するような「病院」や「医者」というのは存在しない。回復魔法が高度に発展した世界においては、大抵の傷や病気はそれで対処することができる。究極、心臓さえ動いているようなら、たとえ肢体損壊の類であったとしても、それが死に至るということは考えにくい。そのため、外科的や薬学的な療法というのは発達せず、代わりに「治療院」と呼ばれる所で、専門の魔法使いによる高度な回復魔法を施してもらうことができる――
あれほどの傷も、ノーラが運び込んだ治療院で完治することができた。それなりに悲惨な状態ではあったが、冒険家という職業が当たり前の世界においては、ままあることである。
しかし、まさか伝説の勇者を治療院に担ぎ込むことになるなんて夢にも思わなかった彼女は、期待が裏切られたという怒りで一杯だった。
「この人、バベルの名前を騙っていますよ! 詐欺師! 詐欺師! ちゃんと調べたんですか?」
あまりの剣幕に周囲がざわつく。そこに、ギルドの管理人である中年の女性が、何事かと飛び出してきた。
「まあ! あんた、勇者様に向かってなんてこというんだい」
「だから、それが間違いじゃないかって言っているんです!」
「そんなわけ無いだろうに。彼の右手の傷が見えないのかい?」
「まあ、それは……」
勇者の右手には「聖痕」と呼ばれる、七色に光る大きな傷痕がある。これは、かの魔人「ヌー」との戦いの際に負った、代償とも言うべき呪いの傷であるが、その逸話が広まった今となっては、それが勇者バベルである証ともなっていた。
「それは……そうですけど。でもでも、でも! ゴブリン相手に死にかけたんですよ。そんなこと有り得ますか?」
「はあ……どうせ、あんたが足を引っ張ったんだろう。勇者様の邪魔をしちゃいけないよ」
引き下がらないノーラだったが、管理人はまるで相手にしない。
「いやいや、だって――」
「だってもヘチマもあるかい! こっちはバベル様とは長い付き合いなんだよ。本人かどうかなんて、一目で分かるんだよ。これ以上、侮辱することを言ったら、このギルドから追放するからね!」
「うっ……」
切り札を出されては、ノーラは黙るしかない。憮然とした面持ちの彼女は、「はい、わかりました!」と捨て台詞を残して、ギルドから立ち去った。
一緒についていくバベル。帰り際、こっそりと「悪い」とばかりに管理人に小さく会釈をした。
――
二人は街の中心にある商店街を黙々と歩いている。休日で賑わう街は、特売だと盛んに宣伝する商人や、大量の風船を片手におどけてみせる大道芸人や、今夜の食事について会話する夫婦で一杯だった。
「おい」
「……」
「ちょっと」
「……」
「待てって」
「……」
バベルの呼び止める声を無視して、ノーラは、ただひたすらに歩き続けた。
――こんなはずじゃなかった
――私の知っている勇者っていうのは……
――期待した私が馬鹿だった
ノーラとて、後ろを歩く男が伝説の勇者に相違ないことくらい分かっている。だからこそ、想像とのギャップが余計に彼女を苦しめた。これは勇者じゃない、認めるわけにはいかないと、でないと心が壊れそうだった。
冒険前にあれほど浮かれていた自分が恥ずかしいと、ぐっと拳を握りしめる。このまま人込みに紛れて消えてしまいたい、そんなふうにも思えてきた。
――
「どうして――」
どれほど歩いただろうか。無言を切り裂いたのは、ノーラのほうだった。
「どうして、魔法を使わないの! 剣はどうしたの! 防具は? 殺されに行くようなものじゃない!」
瞳に溜まった何かを隠すように頭を下げたまま、肩越しの男に問い詰めた。
「それは――」
観念したように告白する。
「俺は今後一切、武器と防具、魔法を使わないことにしたんだ」
「どうして?」
「そう決めたからだ」
「意味が分からない……」
「だから、ノーラ、お前にお願いしたいことがある」
「……」
ノーラは足を止めた。
「俺が死にそうになった時は、昨日みたいに帰還魔法で街に戻してほしい」
「回復魔法を使えばいいじゃん」
「いや、使わないんだって」
「……」
――あぁ、もう帰っていいかな?
――全部チャラにして、もう一度始め直そうかな……
ノーラは現実を受け入れることが出来なくなっていた。もしもこれが悪い夢ならば、早く冷めてほしい。人生リセットボタンがあるならば、だれか押してほしい。「やはりドッキリです」ならば、さっさとネタばらしをしてほしい――
しかしながら、ある一つの言葉が、心の奥底で引っかかりを見せてもいた。
――使(わ)ない、それって
――使(え)ないんじゃ?
――もし、そうだとしたら……
いろんな感情が頭をよぎるうちに、考えることが苦手なノーラは、やがて考えるのを止めた。
「あああ、もう! 分かった」
うつむき気味の頭を上げ、バベルを見つめる。その瞳は、何かを決したかのようでもあった。
「ただし、条件があるから」
「なんだ?」
「帰還するタイミングは、こっちで判断する。ダメそうだったら、とっとと帰るからね」
「まあ、いいだろう……」
「それと――」
諭すように、強い口調で、
「絶対に、死なないこと!」
「ああ、分かった」
バベルは、にっこりと微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます