第3話 感情の生き物

 ヒトが絶え間なく入れ違い、『人族』以外の種族も視界に映る。


 冒険者であれば必ず立ち寄る事になる集会場は街で一番大きな建物であり、フォルドが領主と待ち合わせをしている場所でもあった。

 一階は冒険者たちに対応する手続きが多く、二階は査定や試験の手続きを行い、三階は許可を取れば誰でも利用できる会議室が数部屋ある。


「ここの三階だ」


 先導するフォルドは部屋の脇にある階段へ向かい、三階まで上がる。奥まで伸びる廊下を進み、角を曲がると一つの会議室の前に『獣族』の男が腕を組んで立っていた。


「ヘクトルはその部屋か? ヴォルフ」

「なんだ。客ってのはフォルドのジィさんだったのかよ」


 獲物を捉えるように見下ろす眼光。闇に紛れる漆黒の毛皮。小山のような体躯。鋭い爪。腕輪に、たてがみに編み込まれたアクセサリー型の魔道具は、かなり使い込まれている。


 『獣族ビーストレイダー』でも最強種の一つ――『狼』であるヴォルフは領主の抱える兵士の中でも特務を受けている部隊の長であり、任務で街を空ける事が多い。

 彼の持つ魔道具はフォルドが直々に調整している事もあり、二人は顔見知りの仲である。


「ワシは呼ばれてきたが、お前が居る意味が分からん」


 ヴォルフと彼の部隊はこの領地内では最高戦力。その為、各地で起こる問題の解決に転々と移動しており、街に戻る事は滅多にない。


「ヘクトルの旦那に昨日の夜に国境から呼ばれてな。部下と走って来た」

「夜通し走って来たのか?」

「普通だろ。一晩泊ってから明日の早朝に北の国境に戻る。隣の国の奴らが妙な動きを見せてるから小突いとこうと思ってな。で、そのボウズは?」


 その時、会議室の扉が開き『吸血族ヴァンパイア』の女が二人の話を遮った。

 魔眼を抑えるために封印の魔法陣が刻まれた眼鏡をかけた彼女は領主の身の回りを管理している執務官のミレディである。


「お二方。領主様がお待ちです。ご足労をいただいて申し訳ありませんが、続きは席に着いてからお願いします」


 招き入れる様に内側に開いた扉。その脇に立つミレディの視線に従う様に三人は中に入る。


「急な招集に応えてもらってすまないな! 二人とも!」


 席についている中年の男は歓迎するように座る二人に声を上げた。


 ヴォルフよりは小柄であるが、それでも筋肉質な体つきの分かる体格。貫禄のある顎髭と鋭い視線を宿す瞳。頭部の横から後ろに延びる様に生える二本の角が特徴の『角有族ホーンズ』と呼ばれる種族の男であった。


 『角有族ホーンズ』は角に魔力を宿し、屈指の感知能力を持つ事で知られていた。あらゆる場面で起用される事の多い彼らの役職は冒険者はもちろん、国の兵士や要人の護衛者まであらゆる分野で見かける種族である。


「俺としては急に呼び出すのはやめて欲しいですね。ただでさえ旦那の我儘で息つく暇のないってのに、過労死を狙ってるなら部隊から脱走者も出ますよ?」

「すまんな、ヴォルフ! 二度手間は効率が悪い! 質問も詰問も報告も一度の会席ですませようではないか! 予想外の手間をかけた分は後に補填しよう!」


 街の管理者にしてヴァルター領地の主でもある――ヘクトル・ヴァルターは『角有族』の中でも特に有名な存在であった。


「ヘクトル・ヴァルターだ、少年。まぁ知っているとは思うがな!」

「ジン・マグナスと言います。未熟ながら、細工師としてフォルドさんに教示を受けています」


 ヘクトルの大きな声は不思議と威圧を感じない。言葉の一つ一つを聞き入ってしまうような雰囲気はナタリアと類似する性質を感じた。


「ほう! ついにフォルド殿も技術を伝えられる人材を得られたか!」


 過去に幾度とフォルドに弟子入りを望む者は多かったが、彼が技術を伝えても良いと思える存在が現れる事が無かったのだ。


「若く優秀な人材は黄金よりも得難いものだ! 少年には心から研鑽に勤しんでもらいたい!」

「はい」


 ヘクトルはジンの事を気に入った様子から少しだけ興味を抱き、一つ質問を行った。


「ジン、君はどこの出身かな?」


 ヘクトルは多少ジンを警戒していた。

 フォルドが認めるほどの技術を持つ彼の事を全く知らなかった。

 領地内に居る尖った能力を持つ者たちは把握しているつもりだったが……他から流れて来た者であるのであれば、少しだけ素性を洗う必要がある。


 フォルドの所在と技術は王都にも報告していない事もあり、その方面での間者である可能性も置いていた。


「ハイデン村の出身です」






 ハイデン村。その単語にヘクトルは反応する。それは、10年前の魔災で滅んだ数ある村の一つだった。


「ふむ。あの村の生き残りが居たとは私としても喜ばしい事だ! 兵の調査では周辺にも生存者は一人も居なかったと聞いているからね。生き乗ったのは君は一人だけかな?」


 ヘクトルの言葉にジンは少し引っかかるモノを感じていた。

 彼は心の奥にある制御しきれない感情が少しずつ膨れている事にまだ気づかない。


「……妹が居ます」

「それは果報だ! 10年前は領地内でも数多の村が襲撃を受けて手の届かなかった所も一つや二つじゃなかったのでな!」

「…………」


 彼の感情が表に出たような口調にジンは少しだけ留飲を下げた。彼も何も思わないわけでは無かった、と納得して心の平静を保つ。

 しかし、次の言葉はジンにとって決して無視できないモノだった。


「犠牲なった者達も本望だっただろう」

「――なぜ」


 場に得体の知れない気迫が漂う。

 発しているのはジン本人であるが、その程度の圧で怯むような者たちはこの場にはいなかった。

 ただ、ミレディは眼鏡を外し、ヴォルフは腕を組みながらも魔力を練る。

 ヘクトルはジンから向けられる感情に対して逸らすことなく正面から受け止めていた。


「なぜ、と言われても返答に困るのだがね。君の聞きたい事はなんだ?」

「あなたは……一つの村が無くなった事を……なんとも思っていないんですか……?」

「私は領主だからね。一日に何十件と問題が出てくるのだよ。その一つ一つに一から十まで対応していては寝る時間も無い」

「だから……護る必要はなかったと?」

「当時は人手不足でね。護るべき要所は他に沢山あり、そちらに人員を回していた。君の村は気の毒だったが、まぁ致し方のない犠牲だったと教訓にしている」


 犠牲……犠牲だと?

 村の皆が父さんと母さんが……死んだ事は……ただの紙の上の事柄だったと言うのか?


 心の奥から湧き上がる感情――殺意が彼の“相剋”引き起こす……

 

「ジン」


 息をするように命を奪う事の出来るソレを行使する寸前、フォルドの声が間に入った事で我に返った。

 “相剋”を発動しかけている事に気づいたジンは血の気が引くように冷静になる。今自分が何をしようとした・・・・・・・・のかを理解したのだ。


「先に帰っていなさい」


 怒るでも諭すでもないフォルドの言葉は、ピリついた場の空気を一気に冷やす程に淡々としていた。

 二世紀近く生きて来た彼にとって、この程度の空気は幾度と経験してきたものだ。その収め方もどのようにすればいいのか熟知している。


「……はい」


 ジンは目を伏せて立ち上がると一礼して部屋から去って行った。


「フッ。彼は幼いな!」

「そりゃ、この中のメンツでは種族的にも一番短命だと思いますがね」


 殺意を向けられていた事を何とも思っていないヘクトルにヴォルフは呆れるしかなかった。同時に、揺るぎないジンの殺意の性質を読み取っており、最重要に警戒する存在として記憶しておく。


「フォルド様。彼の素性については把握されていたのですか?」


 眼鏡をかけなおすミレディは主が危機にさらされた事を重視していた。フォルドの紹介という事で信頼していたが、あそこまで明確な殺意を向けられれば警戒するなと言う方が無理な話だ。


「生い立ちを聞いただけだ」

「珍しいですね。貴方様が読み違えるとは」

「ジンはまだ子供だ。あの眼の傷と色が違う瞳を見れば苦労以上に、見たくない場も超えてきたのだろう」


 今の時代では珍しい事ではない。この場に居る者たちはもっと悲惨な状況や現場を何度も体験している。


「彼の事はフォルド殿に任せるよ。ミレディ、彼に関しては一切の手出しをしないように」

「……わかりました」


 釘を刺しておかなければ必要以上に動きかねない片腕をヘクトルは前もって制しておく。彼女は察しが良く、仕事が早い・・・・・のだ。


「それでは、本題に入るとしよう! 諸君に集まってもらったのは王都の件でね!」

「なんスか? また【勇者】の援軍要請ですか?」


 10年前に行われた『魔獣パラサザク』の討伐では領地の兵士は半分以上が駆り出されたのだ。

 今回、街に存在している他の有力者ではなく、外回りも行える自分達を集めたのは軍事的な目的であるとヴォルフは察する。


「ミレディ」


 ヘクトルの指示にミレディが応じる。


「国の中枢を管理している貴族の全てが【魔王】によって殺害されたのです。国王陛下と次期継承者であるライド王子は死亡し、その血筋も確認できる限りは全て殺されたと」


 彼女の説明は淡々としたものだが、口にした言葉は聞く人が聞けば驚きを通り越す程の大事件である。


「……【勇者】の領地が王都の近くにはあったはずだが?」


 フォルドは記憶に間違いはないと思い、その事を議題に出す。

 王都の近くには【勇者】の管理する領地があり戦力にして一国に匹敵する。王族とも親密な関係にある【勇者】が【魔王】の襲来を無視するとは考えづらい。


「【勇者】の領地に『霧の都ミストヴルム』が出現し、領地内に居た戦闘員は殺され、生存者は絶望的だそうです」

「……」


 この世に存在する“三災害”の一つでもある『霧の都』は、回避することも予見することも不可能な天災として危険視されていた。


 王族と国を管理する中枢が死に、万人の支えでもあった【勇者】とその戦力も全て消えたとの事だ。

 その情報は国の終りを意味する。現在の王都は王都騎士団による治安統率によって辛うじて形は保たれていると言ったのが現状である。

 しかし、この情報が隣国に知られるのも時間の問題だろう。


「そこで次期国王を決めるそうだ。候補者は領地を持ち、王都でも認知のある領主が最低条件で――」






「ナタリア」

「どうしました? ジン」

「ナタリアは……誰かを殺したいほど憎んだことはある?」

「それは、先日の“相剋”の一件?」

「……あの時、二つを天秤にかけた。それで……」

「ジン、あなたの選択はヒトであれば誰しもが同じモノを選択をしますよ」

「でも……同じ命だろ?」

「ええ。でも、時と場合によっては大切な方を選択しないといけない時があるのです」

「……オレがもっと気を付けてれば……レンも皆も危険な事にはならなかった」

「それは違うのジン。完璧なんて誰にも出来ないのです。もし私がジンと同じ10歳で、同じ境遇に置かれたら“選択”事態が出来ないと思うわ」

「ナタリアでも?」

「ええ。アナタは罪と魂を別に考えている。私とは違います」


 貴方はヒトの痛みの分かる優しい子だから、どんな命に対しても決して間違った判断はしないわ。






「…………」


 集会場を出たジンは冷静になりつつも、どうしようもない感情が心に渦巻いていた。

 フォルドに迷惑をかけてしまったという事と、ヘクトルに対する強い憎しみで心は埋め尽くされ、どうすればいいのか分からずにフラフラとただ歩いているのだ。


 憎しみと怒りの感情に任せて、目の前の命を奪う所だった。あの時、フォルドが止めなければヘクトルはジンの“相剋”によって命を落としていただろう。


 悔しいとも悲しいとも違う。この感情は……いきどおりだ。

 誰が悪いわけでもない。しかし、それならこの感情はどうすればいいのだ。


 向ける先のない怒りと後悔はヘクトルの言葉で更に膨れ上がっていた。

 この選択が正しいと理解している。しかし、納得が出来たわけじゃない。

 ジンは人の流れを避ける様に道の端に座り込む。少しでも冷静にならなければ……


「オレは……なにを秤にかけた?」


 何かを奪おうとすれば必ず失うものがある。4年前に初めて“相剋”でヒトを殺した時から“悪夢”を見るようになった。

 “相剋”で大切な者たちを殺してしまう悪夢。殺したという事実を忘れぬための楔だとナタリアは言っていた。


「何をやってるんだ……オレは――」


 オレがしっかりしなければ、レンも不安になるし、フォルドさんたちにも迷惑が掛かる。


「……帰ろう」


 今回の顔合わせでフォルドさんの面子を潰してしまった。その事をきちんと謝らなければならない。

 ジンは立ちあがると少しフラ付きながらも家へ帰ろうと歩き出す。


「っと」


 フラついた拍子に荷物を持っていた少女とぶつかってしまった。その拍子に少女は両手で持っていた袋を落とし、その中身が通りにばら撒かれる。


「すみません」

「…………」


 その様子に周囲が若干注目する。少女は驚いた様子だったが、無言で落ちた荷物の回収に移った。ジンもそれを手伝う。


「食材か」


 少女は紙袋いっぱいに食材を買い込んでいたようだ。しかし、手に取った食材は若干品質の悪い物であるようだった。


「貴方……大丈夫かしら?」


 鋭い三白眼に頭に生える角。『角有族』の特徴を備える少女は怒っているかのようにジンを見る。


「その……すまない」

「? なぜ謝るの?」

「いや……ぶつかってしまって」

「拾ってくれたからもう気にしてないわ」


 そう言いつつも彼女の鋭い目つきは変わらずにジンを睨んでくる。食材を拾い終え、少女が袋を抱え上げると底の方が抜けて再びばら撒かれた。


「…………本当にすまない。運ぶのに手を貸すよ」

「そうしてくれるとありがたいわ」


 二人は道行く人にも手伝ってもらいながら落ちた食材を拾い終えると、今度こそ落ちないように両手に抱える。


「こっちよ。ついてきて」


 少女の先導にジンは続く形でその後を追う。ずっと怒っているような表情は終始変わらなかった。


「ジンだ」

「何が?」

「オレの名前だ。その……本当にすまない」

「そこまで謝られると逆に馬鹿にされてる気がするわ」

「! ……悪い」


 気落ちするジンを尻目に正面を向きなおしながら『角有族』の少女は名乗る。


「私はマリシーユよ。そんなに怒ってないから、ちゃんとついて来てね」

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