▲4六犬《いぬ》(あるいは、漕ぎ出だせ!カオシック/オーシャンズ3)


 ほろほろと箸でつまめばそこから崩れていくほどの硬度軟度を持つゼラチン質のプールに飛び込んだような、そんな感覚……自重で奥底まで沈んでいくかのような……うんまあそんな体験は未知ではあったものの。何となくの「いつもどおり」の引きずり込まれ方に、少し余裕を取り戻し始めている私がいる。


 「変身」の光に包まれたか包まれないかの瞬間に、今度は「闇」に飲み込まれた私たち三人だったけど、身体を覆うかのように展開した光は、私に大いなるエネルギーを与えてくれる「全身スーツ」の形状へと無事変化してくれたのであった……変身を終えた私たちはゆっくりと空中を降下していってるけど、あれ、この感じって……?


「フウカ、こないだのと違う。えーと、いつもの『暗黒空間』なんだけど」


 てっきり、以前の「鐵将てつしょう(阿久津先生)」戦の時と同じく、現実世界と異次元が混沌極まりないかたちで「融合」した盤面フィールドでやるのかと思ってたけど、普段の、って言うほど普段じゃないけど、通常の「二次元人」との対局と同じく、宇宙空間みたいなところに、白いレーザー光線で盤面が形作られた、まあ、普段通りの「9×9」の対局場だった。フウカ間違えた?


<……前のんがイレギュラーだったか、そもそもそんな理とか法則とかは無いか……わからんけど、相手ははっきり『八棋帝』や。こないだの阿久津の時と、波長とか波動の大きさとかが酷似しとる>


 徐々に眼下にはっきりしてきたのは、整然と居並ぶ等身大の「駒」たちだった。今回のは木地に縞模様が斜めに入った「虎杢」……高価たかそう……てことは強そう……いやいや、そこはいいって。


 駒の並び自体も見慣れた、最前列に歩、飛車角挟んで、最奥に王様を中心に金銀桂香が左右に展開と。うん、普通にすぎる……前回のアレが荒唐無稽すぎたから、少しの肩透かしを食らってる私がいるけど、いや、そんな気ぃ抜かしてる場合じゃない。


「わかった。でもそうなると、『後から参加』ってゆうのは出来ないよね? だったらフウカは本部にいたまま指示出してくれる? 頭数は大丈夫、三人いるから」


 私の言葉に、関西の三段サマやな、ほならうちの出番はなさそうや、と応じてくれたフウカが、早速「現況」を私の眼前の黒いバイザーに表示させてくれる。その間に、白線で区切られただけに見える盤面へと、ふわりと降り立つ私たち。


「……」


 現況情報は、彼我の戦力がきっちり「20対20」であることを示している。飛車の位置に「鳳凰」ミロカ、角行の位置に私、「猛豹もうひょう」。そして、


「んんんんんっ、目にはさやかに見えねドも!! 恋の花咲くこともアる!! 虎の威を借る盲虎タイガーのッ!! 聞けよ魂の棋譜なぞラえぇッ!!」


 ええと沖島さんは……と振り向きつつその姿を探していた私の目に、暗いバイザー越しにも目に刺さるほどのド派手などピンクの色彩が飛び込んできたのであった……


「ん見る者すべテぇ、衝撃ショッキングッ!! 『ショッキング=ピンク盲虎もうこ』ちゃんなのダぁッ!!」


 さらに、こちらを真顔にさせんばかりのキンキンのアニメ声がその桃色から放たれてくるに至って、嗚呼……他人ヒトのことはおいそれとは言えないけど、第三者から見た自分も多分こんなんなんだろうな……という、今更ながらの困惑・恥辱・諦観あと何かに脳内が埋め尽くされていくのを止める術は何も持たずな私であるわけで。


 ともかく「右金」の位置に、沖島さんこと何とか「盲虎」。バイザーに示された「盲」という字に、ん? と思ってしまうけど。


「……『盲虎』に視界は不必要ッ……すべて頭の中で処理/把握しテるからオールOKオッケーッ!!」


 聞いてはないけど、そんな返答が。視界が無い、つまりは「目隠し将棋」みたいなことになるのかな……うん、モチーフに忠実ってことかぁ……そんなとこだけは律儀だよねえ……この世界。


 他、歩やその他小駒には、先ほどまでのハンバーガー屋さんに居た、女子高生たちとか、営業回りと思われるスーツ姿のおじさんや、店員さんたちが「配置」されている。皆一様に「駒名」の彫られた冠のようなものを被せられて、真顔で固まりながら。この人たちはなるべく巻き込まないようにして、盤面を注意深く制圧していかなきゃだめだ。


 とか考えていたら、またしてもいい感じに張り上げた声が。この空間は叫ばないと喋れないの?


「オオオオオッ!! そしてこの俺は、『王将』ッ!! 隣合う八方向どこへも一マス進めるいちばん分かりやすい駒を引いたぜッ!! こいつぁ幸先いい……金とか銀とか、どこに進めないかいまいち分かってない俺にとって、これは正にの僥倖……ッ!!」


 「盲虎どピンク」の横から、変声期掠れの声で、のっぴきならないことをのたまい出したのは先ほどのモリ少年。おっしゃる通り、「玉」の一文字が彫ってある鈍い金属質感の「王冠」がその特徴と起伏の薄い顔の上に嵌まっているけど、金銀がどうとか、恐ろしいこと言ってなかった? 後から聞いたら、棋力は今「二十八級」だぜって言われた。赤子か。


 ここまででもう混沌が鼻の下あたりまでその水位をごんごん上げて来ているのだけれど、さらにそこに油を注ぎ二層となってこちらを攻め立ててくる存在が。


「ああ~はっはっはっは、ああ~はっはっはっはぁッ!!」


 芝居がかり過ぎにも程があるそんな高笑い……私らと同じくらい年の女のコの声だ……が、この暗黒空間に響き渡る。出処は敵陣最奥。そこからまたご丁寧に陣の最前まで歩み出て来たひときわ大ぶりの「駒」が、盤上中央辺りでばん、と見栄を切るようなポーズをするけど。ううううん、もう胸焼けが……しかし、


「ぃようこそッ!! 私のイ・ン・ナ・ア・スペースへ!! いやこんな盤面あったら往生しまっせ!! なんつって悪!! 燦!! 燦!! んでしゃしゃしゃしゃしゃしゃぁッ!!」


 素地からして次元の違うハイテンションボイスに、顔の筋肉がすべて力を失って流れ出していきそうなんだけど。


 でもこのコが敵の大将……というか、喋ってるってことは、阿久津先生の時と同じく、「人間」である可能性が高い。だったら、助けないと。と、


「……名乗っておこうかねい……我こそが、兎宿原うしゅくはら 旗希ハタキ!! またの名を……」


 こっちの都合はガン無視での自己紹介が始まっちゃってたわけだけど、その名前!! 「失踪事件」で名前上がってた、奨励会初段の、私たちと同学年タメのコだ!! と、それはまだ驚きのほんの一段目でしかなかった。


「……『ロータス竪行しゅぎょう』ッ!! けんんんんッ、ざんッ!!」


 まさに「竪行」と大書された「駒」ボディの前面が観音開きのようにこちらにバァンと開くと、中から飛び出すように現れ出でてきたのは、小柄な人影。でも、その全身はタイツ然とした「スーツ」に覆われていて……あれあれぇ~ど、どういう……


「……ん存分にかかってこいやぁぁぁぁああああッ!!」


 そんな困惑の私の身体の前面一帯に、幼げながらもドスの入った胴間声が、ぱしぱしと水滴のように打ち付けてきたわけであって。そしてこれでもかの、もう変身しているのにも関わらずの、片手腰、片手高々と掲げた変身ポーズでキメてきてるよ……ここまでのハイテンションイキれに慣れていない私はその凄みに押されっぱなしだけど、ひょっとして(しなくとも)、この兎宿原さんってコも「レンジャー」の一員、だったってこと……。これは……想定外。


「ナヤ!!」


 そんな混乱・委縮しまくりの私を励ますかのように声を掛けてくれたのは、右方向で腕組みしていたミロカだった。緋色のスーツに包まれた細い身体には余分な力も入ってなく、右足だけに体重かけてるみたいだけど、その重心は安定しているかのような立ち姿。その落ち着きっぷりに少し私も冷静さをもらった。そして良かった。もういつものミロカに戻っていそう。とか思っていたら。


「……見て、色カブってる」


 ぷーくすくすと忍び笑いを漏らしながら、指をさしさしそう付け加えてきたのだった……確かに兎宿原ロータス沖島S-ピンクは被っちゃってるけどね!! そこは流してもいいとこなんじゃないかな!!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る