花火の下

「達也くん、皐月、こっちこっち。もう花火上がるって」


 ママが私たちに向けて、手招きをしている。


 私と先生がレジャーシートに腰を下ろすと、それを待っていたかのように、一発目の花火が打ち上がった。

 事前告知なしで打ち上げたからか、悲鳴に近い声が最初に上がる。そして、花火が上がる度にどよめきや歓声や拍手の波が、少し離れたこの場所まで届く。吹いてくる風も、こころなしか温度が上がったような気がした。

 ママは手をパチパチしながら「あー」とか「はー」とか声を出しながら、空を見上げている。

 先生は分かりやすくソワソワしている。

 私はこんな急角度で花火を見上げたことないなって思いながら、ベビーカステラの袋を開けて、その一つを口に放り込む。また少し充電。


 フィナーレを飾るかのような、たくさんの花火が打ち上がり、大歓声も収まり始めた頃、単発の花火が、ゆっくりとした間隔で打ち上がり始めた。

 ここからは、先生みたいに個人で買った花火を上げる時間なのかなと思いながら、また一つベビーカステラを食べる。先生のスマホにLINEの通知音。


夏月なつきさん。次、僕の花火上がるから」


「えー、なにサプライズ? 達也くん無理したんじゃない?」


「うん、大丈夫。僕から夏月さんと皐月ちゃんにプレゼント」


 いっそ見ないでおこうかと俯いてたのに、シュッと鳴った音に思わず空を見上げてしまった。


 光の筋が真っ直ぐ上へ向かう。途中にパッパッと小さな花が開いたかと思うと、ドンと菊の花が大輪を咲かせる。青、赤と色を変え、最後に一際ひときわ明るく銀色に瞬いた。


 不覚にも綺麗だと思った。そうだね、花火には罪はない。



 先生が意を決したように立ち上がる。


 ついにその時が来てしまったんだね。手に持っていたベビーカステラの袋がカサッと小さな音をたてる。



 ママが「皐月に会って欲しい人がいるの」って言ってきた時は、正直嬉しかった。「きっと驚くわよ」なんて、無邪気な顔して笑うママなんか、あんまり見たことなかったし。

 私も卒業したら東京の看護学校に行くって決めてたし、 今まで女手一つで苦労してきたのも知ってるし、ちょっと遅いかもしれないけど、ママ自身の幸せも考えてほしいなって思ってた。だから、祝福する気満々だったんだけど。

 出会いは、先生のSNSの投稿を見たママが、経理として働いている花火工場に相談したのがきっかけで。実際に会って、意気投合して、困難を乗り越えた二人は結ばれた。ほんと陳腐な恋愛映画みたいな展開と結末だ。


 私より先に先生と出会ってるなんてね。ママずるいよ。



 先生がポケットから指輪を取り出す。それを見たママが立ち上がる。


「夏月さん。一生大切にします、僕と結婚して下さい!」


 一瞬、すべての音が消えてしまったかのように思った。時間の感覚も曖昧になる。もう少しだけ頑張れ、私。


「皐月。ママ結婚してもいい?」


 ママも先生も、同時に私の方を見る。


「もちろん。達也さん、ママのこと絶対幸せにしてよ」


「うん、約束するよ。今日の昇小花付芯入菊先青紅光露に誓って」


「それ絶対噛まないんだね、達也さん」


「あれ? 皐月ちゃん、さっきから達也さんって言ってる?」


「うん」


「それいいね。やっぱ、お義父とうさんとかは違うと思ってたし」


「まあ、先生がダメなら、私の中では最初から達也さん一択だったけどね」


「皐月ちゃんの中では、僕は先生でしかないのかもしれないけど、学校の外ではね。少しでも早く家族になれたらって。なんか子供っぽいかな」


「いいんじゃない。私だって、もう子供じゃないし」


 私は、汚れてもいないお尻をサッと払い立ち上がる。


「じゃ、私は友達探して、適当なところで帰るから、あとはふたりで」


 私は返事も聞かず、足早に来た道を戻った。これ以上、現実を突き付けられたら、せっかくのプロポーズが台無しになる。


 相変わらず、ゆっくりのペースで花火が上がっているが、もう振り返れない。


 ふと、ベビーカステラの袋を置いてきたことに気づいた。


 あれだけは今夜、失いたくなかったのにな。ママだけには絶対食べられたくなかったのに。


 そう思うと、もう涙が止められなかった。滂沱ぼうだたる涙って、こういうことを言うのかなって、こんな時にまで先生の授業を思い出す自分がまた悲しかった。




 朝、目を覚ますと、微かに甘い匂いがしていた。

 机の上に、ベビーカステラの袋が置いてある。やっぱ、ママにはかなわないなと思った。


 ベビーカステラを一つ口に放り込む。もそもそした食感が、否が応でも祭の夢を覚まし、現実を突き付ける。



 私は昨日、花火の下で失恋した。いや、出会った瞬間に失恋していたのかもしれない。


 話を聞くと、私の卒業を待って入籍するらしい。


 ママに「いってきます!」と声を掛けて、玄関を勢いよく飛び出す。


 顔を上げると、空は澄み渡っている。


 新しい学期の始まりだ。


 背中に風を感じながら、私は学校へと向かう。

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昇小花付芯入菊先青紅光露の下で まっく @mac_500324

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