タイムパラドックスインフレーション

神島竜

第1話 覚醒

 稲妻がとどろく真夜中に、深くため息をついて、これからの未来を創造するも、なにも思い浮かばない虚無に心を埋めるかのように、電子ドラックから煙を吸いだし、吐き出した。

 キラキラと光輝く煙が研究室を照らす。

 緑色に光る液体が透明な管を通る。その管は蛇のように曲線を描き、炎の中へ飛び込む虫のように絶望の渦へとエネルギーを送っている。

 その先には巨大な水槽のようなケースが二つあり、中には二体の人間が眠っていた。

 一人の研究者が、その二体の人間に感慨も抱いていないかのような表情でみつめている。

 ここには、一人の男と、二体の怪物が存在する。

 男の名前はストシ。研究者だ。

 幼いころからその特異性を周囲に示し、数々の賞を得た。

 地位も金も名誉も得た彼が生涯をかけて行っている研究。

 それが彼の目の前にある二体の人間である。

「いよいよだな……」

 ストシは感慨ぶかげにつぶやいた。

「もうすぐ、すべてが明らかになる。わたしがどう生きるべきだったか。どうするべきだったのか。何をするべきだったのか。何もしなくてもよかったのか。それとも……」

 わたしなど、この世にいなければよかったのか。

 最後の言葉を、彼は口に出すことはしなかった。言ってしまえば、過去が今の彼を押しつぶしてしまいそうだったから。

「そんな未来は来ねぇよ」

「?」

 背後から聞き覚えのない声がしたので、ストシは振り返った。

 そこには二人の男女がいる。

 一人は、ドレットヘアー。身長は190センチはあるだろうか。近くのスパコンよりも大柄の男。

 もう一人は女性。長い黒髪でキリっとした目つきをしている。しかし、それでもストシよりは背が高いようだ。頭一つぶん上だから165センチはあるだろう。

 ドレッドヘアーの男はいぶかし気にストシを見た。

「なあ、こいつが本当にストシなのか? ずいぶんと幼く見えるぞ?」

「失礼だね。年寄りにそんなことを言うなんて」

「年寄りだって? そんな身なりでどの口が言うんだ。背が低いってだけじゃない……顔つきが完全に中学生じゃねぇかっ」

 ドレッドヘアーの男の言うことはもっともだ。ストシは背が低く、顔も少年のように幼い。実際の年齢と比べれば、明らかにその見た目はおかしいと思うだろう。彼が寿命を延ばすために自身にナノマシンを注入していることを知らなければ。彼の年齢が80歳を超えるなど、だれも信じない。

「この見た目も好きになってるわけではないのだけどね。わたし自身がもっともベストな状態でいるために、すべての知識を費やした結果だよ」

 ストシの言葉に、ドレットヘアーの男は信じられないとでも言いたげな顔をする。

「ラフト、油断しないで」

 黒髪の女性がどれっとに声をかける。

「AIの解析によれば、まぎれもなく彼こそが天才科学者のストシよ。わたしたちのいる時代なら誰もが知っている天才。しかし、顔写真は残されず、ただ名前だけが残るだけの謎の存在。噂では200歳を超えて生きてきたと言われているわ」

「わかったよ、カディア。そうかい……さすがは22世紀が生んだ天才ってわけか」

「まあね、しかし、妙だな……キミたちはいったい何者だい。この研究所は関係者以外立ち入り禁止だ。警備システムは万全だし、そもそも存在自体を知ることができないはずだ。いったい何が目的で、何のためにここにやってきた?」

 ラフトはため息をつくと、ストシに銃を向けた。

「俺たちは……未来人だ。あんたに言っても信じないだろうが。この世界の滅亡を防ぐためにアンタと、後ろにいる二体の怪物を殺しに来た」

「ああ、やっぱりそうか」

「はっ?」

「いやね、なんとなくキミたちがの身なりを見た瞬間にそうなんだろうな~、と思ってたんだ。服はボロボロだが、来ているのはブランド品だ。しかも、まだ販売もされていない服だ。しかし、ずいぶんと時間が経っているように見える。まるでキミたちの世界では中古品であるかのように。その時点で、8割くらいの確率でたぶん未来人でキミたちはわたしに怒っていて、場合によっては殺すんだろうな~、と思っていたよ」

「なっ! 嘘をつけ! ハッタリだ。殺されるかもしれないのにっ! なんでそんなひょうひょうとしてられるんだ」

「そりゃまあ、十分生きてきたからね。べつにこの世には未練はないさ。ただ、まあ……」

 ストシは銃を構える。

「わたしの計画を阻もうというなら、容赦はしないがな」

「ふっ……旧式の武器で俺に勝とうというのかよ」

「へえ、そんなスゴイ武器なのかい?」

「ああ、この銃はオートマティックアクションを採用していてな。ようは目の前の相手が俺に危害を加えようとしていることを察知した瞬間、この銃から弾が発射され、お前を殺すことになるんだ。つまり、早打ち勝負で俺に勝つことはできないってわけだ」

「ふうん、じゃあ僕がこのまま撃たない場合はどうなるんだい?」

「そうなれば、俺が打てばいいだけだ。そしたら、銃に内臓されたAIが俺をサポートしてくれる」

「なるほど、つまりキミの時代のAIはトロッコ問題においては所有者の権利に最終的な判断をゆだねることにしたわけか。なるほどね」

「トロッコ問題? なんだそれは?」

「そんな基礎的な論理さえ、AIはキミに学ばせないのかい? 未来を変えるために過去にやってきたというのに……キミは何をしにここに来た?」

「もちろん、お前と後ろの怪物を殺しに来たんだ」

「では、その怪物の名前も、もちろん答えられるんだろうね?」

「もちろん、世界を滅ぼした災厄だ」

「ほお、そいつは最悪だな。で、名前は?」

「名前だと?」

「そうだよ、名前だよ! 彼らの名前だ。わたしという人間が人口の生命体に何も名付けずにこの世に生み出そうとしていると思っているのかい? もちろん、彼らにだって名前があるのさ。こう生きてほしい、こうあってほしい、と願いをこめた名前がね」

「ラフト! こいつの言葉に耳を貸さないで!」

 カディアと呼ばれていた女性はイライラしたようすでラフトに言った。

「そうだね、お嬢さんの言うとおりだ。ただ、こいつはバカのようだからもっとはっきり言ってやったらどうだ? ラフト! 早くコイツを殺してってさぁぁぁ! どうせ言えないんだろうけどなぁぁぁ!」

 ストシの言葉にカディアは目を見開く。

 ラフトも動揺した。この時代において、自分たち二人にしか知りえない真実を目の前の男に握られたということに彼らは動揺してしまった。そして、その心の隙に付け込まないでいるほど、目の前の男は、ストシは甘い男ではない。

『対象が敵対行動を取りました。マスターを防衛しました』

 銃がそう言った瞬間、弾はすでに発射されている。

 オートマティックアクション? いつのまに?

 ストシは話していただけだ。いったい彼が何をしたのだろうか。だが、これで彼を殺せる。

 弾は一発だけでない。まるで数珠つなぎのように連射される。

 これで勝った。そう考えるラフトであるが。

「つまらない男だな。AIに守ってもらうなんて恥ずかしくないかい?」

「なにっ!」

 ラフトは振り返る。そう、振り返るという言葉が正しいのだ。先ほどまで聞こえていたはずのストシの声が後ろから聞こえているのだから。

 振り返った瞬間、強烈なフラッシュが目の前に広がる。

 閃光弾だと! と気づくがもう遅い。ラフトの目は完全につぶれてしまった。

 だが、銃さえあれば。そう思い、AIを信じて銃を構えようとするも。

 腹部に強烈な衝撃を受け、口に思いきり異物のようなものをいれられる。

 これはっ……拳っ!

「お~ら、しゃべるんじゃないぞ~」

 ストシはラフトにあやすように言った。

「ラフトを話しなさい!」

 カディアはストシをにらみつける。

「ほう? じゃあお前がわたしを殺すのか? AIであるお前が?」

「なっ!」

 カディアは目を見開いた。やはりこいつは知っていた。

「わかるよ、わかる。わかるに決まってんだよなぁぁぁぁ。だってキミは会話に参加しようとしなかっただろ。それはキミが人間がいなければわたしを殺すということができないからだ。逆に言えば、人間が一人でもいれば、わたしを殺すという意思を持てる人間がいればいいわけだ。しかし、こんなバカをよこしたということは未来はよっぽど切羽詰まった状況になっているらしい……」

「くっ……」

 カディアは言葉に詰まる。

 正解だ。カディアのいる時代にはほとんどの人間が死んでいる。だからこそ、唯一の生き残りであるラフトとともに時代をさかのぼったというのに。

「まったく、本当にガッカリだよ。最後の最後までカッコのつかない人生だ」

「ほまえほ……ほほして」

「んむむ? ラフトくんが何を言ってるのか。まったくわからないな~。だが、目つきでなんとなくわかるぞ。なんで、私が死んでないかってことだね。あれを見てみたまえ」

 そう言って、ラフトの顔を調節する。

 彼の視線の先にはストシがもう一人いた。もうすでに死んでいるストシの死体がだ。

「今、どういうことだって思っただろ? 簡単な話なのだよ。あれは実験の過程で生まれた私のクローンだ。生まれてから、たいして時間も経っていないのに、記憶もインストールしてあったから、さっきまで自分だと疑わずにいたよ。もちろん、キミの背後にわたしがいるのに気づいたときには自分が何者であるかを知っていただろうがね」

「はふだとっ!」

「そうだ! クローンだとも! キミたちの時代は、先生に何も教わらなかったのかっ! わたしは自分のクローンを作りだした。見た前、この二体の私を!」

 その言葉とともに、二つの水槽が光り輝いた。

 二つの水槽で眠る二体の人間。

 右は紫色の長い髪に灰色の肌。コウモリのような黒い翼。

 左は銀色の髪に白い肌。鷲のように力強く、白鳥のようにきれいな白い羽。

「これはっ……天使と悪魔?」

「イエス、イックザクトリィィィ! その通りだともっ! わたしがつくりだしたのは、わたし自身の天使と悪魔っ! ジキルとハイドって知ってるかいぃぃぃ! わたしはね、ずっと思ってたんだよ」。わたしという人間はずいぶんとつまらない生き方をしたもんだと……時代に大きな影響を与えてきながらも。わたし自身が悪魔にもなりきれず、かといって天使にもなれなかった人でしか入れなかったこそ! わたしは中途半端なことしかできなかった! 人生をやり直したいと思うほどにだっ! チクショウっ!」

 そう言って、ストシはラフトの身体を離し、憤りを吐き出すかのように叫んだ。

「つまらない人生だったよ! わたしにはっ! もっと素晴らしい人生がっ! もっと時代を変える選択の瞬間があったのに! 半端なことしかできない弱い自分がそれをせずに終わらせてしまった! バカバカしい! 悔しいのだよ! わかるかいっ! ラフトくん!」

「へ、ああ……」

 ラフトは思わず生返事をする。それもそのはずだ。ストシは力説するがあまり、ラフトの身体を放り投げたのだ。このまま銃を手に入れれば殺せるじゃないか?

「殺したいのかい?」

 ストシはそう言うと、銃を彼に放り投げた。

「いいぞ、撃ってみるといい?」

「へ?」

 困惑する。何なのだろうか? 彼はなんのためにこんなことを。先ほど騙されたラフトは、ストシの行動に裏があるように思えてしまう。

「だいじょうぶだ、わたしはわたしだ。クローンでない、オリジナルのわたしだ。銃でこのわたしを殺してみるがいい。できるならな?」

「できるなら、だと」

「ああ、そうだとも。キミたちが未来から過去に来た。そしてキミらの姿や言葉から想像できる未来。そこから、わたしはこの世界の時間の成り立ちについてある程度の推論を立てている」

「推論?」

「そう、たとえばこの世界の歴史では、世界を滅ぼす存在がいるという事実があるとして。未来から来た何者かが、そいつを殺そうとしたとき。何が起きるのか、という推論だ。推論を立てたら、あとは実証するのみだ。わたし自身の命でなっ!」

「何が起きるっていうんだよっ!」

「いちいち人に質問するんじゃないっ! バカもんがっ!」

 ストシの言葉にラフトは驚く。まるで親にでも起こられたかのような衝撃が彼を襲った。

「俺を殺すのか、殺さないのか! お前が決めるんだ! お前自身がその引き金を引いて確かめるんだよ! AIに頼ってんじゃねぇぇぇ!」

 ストシの言葉が、ラフトの鼓動を速めた。砂漠で生きていた植物に十分な水が与えられたかのように。彼には今まで与えられなかった言葉が流れ込んでいる。それは本来であれば幸福なことだが。よりによって世界を滅ぼす魔王に言われるとは、予想外である。

「さあっ! どうすんだよラフト! お前の意志をっ! 私に見せてみろ!」

「ウォォォォォアアアアア!」

 悲痛な叫びとともに、ラフトは引き金を引いた。

 強烈な音。発砲音。しかし、その音は突如無音になる。

 どうなったのだろう、そう疑問に思ったとき。ラフトは自分が目をつぶっていることに気づいた。気づくと同時に彼には羞恥心が芽生えていた。人を殺そうとしているというのに。目の前の人間を殺すという事実を見ようとしなかった自分を恥じたのだ。

 目を開くと、そこには肉塊と化したストシがそこにはいた。

 やった自分はストシを殺したのだ。最悪の破壊者を殺したのだ。

 そう考え、安堵したその瞬間。

 カチカチっと、時計の音が頭の中に響いた。


「――お前の意志をっ! わたしに見せてみろ!」

 目の前のストシが、ラフトに向かって言った。

「え?」

 ラフトは思わずつぶやいた。

 それを見て、ストシはにやにやと笑う。

「どうしたぁぁぁぁ? ラフトォォォォ? まるで殺したはずの人間が生き返ったかのようじゃないかぁぁぁ?」

「なっ……なんだと?」

「動揺するんじゃない! 顔に出すんじゃない! こうなることをわたしは予測していた。そして立証された。だからこそ、これから起こることをわたしは知っているし、気づいている」

「なんだって?」

 どういうことだ、とラフトが口を開こうとしたその時、

「アァァァァァァァァァ!」

 と、カディアが雄たけびのような声を上げる。

「カ……カディア?」

「なるほど、こうなるか?」

 ストシは納得したようにつぶやくと、ラフトに向きなおる。

「おい、ラフト! 喜ぶと言いっ! 未来は変わったぞ。わたしが世界を滅ぼすという未来は変わった。しかし、それはイコール世界が滅ばないということではないんだっ!」

「どういうことだよ!!」

「わからないのか! 人一人、殺した程度じゃ! 未来は変えられても、歴史は変わらない。キミという事実がある以上っ! 世界は一度滅ばなければいけないんだ。わたしをころしてもっ! 世界を滅ぼしたのがわたしではない、という未来になるだけなのだ!」

「つまりどういうことだよ! お前はっ! なにが起きるって言ってんだよ!」

「カディアを見ればわかるさ。彼女もまた、未来の結果を現す存在。歴史の修正が目の前にやってくるぞぉぉぉぉぉ!」

 そう言うと、カディアを指さした。

 ラフトはカディアを見る。

 彼女の髪が抜け落ちた。

 皮膚が剥がれ落ち、鋼色の骸骨が姿を現す。

「いや、いや! この記憶は何っ! こんなわたし知らない! こんな過去なんてないっ! そんなっ……」

 そう言うと、彼女の腕が八本に分かれた。足が蜘蛛のように増える。

「わたしは……わたしはっ……ヒトを殺すっ! すべての人類を滅亡することがワタシの役目だぁぁぁぁぁぁ!」

「ふざけんなよ! なんだよこれは! カディア! 目を覚ませよ!」

「自分が理解できないことが起きた程度で、メロドラマみたいね安っぽいセリフを言うんじゃなぁぁぁい!」

 慌てるラフトをストシは叱咤する。

「これはお前が選んだことだぞ! ちゃんと直視しろ!」

「いや、俺は……英雄になれるって言われたから……こんなことになるなんて……」

「こんなことになるなんてぇぇぇ! そんな理屈で人に銃を向けれるのかバカ野郎がっ!」

 そう言うと、ストシは二つの水槽のもとに向かう。その足取りは軽やかで表情は笑顔である。

「しかし、礼を言うぞ! ラフト! お前のおかげでわたしの人生はとても面白くなりそうだぞ! 天使と悪魔! 正義と悪を象徴するわたしのクローンがっ! 歴史という巨大な敵と戦えるんだからな! こんな未来創造してなかったよ! 最高だっ!」

 そう言って、水槽のレバーを下した。

「さあ! 目覚めろ! ダークっ! そしてライト! もう一人のぼく あったかもしれないぼくっ! 強い力さえあれば! 強い心さえあればきっと世界さえ滅ぼし、世界さえ救うはずのもう一人の僕よ! 今こそ! この世界で暴れまわるがいい!」

 その言葉とともに水槽は割れ、二体の怪物は目を覚ました。

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タイムパラドックスインフレーション 神島竜 @kamizimaryu

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