八章

八章 1



「へえ。じゃあ、あの隊長が?」

「そうとも。それで昨日、うちの隊長とケンカになって——」

「すました顔して、盗人とはねえ」

「どおりで、おかしいと思ってたぜ。毎日ちがう派手な服きてよ。いくら小隊長がもうかるか知らないが」

「しッ。こっちを見たぜ」

「かまうもんか」


 ざわめきが耳につく。


 一夜あけて、食堂はそのウワサで持ちきりだ。

 なにしろ、近ごろ砦をにぎわせていた二つのウワサがクロスしたのだ。ワレスの名前は、いやでも、あちこちで呼びかわされていた。


 ほかの隊の兵士に陰口をたたかれるのは、まだいい。

 なかには、ワレスの部下もいて、


「なんだよ。尊敬してたのに。あれが自分の隊長だと思うと、なさけない!」


 聞こえよがしに言ってくる。


(なさけないのはこっちだ。自分の部下にも信用されてないとはな)


 ワレスは食べかけの皿をもって立ちあがった。

 厨房との仕切りに運ぶと、エミールが仏頂面でよってくる。


「だから言ったのに。食堂なんか来なくていいって」


 ぷいっと食器をとって行ってしまった。


(なんとでも言え。おれは誰に何を言われても、平気だ……)


 食堂を出ても、ささやきがついてくる。


(第三大隊を調べなければな)


 どうも、気になる。

 ワレスの部屋から、第四大隊以外の換金券が出てきたこと。この二つの事件は、どこかでつながっているのかもしれない。


 ワレスが考えていると、厨房の奥の小部屋のドアがあいた。なかから人が出てくる。兵士と少年だ。


「じゃあ、またな」

「うん。約束ね」


「わかってる。毛糸の肩かけだろ?」

「赤い色がいいよ。かるくて、あったかいの」


「おまえには淡い色のほうが似合うと思うぜ。白とか、水色とか」

「ダメ。汚れか目立つんだもん。それじゃ、ピンクにして。濃いめのね」

「わかった。わかった。じゃあ、礼の前払いだ」


 食堂まわりは、真夜中以外、いつも人目がある。しかし、兵士と少年には関係ないらしい。おおっぴらに抱きあってキスをしている。


 兵士のほうは知らないが、少年は見おぼえている。食堂で給仕をしている少年だ。カナリーという名前だったはず。


 たしか、以前、この少年のことで、エミールが言っていた。


(おれに気があるとか……)


 食堂の給仕の少年たちは、裏を返せば、みんな男娼だ。

 食事を食べさせるかわりに、小部屋で自分の体を使う特別な料理を食べさせていたのだろう。

 よほど毛糸のショールが欲しいのか、熱心にキスしている。


 やっとのこと、男が去っていった。

 ワレスは少年に近づいた。


「今、いいか?」


 少年の背中に声をかける。

 男を見送っていた少年は、ふりかえってビックリしている。


 綿毛のような、やわらかな金色の巻毛。

 小鳥のように可憐な顔立ち。

 カナリーというのは、その見ためからつけられた愛称だろう。


 ワレスは親しく話したことはない。が、ひとめ見ただけで、少年のこれまでの人生の想像がついた。


 少年はとても貧しい家の生まれで、借金のかたに色子宿にでも売られた。

 が、声変わり後の少年をやとってはならないという、ユイラの昔からの慣習のせいで、宿で働けなくなった。

 それで、こんな僻地へきちの砦にまで流れてきた。


 見たところ、十五、六だが、じっさいはもう少し上だろう。ワレスを見て首をかしげる、あどけない仕草には、商売っけが感じられる。

 とはいえ、砦で男娼をする少年のなかでは、とびきり愛らしい。


「あなたは、エミールのいい人でしょ?」

「いや。いい人は遠いところにいる」

「わかってるよ。ここにいる人はみんな、そう。故郷で恋人が待ってるんでしょ? でも、それを言っちゃダメ。ぼくに何? お話があるの?」

「まあな。すぐ、すむ」

「いいよ。ゆっくりでも。昼間は忙しくないから。ね、こっち来て」


 カナリーはさっき出てきた部屋を示した。

 ワレスにその気はない。が、少年をむくれさせることもないだろう。素直にしたがう。


 室内はベッドやタンスがゴチャゴチャ置かれ、せまくるしい。給仕の少年にあてがわれた部屋だろうか。

 ワレスを場末の女郎屋に来たような気分にさせた。


「ここ、暗いでしょ? 窓もないし。すわって。ね? お茶だけは、いつでも、あったかいのが飲めるよ。いる?」

「いらない。今、食事をすませてきた」


 すわれと言われても、ベッドのほかに場所がない。

 カナリーがさきにすわり、ぽんぽんととなりをたたく。

 ワレスはそこにすわる。


「聞きたいことがある。死んだ占い師のことだ」


 言いかけるワレスの口を、カナリーが指さきで押さえる。


「待って。ぼく、もう少し、あなたとこうしていたい」


 まあ、それもいいだろう。


「知らないのか? おれのウワサを。おれとかかわらないほうがいいぞ」

「あんなの、ぼく、信じてないよ。それとも、ほんとのこと?」


 カナリーの目がずるく光るのを、ワレスは見逃さなかった。もしほんとなら、ゆすって金をまきあげようというのだろう。

 さすがに、砦に来るようなのは、ただの男娼じゃない。可愛い顔をしてるが、とんだ小鳥だ。するどいツメを隠している。


「ぬれぎぬだ。汚名を晴らすために四苦八苦してる。教えてくれたら、毛糸と言わず、絹のショールを買ってやろう」


「ほんと?」と言ったあと、くすくすとカナリーは笑った。

「でも、ダメ。やぼったいけど、毛糸のほうがあったかい」

「では、何が欲しい?」


 ワレスには、その答えがもうわかっている。

 ワレスが答えを知っていることを、カナリーも理解している。

 見つめあう瞳のなかに、答えはある。


 カナリーはもったいぶって、ワレスの耳に唇をよせてきた。


「あなたが、ほしいの」

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